ルフィはその場に止まり、突き飛ばされたまま動かないエースを見つめた。
こんな状態のエースを置いて出て行くことなんて、ルフィには出来ない。

「……出て行かないのか?」
「……うん」
「後戻りできなくなるぞ? お前が思ってる以上に、おれはルフィに依存してる」

気まずそうに頷くルフィを試すようにエースは見つめた。

「怖くないのか? 弟をオカズにヌいてるような兄貴が」
「こ、怖いに決まってるだろっ!」
「…そうか」

衝撃的なことを言われ、多少怯むがルフィは部屋から出て行くことは考えられない。

「急に押さえつけられたり、変なことばっかり言われたり怖いに決まってる! でも、おれ…エースのこと嫌いだなんて思ったこと一度もない」
「…ルフィ」

信じられないというようにエースは驚き、泣きそうに顔を歪めるルフィを見た。

「変な『冗談』ばっかりしてくるから、おれ…エースに嫌われてるのかなって思ったりもしたんだ」
「ありえない! おれがルフィを嫌うなんて…例え、この想いが一生伝わらなくても、おれがルフィを嫌うなんてありえない話だ」

本当に信じられない発言だったのかエースは驚愕の表情でルフィを見つめる。

「いっそのこと、お前を嫌いになれたら…せめて、狂気に似た想いがなくなれば……ルフィを怖がらせることもなかったのに」
「…エース」
「おれが中学生の時に彼女がいたの覚えてるか?」
「……うん」

静かに話し始めたエースの言葉を一言たりとも逃さぬようにルフィは真剣に耳を傾けた。

「その彼女と初めてキスしたときも何も感じなかった。『なんだ、こんなもんか』って真っ赤になって照れてる彼女を見てもそんな風に思った。おれは性欲があんまりないんだと思った。でも、違った。ソファーに寝てるルフィにキスしたとき、すげェ興奮した」
「なっ…そんなこと…してたのか?」

ルフィは思わず自分の唇に触れる。エースの言ったことが信じられなかった。

「悪いな。一度や二度じゃない」
「っ! バカ! 最低!」

真っ赤になって怒るルフィを見て、エースは自嘲したように笑う。

「そう、おれは最低なんだよ。よく考えたらさ、あのとき付き合ってた彼女…お前に似てたんだ。髪型とか仕草とか…でも、似てるだけでルフィじゃない。そう思ったら彼女に興味なくなった。そういうの感じ取ったんだろうな。すぐにフラれたからさ」
「え、エース」

立ち上がり近づいてくるエースにルフィは後退りしたが、すぐに背が壁にぶつかる。そして、両手を壁につかれて、逃げられなくなってしまった。

「どうしようもないダメ兄貴だ。お前のことになると見境がなくなる。それでも出て行かないのか? 怖いんだろう?」
「どうしていいか…自分でもわからない」
「おれが言うのもなんだが、サンジは信頼できる男だぞ? だから、憎くて仕方ないんだけどな」

思えばサンジがいたからエースはルフィに想いを告げてしまったのだ。
単なる嫉妬だ。でも、今まで会った奴らとは違うと思った。
放っておけばサンジとルフィはエースが最も怖れる関係になると確信している。だから、我慢できなくなった。
鈍いルフィに自覚はないだろう。しかし、気になる存在なはずだ。

「サンジは…相談に乗ってくれた。優しいし、おれも信頼してる。出て行くならサンジのトコに行ってると思う」

ルフィがサンジを褒める度に、名前を呼ぶ度にサンジを八つ裂きにしてやりたくなる。
エースは闇より暗い感情をなんとか押し隠した。これ以上、ルフィを怖がらせたくない。

「でも、今はエースの傍にいたいと思ってる」
「今、逃げなかったら……どんなに嫌がっても、おれはもうお前を逃がしてやれないぞ?」
「うん、いいよ。その…変なことしないなら」

壁際から少し離れたルフィをエースはそっと抱きしめた。
ルフィも抵抗することなくエースの行動を受け入れている。

「ルフィが嫌がるなら、何もしない」
「ホント?」
「た、たぶん」
「えー? 自信持ってくれよ」

困ったように見上げてくるルフィにエースは我慢出来ず、軽く口づけた。

「っ! う、ウソつき!!」
「だってキスは別に変なことじゃねェもん」
「そ、そうかも…しれない、けど」

段々と顔が熱くなってくる。なんで兄弟でこんなことをしているんだろう。でも、エースは優しい兄の目ではなく獰猛な雄の目をしている。
そのことにルフィの心臓は壊れそうなくらい高鳴った。このままでは食べられてしまいそうだ。

「……逃げるの、まだ間に合う?」
「残念、もう手遅れ。お前はおれのモンだよ」

ぎゅうっと抱きしめられてルフィの鼓動は早くなる。

「そ、そこまで言った覚えはないぞ」
「でも、逃げなかったってことは、そういうことなんだよ」
「おれはエースのモンなのか?」
「ああ、そうだ」

嬉しそうに、しあわせそうにエースに笑われてルフィはそれもいいかなと思い始めていた。
だって、最近はエースのこんな晴れやかな表情を見たことない。きっと思いつめていたんだ、エース自身の想いに。
ルフィの鈍感さが気づかないうちに優しい兄を追い詰めていたのかもしれない。
この感情は世間でいう恋とは違う感情かもしれないけど。どんなことを言われても、何をされてもエースの傍にいたいと想う気持ちは変わらなかった。
きっと、その気持ちがルフィの本当の気持ちなのだろう。

「そっか……えへへ、仕方ないな」
「え?」
「エースのモンになってやるよ」
「ルフィ!!」

照れたように笑うルフィをエースは強く強く抱きしめる。

夢のようだ。もし、夢なら一生醒めなくてもいい。それほど、しあわせな気分だ。
実際、夢で何度も見た。想いが通じ合い、身体を重ね合うような、まるでお伽噺のようなありえない夢。目が覚めたときの絶望感や喪失感は耐え難いものだった。
しかし、腕の中にある愛しいルフィの温もりがこれは夢ではないことを教えてくれた。
叶うはずないと思っていた。常識や道徳に縛られたままでは決してこの想いは成就されなかっただろう。
全てのモノに感謝したい気分になる。
両親を恨んだこともあった。なぜ、ルフィの兄として自分を産んだのかと。
悩んで悩んで悩み抜いて、暴走してしまった。しかし、暴走したからこそルフィに自分の想いを本気で伝えることができた。
そんな悩みとも今日限りで解放されるのだ。それなら、悩んだ日々もきっと無駄ではなかった。

「く、苦しい…エース、ギブ…」
「あ、ああ、悪ィ」

やっと放されて、ルフィは安堵のため息を吐く。

「はァ、抱き潰されるかと思った…」
「あはは、悪い悪い。なァ、一緒に風呂に入るか?」

不審者を見る目つきでルフィはにこにこと笑っているエースを見上げた。そういえば以前から一緒に風呂に入ろうと言われ続けている。

「……それはなんか危険な気がするからヤダ」
「ええ!?」
「うっ、おれに何もしないならいいよ」

あまりにも落胆されたのでルフィは自分に有利なように、すぐに助け舟を出した。

「裸のルフィを見て、何もしない? なるほど、兄ちゃんの理性を試したいわけだな」
「違います…あっ、そういえばエース、晩ご飯食べてないんだろ?」
「うん? そういえばそうだった。ルフィはもう食べたんだよな……サンジと」

ひやりとするような声音で言われ、ルフィは顔を引きつらせる。エース自身、意識しているわけではなく、どうも無意識に声が低くなってしまうようだ。

「な、なんかお腹空いてきたなァ。エースが作ったご飯が食べたいな〜」
「よし! 今すぐ温めてやるから座って待ってろ」

ルフィにおねだりをされて、エースは途端に機嫌良さそうに料理を温め始めた。
安堵のため息をこっそりと吐いて、ルフィはイスに腰掛けようとして自分の服装の異変に気づく。
肌蹴ているシャツ、エースによってボタンが全てダメになっていた。
異常に恥ずかしく、慌てて近くにある上着を羽織り、ボタンをしっかりと留める。
そして、イスに腰掛けた。

「はい、どうぞ」
「いただきまーす! って、横に座るのか?」
「正面からお前が美味そうにメシ食ってんのを見るのも好きなんだけどな。たまには横から見たい」
「いやいや、エースもメシ食えよ。おれのこと見る必要なんてないって」

大体、そんなしあわせそうな顔で、じーっと見られたのでは恥ずかしくて食べにくい。

「そうか? じゃあ、食べさせて?」
「………」

どこから『じゃあ』というセリフが繋がるのだろうか、ルフィの疑問になど答えてはくれなさそうな笑顔でエースはルフィを見つめていた。

「はい、あーん」
「あーん。うまいなァ」

ひどく楽しそうなエースにルフィは文句を言うのを止める。きっと言っても笑顔で流されるに違いない。

「あとは自分で食えよ? 毎回食わせるのは面倒だ」
「はーい」

エースを無視して、食事を進めていると太ももを撫でる手の存在にルフィは気がついた。

「っ!? なんか、エース、変わった?」

急いでエースの手を抓り、睨み上げる。

「自分を抑えるのを止めたんだ」

まったく懲りていない顔でエースは笑っていた。

「…………食事中くらいは抑えてください」
「……仕方ねェな〜隣にいると手を出したくなるからなァ」

そう言いながらエースはルフィの正面の席に座り直す。そして、がつがつと食べ始めた。
ルフィはなんだかワガママになってしまった兄をどう対処するべきか悩んでしまう。
しかし、たまにはワガママを言われるのも何だか心地良いとルフィは感じていた。

「どうした、ルフィ?」
「な、なんでもない」

優しく見つめられ、なぜか頬が熱くなり、ルフィは誤魔化すように慌ててご飯を食べる。

「ふーん? 赤い顔で何考えてたんだか」
「う、うるさいぞ!」

にやにやと笑われ、ルフィは顔を逸らした。

「なァ、ルフィ」
「なに?」
「どうして、おれのこと名前で呼ばせたか知ってるか?」
「え? あ、昔は『兄ちゃん』って呼んでたか」

何のことかわからなかったが、そういえば昔はエースのことを『兄ちゃん』と呼んでいたような気がする。
確かルフィが幼稚園に入った頃にエースは自分のことを名前で呼べと言ってきたのだ。その頃は『兄ちゃん』と呼んだら返事をしてくれなく、ルフィは自然と『エース』と呼ぶようになったのだ。

「兄貴だって思われたくなかった。あはは、おれはそんなに昔からお前を恋愛対象で見てたんだな」
「ご、ごちそうさま!」
「待てよ、ルフィ」

気恥ずかしくてルフィは立ち上がり、自室に向かおうとしたのだがエースに後ろから抱きすくめられてしまった。

「え、エース、ご飯は?」
「もう、食べ終わった。できるならデザートにお前を食いたい」
「だ、ダメ。おれは食べ物じゃないって」

自分を抑えることを止めたエースはなんて手強いのだろう。恋愛感情に疎いルフィでも恥ずかしくてどうしていいか、わからなくなる。
心臓が壊れそうなほど、高鳴っていて息苦しい。

「うん、知ってる。でも、おいしそう」
「っ! エース!」

耳たぶを甘噛みされ、ルフィはびくりと肩を揺らした。
その様子にエースは興奮してしまう。そろそろ放してやらなければと頭では思っているのだが、身体はルフィを放してくれない。

「はァ、どうしよう。止まらないかも」

服の裾から手を入れて、ルフィの身体に直接触れた。
温かな体温。滑らかな感触。声を上げぬよう必死に我慢している姿。
それだけで理性が焼ききれそうだ。

「と、止まって! そ、うだ! 一緒に風呂入ってもいいから!」
「ホントか!?」
「うん! だから、だから…うぅ」

食ってくれと言っているようなものだ。しかし、目の前のピンチから何とか抜け出したいルフィは風呂場の方が逃げ場がないということまで、頭が回っていない。
真っ赤な顔で懇願してくるルフィにエースは根性でルフィを放してやった。

「……はい、止まりました」

興奮しているために多少、上擦った声でエースはルフィに声掛ける。

「ありがと〜もうエース、怖いよ〜」
「だって、お前が可愛いから」
「うぅ……急に襲おうとするなんて」

ルフィは半べそをかきながら、エースに泣きついた。
再び、エースにとっての葛藤が始まる。

「わ、悪かった…から、ちょっと離れてな」
「うん」

ぐずぐずと鼻を啜りながら、ルフィはエースから離れた。そして、テーブルの上に食べた後の食器を見つけ、シンクに浸けていなかったのを思い出す。とりあえず、食器を片づけようと洗い始めた。
その後姿を見て、申し訳ないと思いつつエースはムラムラしてしまう。

「………風呂、どうする?」

一応、聞いてみた。今なら全神経を集中させれば、止まれる気がしたから。
可愛いルフィを泣かせたくはない。本音を言うと泣かせてみたいとも思っている悪い兄貴だ。
エースの問い掛けにルフィは皿を落としてしまった。

「わ、割れてない…よかった」

水道を止めて、慌てて調べると割れてはおらず、安心する。そして、エースを恥ずかしそうに振り返った。

「い、一緒に……入る」

赤い顔でルフィは恥ずかしそうにチラチラとエースを見る。

「っ! 了解…お湯入れて来る」
「…うん」

どきどきしながらルフィは頷いた。
風呂を入れに行くエースの後姿に、ルフィはとてつもなく緊張する。
鼓動を落ち着けたくて、ルフィはソファーに座った。そして、ふと携帯にメールが来ていることに気がつく。
メールを開くとサンジからで『大丈夫か?』とだけ書いてあった。

「そういえば、今日心配してくれてたなァ」

本当に頼りになる先輩だとルフィは嬉しくなってしまう。

「えっと、『いろいろあったけど、もう大丈夫。心配してくれてありがとう』っと」

それだけ送るとルフィは携帯をソファーの前のテーブルに置き、ソファーに仰向けに寝転がった。
怖いような恥ずかしいような、そんな気持ちでエースが戻ってくるのを待つ。


一方、エースは少し緊張していた。
いざ、本当に入れるとなると嬉しくて仕方ないというのもあるし、どこか現実味がないような感覚もある。
とりあえず、思い切り自分の頬を抓って、痛みで悶絶し、夢ではないことを確認した。
これから、ルフィと風呂に入れる。

「我慢……できるかなァ」

不安そうに、でもどこか嬉しそうに、にやけてエースは呟くのだった。

























*END*