「「吸血鬼〜?」」

サンジは心底どうでもいいような表情で、それに比べてルフィは心底楽しそうな表情で、怯えているウソップを見た。

「そうなんだよ! この町には出るんだよ!」
「いや、そんなわけないだろ」
「えーい! この記事を見ろ! 今すぐ町を出よう!」

ウソップは持っていた新聞をサンジに押しつけて、再び震え始める。

イスへ腰掛けているサンジの肩越しから、ルフィも荷物の片づけを中断し、新聞を覗き込んだ。
宿に着いたばかりで、のんびりしようとしていた矢先にウソップが騒ぎながら部屋に飛び込んで来たのだ。
というか、これからルフィとイチャつこうかと思っていたサンジは邪魔をされて、ものすごく不機嫌だ。
しかも、今回は少々長居しようかと考えていた。古くなった備品も買い換えたいし、裏の換金所は近場ではこの町にしかない。
この町で盗みをしないとしても、最低三日は滞在したいところだ。

そして、ウソップの話がにわかには信じられず、気持ちを落ち着けてサンジはとりあえず新聞を見た。

「なになに〜? 『某日。またしても、この町に残酷な殺人鬼が現れた。狙われたのは身寄りのない美しい娼婦。殺害現場は霧の立ち込める細い路地裏だ。被害者の共通点は長い黒髪の女性。そして、殺害された女性の首に不自然な歯形のようなものがあることだ。検死の結果、後頭部に鈍器のようなもので殴られた痕があった。しかし、これは直接の死因ではないようだ。その他に外傷は首の傷口しかなく、そこから血液が多量に抜き取られていることが分かった。死因はそのことによる出血死だ。これはまるで伝説に聞く吸血鬼のようではないか。警察や青年団の見回り、警備を強化したばかりの我々を嘲笑うかのような手口に怒りと恐怖を憶える。事態を重く見た地元警察は国家警察に応援を要請したようだ。しかし、自分の身は自分で守らねばならないだろう。夜中の一人歩きは老若男女関わらず、止めるよう厳重に警戒する。』」

覗き込むルフィにもわかるようにサンジは声に出して記事の一部を読み上げる。
殺害現場の写真と被害状況、記者の見解が一面を飾り立てていた。
被害者は三人目。この平和な町には珍しい凶悪犯罪。
サンジはため息を吐きたい気分をぐっと堪える。

「危険だとは思うが吸血鬼ってのは記者が面白がって書いただけだろ。この愉快犯は世間が騒ぐのを楽しんでる。快楽殺人者だろうな」
「えー! 吸血鬼はいないのか…でも、最低だな。人の命で遊んでる」
「そうだな…早く捕まるといいんだがな」

静かな怒りを湛えるルフィの頭をサンジは撫でた。
確かに許せる犯罪ではない。快楽殺人者が今もこの町で平然と暮らしていると思うと気分のいい話ではなかった。
しかし、ウソップは犯人が吸血鬼だと信じているようだ。

「ホントの吸血鬼だったら捕まるわけないだろ! きっとこの町には人の血を飲む種族がいるんだ! 今すぐこの町を出た方がいいに決まってる!」
「こんな物騒な町を出たいのは山々だが、旅の備品を買い変えないといけねェのは、お前もわかってるだろ?」
「わかっちゃいるが怖いもんは怖いんだよ!」

ウソップの両足は面白いほど震えている。それを見て、ルフィは胸を張った。

「大丈夫だって。なんかあったらウソップはおれが守ってやるよ〜なんなら、護衛してやるし」

にかっと太陽のような笑顔でルフィに笑われて、ウソップは少し安心する。しかし、視線をサンジに移し、即座に後悔した。
遠くの殺人鬼より、身近なサンジの刺す様な視線の方が怖い。

「い、いや! おれは宿から出ないことにするから! 用事があったら部屋に来てくれ〜!」

叫び走りながらウソップは二人の部屋から出てしまった。

「あれ? どうしたんだろな…別に一緒にいればいいのに」
「そうだな〜怖いなら一緒にいればよかったのにな」

不思議そうにルフィはサンジを見る。
自分が追い出したとは欠片も出さず、サンジは爽やかに笑った。

「仕方ないから買い出しはおれ達で行く?」
「そうだな。今から行くか?」
「うーん、もう夕方だからな〜」

そういうとルフィの腹が鳴る。
恥ずかしそうに笑って、ルフィはサンジを見た。

「そんじゃ、先にメシでも食いに行くか。買い出しは、そのあとだ」
「やったァ! ウソップも調子出ないみたいだし、やっぱり備品は今日中に買っておくんだな」
「……まァな」

実は子分想いのサンジにルフィは自然と笑顔になる。

「サンジは優しいよな」
「たまには妬けよ。おればっかり嫉妬しててイヤになる」
「な、なんでだ…もう。仲間想いはいいことなんだぞ? それにサンジが思ってるより、おれはヤキモチ焼いてるぞ」

突然、抱きしめられてルフィは赤い顔のままで、むくれた。

「今の態度は大変かわいいと思います」
「……ありがとうございます。買い物も行くなら着替えるから放してくれ」
「わざわざ? 面倒じゃないか?」

女装姿も可愛いので着替えてもらえると嬉しいが、別段いつもの格好が不満というわけではない。
サンジは名残惜しそうにルフィを放して訊ねた。

「でも、女だとオマケ貰えたり値引きして貰えたりするから。お嬢様効果におれは期待してるんだ」
「なるほど。節約か」

そういえば、以前買い物に行ったとき山のようにオマケを貰っていた姿を目撃したことがある。
いつもの格好で買出しに行ってもオマケしてもらえるような気がするが女装の機会が減るので黙っておこう。
やはり、なんだかんだ思ってもサンジはルフィの女装姿が好きなようだ。

「そういうことだ。盗賊団の中でおれが一番食べるからな…」
「気にするなって言いたいトコだが本当によく食べるもんな。かわいいと思うけど」
「そ、そういうことは言わなくていいの!」

照れて赤くなるルフィを見て、サンジは笑う。

「着替えるの見てて、いいか?」
「いいけど…別に見ても、つまんないぞ?」
「いやいや、おれには楽しい一時だから気にするな」
「ふーん? ま、いいか」

ベッドに腰掛け、ニヤニヤと見つめるサンジの視線にルフィは気がつかず、着替え始めた。

「お嬢様時代もモテたんだろうな」
「え? サンジじゃないんだから、おれは今も昔もモテないよ」
「はァ?」

なんでもないことのように言うルフィをサンジは訝しげに見るが、ルフィの方が不思議そうに首を傾けている。

「ん? 見てわからない? モテないよ」
「……パーティーで声掛けられるだろ?」
「それは男の礼儀なんだろ? パーティーとかで声を掛けてくるのは社交辞令なんだ。領主様がそう言ってたぞ」

そんなわけないだろと言いたかったが、あまりにも素の反応なので何も言えない。
相手の好意に鈍いとは思っていたが、その理由がなんとなくわかった気がした。

(なるほど。社交辞令だと思ってるから、男に話しかけられても自然に流せるんだな。うん、黙っておくか)

「……そうなのか」

等身大の映る鏡で服や髪を整えていたルフィは、にかっと笑ってサンジを振り返る。
いつの間にか着替え終わり、長髪のカツラもつけていた。

「うん。それにさ、おれは別にモテなくてもいいんだ」
「なんで?」
「サンジがいるから…うわっ!」

ベッドに引き倒されて、ルフィは驚きの声を上げる。
起き上がろうにもサンジが覆いかぶさっていて、身動きが取れなかった。

「お嬢様、発言には気をつけないと襲われてしまいますよ?」
「へ? う…だ、ダメ……っ」

軽く口づけられて、ルフィは鼓動が速くなる。

「おれのタガが外れる前に早く決心しろよ?」
「は、はい」
「よし、その心意気だ。今夜でもおれは構わないからな」
「うぅ…まだ無理そう」
「えー? 頑張れよ」

拗ねたように言うサンジにルフィは顔が熱くなる。
なんだかんだで、実はまだ身体の関係のない二人だった。

「そうしたいんだけど…心が追いつかないって。うぅ、これで我慢して?」

ルフィはサンジに軽く口づける。
突然のルフィの行動にサンジは赤い顔で笑った。

「あー、このまま襲いたいんだけど?」
「ダメ! おれ、お腹すいた」
「はァ、もうしばらく我慢しますか」

真っ赤な顔で胸の辺りを両手で突っ張るルフィに観念したように、サンジはルフィの上から退ける。
ルフィは急いで立ち上がった。そして、違和感に気がつく。

「うわ! 服が…いつの間に」

ワンピースの背中のファスナーがいつの間にか開いていて、ルフィはじろりとサンジを睨んだ。
サンジは頭を掻きながらルフィの後ろに立つ。

「あはは、髪よけてろ。上げてやるよ」
「もう、勝手に下げたの誰だよ」

ルフィは口を尖らせて、髪の毛を両手で上げた。
苦笑しながらサンジはファスナーを上げようとして思い止まる。そして、ニヤリと笑った。

「ん? どうか…し、た」
「ん〜? 別に?」

両手で髪を上げたまま顔だけ振り返るがサンジは、しゃがんでいてルフィから見えない。
ただならぬ雰囲気にルフィは等身大の姿も映る鏡でサンジを確認した。その姿に動揺が隠せない。

「な、な、な、な、なにを…」
「ファスナー、上げてるだけ」

ルフィの腰を掴み、引き手の部分を犬歯でくわえてサンジはファスナーをゆっくり上げた。

「うっ、手で上げろよ!」
「ヤダ」

鏡に映る姿がなんだか卑猥で見ていられない。ルフィは真っ赤になって、鏡から顔を逸らした。
ファスナーを上げ終えたサンジは流れのままルフィのうなじを舐める。

「っ! バカ! 変態!」

慌ててサンジから距離を取り、赤い顔のままでルフィは睨んだ。

「そうか? いろいろと慣らしていこうかと前向きに考えた結果なんですけどねェ?」
「なに、その楽しそうな顔! こういうことは、やめろよ…」
「だって、楽しいからさ。もちろん、やめねェよ」

にこにこと楽しそうに笑われて、ルフィは何とも言えず目を彷徨わす。

「それに、どちらかというと今みたいな感じで脱がせたいんですけど」
「却下!」

いつの間にかニヤニヤと笑っているサンジに、ルフィはバツ印を両腕で作った。

「冷たいな〜」
「そんなことばっか言って恥ずかしくないのか! もう、メシ食いに行くぞ! …っ!」
「は〜い」

部屋を出ようとする自分のお尻を誰か触っている。当然、ルフィには振り返らなくても犯人が誰だかわかった。
ルフィはサンジの足の位置を確認する。

「痛ァ!」

少しも反省してないサンジの足を思いっきり踏んで、ルフィは先に部屋を出て行った。



***



日が暮れて、それほど時間が経っていないのに町の中は異様に静かだった。
道行く人は男性ばかりで女性を見かけない。
しかも、開いている店がほとんどなかった。殺人事件の影響は二人が思うより、かなり大きいようだ。

やっと見つけた食事のできる店はレストランも兼用している居酒屋しかなかった。

「まさか、これほどとはな」
「うーん、備品を売ってる店も閉まってるかもしれないな」

町を相当歩き回った二人は、少し疲れた風貌でテーブルを挟んで向かい合わせに座る。

「見かけない面だな。旅行かい?」

恰幅のいい店主にルフィは笑いかけた。

「そうなんです。もう、他のお店は開いてないんですか?」
「例の事件、知ってるだろ?」

ルフィがコクリと頷くのを確認して、店主は困ったように話す。

「事件が事件だからね〜開いてるのはここぐらいだよ、お嬢ちゃん」
「そうですか」
「日が暮れるとみんな、店じまいさ。客足も減る一方だし、売り上げが下がって仕方ないよ。早く犯人が捕まってくれればいいんだがね…ふぅ、適当に作ってくるから待っててくれな」

店主は肩を落として、力なく厨房に入って行った。

「結局、明日まで買い物はできないんだな」
「…ウソップには悪いが滞在が長引くかもな」
「そうだな」

サンジとルフィは顔を合わせて、苦笑する。そうしていると、二人の間にサラダがドンッと置かれた。

「置き方が粗い! お客さん相手に何してんだ! って、もういねェし…無愛想な奴ですみませんね…昨日から入ったバイトなんだけど言うこと聞きゃしねェ」

スープを置きながら店主は謝る。
厨房に戻っていくバイトを見ると、二人の視線に気づいたのか振り返り、軽く頭を下げた。

「おーい! もう客も来ないだろうから、片づけしたら帰っていいぞ! ……返事くらいしろっての」

呆れたように笑いながら店主も厨房に戻って行く。人のいい店主なのだろう。

「お客、いないもんなァ」
「おれ達しかいないし。バイト雇う必要性はない気がするよな」

サンジの言葉にルフィは苦笑いで頷いた。

その後、食事を終え、二人は席を立つ。
支払い済ませ、サンジは先に出て行き、ルフィもあとに続こうとすると店主に心配そうに声を掛けられた。

「お嬢ちゃん、気をつけなよ」
「え?」
「長い黒髪の女性は被害者の特徴じゃないか…彼氏に守ってもらいなよ?」
「は、はい」

彼氏という言葉に照れてしまうルフィに店主は心温まる気持ちで見る。

「まだ滞在するなら、また来なよ。サービスするよ。あんたみたいに可愛いコが来ると店が華やぐからね」
「ふふ、ありがとうございます。では、また」
「ありがとうございました〜」

店を出るとサンジが不思議な表情でルフィを待っていた。

「何してたんだ?」
「うん、気をつけなよ〜って言われてた。あと、またおいでだってさ」
「気をつけろ? ああ、そういえば長い黒髪だな」

サンジは新聞記事を思い出して、ルフィの髪をさらりと撫でる。

「でも、女性じゃないんだよなァ」
「殺人犯がお前を男だと気づくかどうかって話だろ? 狙われる前に帰るぞ」
「おう」

少し迷ってから、ルフィはサンジの手を握った。

「可愛いことしてくれるじゃねェか」
「えへへ」

恥ずかしいが今は女性の格好をしているので違和感ないはずだと思い、ルフィは嬉しそうに笑う。

「……霧が出てきたな」

しばらく歩くと、路地に霧が立ち込め始めた。
土地柄なのか、この町は夜になると霧が発生するようだ。

「ちょっと、そこの君」

突然、声を掛けられて二人は驚いた。

「おれ?」
「身分を証明する物を何か持っているかい?」

どうやらサンジに話かけているらしい。青年の不審者を見る眼差しにサンジは顔を引きつらせた。
新聞記事に警察や青年団の見回りを強化したと書いてあったのを思い出し、サンジはため息を吐く。

「持ち歩いてない」
「……怪しいな。そこのお嬢さんをどうする気だ」
「どうもしねェよ……不審者を見る顔を止めろ」

二人のやり取りを苦笑しながら、ルフィは見つめた。
険悪になりそうな空気に、さすがにフォローをしようかと思うと、辺りを漂う霧が濃くなる。
手を伸ばすが指先は霧でよく見えない。声は聞こえるが、すぐ目の前にいたはずのサンジと青年は見えなくなった。
街灯の明かりもよく見えないような、白く不思議な世界。
ルフィは不安になり、夜霧に包まれた世界を歩く。しかし、サンジは見当たらなかった。

「……サンジ?」

物音が聞こえた気がして振り返る。少しだけ霧が晴れてきた。
いつの間にか、自分が細い裏路地にいたことにルフィは気がつく。

「お譲さ〜ん、なーにしてるの〜」

明らかに酔っ払っている中年に話しかけられ、ルフィはこっそりため息を吐いた。
物音の正体はこの中年のようだ。

「宿に戻る途中です。あなたも早く帰った方がいい」
「そーんなこと言わないで〜おじさんと飲もうよ〜」
「お酒は飲みすぎると毒ですよ?」
「飲んでないと〜やってらんないんだよ〜いいから行こうよ〜」
「こら! 何をしている! 早く家に帰りなさい!」

腕を掴まれ、殴ってやろうかと思っていると夜霧の向こうから、先程サンジに話し掛けていた人物とは別の青年の警察官が現れた。

「うへへ、すんませ〜ん」

警察官の姿に気がついた中年の男はふらふらしながら、その場から離れて行く。
送って行った方がいいだろうかと考えていると、こちらの様子を窺う警察官の視線に気がついた。
そして、何となく身構えた。なぜ身構えたのかは勘としか言いようがない。ひどく嫌な雰囲気だ。

「こんな場所に君みたいなコがいたら危ない。安全な場所まで送るよ」

ルフィが何か言う前に、後ろに気配を感じた。
急いで振り返ると、何かが静かに立ち尽くしている。
霧が晴れてきて、全貌が明らかになった。闇に溶けそうな黒。
全身を黒いマントで覆った背の高い人物が何も言わずに立ち尽くしていた。

「誰だ!? 君、こっちへ!」
「……」

ルフィは身構えたまま、警察官を鋭く見る。

「どうした!? 早く、こちらへ!」
「あなたの方が怪しい」
「っ!? 何を言っている?」

凛とした声に警察官は僅かに動揺した。
背後にいる顔の見えない不審者より、ルフィには目の前にいる警察官の方が怪しく感じた。
後ろの警戒を怠らないように、ルフィは警察官から間合いを取る。

「その手には何を持っているんですか?」
「………ふふ」

警察官はクスクスと笑い出すと、表情が一変した。そして、隠し持っていたナイフを出して、ルフィを見る。

「頭の良い女は嫌いじゃない。これで、さよならなのが残念だ」

怯むことなくルフィは笑う。
お嬢様として危険な目に遭ったときのために、ルフィは体術や剣術の訓練を領主に拾われた頃から続けていた。そして、盗賊の一員になってからも鍛錬を怠ったことは一度もない。
わけのわからない輩に負けるほど弱くはないのだ。

「私、こんな場所で死ぬつもりなんてないですよ、吸血鬼さん?」
「あはは! 面白い女だな〜うん、今日は止めにしとこうかな。あんたの後ろにいる奴は得体が知れない……じゃあな」

警戒しながら、殺人鬼はルフィに笑い掛けてから、走り去ってしまった。

ルフィは殺人鬼が戻って来ないことを確認して、身体ごと振り返る。

「あなたは何なんですか?」
「女が一人で出歩くもんじゃない」
「え?」

まさか口を聞くとは思わず、ルフィは驚いてしまった。

「警告されていただろ? こんな状況で出歩くなど襲ってくれと言っているようなもんだ」
「……そうですね。以後、気をつけます。……っ!?」

突如、攻撃を仕掛けられ、ルフィは驚いて、その場から飛び退く。

「腕に覚えがあるようだな。筋もいい」
「……あなた、何がしたいんですか?」
「しかし、相手が正攻法で仕掛けてくるとは限らない」
「なっ!?」

辺りが暗くなり街灯の明かりが消えたと思ったが、顔にマントを投げつけられたのだとすぐに気づいた。
マントを剥ぎ取ろうとする腕を掴まれ、ルフィは動揺する。
首筋に痛みが走り、反射的に相手を思い切り蹴りつけた。
相手がマントを持って飛び退き、ルフィは再び身構える。

「どうやら、ただのお嬢様ではないようだ……精々、気をつけるんだな」

顔を見てやろうと思ったが、再びマントを身に纏っていた。
だが、舌なめずりをし、ニヤリと笑う口元だけが見えて、ルフィは怒りで顔を引きつらせる。

「ルフィ!!」
「サンジ?」

背後からサンジの声が聞こえて、ルフィは安堵して振り返った。
少し離れた場所から、こちらに向かって走ってくるサンジが見える。
霧はまだ立ち込めているが、先程よりはマシのようだ。

「っ! お前、どうしたんだ!?」

サンジの慌てた様子に、ルフィは自分の首筋が濡れていることに気づいた。
首筋を触り、手を見ると血がついている。
ルフィは怒りも露わに振り返った。しかし、そこにはもう黒マントの男はいない。

「……あの野郎、許さん」

お譲様の姿には似つかわしくない言葉遣いでルフィは男がいた場所を睨みつけた。

「何があった? とりあえず、宿に戻って手当てしよう」
「うん」

心配そうなサンジに抱きついて、ルフィは頷いた。



***



「黒マントの男?」
「そうだ! すげェ腹立つ!」

宿に戻ると、たまたまロビーにいたウソップがルフィを心配して部屋について来た。
首を洗ったあと、消毒液に浸したガーゼで首筋を手当てされながらルフィは先程の出来事をサンジとウソップに説明する。

「よし! 全てわかったぞ! おれの推理を聞いてくれ」
「……どうぞ」

サンジは張り切るウソップをちらりと見て、再び治療に専念した。

「警察官の格好をしていた男は殺人犯で、黒マントの男が本物の吸血鬼だ!」
「えー! そうだったのか!?」

驚くルフィに気をよくしたのかウソップは鼻高々に説明を続ける。

「黒マントの男は最近、騒がれている事件を新聞か何かで知って腹を立てたんだ。『吸血鬼はこんな目立つ事件起こさねェぞコノヤロー』ってな。そこで自分で出向いて犯人を見てやろうと考えたんだろうな」
「見るだけ? なんで、やっつけないの?真似された上に殺人事件まで起こされたら腹を立てて捕まえたりしないか?」

ルフィの最もな疑問にウソップは納得しかけて、首を横に振った。

「そ、それはタイミングが悪かったんだろ〜警察官っつーか犯人は、すぐに逃げたんだろ?」
「まァな〜サンジはどう思う?」
「警察官も巡回する奴が増えてるだろうし、その格好だと怪しまれることが少ない。だから、警察官のフリをして安全な場所じゃなく、人気のない場所に案内して何かしらの方法で気絶させられる。その後、別の場所…倉庫か殺人鬼の家か、そんなトコまで運び、血を抜かれ殺害される。そして、路地裏に捨てられるってのが今までの犯行の流れだろうな」

ウソップとルフィはサンジの推理に手を叩いて感心する。

「すごいな〜確かに有り得そう」
「あれだけ霧が濃くなるんなら人間一人担いで運んでも目立たねェだろうし、地元の奴なら死角も、霧の濃い場所や時間も、どこをどう警備するかわかるはずだからな」
「殺害方法はわかったとして、黒マントの男は何なんだよ?」
「おれが知るかよ…まァ、何にしろ許せる相手じゃないけどな」

地を這うようなサンジの低い声に二人は怯えてしまった。

「お、おれは部屋に戻る」
「ウソップ」
「は、はい!」
「買い出しは明日、お前らがしとけ」
「了解しました!」

走り去って行く後ろ姿を見送ってから、ルフィは開け放たれたままの扉を閉める。

「ど、どうしたんだ? なんかコワイぞ?」
「ルフィがケガを負わされたから腹が立って仕方ないんだよ」

どこか落ち込んだようにベッドに座っているサンジの横にルフィは腰掛けた。

「そんなに深い傷じゃないから気にすることじゃないのに」
「そういう問題じゃないんだよ。近くにいたのに守れなかった自分に腹が立ってんだ」
「サンジ…ごめんな。おれがあの場所を離れたりしたから…」

しょんぼりと肩を落とすルフィを見て、サンジは苦笑する。

「急に視界が悪くなって不安になったんだろ?」
「うん…あんなに濃い霧は初めてだった。まるで世界中に自分ひとりだけしかいないみたいで…怖かった」
「そうだな。もしも、似たような状況になったら今度は手を繋いでいような。そうすれば怖くないだろ?」

サンジの言葉にルフィは嬉しそうに頷いた。

「うん。あっ、おれ、首噛まれたけど大丈夫かな〜吸血鬼になっちゃわないかな?」
「なってないだろうから安心しろよ。黒マントの男も人間だろ。正体は不明だがな…一体、何者なんだ」

不安そうなルフィの頭を撫でて、サンジは唸る。

「……たぶん、黒マントの男はめちゃくちゃ強いと思う」
「ん?」
「おれ、首噛まれたときに手加減なしで蹴ったんだ。でも、平気そうだった。あんな至近距離で蹴ったのに……悔しいなァ」

負けず嫌いなところのあるルフィは本当に悔しそうに顔をしかめていた。
サンジは苦笑してルフィの頭を撫でる。

「そんな顔すんなって。とりあえずは殺人犯をボコボコにして、警察に突き出してやるかな」
「そうだな! 黒マント男のことは保留だ。殺人犯はほっとけない」
「そんじゃ、盗賊団総出で殺人犯から殺人する権利を盗んでやるか」
「これも盗みなのか〜」

物は言いようだなとルフィが感心していると安心のためかアクビが出てしまった。

「お前はもう疲れただろうから先に寝てろよ。おれは他の奴らと作戦会議をしてくる。内容は明日教えてやるから」
「ん〜そうする。眠い〜」

うつらうつらとしているルフィをベッドに押し込んでサンジは眠そうなルフィに軽く口づける。

「おやすみ、ルフィ」
「う〜、おやすみ〜」

ルフィが眠ったのを見届けた後、サンジは抑えていた憎悪を隠そうともせず邪悪な表情で笑った。

「さて、どうしてやろうかな」

殺人犯がルフィを気に入ったことも黒マントの男がルフィを傷つけたことも、全てが気に入らない。
憎しみで満たされる感覚はひどく懐かしく感じた。
この暗い感情は仲間ができてから失われたと思っていたが、どうやら自分の中で眠っていただけのようだ。
殺人犯はルフィを次の標的に決めただろう。そうと分かれば、簡単に警察に差し出すなど今のサンジには出来そうもなかった。
仲間が出来て変わったつもりでいたが自分の根本はきっと何も変わっていない。
大事な者のためならどこまでも残酷になれるだろう。
ルフィを傷つけるモノは許さない。

気づけば一人で生きていた。親の顔なんて覚えてないし、思い出したくもない。
中途半端に育てられ、捨てられた。
小さな子供が生き抜くためには盗みも必要だった。
悪いことだとはわかっていたけど生きたかった。しばらくすると盗みに対する罪悪感など消えていた。

サンジは頭を振って、ベッドから立ち上がった。ルフィと知り合う前の過去なんて今は思い出す必要もない。
仲間に出会う前の自分のことは忘れても構わない。
サンジはルフィの寝息が聞こえて。
ひどく安心した。変わっていないけど確かに変わった部分もあるはずだ。
優しくルフィの頭を撫ぜる。
ルフィを失うかもしれないと思った恐怖。それ以上の恐怖を殺人犯に与えてやろう。
ほの暗い思いを抱えたままサンジは仲間達のいる部屋へと向かった。



***



「すみません、少しお尋ねしたいのですが」
「は、はい! 何でしょうか?」

かわいらしく小首を傾げたルフィに若い警察官は顔を赤らめて対応してきた。

「実は昨日、警察官に酔っ払いに絡まれていたところを助けていただいたんです。是非、直接会ってお礼を言いたいのですけど…昨日、見回りは誰がしていたかわかりますか?」
「昨日ですか? うーん、見回りの人数は結構いましたからね…威圧感を出すために一般参加の方々にも警察官の制服が支給されていたんですよ。着るかどうかは自由でしたけど。だから、もしかしたら助けた人は警察官ではなく青年団の方かもしれませんね」

もしも自分がルフィを助けたなら確実に警察官の仲間達に自慢している。警察官の中で昨晩、女性を助けたという話は出ていない。だから、この警察官は青年団の誰かがルフィを助けたのだろうと思った。

「そうですか…」

しょんぼりと俯いたルフィに警察官は慌てて、立ち上がった。
悲しそうな態度にかなり動揺しているようだ。

「た、確か昨日見回りをした人達の名簿があるはず!何かあったときのために連絡先と住所を記入してもらったんです。すぐに見つけますから、そちらへ掛けてお待ちください!」
「ありがとうございます」

ルフィはふわりと笑って、警察官に言われたイスへ腰掛ける。そして、焦って名簿を探している警察官を見ながらルフィは先程、話し合った内容を思い出していた。

殺人犯の居場所を警察から聞き出すこと、あとはその場所へ出向くこと。
昼前にサンジに聞いた説明はそれだけ。

どのように居場所を聞き出すかもサンジが考えていたので、ルフィはシナリオ通りに話を進めるだけだった。

「ありました! でも、十人以上いますね…その男性の背丈や特徴を覚えてますか?」
「大丈夫です。これ以上、お手を煩わせるのは…自分で探してみます」
「そ、そうですか? では、メモに住所を書いておきますね」
「ありがとうございます」

出来るだけ丁寧に住所を書き移している警察官を見ながら、ルフィは首筋の傷痕を触る。
髪の毛で隠せば、そう目立つこともないので包帯は外してきたのだ。きっと傷痕もすぐに消えるだろう。
サンジが気にしているので、今すぐにでも治って欲しい。

ルフィはメモを受け取り、警察官に礼を言って、その場をあとにした。



***



「こんにちは」
「っ! 君は…昨日の」

あからさまな反応にルフィは今、目の前にいる人物が殺人犯だと確信する。
三軒目で目的の場所に辿り着けるとは、運が良いのかもしれない。

「ああ、あなただったんですか。私、昨日は霧と暗さで犯人の顔がわからなかったんですよ」

にっこりと笑うルフィの腕を犯人は掴み、家の中へ無理矢理引き入れた。

「殺されに来てくれたの?」
「まさか」

ルフィは掴まれている腕を素早く振り払い、距離を取る。

「それにしては随分と無用心だね」
「っ!?」

後ろから突然、口を塞がれルフィは驚く。
まさか、家の中にもう一人いるとは思わなかった。
抵抗しようにも力強い腕が腰に回っていて身動きがとれない。

「僕の仲間になりたいという人と話をしていたんだ。はは、僕一人と思って油断したね」
「女が一人で出歩くなと言っただろ」

耳元で囁く聞き覚えのある声に苛立ちが甦る。首筋の傷痕を撫でられ、昨日晩の男だとわかった。その瞬間、ルフィは男の足を踏んで、口を塞いでいる手を思いきり噛んだ。

「おあいにくさま。今日は一人じゃないんです」

さすがにルフィを掴む手を放した男からルフィは距離を取る。そして、男の顔を見て驚いた。

「あなた…バイトの…」

黒マントの男はルフィの見たことある男だったのだ。
昨晩の食事をした店でバイトをしていたのはこの男だったはず。

「気の強い女だ」
「なんで、あなたがここに?」
「言っただろう? ルッチは僕の仲間になりたいんだよ」

ルッチと呼ばれた男は否定も肯定もせず、ただルフィを楽しそうに見ていた。
何となく、その視線がイヤになり、ルフィは後ろへ下がる。

「殺人犯の仲間? どうかしてる」
「そうかな? 僕は君の方がどうかしてると思うよ。殺人犯の家を一人で訪ねて来るなんて」

殺人犯に腕を掴まれたが、ルフィは余裕の表情で笑った。

「私もさっき言ったでしょう? 今日は一人じゃないって」
「……おれのモンに気安く触るな」
「な、なんで…どうやって…」

鍵を閉めたはずの玄関から入ってきた男に殺人犯はひどく動揺している。
ルフィは殺人犯の腕を振り払い、サンジに駆け寄った。

「こんな簡易な鍵を開けるなんて盗賊には簡単なことだ」
「と、盗賊?」
「殺人する権利を奪いに来ました。覚悟してくださいね」

にっこりと笑うルフィとは対照的にサンジの笑い方はひどく怖ろしい。
殺人を犯した者の背に冷たい汗が流れる。
この男は危険だ。もちろん、それはただの直感だ。だが、この男は怒らせてはいけない。

「つーか、余計な役者がいるな。誰だ、お前?」

サンジのセリフにルッチは笑うだけで何も言わない。
殺人者は自分から注目が削がれた瞬間、駆け出した。

「サンジ! 追って!」
「っ…わかった。気をつけろよ!」

特に動じるわけでもない男を睨みつけてからサンジは逃げ出した犯人の後を追った。

もちろん、ルフィが心配に決まっている。しかし、殺人犯をみすみす逃がすわけにはいかない。
殺人者は外へ逃げることは出来ず、地下室へと逃げ込む。
扉に鍵を掛けるが、きっと意味を成さない。
とりあえず、見えにくい戸棚に身を隠し、サンジが油断しているときに逃げ出そうと息を潜めた。

「鬼ごっこの次はかくれんぼか? 見つけてやるから待ってろよ」

ゆっくりと扉が開き、静かな声が辺りへ響く。
悲鳴が出ないように自分の口を両手で押さえた。
なぜ、こんなに金髪の男が怖いのかわからない。
一対一だ。必ず負けるという確証もないのに緊張で頭がズキズキと痛む。鼓動が煩いほどだ。

「なるほど。ここが殺人現場か。酷いことをする奴だ」

濃い鉄のニオイにサンジは顔を歪める。
地下だから換気も上手くできていないのだろう。
犯人を見つけるために電気をつける。
どす黒い血の跡にサンジは醒めた視線を向けた。

「意識を奪ったまま殺したのか? それとも縋る女を笑いながら殺したのか?」

殺人者は自分が震えていることに気がついた。寒くもないのにガタガタと震える。
こんな震える足では逃げられない。

「まァ、そんなことおれにはどっちでもいいんだよ。だけど、お前は目をつける相手を間違えた。ただ、それだけだ」

ゆっくりと室内を物色しているサンジに、なぜか隙がなかった。
逃げられない。唐突にそう思った。
隠れるだけ無駄。この鬼に見つかるくらいなら自ら命を絶ったほうがマシな気もする。

いつの間にか静かになっている室内に一縷の希望が芽生えた。
地下には抜け道もある。そこから逃げたと思われれば、まだ逃げられるかもしれない。
そっと戸棚の扉を開ける。自分の行動がいかに軽率だったか直後に知ることになった。

「見〜つけた」

楽しそうな声。
鬼に見つかってしまった。
この鬼は自分を簡単には許さないだろう。邪悪な笑みがその証拠だ。
自分はどうなってしまうのだろう。



***



「あなたは何がしたいんですか?」

殺人犯を助けるわけでもなくルフィを見てニヤニヤしているのルッチの考えがわからなかった。
殺人犯の仲間になりたいと言っていたはずなのになぜ追いかけないのか。

「犯人を捕まえようかと思ったが気が削がれた」
「……はァ!? 仲間になりたいって…」

言っている意味がわからない。

「犯人を油断させる嘘だ。証拠を見つけたら今日、逮捕するつもりだった」
「な、なんで?」
「おれは警察だからな。犯罪者は捕まえる」
「警察!?」

悪人面で笑っている男を驚愕の表情でルフィは見つめた。

そもそもレストランでバイトをしていたような気がする。あれは副業?
それに、この男には血が出るほど強く首を噛まれた。一人歩きを注意するにも別の方法があるに決まっている。
最近の警察はこんなことが許されているのだろうか。傷害罪で訴えてやりたい。
じゃなくて、警察なら逃げた犯人を追うのが当たり前なのではないだろうか。
大体、殺人犯を捕まえたいという共通の目的があるのに対峙している意味はあるのだろうか。

ぐるぐると思考するが頭が痛くなってきた。

(うぅ、サンジ…説明して)

考えたところで意味がわからず、この場にいないサンジに助けを求めたくなる。とっくに理解の範疇を越えていた。

「…頭がいいというより勘がいいのか」

ニヤついた顔でルフィの悩む姿を見ていたルッチは少し呆れた顔で呟く。そして、懐から手帳を取り出した。

「国家警察!?」

男が取り出したのは警察手帳で、ルフィは思わず無愛想な顔写真と本人の顔を見比べる。
それは間違いなくルッチという男の警察手帳だった。
ルフィはふと昨日の新聞記事を思い出した。確か、国家警察に手助けを要望したのだと。
ということはバイトのフリをして町の人達の話を聞いていたのかもしれない。潜入捜査というやつだろうか。

「憲兵…特殊部隊でもあるのか」

憲兵ならば身体能力の高さにも納得してしまう。軍の訓練で相当、鍛え上げられているのだろう。

「まァな。おれのいる部隊は一般の憲兵や警察とは違う」

手帳をしまい、ルッチは妖しく笑いながらルフィを見た。

「違う? ……何が?」
「犯罪者には何をしてもいい」
「え…? 何をしても…いい?」

何をしてもいいという言葉は偽りではないだろう。
例え、捕まえる途中で犯人がどうなろうと罪には問われない。自分はそういう存在だとルッチはルフィに言いたいのだ。

「お前は犯罪者だったな。おれに何をされても文句は言えない」

その言葉にひどく嫌な予感がした。サンジが盗賊だと言ったことを覚えていたのだろう。
ここで殺されても仕方がないというようにルッチは笑う。

「っ!?」

突然、突き飛ばされ背中と後頭部に衝撃が走った。
痛みに呻く間もなく、ルッチに壁へ押さえ込まれる。

「何をされたい?」
「っ!! 放せ!」

ルフィは暴れたが、両手を束ねられた。そして、片手で易々と頭上にくくられ、身動きが取れなかった。
せめて、睨み上げるが、それすら楽しいというようにルッチは口を歪める。

「犯罪者が喚くな」
「うー!!」

開いている片手で口を塞がれルフィは呻いた。
両足の隙間にルッチの身体が割り込んできて、ルフィの顔に初めて怯えの色が浮かんだ。

「…そんな顔もできるのか」

ルッチは興味深そうにルフィを観察している。そして、口を塞いでいた手を下へずらし、顎を掴んだ。

「面白いな、お前」

こんな男に負けたくない。しかし、何か言い返そうにも、本能的な恐怖が邪魔して声が出ない。

「犯してやろうか?」

物騒な言葉にルフィの身体はビクリと震えた。
その反応が気に入ったのかルッチは優しい声音で囁きながら、ルフィの耳朶を甘噛みする。

「初めてなのか? お前が抵抗しないなら優しく抱いてやる」

まさか性的な目で見られるなど考えもしなかった。
殴られたり蹴られたりするより余程、怖ろしい。
思考が止まる。許容量を超えた展開についていけない。

この男は何を言っているんだ?

首にある傷口を舐めらて、ルフィは我に返った。
暴れるルフィの胸を触り、ルッチは怪訝な顔をする。

「っ!? やめ…ろ!!」

無理矢理、ルッチに下半身を触られ、屈辱でルフィは赤くなった。

「お前……男か?」

驚いた表情のルッチにルフィは真っ赤になって睨んだ。

「そうだ! 早く放せ!」
「なぜ?」
「え?」

男とわかれば、この苦痛の時間が終わりではないのか。
なぜ、という質問にルフィの方が戸惑ってしまう。

「男だからなんだ? それだけのことで解放されるとでも思っていたのか?」

再び身体の上を這い回り始めた手にルフィは恐怖のあまり叫ぶこともできない。
生理的な嫌悪に涙が滲む。
服の中に手が入り込んで来て、ルフィは恐怖に負けそうになるが精一杯の抵抗をする。

「い、やだ!! おれに触るな!!」
「抵抗するな」
「サンジ!! 助けて!!」

ルフィは無意識にサンジの名前を叫んでいた。
その途端にルッチがルフィを解放し、素早く距離を取る。

「何してんだ、てめェ」

地を這うような低い声。でも、ルフィはその声に安心して、その場にへたり込んだ。
先程、ルッチのいた場所には深々とナイフが刺さっている。避けていなければ、かなりの深手を負っていただろう。

「躊躇いもなく急所を狙ってくるとは怖ろしい男だな」

怖れる様子を微塵も見せずにルッチは笑った。
そんなルッチを無視して、サンジはルフィの元へ駆け寄る。

「大丈夫か?」
「う、うん…サンジ、逃げよう」
「……………そうだな」

しばらくの間、考えていたが怯えるルフィの様子を見て、ルッチは無視することにした。
さっきの光景を思い出すとハラワタが煮えくり返りそうになる。しかし、サンジにとってルフィの方が大切なのだ。

「話は終わったか?」

サンジは驚くルフィを横抱きにして、ルッチを見下すように見た。

「お前に用はない」
「そっちになくても、こっちにはある」

獰猛な笑いを気にもせず、サンジは家の外へと向かう。

「職務を全うしろ。警察なんだろ? 殺人犯は地下にいる」
「……はァ」

つまらない任務を思い出し、ルッチも二人に背を向け歩き出した。



***



しばらく外を歩き、人気のない路地裏でルフィは地面に下ろされた。そして、仏頂面のサンジを見て、呟く。

「怖かった」
「もう、大丈夫だからな」
「うん…ごめ、ちょっと…」

サンジの肩に顔を埋め、ルフィは堪えきれずに泣いてしまう。
ルフィが落ち着くまで、サンジは何も言わず抱きしめた。
温かい。あの男とは違う。
怖かった。でも、もう大丈夫。
弱い自分は嫌いなのに、助けを求めたのはサンジが初めてかもしれない。
背中を撫でる優しい手にルフィは、やっと肩の力が抜けた。

「そういえば殺人犯は?」
「お仕置きして、地下に置いてきた」
「そうなんだ」
「まァ、元には戻らないかもな」
「え?」
「いや、なんでもない。早いこと次の町へ向かおう。ウソップ達も準備できてるだろう」

サンジの言葉が気になったが聞いてはいけない気がした。
笑っている顔を見ていると、それも杞憂だったかなとルフィも笑う。

「そうだな! 早く戻ろう!」
「その前に」
「んっ!」

突然、身体を壁に押さえつけられて唇を奪われた。
驚いていると舌を入れられる。背中がゾクゾクした。足も勝手に震える。イヤじゃないから余計に恥ずかしい。
こんな場所でとか、突然なんだとか、いろいろ思ったが、そんなことを考える余裕もなくなるような深い口づけにルフィは頭がクラクラした。

「ふっ……サン、ジ?」
「お前はおれのモノだからな」

切羽詰ったような表情、言葉とは裏腹の不安そうな声音にルフィは胸が締めつけられる想いがした。
怒るのも忘れて、サンジに抱きつく。

「あったりまえだろ! 自信持てよ! いっつも自信満々なくせして…こんなときばっかり…そんな顔するのはズルイぞ…」
「おれ、今はちょっと壊れてんだ。気にするな」
「気にするよ。サンジはおれのモンだもん。壊れたらヤダ」
「そっか。そうだな」

抱きつくのを止めて、サンジの顔を見上げた。
泣き笑いのような表情のサンジの頬をルフィは、そっと触れる。

「どうしたんだ?」
「……なんでもない」

言葉はひどく、もどかしい。自分の伝えたいように相手に届いているのかな。
心の中が全てこの人に伝わればいいのに。
そんな風に思った。
サンジが不安になることなんて何ひとつ、ない。
どんなに言葉で嫌がっていても、サンジを拒絶することなんてしないのに。

「ウソ。本当はお前を失うのが怖い、すごく怖い」

じっと見つめていると縋りつくように抱きしめられた。その束縛は苦しいし、痛い。
でも、ルフィは抵抗せずにサンジの好きなようにさせた。

「サンジ、大丈夫だよ。おれ、もう負けないから」

今回の事件でサンジがなぜそこまで不安がるのか、ルフィにはわからない。
サンジがいたから、ひどいことをルッチにされても笑っていられる。
怖くなかったわけじゃない。でも、平気。それはサンジがいるから。
どうしたら伝わるんだろう。

「怖くないよ。おれは丈夫だもん。えーっと、運も結構いいし、強いし! 今回はスカートだったから上手く動けなかっただけで…うー、手も足も出なかったのは、やっぱり悔しいなァ」

恐怖より怒りが湧いてくる。ルッチという男はどう考えても理不尽な存在だ。

「国家警察だかなんだか知らないけど、あんなのが警察だなんて…なんかイヤだなァ」
「……ふっ」
「サンジ?」
「あはは! お前は強いな」

サンジはおかしそうに笑った。その表情にもう先程の不安定さはない。

「な、なんだよ〜急に笑うなよ。……もう大丈夫?」
「ん、吹っ切れた。結局、おれがしっかりしなきゃダメだからな。お前は鈍いから」

サンジはルフィを解放して、苦笑しながらルフィの頭を撫でた。

「そんなこと…ないと思うけどなァ」
「弱々しいトコ見せて悪かったな」
「弱くてもいいよ、別に。強いサンジだけが好きなわけじゃないから」

何でもないことのようにルフィは笑う。その言葉にサンジがどれだけ衝撃を受けたか本人は気がつかなかったようだ。

「……ルフィはおれの欲しい言葉をくれるなァ」
「えっ? そうかな?」
「そうだよ。愛しすぎて困る」
「なんか、ものすごく恥ずかしい」

優しい眼差しで見つめられ、ルフィは真っ赤になって顔を逸らした。

「照れるなよ。さて、帰るか。ウソップ達も心配してるだろうしな」
「…うん。次はどこに行く?」

サンジはルフィの手を引き、歩き出す。

「国家警察が来ないトコ」
「同感。ううーん? どこだろうな」
「スモーカーに治安のいい町でも聞いてみるか」
「あはは、名案だな」

一抹の不安を抱えながらも、二人は笑い合った。
不安がっていても仕方ない。次に会ったら、それはそのとき考えよう。
サンジがいれば何があっても平気だと、ルフィは強くその手を握った。



***



「カク、来てたのか」
「無駄足じゃったがのう」

話しかけられ、カクと呼ばれた男はルッチを振り返った。
そして、ひどく怯えている犯人を見て、カクは首を傾げたい気分になる。
一体、何があれば、凶悪犯がここまで怯えるのだろう。
精神病院に護送される犯人を見てから、カクはルッチを見た。

「嬉しそうじゃのう。そんなに強そうな犯人には見えんかったが」
「犯人? いや、あんな小物に国家警察が動くこともなかった」

つまらなそうに話すルッチにカクは不思議そうな顔をする。凶悪犯が強ければ強いほど捩伏せたあと満足そうにしている男だ。
最近はルッチが喜ぶような凶悪犯はいなかった。だから、久々に捩伏せ甲斐のある犯人だったのだと思ったがどうやら違うらしい。
では、なぜ嬉しそうな顔をしているのだろう。

「そうか、小物じゃったのか。ん? ルッチ、その手の傷は?」

カクは驚いたようにルッチの右手を指差した。血は固まっているが明らかに出血の痕がある。

「あァ、これか」

ルッチは右手を見て、おかしそうに口を歪めた。そして、愛おしそうに傷痕へ舌を這わす。

「面白い獲物を見つけた。自分の手で捕まえなければ気が済まない」
「……はァ」
「なんだ?」

訝しげに向けられた視線にカクは呆れたようにルッチを見た。

「お前に気に入られるとは気の毒だと思っただけじゃ。凶悪犯か?」

この男が他人に興味を示すのは珍しい。余程気に入ったのだろう。自分の手のひらの傷痕をニヤニヤと見つめているルッチを見て、カクは再びため息を吐く。

「さァ? 盗賊だったかな」
「はァ? ようわからん相手なのに興味津々? しかも、盗賊だとワシらが出向くことはないんじゃないのか?」

国家警察だって暇ではない。殺人事件や地元警察で手に負えない事件の方が出向くことが多い。
大体、自分達の受け持つ事件は凶悪事件だけ。
凶悪事件を起こすような盗賊団だとすれば、とっくの昔に出会っているはずだろうが今まで上司は何も言って来ていない。自分達が扱う事件ではない気がした。

「うるさい。アレはおれが捕まえる」
「上が何と言うかわからんぞ? まァ、お前が言うことに文句は言わんだろうがな……程々にしとくんじゃぞ」

まるで所有物に対するようなセリフにカク自身もルッチの獲物とやらが気になってくる。
次にルッチが獲物と会うときはついて行ってやろうと密かに思うのだった。



























*END*


6 記憶と影を読む?