「ただいま〜」
「…ルフィ、遅かったな」
「え、エース? 電気くらい付けろよ」
真っ暗なリビングから兄であるエースの声が聞こえて、ルフィは驚いてしまう。
てっきり二階の自室にいるのだと思っていた。
リビングに電気をつけるとソファーに俯いたまま座っているエースがいる。
「それに遅いって言っても、まだ七時だぞ?」
壁に掛かっている時計を見て、ルフィはエースに言った。
「どこに行ってたんだ?」
ルフィの発言もお構いなしにエースは質問してくる。
どこか怯えながらルフィは応えた。
「き、昨日言っただろ? 友達とご飯食べてたんだ」
「誰と?」
「ゾロとウソップとナミ」
「……そうか」
エースはゆっくりと立ち上がり、ルフィの目の前に立つ。そして、片手でルフィの顎を掴んで上を向かせた。
「遅くなるときは連絡しろよ?」
「わ、わかった…おれ、風呂入ってくる」
エースの手を振り払い、ルフィは引きつった表情で二階にある自分の部屋へ向かう。
部屋へ向かう途中もエースの視線を痛いほど感じていた。
いつからだろう。
仲の良い兄を怖いと思うようになったのは。
いつからだろう。
家にいるのが苦痛になってきたのは。
「ふぅ……」
自分の部屋に入り、ルフィは安堵のため息を吐く。
ルフィ達の両親は海外を飛び回るような仕事をしていて、家に帰って来ることは少ない。
環境が変わる生活でも拠点はいるだろうとルフィが生まれてからは現在ルフィ達が住んでいる家が我が家ということになった。
ルフィとエースが幼い頃は家政婦が来ていたが、ルフィが中学生になった頃にエースが金の無駄だと家政婦を雇うのを辞めたのだ。
それ以来、大きな家でエースと二人暮らしをしていた。かといって家族仲が悪いわけではなく、両親とは手紙や電話のやりとりをそれなりにしている。
二人でも寂しさを感じることなく、ルフィが高校一年生、エースが高校三年生になった今でも仲良く暮らしていた。
そう、仲良く暮らしていたはずなのに。ルフィはいつからかエースが怖くなってしまった。
大好きな兄を怖いと思うなんて、自分はどうかしているのだろうか。
ルフィは思い切り首を横に振って、考えに沈む意識を浮上させた。
「よし、風呂だ風呂!」
着替えを持って、風呂場に向かう。階段の下にはエースがいた。
横を通り抜けようとして、いきなり壁に押さえつけられてルフィは驚きすぎて声が出ない。
「何のニオイ?」
「……え?」
「なんか、イイ匂いがする」
首筋を嗅がれ、ルフィは声を上げそうになるが何とか止まった。
「こ、香水じゃなかな? ナミに面白がってかけられたから…」
「へェ? そうなんだ?」
「っ…エース、ヤダって! 酔ってんのか?」
匂っていたはずの首筋を舐め上げられて、ルフィは困惑する。
怖い。
違う、怖くない。ただの冗談だ。
「高校生はお酒を飲んじゃいけないから、酔ってないぜ。…ただの冗談だろ? そんなに怯えんなよ」
ほら、ただの冗談だった。
ルフィは安心して笑う。しかし、身体の強張りがまだ取れない。
「なァ、一緒に風呂入るか?」
「い、いいって! ガキじゃないんだから」
「そうか。ま、ゆっくり浸かって来いよ。風邪引くからな」
頭をぽんっと叩いたあと、エースは自室に向かって階段を上がって行った。
ルフィは壁にもたれたまま、その場にへたり込んでしまう。
「……はァ」
気を取り直して、ルフィは立ち上がった。
「ルフィ」
「っ! ……エース?」
「何、ビビってんだよ」
自室に行ったと思ったエースが二階からルフィを見ていた。その表情はよく見えない。
「急に声かけるからだろ…なに?」
「なんで、おれと別の高校にしたんだ?」
「学力が違うんだから仕方ないだろ〜。別に兄弟だからって同じ高校に行く必要もないじゃんか」
「……そうだな。お前、頭悪いもんな」
いつもの声音に戻ったエースに安心してルフィは二階を見上げて口を尖らせた。
「む、失礼な奴だな〜おれは風呂入るからな!」
「ああ、ゆっくりな」
エースの言葉を背に、風呂場へ入る。
脱衣所で服を脱ぎながら、エースの先程の行動を考えてみた。
いや、考える必要もない。冗談だと言っていたのだから。
浴室に入り、身体を洗う。
考える必要もないのに考えてしまう。あの行動は本当に冗談なのかとか、何であんなことをするのかとか。
世間一般の兄というものは弟が出掛けたとき、誰とどこに行っていたのかを毎回、あれほど気にするものなのだろうか。
ルフィは湯船に浸かり、エースがいつから怖いのか、何が怖いのか考えてみた。
中学のときは別段変わりなかった気がする。
高校を受験する頃だろうか。自分がエースと違う高校に行くと告げたときからエースに微妙な変化があった。
先程のような『冗談』を繰り返すようになったのだ。
「……なんで?」
こんなこと誰にも相談できない。
ルフィの疑問の回答はいくら考えても思いつくことはなかった。
***
のんびりとテレビを見ていると携帯に着信があった。
液晶画面には見慣れた名前が表示されている。
「ん? エースだ。はいはーい」
『ルフィ、今どこ?』
「家でごろごろしてる〜」
『ははは、せっかくの創立記念日なのに有意義な使い方だな』
「だって〜みんな用事あるんだもん。で、何? 今、授業中じゃないのか?」
時計を見ると十一時半くらいだった。ルフィは不思議そうに訊ねる。
『休み時間中。実は今日必要な書類をリビングの机の上に忘れちまってさ。悪いけど、持って来てくれねェ?』
「え〜」
別にすることもないが、何となくルフィは嫌そうな声を上げた。
『暇なんだろ? お小遣いやるから持って来てくれよ。放課後に一旦、家に帰ってまた学校来るのメンドイ』
「お小遣い〜! えへへ、仕方ないな〜」
『近くに着たらメールでもしてくれ』
「了解!」
ルフィは起き上がり、リビングのテーブルの上を見る。すると、エースの言っていたであろう書類が一枚あった。
大事な書類だと困るのでファイルにいれ、それをカバンに詰めてルフィはエースの高校に向かう準備をする。
エースの通っている高校はそこまで遠くはない。通学時間はルフィの通っている高校と同じくらいだ。丁度、お互いの高校は家を挟んで逆方向にあった。
通い慣れない道を探検気分で歩く。
お小遣いが貰えるなら、帰り道で何か買い食いしてやろうと目論んでいるルフィは楽しそうだ。
高校に着き、エースに連絡しようと携帯を取り出す。
「あっ!」
画面が真っ暗だった。どうやら充電が切れてしまったらしい。
「う〜ん、どうしようかな」
昼ご飯も食べていないのに、ここで放課後まで待つなんてありえなかった。そして一度、家に帰るのも面倒だ。
少し考えてから、ルフィは裏門に向かって歩き出した。
(先生に注意されたら、その人に書類を渡してもらえばいいよな)
私服は目立つが裏門からなら大丈夫だろうとルフィは考えたのだ。しかし、裏門は閉まっていた。
「えー? 不審者対策かなァ」
そういえば、自分の高校も裏門は閉まっている気がする。
困ったルフィは辺りを見渡した。すると進入できそうな塀を見つけ、よじ登る。
そして、高校の敷地内に飛び込んだ。
「なんか、おれ不審者っぽいなァ」
「違うのか?」
「う、わっ! いだっ!」
足下で声が聞こえ、ルフィは驚いて飛び退けると近くにあった木で後頭部を強打してしまった。
「あはは! 何してんだよ〜しっかりしろよ、不審者」
「うぅ、痛い…じゃなくて、不審者じゃないって」
打ちつけてしまった頭を擦りながらルフィは声の主を探す。すると寝転がったまま、金髪の男がこちらを見て、おかしそうに笑っていた。
「じゃあ何の用? 正門から来いよ」
その通りなのだがルフィは拗ねたように、声の主を見る。
エースと同じ制服を着た生徒が起き上がることもせず、ルフィを見ていた。
ネクタイの色からして、エースと同学年だろう。
「……なんだ、その拗ねた顔」
「三年生?」
ルフィはしゃがみ込み、金髪の男を覗き込んだ。
「そうだ。お前は中学生か?」
「違う! 高校一年生!」
失礼な間違いにルフィは口を尖らせた。
「なんで私服? 制服を学校に忘れたのか?」
「そんなわけないだろ! どんだけマヌケなんだ! おれの行ってる高校は今日、創立記念日で休みなの!」
「創立記念日? ああ、あそこに通ってんのか」
「うん、今日はエース…じゃなくて、兄に頼まれた書類を持って来ただけだ」
「エース? お前、あいつの弟なの?」
男の驚くような態度にルフィも驚いてしまう。
「エースのこと知ってんの?」
「一応、同じクラスだからな。仲良い方だと思うけど」
「そうなんだ〜丁度、よかった〜! これ、エースに渡してくれよ」
男は半身だけ起き上がり、書類をファイルごと受け取った。
そして、にこにこと嬉しそうに笑うルフィを見つめる。
「別にいいけど。ふーん、あのエースにこんな弟がいるとはな」
「あのエース?」
男の言葉に引っかかりを覚えて、ルフィは首を傾げた。
「優しいし、かっこいいし、よく笑ってるから女子に人気あるけどな。でも、あの態度は上辺だろ」
「上辺……」
同じようなセリフを誰かに昔、言われた気がする。
『エース君って優しいけど、私を見てない気がする。付き合ってる気がしないの。上辺だけな気がする』
短い黒髪の可愛らしい女のコだ。
中学時代にエースが付き合っていた女のコがひどく悲しそうにそう言っていた。
『無理矢理、エース君の家に来てわかったけど、エース君は弟が一番大切なのね。私、エース君があんなに楽しそうに笑ってるの見たことない。ふふ、こんなことルフィ君に言っても仕方ないのにね』
そのあと、すぐにエースは彼女にフラれたと嘆いていた。でも、厄介事から開放されたと言うように、すぐに晴れやかな態度をしていた。
なんだろう。今までの疑問が一気に解決できそうなそんな予感がする。
心が騒がしい。きっと、答えを望んでいないんだ。
「その分、お前は裏表なさそうだな」
「……」
「どうした?」
急に黙り込んだルフィに男は心配そうに声を掛けてきた。その態度にルフィは我に返る。
「そんなこと言ったの、同性ではあんたが初めてだ」
「は?」
「エースの態度はおかしいのか?」
「気を悪くしたのか? 悪かったな。別に侮辱したわけじゃなぜ? どんな女に告白されても関心なさそうに断るから、好きな奴でもいんのかと気になって態度を少し観察していただけだからな。おれの間違いかもしれない」
身内の態度が上辺だと言われたら気を悪くするのも当然かと思ったのか男は、きちんと説明してくれた。
「そうじゃなくて…どう言ったらいいんだ?」
「ルフィ!!」
「本人登場だな」
振り返るとエースがこちらに向かって走って来ている。
「携帯が繋がらないから心配したぞ」
「ごめん…充電が切れたんだ」
「そうか。それなら、よかった」
安心したようにルフィの頭を撫でているエースを男は驚いて見た。
しばらく、撫でたあとでエースは他に誰かいることに気がつく。
「あれ? サンジ、いたのか」
「結構前からいたよ」
どうやらエースにはルフィしか見えていなかったようで、サンジと呼んだ存在に今気がついた。
「サンジ…サンジっていうのか」
ルフィは目の前で探るような瞳でエースを見ている男を見て、相談できるのはこの人しかいないと思った。
「ああ、そういや名乗ってなかったな。お前の兄貴と同じクラスのサンジだ」
「おれ、ルフィ…あの、話が…」
まるでルフィの言葉を邪魔するようにチャイムの音が鳴り響く。
「ルフィ……予鈴だ。もうすぐ、授業が始まるから帰りな」
エースはサンジとルフィの間に割り込んだ。そして、笑顔でルフィを見つめる。
「そ、そっか…じゃあ、帰る。書類はサンジが持ってるから」
「ん、ありがとな。ほら、これで途中、何か食って帰れよ」
「え? あっ、そっか! ありがと、エース!」
嬉しそうなルフィにエースも満足そうにお小遣いを渡した。
「おれは先に教室戻るからな」
「ああ」
「あっ…サンジ…」
ルフィはサンジに話しかけようとするがエースがいて、姿を捉えることができなかった。
さっさと教室に戻ってしまったのだろう。エースがその場を退けた時には、もういなかった。
「……サンジに何か用なのか?」
「え? そ、ういうわけじゃない…けど」
なんだか、エースの身に纏う空気が怖くなり、ルフィはどもってしまう。
先程まではいつも通りだったのに、なんで急に怖くなるのだろう。
「それなら、別にいいだろ? じゃあ、おれも行くから気をつけて帰れよ」
「……うん、じゃあな」
サンジとの話を遮られてしまったように感じたのはルフィの気のせいだろうか。
エースを見送ったあと、しばらくルフィはその場から動けなかった。
気を取り直して、再び塀をよじ登る。そして、道路に飛び降りた。
「遅いぞ、ルフィ」
「サンジ!」
飛び降りた先にはカバンを持ったサンジがいた。
ルフィは驚いてサンジを見上げる。
「え? 午後の授業は?」
「サボる。お前、おれに何か話があるんだろ? 可愛い後輩の相談には乗ってやるぜ?」
「あ…ありがと!」
先程のことを気にして、わざわざ待っていてくれたのだと思うと胸が熱くなった。
「気にするな。エースがいたんじゃ話が出来なさそうだったからな」
「………うん」
そんなことないと言いたかったが、やはりサンジと会話できないようにしていたように思う。
ルフィはなぜだか急に泣きそうになってしまった。
サンジの傍は心地良い。
「大丈夫か?」
「うん、平気! どっか話せる場所に行こ?」
「メシでも食いながら話すか〜お前はまだ食ってないんだろ?」
「うん。でも、誰かに聞かれたらヤダ」
話が話しなだけに出来ればファミレスのような場所では話したくなかった。
なるほどとサンジは頷く。
「じゃあメシ買って、おれの家に行くか? 一人暮らしだから邪魔が入る心配もない」
「いいの?」
「悪かったら提案しねェって」
遠慮気味なルフィにサンジは笑った。その笑顔を見て、心が温かくなる。
「う…何、泣いてんだ? ちょっと、こっち来い」
いつの間にか涙がルフィの頬を伝っていた。
サンジは慌てたようにルフィを手招きして、泣き顔を隠すようにそっと抱きしめる。
「うぅ…」
「どうした? 兄貴が怖いのか? ……おれがいるから大丈夫だ」
「…うん」
ついさっきまで名前も知らなかったような男の胸で自分はなぜ泣いているのだろう。
どこにでもある言葉に、なぜこんなにも心が震えるのだろう。
ルフィは流れ続ける涙をなんとか止めて、サンジを見上げた。
「ありがと、サンジ」
「まだ相談に乗ってもないけどな」
「うん…でも、ありがとう」
優しく背を撫でられて、ルフィはもう少しこのままでいたいと思う。
そんな自分の考えに愕然として、ルフィはサンジの腕の中から、飛び退けた。
「ご、ごめん!」
「いや、別に。でも、人通りが少ないとはいえ、こんな場所で抱き合うのは問題かもな」
「うぅ、ごめん」
意識しなくても勝手にルフィの顔が赤くなる。
「かわいい奴だな。さて、メシ買いに行くぞ」
「うん」
サンジは恥ずかしそうに自分の隣を歩く少年を見て、ため息を吐きたい気分だった。
(なんで、こんなに可愛いんだ?)
抱きしめる必要なんて全くなかったのに。しかも、ごく自然に可愛いと言ってしまった。
自分はどこか、おかしいのだろうか。
芽生え始める不思議な感情にサンジはどうしたものかと内心で考えた。
***
サンジの暮らすマンションに着いたとき、高校生が住むにしては豪華な家にルフィは驚いたが、どうやら知り合いのおかげで安く借りられているらしい。
そして、部屋で食事を済ませた後、ルフィは本題を話し始めた。
「エースが変?」
「うん」
食後のお茶を飲みながらルフィは悩んでいることをゆっくりと話す。
サンジはベッドに腰掛けて、ルフィの話しに耳を傾けた。
「昔は…そんなことなかった。おれが高校生になったくらいから変なんだ」
「具体的にどう変なんだ?」
「それは……」
コップを机に置き、ルフィはサンジを見た。そして、目を彷徨わせる。
急かすことなくサンジは黙ってルフィの言葉を待った。
「冗談なんだろうけど…スキンシップが多くなって…最近はなんか怖い」
「スキンシップか」
「普段は全然、怖くないんだ。でも、おれに触ってくるときのエースは怖い。目がいつもと違う…」
それだけ言うと俯いて、ルフィは黙ってしまう。
サンジはベッドに仰向けに転がった。
純粋に兄を慕うルフィにエースの気持ちを伝えるべきか悩んでしまう。
エースはルフィが好きなのだ。それは家族を想う気持ちではなく、恋愛感情としてルフィに恋焦がれている。
これはただの予想だが、真実に近いだろう。
想いは真剣で狂気に近いかもしれない。
あれは弟と会話する兄の顔ではなかった。それにサンジがルフィと話をしているときのエースの目が忘れられない。
ルフィが自分の名前を呼ぶ度に、射殺さんばかりの視線は痛いほど感じていた。エースにあれほど憎悪を向けられたことはない。
「サンジ…どう思う?」
ルフィはベッドに上がって、サンジを覗き込んできた。
「整理中。お前はどう思ってんだ?」
「わかんない……わかるのが怖いのかもしれない」
困ったように笑うルフィの頭をサンジは寝転がったまま撫でる。
「おれはたぶん、お前が怖れる答えを知ってる」
「っ……うん」
「そんで、これはおれが言うべきことじゃないと思ってる」
ルフィは真剣に頷く。サンジに話を聞いてもらっているうちに、ルフィ自身もエース本人に聞くべきことだと確信していたところだ。
「うん、きっとサンジの言ってることは正しいと思う。だから、おれ、エースに直接聞いてみる」
「もしも」
サンジは起き上がり、決意をしているルフィに真剣な顔で話掛けた。
「ん?」
「もしも、お前が助けを求めるなら…おれがお前を守ってやる」
「サンジ…」
優しく頼もしい言葉にエースを向き合う勇気をもらった気がする。
ルフィは嬉しそうに笑った。その笑顔を見て、サンジはルフィの頭を撫でる。
「よくわかんねェけど…お前が泣くのは嫌だからな」
「もう泣かないって! サンジは心配性だなァ」
泣いたことが恥ずかしいのか、ルフィは赤い顔で口を尖らせて拗ねた。
「こんなに心配するのは相手がルフィだからだ」
「え? どういう意味?」
「さァ、どういう意味だろうな」
不思議そうな顔なルフィをしているサンジはおかしそうに笑う。
「うーん?」
「まァ、ヒマなときにでも考えてくれ」
「わかった〜。おれ、そろそろ帰るな。いろいろ聞いてくれて、ありがと。なんか楽になった」
ルフィはサンジの言葉の意味を考えるのは中断して、立ち上がって礼を言った。
「そりゃ、よかったな。あ、携帯貸せ」
「ん? はい、どうぞ」
借りていた充電器から携帯を外し、何の疑いもなく自分の携帯を差し出す。
そんなルフィにサンジは警戒心のなさが心配になってしまうが、とりあえず携帯を受け取った。
「番号とアドレス入れといたから、なんかあったら遠慮せずに連絡して来い。別に相談じゃなくても連絡すりゃいいからな」
「うん、ありがと! あとで連絡する」
嬉しそうにルフィは携帯を受け取り、サンジに笑いかける。
「気をつけて帰れよ」
「おう! じゃあな〜」
「ああ、またな」
笑顔のままルフィはサンジに手を振り、部屋を出て行く。
ルフィが帰ったあとの部屋は静かなものだった。急に寂しさを感じてサンジは苦笑する。
「さて、これからどうなるかな」
それはエースとルフィのことなのか、自分とルフィのことなのかサンジ自身にもわかっていなかった。
***
長かった授業が終わり、ルフィはイスにもたれて背伸びをする。そして、なんとなく携帯を見た。
「あ、メールきてる」
内容を確認するとサンジからだった。
サンジから携帯アドレスを教えてもらってから一週間ほど経っているが割りと頻繁に連絡を取っている。
「ルフィ〜携帯は隠れていじりなさい。放課後とはいえ、先生に見つかったら没収されるわよ?」
「そ、そっか。気をつける」
ナミの言葉に、ルフィは慌てて携帯をズボンのポケットにしまった。
「そうしなさい。ルフィ、今日ヒマ? いつものメンバーで晩ご飯食べない?」
「ナミ〜ごめん! 先約があるから、また今度な!」
「そう? じゃあまた今度一緒に食べましょ」
「うん! じゃあな〜」
ルフィはカバンに荷物を突っ込んで、早々に教室を出て行く。
そんな様子を不思議そうにナミは見送る。
「あれ? どうしたんだ〜ルフィの奴」
「先約があるんだって」
てっきり一緒に夕食を食べるものと思っていたウソップは驚いたようにナミを見る。
「ふーん? せっかく一緒にメシでも食おうかと思ったのにな」
「残念だけど先約がいたなら仕方ないわね。というか、ルフィとご飯食べれないからってゾロはヘコみ過ぎでしょ」
「……うるせェ」
反論できないくらいガッカリとしているゾロを見て、ナミとウソップは顔を見合わせてため息を吐いた。
***
「サンジ〜!」
「お、ルフィ。早かったな」
校門の前で待っていたサンジは、走り寄って来るルフィを見つけて嬉しそうに笑う。
「どっかで待ち合わせにしてくれたらよかったのに。この高校、サンジの高校から地味に遠いだろ」
「まァな。つっても大した距離じゃないだろ。それよりメシでも食いに行こうぜ」
「うん! でも、びっくりしたぞ〜メールに『外で待ってる』って書いてあったからさ」
「今日はエースとお前の話をすることがあってな。それで会いたくなったんだよ。走って来てくれるとは相当嬉しかったけどな」
「エースと? どんな?」
「うーん……いろいろと、な」
歯切れの悪いサンジの返答にルフィは首を傾げる。
「なんか気になるな〜」
「省略していうと、ルフィとどういう関係なんだ〜みたいなことをエースに言われたから、それなりの関係だって言ったんだよ。そのあとのエースの態度が怖い怖い。殺されるかと思ったぜ」
放課後にエースに呼び出されたサンジはルフィとの関係を聞かれた。
ルフィとサンジの電話やメールのやり取りを自宅で見ていたのだろう。
いい加減、サンジも苛立っていた。エースのルフィに対する態度が気に入らない。
同じ家で生活しているエースを脅威にさえ、感じていた。
下手をすれば、二人は兄弟を越える関係になるのではないかという気もしていたのだ。
エースがルフィに想いを伝えなければ、不安定な関係はいつまでも続くだろう。しかし、それではいけないと思ったサンジはエースを煽るようなことを言ってしまった。
恋敵相手に優しく諭す気など、さらさらないサンジはルフィに告白すると笑顔で言ってやった。
いつまでも自分の想いを伝えられない男にルフィは渡さないとも言ってしまった。あれは間違いなく宣戦布告だろう。
「な、なんで? そんなことでエースが怒るのか?」
「怒るんだよ。なんか腹立ったから勢い余って宣戦布告してやったんだけど、大丈夫かな」
言い合いをしたことで、エースを追い詰めてしまったかもしれないが、今さら後には引けない。サンジだってルフィのことが好きなのだから。
「どんな話したか気になるならメシのときに話してやるよ」
「う、う〜ん。また今度でいいかな?」
「そうか? 今日、家に帰ってから、なんかあったらすぐに連絡しろよ?」
「……うん」
サンジの話を聞いてから、なんだか落ち着かない。
今日を境に確実に何かが変わるような、そんな予感がルフィの中を過ぎ去っていった。
***
「ただいま〜」
「お帰り。お前が遅いから夕食冷めちゃったぞ」
楽しく晩ご飯を食べて、帰宅したルフィはリビングに入る。すると、ソファーから立ち上がったエースに立ちはだかられた。
「ご飯は食べて来るってメールしたじゃんか」
「誰と?」
「ま、まだ食べれるよ! エースはまだ食べてないんだろ? 温めてくる」
その質問に答えると何かが変わる気がしてルフィは一生懸命に話を逸らそうとした。
「……誰と食事に行ってたんだ?」
エースは笑っているがひどく怖い。
有無を言わさぬ低い声で訊かれ、ルフィは怯えながら答えた。
「さ、サンジと」
その言葉にエースの表情は豹変する。そして、ルフィは痛いほどの力でエースに腕を掴まれた。
「エース! 嫌だ!」
「ずっと…ずっと前からお前のことが好きだった!」
「っ!」
エースの言葉に驚いている間に思い切り床へ引き倒される。
固い床に頭を打ちつけられ、意識が飛びそうになった。
逃げる前にエースに圧し掛かられ、ルフィは身動きが取れなる。
「なんでサンジなんだよ! なんで…なんで、おれじゃダメなんだよ!」
「お、おれ達は…兄弟じゃんか」
「そんなことわかってる! 痛いくらい…わかってる。なんで、おれとルフィは兄弟なんだとか…血が繋がってなけりゃいいのにとか、おれが思ってたのお前は知らないだろ? 戸籍まで調べに行ったおれの気持ち…お前は知らないだろ?」
「……エース」
「知るわけねェよ。お前は悪くない。ずっと隠してたんだからな。でも、限界なんだよ…冗談なんかで終わらせられない。ルフィが好きなんだ。好きで好きで…どうしようもない。どうしたら、この想いが消せるか教えてくれよ…ルフィ」
歪んだ笑顔でエースは怯えるルフィを見下ろして来た。
動けない。押さえつけられているせいもあるがエースの気持ちを思うとルフィは動けなかった。
どうしたら、いいのだろう。
こんなに取り乱したエースの姿を見たことがない。
エースはルフィに対する想いを、ずっと抑え込んでいたのだ。
タガが外れ、自分で制御できないのかもしれない。
「……ルフィ」
動かないルフィに何を思ったのか、エースはルフィの胸倉を掴む。そして、ルフィのカッターシャツの襟首を思い切り左右に開いた。ボタンが辺りに散らばる。
「っ!? ヤダ!!」
「ルフィ……逃げるなら今が最後のチャンスだ。どうする?」
「いっ…」
鎖骨の辺りをきつく吸われ、恐怖で泣きそうになってしまう。しかし、泣いている場合ではない。
どうするのか考えなくてはいけない。
ルフィはエースをなんとか突き飛ばし、立ち上がった。
・振り返らずに家を飛び出す
・一度だけ振り返り、家を飛び出す
・その場に止まる