「そろそろ暗くなるから帰れ」
「え〜? 帰るの面倒だから泊まる」

へらりと笑ってこちらを見る従兄弟のサンジをルフィはじとりとした目で睨んだ。

「帰れ」
「おれの家より、ここの方が学校近いんだよ。知ってるだろ?」
「おれはお前があの高校に行くなんて知らなかったんだよ。北高に行きたかったんじゃねェのか」

知っていたら兄の反対を押し切ってでも、確実に違う会社に行っている。

「何が何でも北高に行きたかったってわけじゃないからなァ。色々ありまして、南高もいいかなって思ってさ。お陰で可愛い女のコが多くて困る〜それに運命の女性がいるからな」
「……はァ、もう好きにしろ」

このことで口論しているのもバカらしくなり、ルフィは渋々と宿泊を許可した。
いつも反対しても勝手に泊まるのだから言うだけ無駄なのかもしれない。

「言われなくても好きにするって。晩メシはおれが作ってやるよ」
「仕事、残ってるからしてくる。部屋に来るなよ」
「はーい。晩メシ出来たら呼ぶから」

自室に戻って、ルフィはベッドに仰向けに倒れた。
仕事なんて残ってない。過保護な兄はいつも自分の仕事までしてしまうのだから、会社にも何をしに行っているかわからないくらいだ。
包丁がまな板を叩く音が聞こえる。晩ご飯の準備を始めたのだろう。思わず、ため息が出た。
サンジが嫌いだから来て欲しくないのではない。むしろ、その逆で好きで好きで仕方ないから帰って欲しいのだ。
あのガキは年上の気遣いがわかっていない。ふと接触したとき赤面しないようにどれだけ気をつけているかサンジは知らないだろう。
人目を気にしなければいけない関係など不毛なだけなのに。そんな心配しなくても完全なる片想いだけども。

自分の気持ちがいつからサンジに向いていたのかはわからない。
初めて会ったのはルフィの実家の隣に引っ越してきた当日だ。確かルフィが11歳でサンジが5歳だった気がする。ついでにいうと兄のエースは14歳だった。
その当時、母親の妹が隣の家に4月頃引っ越してくるという話と母親の妹には息子がいるから仲良くしてやって欲しいという話を何度か聞いた。
引越しの荷物を片付ける間、面倒を見てくれと言われて一緒に遊んだのが懐かしい。
もちろん、その頃は仲の良い弟ぐらいにしか思っていなかった。
恋情に気がつくきっかけがあったとしたらサンジが中学3年生に夏頃だろうか。

そんなことを考えていると眠気が押し寄せてきた。そういえば最近、睡眠時間が足りていないことを思い出す。
夢現の中でサンジのことを考えた。



***



コンビニに寄った帰り道、腕を組んで女のコと歩くサンジを偶然見かけた。思わず、じっと見ていると彼女が突然サンジにキスをする。
見てはいけないものを見てしまった気分になり、慌てて顔を逸らした。そして、何だかよくわからないが心が騒いだ。
不思議に思いつつ、急いで家に帰る。この炎天下にいると脳ミソまで溶けてしまいそうだ。

自室に戻り、机の上に出しっぱなしにしていた課題に取り掛かる。
先程コンビニで買った烏龍茶を一口飲むともう温くなり始めていた。がっかりしつつ、ペットボトルの表面に浮かぶ水滴が課題を濡らさないように少し離れた場所へ置く。
面倒な課題にげんなりしていると階段を駆け上がってくる騒々しい音が聞こえ、ルフィは課題から顔を上げた。

「あちィ〜クーラーしろよ〜」
「家、間違えてるぞ。お前の家は隣だ」

ノックもせず無遠慮に部屋へ入ってくる従兄弟にルフィは視線を向ける。

「実家よりこっちの方が慣れてるし、今さらだろ?」
「まァな〜」

窓を閉め、勝手にクーラーをつけて、ルフィのベッドに寝転がるサンジを一瞥してから再び課題に取り掛かった。

確かに今ではサンジが我が家にいない方が珍しい。
ルフィの兄エースが実家を出てからは昔以上に居座っている。
机の端に置いておいた烏龍茶を勝手に飲み始めたサンジを見て、先程のことを思い出した。

「そういや、さっきまで女のコと一緒だっただろ」
「ぐっ…ゲホっ」
「そんなに驚かなくても…大丈夫か?」

突然の質問にむせたサンジをルフィは怪訝な表情で見る。

「……大丈夫。お前が変なこと聞くからだろ」
「変なことって……彼女?」
「……うーん、ビミョー」
「ビミョーって。ふ〜ん、最近の若者は付き合ってなくてもああいうことするんだなァ。ふけつ〜」
「えっ!? ど、どこまで知ってんだ?」
「どこまでって…」

赤い顔で異常に慌てるサンジにルフィの方が驚いてしまう。
その様子に妙に納得してしまった。自滅したなサンジ。

「おれが言ってたのはキスのことだったんですけどね〜最近の若者は進んでますね〜清いお付き合いとか出来ないんですか〜?」
「……騙したな」

まだ少し赤い顔で睨んでくるサンジにルフィは呆れる。

「どう考えても自滅だろ。サンジ君は深読みし過ぎですよ〜。大体、サンジが女と寝たとかどうとかおれが知るわけないだろ。まさか、外でしてんの? 叔父さん軽蔑しちゃうかもよ」
「そんなわけないだろ! あ〜もう、からかってんなよ! なんか悔しいなァ」

怒っているサンジを見て、苦笑した。
実はからかいたいわけではない。でも、そうでも言っていないと泣いてしまいそうで、自分の心の奥がズキズキと痛んで仕方がなかった。
それを気のせいだと思いたくて無理矢理にでも話を続ける。

「質問なんだけど。彼女とそこまでしてて、付き合ってないって言えちゃうお前の神経はどうなってんの?」
「だってそうなんだから仕方ないだろ。あいつとは付き合うっていうか…おれ、モテるからさ」

つまり、特定の恋人は一人ではないということだろうか。他にも女はいるのだということだろうか。
ずきりと胸が痛んだ。
チラチラとこちらを窺うサンジにルフィは胸の痛みを無視して話を続ける。

「そりゃあよかったな」
「それだけ?」
「はァ? おれにどんな意見求めてんだよ」

ズキズキと痛む胸が欝陶しい。なんでこんなことで傷つかなきゃいけないんだ。

「…別に〜リアクション薄いからつまんなかっただけ」

本当につまらなそうな声音にルフィの心は少し落ち着いてきた。

「ま、モテないよりはいいんじゃないか? うらやましい話だよ」
「…アイス食いたい」
「急だな。冷凍庫に入ってんだろ。ついでにおれのも持って来て」
「了解!」

サンジが部屋を出て行くのを見て、ため息を吐く。

いけない、油断すると泣いてしまう。

しっかりしろよ、自分。気づくな、気づくな。
やめとけ、苦労するのは自分だぞ! その感情は危険だ。
サンジは年下だぞ? しかも、それ以前に男だ。
今は同じくらいの身長だけど確実にサンジの方が伸びる。自分より背の高い男に惚れるのか。いやいや、低けりゃいいってもんじゃないって。性別性別。
人間やっぱりハートだね。でも、サンジはいいコだしな。ってバカか! 落ち着けよ、自分。冷静になろう。
よし、忘れよう。好きなわけない。好きなわけない。
でも、好き…なのかな? 
サンジに恋人がいたらイヤだと想うこの感情は何なんだろう。
従兄弟を取られる独占欲? 別に恋人ができても何も変わらないはずなのに。
逆に一回、素直に考えてみるか。待て待て。逆にってなんだよ。そんな風に考えたらもうダメじゃんか。
ああ、もう、認めればいいんだろ。
おれはサンジが好き…なんだろうな。

自分の中の長々とした葛藤も空しく自覚してしまった自分の想いに、ルフィは机へ突っ伏した。
一度気がついてしまった感情にどうにか蓋はできないものかと唸っていると携帯電話が鳴った。
画面には友人のウソップの名前が表示されている。

「もしも〜し…ウソップ、恋って複雑だね。おれ、もう挫けそう…いや、挫けるべきだろ」
『よう! 頭、大丈夫か? 暑さでやられてんの?』
「大丈夫! 気づいたら対処できるんだよ! おれは実家を出る!」
『そ、そうか? よくわかんねェけど後で詳しく聞くわ。つか、今、学校にいるんだけど〜お前、ヒマ? これから遊びに行こうぜ!』
「……ヒマじゃない。レポートがある。提出期限、明日までなんだよ」

本当はものすごく遊びに行きたい。しかも、悩みをウソップに聞いて欲しい。でも、レポートをしないと後が怖いのだ。

『レポート? そんなもん必要な授業あったっけ?』
「ルッチの野郎が」
『あ〜、化学か。お前気に入られてるもんな』

ウソップのセリフにルフィは盛大に顔をしかめる。

「その冗談笑えねェ……殴るぞ」
『実験とかルフィの目の付け所が面白いから構われるんだろ? 仏頂面で何考えてるかわかんねェけどルフィのことは気に入ってるよ。あいつって気に入った生徒の名前しか覚えないじゃねェか』
「あんな奴に好かれたって仕方ないだろ…代わってくれ」
『無理無理! 気に入り方が歪んでるから無理!』
「おれだってヤダよ〜でも、レポートをサボったらもっと変なこと頼んで来るに決まってるもーん。もうヤダぁ」

本当に悲しくなってきてルフィは情けない声でしょげた。

『わかったわかった。学校にいるついでに提出期限を延ばしてもらえるようにお願いしてきてやるよ。たぶん、職員室かどっかにいるだろ』
「ホントか!? ウソップ様! 大好き!」
『おいおい、おれに惚れたらケガするぜって冗談はこのくらいにして…あんまり期待するなよ? おれはルッチ苦手だから交渉できる自信がない』
「いいよいいよ〜気持ちだけでも嬉しい。ホントにありがとう」
『頑張りすぎんのも身体に毒だし、ほどほどにな。そんじゃあまた』
「うん、じゃあな〜。ひゃっ! つ、冷た」

電話を切った瞬間、首筋に冷たい感触があり、ルフィは叫んだ。

「あはは」
「……いたずらっ子め」

アイスをくわえて、笑いながらサンジはもう一つのアイスをルフィに差し出した。

「いたずらっ子って…まァ、ルフィから見たらそうなんのか。でも、一向に成長しないよな、ルフィの身長。一緒に歩いてても弟に間違われることなくなったし〜そのうち、おれがお兄さんと間違われたりして」
「うるひゃい」

楽しそうに背比べをしてくるサンジを無視して、ルフィはソーダ味のアイスをくわえ、レポートに取り掛かる。
何かに集中していないと、あの感情が身体を埋め尽くす。
ドキドキとうるさい心臓に今までは平気だっただろうがと文句を言いたくなってくる。

「またレポート? そんなの止めて、おれと遊ぼうよ」
「ウソップ様の偉大な成果が分かったらな。ちなみに惨敗したら遊ばない」
「え〜」

不満そうな声音にルフィは自分のベッドに座ったサンジに向き直った。

「だって、手を抜けるような相手じゃないんだよ。相手はルッチだぞ? ラスボスだよ。低いレベルのおれが手を抜いたら瞬殺されるんだよ」
「わかりにくいっつーの」
「一瞥で手抜きレポートかどうかを見抜く。そして、手抜きだと即座に研究室で書き直しさせられる。問答無用でだぞ? 書き終わるまで背後にルッチがいるんだぞ? しかも、これ実体験の話だぞ? 怖ろしい…同じ失敗は二度と繰り返したくない。フラスコでコーヒー沸かしてるのは、ちょっと面白かったけどな! もちろん、飲むときはビーカー。そして、おれも貰いました。でも『おいおい、フラスコでコーヒーってベタだな! ビーカーって持つトコ熱くて逆に飲みにくい!』ってツッコミもできない相手はイヤだ〜無愛想な教師はイヤだ〜」

重い重い沈黙の中でレポートを書き続ける苦痛を思い出し、ルフィは身震いする。

「短大って大変だな。でも、ウソップはそう見えないし、ルフィだけが大変なのか。むしろ、ルッチって奴が大変なんだな。いや、変わり者か」
「とにかくルッチと二人きりはイヤなんだよ! あの男は授業中にアクビしただけでレポートを要求してくる変態だ! ん? あ〜、もったいない」

力説していたせいでアイスが溶けて腕を伝っていた。ルフィは慌てて自分の腕を舐める。

「…っ」
「なに?」

食い入るようにサンジが自分を見ていることに気づき、ルフィは首を傾げた。

「な、なんでもねェよ! 食い意地張りすぎなんだよ! 溶けたのは拭けよ!」

顔面にタオルを投げつけられて、ルフィは憮然とした態度でサンジの顔面に投げ返す。

「タオルで拭いてもベタベタするだろうが! 仕方ねェか〜洗ってこようっと」

さっさと残りのアイスを食べて、ルフィは洗面所に向かおうと立ち上がった。
そのとき携帯の着信に気づき、急いで内容を確認する。メールだ。
サンジも携帯を覗き込んできた。

『敵に勝利! かなり、寿命縮んだ…今度、奢れ! 提出期限は一週間延びました』

「ウソップ! 神様だよ〜涙出そうなくらい嬉しい」
「よかったじゃん! じゃあ、おれと遊ぼうぜ!」
「よっしゃあ! ゲームでも……っ」

画面を覗き込むサンジが思ったより近くて、ルフィは思わず携帯を落としてしまった。

「何してんだよ〜壊れるぞ? ルフィ?」
「……っ」
「顔赤いぞ? 熱?」

不思議そうに額へ触れてこようとする手を避けて、ルフィはドアに向かって後退する。

「平気だ! 手、洗ってくる! 好きなソフト選んどけ!」
「わ、わかった」

部屋を出ると暑かった。でも、それ以上に熱い。
よく考えたら部屋に二人きりだ。どうしよう。いや、どうもしないけど。
ルフィは冷水で何度も顔を洗い、心臓が落ち着くまで二階に上がれなかった。



***



「やっぱり寝てたか。起きろよ、ルフィ」

呼んでも全然返事のないルフィを見に来ると、予想通り眠っていた。

サンジはルフィを起こそうとして揺さぶる。

「んー? やだァ」
「……なんだよ、ヤダって。年上がそんな態度でいいのか?」
「うー…レポート、する…ってサンジ?」

目を擦りながらルフィは覚醒しきっていない眼差しで、ゆっくりとサンジを見た。

「おはよう。仕事は?」
「あ〜?」
「仕事があるから部屋に戻るって言ってなかったっけ?」
「う〜、そうかも」

もぞもぞと起き上がるがルフィはまだ眠そうにしている。

「はァ、もういいよ。晩メシできたんだけど」
「食べる!」

一気に覚醒し、サンジを置いてリビングに向かった。

晩ご飯を食べつつ、ルフィはさっきの夢を思い出した。

「さっき昔の夢見た」
「そういえば、レポートがどうのって言ってたな。ルッチのレポート地獄を思い出したのか? 悪夢だな。助手になれって家にまで来たもんな」
「助手だなんて冗談だと思ってたから実家に来たのはびっくりした…今ではいい思い出かなァ。今では、な」

サンジには言っていないが今も勧誘のハガキが季節の節目や行事があるときなどにルッチから送られて来ている。
あまりにもしつこいので今の会社がどれだけ楽しくて充実しているか虚実を織り交ぜながら書いた手紙を送ったこともあった。しかし、ルッチからは自分の研究室で過ごす方が楽しいに決まっていると返事がきた。
ハガキにうんざりしていたルフィも自信満々の返答には笑ってしまった。
いつ勧誘を止めるか手紙で尋ねたところ、自分が助手になったときらしいのでこの文通みたいなやり取りはまだ続いている。

「ルフィってルッチの助手にはならないと思ってたけど、エースのいる会社に入るとも思わなかった」
「ん〜? まァ、いろいろ思うトコがあってな。それに就職できそうなのって今の会社だけだったし」
「そういうもんかな。会社にはルフィの実家からも通えるから早く実家を出たいんだと思ってたけど」

なかなか鋭いサンジに内心、動揺した。

「エースみたいに一人暮らししてみたかったんだよ」

会社は実家から通えたが、自立したいからと適当に理由をつけて一人暮らしをしている。
サンジが受験する高校を聞いて、そこから離れた場所にあるマンションをわざわざ探して住んだ。どこかで偶然、出会わないように。
実家を出るのだって、一大決心だった。サンジと会えなくなると思うと胸が苦しかった。
それでも1年間と半年は何事もなく過ごせた。心も落ち着いてきて、サンジのことを忘れられると思ったし、新しい恋も見つけられるかと思っていたのに。
それなのに、サンジが高校2年生になった頃、このマンションをどうにかして見つけて通うようになっていた。不覚にも嬉しいと思ってしまった自分に自己嫌悪の嵐だった。このままじゃダメだと思ったから、離れたのに一緒にいては意味がない。
それに一緒にいることで自分の想いを再確認させられた。やっぱりサンジが恋愛感情で好きだったんだと深く核心した。

「そうなのか? だから、エースが一緒に住もうって言っても応じなかったんだな」
「知ってたのか?」
「まァ、一緒に暮らさなくて正解じゃないか? あいつ過保護だし、門限とか作りそう」

そんなわけないだろと笑い飛ばせないのがエースの怖いところだ。
ルフィに対して、まるで一人娘を持つ父親のような心配の仕方をする。
嫌いではないが、不必要な干渉が鬱陶しいなと思うこともあった。だから、兄が実家を出て行くときに寂しさもあったが清々した気持ちの方が強い。
こんなことを言うと泣いてしまうので絶対に言えないけれど。やはり、大好きな兄が泣くと面倒でもあり、悲しくもあるのだ。

「エースの気持ちがわからないわけじゃないけどな」
「は?」

思いも寄らぬセリフにルフィは箸を止めて、サンジを見た。

「ルフィって危なっかしいトコあるだろ? アメを貰わなくても知らない人について行きそう。警戒心がないから心配なんだって」
「……高校生にそんなこと言われたくない」

ルフィは心外だとばかりにサンジを睨みつけてから食事を再開する。

「ルフィは童顔だからな。社会人には見えない」
「そんなことより、進展はあったのか?」
「ん? あ〜、ボチボチかな」

途端にメシが不味くなる。不思議な話だ。こんなに美味しいのに話の内容次第でこれほど味が変わるなんて。
自分でこの話を振ったくせに傷つくなんてどうかしてる。
ルフィは食欲のなくなった胃に心の中で叱咤しつつ、無理矢理に食べ続けた。

「お前でも手こずる相手なんだな。相談に乗ってから結構、時間がかかってる」
「おれだって百戦錬磨ってわけじゃないですからね。本気の相手にはそれなりに時間をかけたりすんだよ」
「ふ〜ん。精々、頑張れよ」
「おう、頑張る」

初めて恋愛相談をされたのはサンジがこのマンションを初めて訪ねてきた日だ。同じクラスに気になる女のコがいるんだと。今までと違って本気だから、どうしていいかわからないと真剣な表情で言われた。
雷に打たれたような衝撃だった。ちゃんと受け答えできたかわからない。憶えていない。
その日はとにかく悲しくて苦しくて眠れなかった。
好きな相手の恋愛相談をするのがこんなにツライとは思わなかった。
サンジの想いが真剣であればあるほど、邪険にもできない。
ルフィ自身は別に恋愛経験が豊富なわけじゃないのでアドバイスができるわけでもない。ただ、話を聞くだけ。確かに話すだけで楽になるということもあるだろう。
楽しそうに、しあわせそうに好きな女のコの話をするサンジ。嫉妬で黒い感情が渦巻く。
そのコの話をしているときのサンジの目を見れば、どれほど愛しい存在なのかわかってしまう。
ちなみに、その話を聞く時間がこの世で一番嫌いな時間だ。一番好きな奴と一緒にいる時間なのに一番嫌いな時間になるとは皮肉だなと思う。
それでもサンジは自分を頼ってくれているのだから聞かなくてはいけない。

ぼーっとしているルフィを見て、サンジは首を傾げた。

「どうした?」
「ん? なんでもない…上手くいくといいな」
「うん」

照れたように困ったように笑うサンジ。
そんな表情を見て、ルフィは心から応援できる日が来ることを本気で願う。
恋人になれないなら、一番に頼られる存在でいたい。いつでもサンジの味方でいたい。

「あ〜、おれも一人暮らししたいなァ」

話を逸らすようにサンジは羨ましそうにルフィを見た。

「おばさんに頼んでみれば?」
「電車で通える距離なのに一人暮らしさせてくれるわけねェだろ」
「じゃあ大人しく実家に帰れよ」

確かに距離的にはサンジの実家より今のルフィ宅の方が近いかもしれない。南高からは二駅の場所を降りて、10分ほどの距離だ。しかし、実家まではプラス三駅ほど電車にずっと乗っていればいいのだけなのだから、それほど苦労はない気がする。

「だから、家まで帰るの面倒なんだって。可愛い甥っ子の頼みなんだから聞いてよ、叔父ちゃん」
「…可愛くねェ」
「いつの間にか身長、追い抜いちゃったもんなァ。2年ぶりにルフィを見たとき縮んだのかと心配したもんなァ。あいたっ!」

身長のことを言われると腹が立つ。とりあえずテーブルの下で、すねを蹴った。
痛がるサンジを無視して、食事を続けるルフィ。

「エースの気持ちがわからないわけじゃないけどな」
「は?」

思いも寄らぬセリフにルフィは箸を止めて、サンジを見た。

「ルフィって危なっかしいトコあるだろ? アメを貰わなくても知らない人について行きそう。警戒心がないから心配なんだって」
「……高校生にそんなこと言われたくない」

ルフィは心外だとばかりにサンジを睨みつけてから食事を再開する。

「ルフィは童顔だからな。社会人には見えない」
「そんなことより、進展はあったのか?」
「ん? あ〜、ボチボチかな」

途端にメシが不味くなる。不思議な話だ。こんなに美味しいのに話の内容次第でこれほど味が変わるなんて。
自分でこの話を振ったくせに傷つくなんてどうかしてる。
ルフィは食欲のなくなった胃に心の中で叱咤しつつ、無理矢理に食べ続けた。

「お前でも手こずる相手なんだな。相談に乗ってから結構、時間がかかってる」
「おれだって百戦錬磨ってわけじゃないですからね。本気の相手にはそれなりに時間をかけたりすんだよ」
「ふ〜ん。精々、頑張れよ」
「おう、頑張る」

初めて恋愛相談をされたのはサンジがこのマンションを初めて訪ねてきた日だ。同じクラスに気になる女のコがいるんだと。今までと違って本気だから、どうしていいかわからないと真剣な表情で言われた。
雷に打たれたような衝撃だった。ちゃんと受け答えできたかわからない。憶えていない。
その日はとにかく悲しくて苦しくて眠れなかった。
好きな相手の恋愛相談をするのがこんなにツライとは思わなかった。
サンジの想いが真剣であればあるほど、邪険にもできない。
ルフィ自身は別に恋愛経験が豊富なわけじゃないのでアドバイスができるわけでもない。ただ、話を聞くだけ。確かに話すだけで楽になるということもあるだろう。
楽しそうに、しあわせそうに好きな女のコの話をするサンジ。嫉妬で黒い感情が渦巻く。
そのコの話をしているときのサンジの目を見れば、どれほど愛しい存在なのかわかってしまう。
ちなみに、その話を聞く時間がこの世で一番嫌いな時間だ。一番好きな奴と一緒にいる時間なのに一番嫌いな時間になるとは皮肉だなと思う。
それでもサンジは自分を頼ってくれているのだから聞かなくてはいけない。

ぼーっとしているルフィを見て、サンジは首を傾げた。

「どうした?」
「ん? なんでもない…上手くいくといいな」
「うん」

照れたように困ったように笑うサンジ。
そんな表情を見て、ルフィは心から応援できる日が来ることを本気で願う。
恋人になれないなら、一番に頼られる存在でいたい。いつでもサンジの味方でいたい。

「あ〜、おれも一人暮らししたいなァ」

話を逸らすようにサンジは羨ましそうにルフィを見た。

「おばさんに頼んでみれば?」
「電車で通える距離なのに一人暮らしさせてくれるわけねェだろ」
「じゃあ大人しく実家に帰れよ」

確かに距離的にはサンジの実家より今のルフィ宅の方が近いかもしれない。南高からは二駅の場所を降りて、10分ほどの距離だ。しかし、実家まではプラス三駅ほど電車にずっと乗っていればいいのだけなのだから、それほど苦労はない気がする。

「だから、家まで帰るの面倒なんだって。可愛い甥っ子の頼みなんだから聞いてよ、叔父ちゃん」
「…可愛くねェ」
「いつの間にか身長、追い抜いちゃったもんなァ。2年ぶりにルフィを見たとき縮んだのかと心配したもんなァ。あいたっ!」

身長のことを言われると腹が立つ。とりあえずテーブルの下で、すねを蹴った。
痛がるサンジを無視して、食事を続けるルフィ。

拗ねたように食事を再開するサンジをちらりと見て、地味に赤面する。
1年半ぶりに見たサンジはカッコ良くて、再会した瞬間に惚れ直したのは絶対に内緒だ。



***



休日の夕方、携帯電話が鳴ったので慌てて出た。

「もしもし?」
『よう!元気にしてるかァ?』
「元気元気。ウソップは? ちゃんと修業してるか?」
『元気だし、修業もしてるぜ! 秘伝スープを習得するまでは絶対めげないって!』

ウソップは短大の近くにあるラーメン屋の味に惚れ込み、通いつめた揚げ句、弟子になったという変わった人生を歩んでいる。本人は至って楽しそうなので問題ないだろう。
弟子になった当初は両親に反対していたらしいがウソップの作ったラーメンを食べてからは応援してくれているらしい。
そのとき師匠が両親に責任をもって一人前にすると言ってくれたと感動していた。いい師弟関係だ。

「期待してるからな! ウソップの作るラーメンうまいもん。店出したら教えろよ」
『サンキュー! 真面目に嬉しい。藍より青しを目指すからな!』
「え? どういう意味?」

突然の呪文のような言葉にルフィは思わず問う。

『あ〜、お前って故事苦手だっけ。青は藍より出でて藍より青し。要は弟子が師匠を越えるってことだよ。出藍の誉れともいう』
「勉強の時間みたいでヤダ〜師匠を越えてやるぜ〜でいいじゃんか」
『あはは! 風流に言いたいだろ?』

拗ねるルフィにウソップは、おかしそうに笑った。

「風流か? まァいいや〜なんか腹減ってきたな」
『確かに。あ〜なぜか無性に鍋が食いたくなった。今夜、お前の家で鍋パーティーを開催する。異議は認めない!』
「お〜、賛成! おれも鍋食べたい! たぶん、サンジもいるぞ?」
『よし、そんじゃあ材料は多めに買って行くから土鍋出して待っとけよ〜』
「了解〜そんじゃあ、またあとでな」

携帯を切ってからルフィは土鍋を探すために台所へ向かった。
ウソップとは仲が良く、今も頻繁に連絡を取っている。
唐突に晩ご飯を一緒に食べることもよくあった。なぜか、サンジも一緒にいることが多い。
それにサンジとウソップはいつの間にか仲良くなっていたので気兼ねする必要もなかった。
二人とも仲良いので三人でいる空間は心地良いし、楽しい。

「土鍋か〜どこにしまったかな」

鍋は久しぶりなので土鍋がどこにあるかわからない。足元にある戸棚やシンクの下の戸棚にはしまってなかった。
残った戸棚は頭上にある戸棚だけ。頭上の戸棚を開けると届きそうで届かなそうな場所に見覚えある土鍋の姿を見つけ、手を伸ばした。
しかし、ギリギリ届かずルフィは土鍋を睨む。今更、踏み台代わりにイスを持って来るのも何だか負けたような気がした。
何に負けるのかはいまいちわからないが、とにかく悔しくて再度挑戦する。左手をシンクの端に置き、爪先立ちをした。そして、右手を思い切り上へ伸ばすとわずかに鍋へ触れられて、心の中でガッツポーズをする。
ここまでくるとただの意地だ。
目的は土鍋を取ることではなく、台座を使わずに土鍋を取ることにいつの間にかすり代わっている。あれは土鍋じゃない、獲物だ。

「うー、もうちょい…あっ」
「何してんの?」

背後から獲物、もとい土鍋をひょいと軽々取られ、ルフィは驚愕の表情で振り返った。

「土鍋が取りたかったんじゃねェの? ほら」

驚いているルフィを不思議そうに見ながらサンジは土鍋を手渡す。

「届かないならイスでも使えよ。頭に落ちてきたら危ないだろ」

放心状態のルフィに怪訝な表情でサンジは正論を言った。

「おい、ルフィ? …痛ァ!」
「この阿呆が!」

ガツンと土鍋でド突かれてサンジは額を押さえて、その場にうずくまる。混乱した様子でルフィを見上げた。突然の攻撃に頭がついて来ないようだ。

「勝手に人の獲物を横取りすんな!」
「はァ? 獲物ってなんだよ…つーか、土鍋はどう考えても鈍器だろ! 危ないっつーの!」

赤くなった額をさすりながらサンジは立ち上がる。

「うるさい! おれが苦労してたのに軽々と…背が高いっていう自慢か!」
「そういうんじゃないって! とりあえず鈍器をテーブルへ置け!」
「言われなくても置くよ! おでこ、大丈夫!? でも、自業自得だからな! ついでに土鍋取ってくれてありがとな! 今日はウソップが来て鍋パーティーです! 晩ご飯を作らないように!」

勢いだけで心配し、お礼を言い、何か言おうとしているサンジを無視して自室へと逃げた。
ドアを閉めて、その場にへたり込む。
完全なる不意打ちに心臓が騒がしかった。
サンジが土鍋を取るとき、一瞬だが後ろから抱き込まれるような体勢で、思い出すだけで赤面してしまう。ひたすらに厄介な感情だ。
しかし、どれだけ赤面しようとも冷静になれる呪文をルフィは持っている。
いつだって、この言葉を呟くだけで自分の想いを押し隠せるのだ。

「……サンジは好きな女のコがいる」

効果は絶大だが副作用で胸がズキズキと痛くなるのが厄介だと思う。それに三回以上唱えると涙が出そうになるから急いで冷静になりたいときしか使えない。
いっそのこと想いを伝えてしまいたいと思うこともあった。
でも、男に、しかも信頼しているであろう叔父に告白されるなんて正直きついに決まっている。
好きな相手に好きな女のコの相談をされてツライと思うことはあっても不幸だとまでは思わない。
話ができるし、そばにいられる。
別に仲良い叔父と甥ってだけの関係で十分じゃないか。
自分の浅ましい想いを隠せばサンジと一緒にといられる。欲張るな、欲張るな。
でも、欲張らなければ今のままだ。
このままでいいのだろうか。何も変わらない。本当にこのままでいいのだろうか。
もしも、サンジの想いが通じたら? そりゃあ彼女といる時間を大切にするだろうから、この場所へは来なくなる。
大体、あんなにカッコイイ男がいつまでも独り身でいるはずがないのに。
明日にはここへ来なくなるかもしれない。
自問自答で泣きそうになるとは不覚。
自分の想いを伝えたところでサンジは困って笑うだろう。拒絶もせず、侮蔑もせず、ただ優しく困るだろう。だって、そういう男なのだから。傷つけたくないし、気を遣わせたくなんかない。
もちろん、自分が傷つきたくないというのもある。今の状況がいいとは思わないけれど、少なくとも悪くはないはずだから。
結局は一緒にいられるならサンジの恋人になれなくてもいい。だから、想いは隠せるだけ隠す。
サンジが好きなコと付き合うのが一番いい。サンジの想いが届けばいい。
好きな人が幸福なのが何より自分の幸福じゃないか。
もちろん、そんな簡単に割り切れないけれど。サンジの横には自分がいたいと思うときもあるけれど。それでも、割り切ってみせようじゃないか、可愛い甥っ子のために。


























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