日も暮れた頃、ウソップが大量の材料を持ってやってきた。

「よう、待たせたな! 材料はたっぷりあるぜ」
「ご苦労! サンジ、野菜とか切って」
「はいはい」

サンジはウソップが持ってきた買い物袋を持って台所へ向かう。

「ほら、これも」

ウソップはルフィに木箱を差し出した。
木箱に入った高級な肉かと期待してしまう。箱を開けると大福が入っていた。
闇鍋でもするつもりなんだろうか。できれば美味しい鍋が食べたい。

「……これは鍋に入れない方が」
「違う違う! これはルッチから」
「なーんで、あいつの名前が出て来るんだよ」

思いがけない名前にルフィは嫌そうな顔をした。
ウソップの修業しているラーメン屋は短大に近いのでルッチもときどき来る。
一度、鉢合わせたことがあり、そのとき勧誘がうるさかったのでそれ以来ルフィはラーメン屋に行く時間帯に気をつけている。
ルッチはウソップとルフィが仲良いのを知っているので色々と情報を聞き出そうとしているようだ。

「お前と鍋パーティーするって言ったら押し付けられた。賄賂だな」
「え〜? まァ食い物に罪はないからな」

食後のデザートに食べようかとテーブルの端に置く。

「ここだけの話、鍋パについて来ようとしてたぜ」
「げっ、それはヤダ」

想像するだけで会話が盛り上がらない気がした。もしかして、意外と楽しいだろうか。
勧誘癖がなければもう少し仲良くしてやろうかと思うのだが、レポート地獄の印象も強く、出来れば関与したくないというのが本音だ。

「だと思って丁重にお断りしといた。今度から餌付けするつもりなんじゃないか?」
「餌付けって…犬や猫じゃないんだから」

ルフィが盛大に呆れていると背後に人の気配を感じた。

「……ウソップ、手伝え」
「は、はい! って何で年下にビビらなきゃいけないんだ。うっ」

低い声で命令されて、ウソップは条件反射でビビってしまった。
振り返り、包丁を持っているサンジの姿に再びビビる。心なしか表情が怖かった。

「お前、ルッチにまだ勧誘されてんの?」
「え? ああ、まァな」
「い、い、言ってなかったのか!?」

サンジとルフィの顔を交互に見ながらウソップは慌てたように顔を引きつらせる。
ウソップが慌てる理由がわからず、ルフィは不思議そうに頷いた。

「お? うん。だって、言うほどのことじゃないだろ」

どれだけ勧誘されてもルフィは助手になるつもりはないのだ。
言うタイミングがなかっただけということもある。
なぜか不機嫌になったサンジにルフィは首を傾げた。

「ウソップ、早く手伝え……聞きたいことがある」
「は、はーい。ルフィはそっちで準備してろよ」
「? わかった」

状況は掴めないままだが気にしても仕方ないかということでルフィは鍋の準備を始めた。



***



「ほら、豆腐」
「ん、ありがと」
「いえいえ」

肉ばかり食べているとサンジが豆腐を取ってくれた。へらりと笑ってルフィはお礼を言う。
それを見てウソップはお玉を持っているついでに自分も豆腐を取って貰おうと、器をサンジに向けて差し出した。

「サンジ、おれにも」
「お前は自分で取れ」
「……冷たい男だな」

あまり大きくはないコタツにルフィ、サンジ、ウソップの順でコの字型に座っている。
自分とウソップのいる位置はサンジから同じ距離ぐらいで器を差し出している分、取りやすい気もする。
なんでウソップには取ってやらないのかがわからずにルフィは首を傾げた。

「そうだぞ〜届かないわけじゃないじゃんか。取ってやれよ」
「…はーい」

ルフィに言われ、渋々と嫌そうに差し出された器に豆腐を入れる。
なぜかウソップの指に熱々の豆腐が当たった。

「熱っ! 嫌がらせか!」
「悪い悪い。手が滑った」

全然悪かったと思っていない態度で謝るサンジをウソップは睨む。しかし、睨み返されて、目を逸らした。

「…以後、気をつけるように」
「はーい」
「あはは、サンジはドジだなァ」
「そうなんだよ、ルフィ」

ルフィを見て、無邪気にニコニコと笑っているサンジに顔を引きつらせてからウソップは仕返しに学生が嫌がりそうな話題を探した。

「そういえば、そろそろ期末テストなんじゃねェの?」
「ん? そうだな」
「そうだなって…テスト勉強は?」

思ったような反応がなくウソップの方が動揺してしまう。

「あ〜、こいつは昔からテスト勉強してんの見たことない」
「はァ? どういう意味?」

ルフィの言葉にウソップは訝しげにサンジを見た。

「授業中、真面目に授業受ければテスト勉強なんて必要ないだろ」
「はァ!?」
「だから、居眠りとか落書きとかせずに授業を真面目に聞くんだよ。わからなかったトコは授業後、先生に聞く。わからないままにしとかない」
「授業中に居眠りとか落書きとかしてたおれに対する嫌味? 一夜漬けしたことない人とは勉強の話したくなーい」

頬を膨らませて、ルフィはサンジを睨んだ。
ウソップの思惑は外れ、サンジを嫌がらせるつもりがルフィを嫌がらせてしまったようだ。

「一夜漬けしたことねェの!? どんな生き方だよ…おれ達とは根本的に違う」

テスト前日に一夜漬けで頭に叩き込んでいたルフィとウソップからしてみれば、サンジは異星人といっても過言ではない。

「おれ、ルフィを見てて今の勉強法にたどり着いたんだよ。感謝してる」
「嬉しくねェよ! 反面教師に使うな」
「そういう勉強法の奴もいるんだな…なんか、サンジがスゴイ奴に見えてきた」

ウソップは驚きを通り越して感心してしまった。

「放課後に教室や図書館で予習、復習、宿題することもあるけどな。勉強するのは学校内だけだな。自宅にまで勉強を持ち込みたくない」
「自宅て…おれの家なんですけど? まァ好きにすればいいけどさ。お陰で年がら年中、おれの家に入り浸ってんだよ」
「……そうなのか」

どこか同情的な視線でサンジを見るウソップにルフィは不思議そうな顔をする。

「どうかした?」
「いや、なんつーか、努力ってなかなか報われないのかと…」

言葉を濁すウソップにルフィはますますわけがわからなかった。続きを聞こうとするとサンジに遮られる。

「ウソップ、豆腐取ってやるよ。とりあえず、手の甲を上にしろ」
「どこに取るつもりだよ! 火傷するわ!」

お玉を持って爽やかに笑うサンジにルフィは一人だけ状況が掴めず、首を傾げるのだった。

他愛無い話をしつつ、締めを食べる。
今日の締めはラーメンだ。ウソップが鍋をすると話したら師匠から麺を貰ったらしかった。
気分によっては、うどんだったりご飯だったりするがウソップの影響でラーメンで締めることが多い。しかも、ウソップがアレンジしてくれるので、かなり美味しいのだ。

締めも食べ終わり、くつろぐ。
片づけをウソップがしてくれている間、サンジは微妙な表情でルフィに話し掛けてきた。

「ハガキ、まだあんの?」
「はい?」
「ルッチから届いてんだろ?」
「あ〜、あるよ。なんか、手紙とかハガキって捨て辛いよな。とりあえず、タンスの一番下にまとめて入れてる」

タンスを指差すとサンジはそこへ向かう。そんなに見たかったのかとルフィは内心驚いた。

「見ても面白くないと思うけどなァ。ちゃんと元の場所へ入れておけよ?」
「…わかった」

黙々とハガキを読み始めたサンジは変に威圧感があって声を掛けづらい。
ルフィは仕方なくウソップの手伝いに向かった。

「ウソップ、手伝うぞ」
「お? サンキューってもう別にすることないんだけどな」
「そっか〜ご苦労様。で、今日泊まる?」
「んー、いや、やめとく。明日は朝から仕込みがあるからな」
「了解。そういや、酒飲んでなかったもんな」
「飲酒運転するぐらいなら歩いて帰るかタクシーで帰るって。あっ、酒で思い出した! ジュースみたいなパッケージで間違えて買ったんだけど、アルコール度数が半端なくて……あっ」

ソファーに座っているサンジの前に開いている缶を見つけ、ウソップは呆然とする。その様子を見て、ルフィは焦った。

「未成年がそんなモノ飲んじゃいけません! って、空だし。うわっ、目が据わってる…だ、大丈夫なのか?」

奪い取った缶の中身はなくなっていた。ルフィは空き缶を握り締めたまま、サンジからそっと離れて、ウソップに問う。

「た、たぶん大丈夫だろ。一気飲みしたわけじゃないだろうし…不安になるだろうからアルコール度数は見ない方がいいぞ」

震える手で確認しようとするとウソップに空き缶を奪われた。
引きつった笑顔を見ると相当高いようだ。

「ちゃんとお酒って書いてあるのに…」

確かに見間違えそうなパッケージだったが、ちゃんとお酒と書いてあった。

「……気もそぞろだったんだろ」
「え?」
「い、いや何でもない! サンジだってミスすることもあるだろ! おおっと! こんな時間か〜悪いけど、おれは帰るぜ! ……お前さ、部屋に鍵ついてる?」

変な質問だと思いつつも、ルフィは頷く。

「ん? あると思うよ。使ったことないけど」
「……今日は掛けといた方がいいかもよ」
「? うん」
「それじゃあな。サンジに謝っておいてくれよ」
「ああ、気をつけて帰れよ」

そそくさと帰ってしまったウソップに首を傾げながら、サンジを見た。
微動だにしない姿に不安を覚えるが声を掛けるのも怖いので、とりあえず風呂に入ろうとルフィは風呂場へ向かった。



***



「あれ? サンジ、寝てんの?」

風呂から出るとソファーに寝転がっていた。
ルッチのハガキが足元に散らばっている。随分、雑な扱いだ。
呆れながらもハガキを拾い、タンスに戻す。その間にも起きる気配はなく、どうしたものかと悩んだ。
このままでは風邪を引くかもしれない。寝室へ運んだ方がいいだろう。しかし、図体ばかりデカイのだから運ぶのも一苦労だ。
仰向けで寝ているということは抱きつくような形で運ばなくてはいけないのか。
どう考えても照れる。無理だ。
毛布を掛けるだけで勘弁してもらおうという結論に達した。
早速、毛布を持って来ようとすると呻き声のようなものが聞こえて、サンジに近づく。

「……」
「え? なんか言っ…んぅ」

起きたのかと思い、サンジの顔を覗き込むと後頭部を支えられ、キスをされた。
何が起きたかわからなかった。理解したときには後頭部を近くのテーブルへ強かに打ちつけた。頭が痛い。しかし、それどころではなかった。
心臓がうるさい。できるだけサンジから距離を取る。テーブルを避けて、壁に張りつき様子を窺った。
もしかして、自分の想いに気づいてからかったのだろうか。
起きてこない。寝ぼけたのだろうか。もしかして、彼女と間違えたのかもしれない。
酔うにしても、もっとマシな酔い方があるだろう。

ぐるぐると思考が回る。
とにかく、この部屋にいたくなかった。早く自室へ行こう。
ルフィは冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、机に置く。それだけの行為に緊張でペットボトルと倒してしまいそうだ。
毛布を何枚か引っ張り出して、できるだけそっと掛ける。
そして、急いで自室に閉じこもった。
布団に入り、目を瞑る。
眠れるわけがないけれど、起きていてもろくな事を考えないのだから眠りたかった。



***



何度も覚悟をして、リビングへ向かうと制服に着替えたサンジがソファーに座っていた。
ルフィに気がつき、こちらを向いた。

「おはよう」
「お、はよう」

出来るだけ平常心を保ったつもりだが、うまくいかない。
サンジの目も見られないなんて。昨日、何度も練習したのに。
ルフィは自分の演技力の無さに自嘲したくなった。

「えーっと、昨日…どうしたんだっけ? ウソップは?」
「憶えてないのか?」
「あ〜、ハガキ読んだぐらいまでしか憶えてない」

気まずそうにサンジはルフィを見てくる。二日酔いにはなっていないようで安心した。

「もしかして、昨日おれが飲んだのって酒だった? 夜中にすげェノド乾いて目が覚めたんだよ。机に水置いてあったから飲んだんだけど」

机には空っぽになったペットボトルを見てから、サンジはもう一度ルフィを見た。

「うん、ウソップが間違えて買ったんだってさ。そして、サンジが間違えて飲んだんだよ。アルコール度数が凄かったらしいよ」
「それで、か。……な、なァ」
「ん?」
「おれ、何もしてないよな?」

一瞬、頭の中が真っ白になった。
憶えていたパターンや忘れていたパターン。冗談だったと言われるパターンなどを眠れないときに色々考えていたのに、ほとんど伝えられない。
ルフィは何でもないように冷蔵庫を開けた。

「ずっとソファーで寝てたよ」
「そ、そっか」

心底ホッとしたような返事に視界が潤む。
自分は何かあったら困るような相手なのかとか、キスしたと言ったら落胆するのかとか。
好きな女のコと間違えたと言われるのかとか、ルフィにキスするわけがないとキレられるのかとか。
考えたくも無いことが勝手に脳内を巡る。今、3秒以内に泣けといわれたら余裕でできそうだ。
そして、どうしようもなく心細くなった。

「水、置いといてくれたのルフィだろ。ありがと」
「…どういたしまして。早くしないと遅刻するぞ?」
「あっ、ホントだ。行ってきます!」
「行ってらっしゃい……はァ」

自分の気持ちに気がつかれずに何とか乗り切れただろうか。
朝から疲れてしまった。
会社にいるうちに昨日のキスをなかったことにしなければ。
ラッキーハプニングぐらいに思えるようになれれば気が楽なのだけれど、そう思えるまで相当な時間が掛かりそうだった。



***



会社に行くとエースが必要以上に心配してきて大変だった。
確かに、ため息は多かったかもしれないが一人にしてくれと思ってしまった。
エースのことを除けば、何事も無く定時に帰ることができた。

家に帰るとサンジが来ていた。いつものことなのに身構えてしまう。
来てくれて嬉しい、でもツライ。
ソファーに座り、サンジの言葉を話半分で聞く。
自分は一体どうしたいんだ。サンジのそばに居たいだけのはずなにの。
その一色だけなら楽なのに。複雑に染まる自分の感情に気分が落ち込む。
嬉しいのに悲しいなんて、変だ。2つ以上の感情が同時に心を埋め尽くす。
正反対のようで隣り合う感情は言葉で言い表すのは向かないかもしれない。

「聞いてる?」
「ん? うん、たぶん」

ぼーっとしていたのがバレたのだろう。不機嫌な表情でこちらを見てくるサンジにルフィは苦笑いをした。
でも、聞きたくない内容だ。サンジの学校の話。自分は立ち入ることの出来ない遠い話。しあわせそうな表情で好きな人の話なんてしないで欲しい。
想うだけで幸福なのだと言葉にされなくても伝わってくる。

微妙な表情のルフィの顔を見て、サンジは呆れたように口を開いた。

「好きな人がいない奴にはおれの気持ちなんてわかんねェよ〜」

一番、聞きたくないセリフだ。
自由奔放に振り回して、心をずたずたにしときながら最終的に好きな人がいないだと? 目の前にいるのに。
いつもなら我慢できた言葉だ。だけど、サンジにキスをされたことで心に蓄積された想いが悲鳴をあげている。もう振り回さないでくれと、これ以上は耐えられないと。
こんなに自分を傷つけられるのは、きっと世界中でサンジだけだ。
そんな心を無視して軽口を叩いて応えようにも、声は別の言葉を紡いでいた。

「いるよ」
「え?」
「だから、いるって。好きな奴」

ひどく驚愕しているサンジを見て、ルフィはため息を吐きたくなった。
確かに恋をしているようには見えなかっただろう。そう見えないように頑張っていたのだから。
サンジから見たら自分はそんなに恋だの愛だのに興味ないように見えたのかと思うと少し切なくなる。
本当のことだけを言うつもりはない。ただ、恋をしていないと思われるのは限界だった。

「……誰? 同じ会社の奴?」
「サンジに言ってもわかんねェだろ。おれの話はいいよ」
「よくない。好きな奴がいるから、行く必要もないのに会社行くのか?」
「…そうだよ」

すぐに話題を変えようにも異様に食いついてくるので話が変えられない。
自分で話すとボロが出そうなのでルフィはサンジの勘違いに適当に肯定した。
好きな奴が会社にいたら、定時にさっさと帰って来るわけがない。
それでもサンジがいる家にずっといるのはツライから会社に行っていた。家に来るなと言えない自分が悪いのだから。

「……帰る」
「は?」
「用事、思い出した」

内緒にしてたのがそんなに嫌だったのか。
立ち上がったサンジを見てからルフィは少し俯いた。

「ああ、そう。気をつけて帰れよ」
「明日、会社行くから」

突然のことにルフィはサンジを見つめる。

「はァ? 社会見学なら余所でやれよ」
「今まで相談に乗ってもらった礼に協力してやるよ。だから、お前の好きな奴、教えろ」

歪んだ顔で笑うサンジにルフィは眉根を寄せた。
これは面倒臭い展開だ。そもそも好きな奴は目の前にいて、会社にはいない。でっちあげるにしても協力されては困る。かと言って今更、好きな人はサンジです、なんて言えるわけがない。
考えが逡巡したあと、ルフィは口を開いた。

「遠慮する」
「なんで? おれに会わせたくないぐらい可愛いコなのか?」
「いや、おれが好きな奴は男だから。協力させるの申し訳ないって」
「なっ…」

なんてことないように笑顔で対応しているルフィを見て、サンジは変な表情になる。冗談かどうか見極めようとしているのだろう。

「ウソや冗談じゃないからな。おれが好きな奴は男だ」

これは本当のことだから、すんなりと言えた。サンジのリアクションが怖いけど今更、後へは引けない。

「……帰る」
「はいはい、気をつけて」

何一つ感情を映さない表情でサンジは部屋をあとにした。

閉まる扉を見ながら、明日からもうサンジは来ないだろうと思った。
行かないでとか冗談だとか言いたくなって、全力で自分を律する。これでやっと本来の目的通りになるのに今、我慢しなくていつするんだ。サンジのことを考えろ。
大体、本人に想いを伝える、そんな度胸もないくせに。自分の考えに嘲笑する。

「……最悪だ」

どうせ会えなくなるのなら告白してしまえばよかった。もう後悔している。
告白されたサンジは大変かもしれないけど、相手のことばかり考えていられない。たまには自分のことを考えたい。自分はそんなに強くないんだ。
でも、自分の両親とサンジの両親は仲が良いし、たまにサンジの両親から食事に誘われたりする。二度と会わないということはできない。だから、やっぱり想いを伝えなくてよかった。今はそう思うことにしよう。

「っ……」

勝手に涙が頬を伝った。
今日ぐらいは泣いても誰も自分を責めないだろう。
今日ぐらい自分を褒めてもいいだろう。
今日だけはまだサンジを好きでいたい。本当は明日も明後日も、この先もずっと。

どうか願いが叶うなら、サンジが好きなコと恋仲になれますように。
神様、情けない男の願いを聞いてください。
自分の残りの人生に恋はいらないから。サンジに、ありったけの幸福を。

どこまでもサンジのことを想う自分にルフィは少しだけ笑ってから、あとはただ泣き続けた。



***



「はァ」

ため息を吐いてルフィは会社を出る。
エースがあまりにも心配するので退社時間まで少し早いが早退する羽目になってしまった。確かに昨日のダメージはひどく、まだ上手く笑えない。
泣き疲れて寝たのは何時だったのだろうか。それでもタオルでずっと冷やしていたから目は腫れていない。
相当落ち込んでいるのがわかったのか、みんなも心配してくれた。ものすごく申し訳ない気分になる。
会社に行っても資料まとめや雑用しかしないのに、あまり心配されると心が痛んだ。

「ルフィ」
「え?」

名前を呼ばれ振り返ると同じ課で同期のゾロがいた。仲は良い方だと思う。

「カバン、忘れてる」
「は? あ、ホントだ」

何を言ってるんだと思い、自分の両手を見ると手ぶらだった。慌ててカバンを受け取る。
もしかしたら自分で思っている以上に落ち込んでいるのかもしれない。

「…大丈夫か? 一人で帰れるか?」
「お〜、たぶん。カバン、ありがとな」

エースのようなことを言うゾロにコッソリと笑ってしまう。

「いや、構わねェよ。お前がいない分はおれ達がしとくから安心して休め」
「へ? おれ、大したことしてないぞ?」
「何言ってんだよ。お前がまとめた資料は評判いいんだぞ? 他の課の奴も参考にしたり、羨ましがったりしてる」
「そう、なの?」
「知らなかったのか? どうやってまとめたら読みやすいかルフィに聞きたい輩もいるんだよ。まァお前の兄貴が怖くて近寄れないんだけどな」
「…そうだったんだ」

てっきりお荷物扱いと思っていた自分の評価があまりに高くて驚いてしまった。じわじわと嬉しさが胸に広がる。

「あんまり自分を過小評価するなよ? お前がいるから、うちの課は上手く回ってる。会社に出て来なくても自宅で仕事すればいいなんて普通言われない。社長はお前の力、ちゃんと認めてる。エースがいるから特別扱いってわけじゃない」
「褒めすぎ…そこまで言われたら恥ずかしいって。でも、ありがとな」

花が咲くように可愛いらしく笑うルフィにゾロは思わず赤面してしまった。

「き、気をつけて帰れよ」
「うん! ちょっと元気出た。ホントにありがとう。じゃあな」

ルフィは笑顔のまま手を振り、会社を後にする。先程より気分が上昇していた。
それでも、サンジの来ない自宅へ帰るのは足が重い。
会社から少ししか離れていない場所で俯き、立ち止まった。

(ウソップに話してみようかな)

結局、サンジのことはウソップに相談していない。
実家を離れて、サンジと距離を保てばこの想いは整理がつく予定だったから。予想外の予定外にサンジが再び現れた。そして、自分の想いが不変なものだと気づかされる。
それなら誰かに打ち明けた方が気も紛れるのではないだろうか。
きっとウソップなら真剣に聞いてくれる。

(よし、話そう)

ラーメン屋に向け歩き出そうとして目の前に誰かが立ち止まっているのに気づく。
俯いていたせいで気づくのに遅れてしまった。通行の邪魔だったかもしれない。

「うわ、すみません」

ルフィは慌ててその場を譲ろうとすると腕を掴まれた。

「っ!?」

驚き、顔を上げるとさらに驚かされる。

「…サン、ジ」

二度と会えないと思っていた人物がものすごく不機嫌な顔で自分の腕を掴んでいた。
会えたことを瞬時に嬉しいと感じてしまった自分の感情が恨めしい。

もしかして、会いた過ぎて見えた幻だろうか。幻なら笑顔で出て来いよ。
なんで不機嫌なんだよ。というか早く消えろって。
こんな場所で一人動揺してたら不審者だろ。幻になってまでおれを惑わすのか。
恐ろしい奴め。

平静を保とうと現れるはずのない目の前の男を幻扱いするが腕を掴む力は強く幻ではない。

「は、放せよ」

何も言わないサンジにどうしていいかわからず腕を振りほどこうとするが出来なかった。逆に強く掴まれる。

「……痛い…放して」

痣になるのではないかというぐらいの強さで掴まれ、泣きそうになってしまう。
ついには腕を引っ張られ、そのまま歩き出した。

「サンジ! どこ行くんだよ?」

無言のまま連れていかれる。腕を振りほどけないなら、わけのわからないまま従うしかなかった。

「なァ、どこ行くんだよ……腕、痛いって」

やはり、無視された。泣きそうになる。怒鳴ってもいいから声を聞かせて欲しい。
掴まれた腕を見つめながら、心細くなってきた。
状況がわからない。なんで、サンジが会社の近くにいたんだろう。サンジが通う南高校はこの場所からそこまで近くないのに。

「おれの家、行く」
「え? なんで?」
「……」

そのあとサンジは何を聞いても応えなかった。
腕を掴まれたまま、ひたすらサンジの家まで連れて行かれる。
一駅だけだが電車に乗っている間もずっと腕を掴まれたままだった。
周りの視線も気になるが、サンジの行動の方が今は気になった。
怖い。サンジの家に行って、何を言われるのだろうか。
足取りは重いがサンジが腕を放してくれないのでついて行く他はない。

サンジの自宅に着いた頃は夕方になっていた。今すぐ逃げ出したい。
逃亡することも叶わず、サンジの自室に連れて行かれた。

「おじさんとおばさんは?」
「旅行。しばらく帰って来ない」

そういえばサンジの両親は旅行が趣味だった。これで二人きり決定だ。
部屋の扉が閉められ、やっと腕を放された。
懐かしいサンジの部屋。以前、来たときから少し変わった気がする。
お互いが会うのはルフィの自宅かルフィの部屋ばかりだったから、サンジの部屋に二人きりというのはかなり新鮮だ。緊張してきた。
それに、こんなに不機嫌なサンジは久しぶりで、どうしていいかわからない。

怖い。恥ずかしい。逃げたい。泣きそう。
嫌わないで。ただ、そう想う。

「腕、見せろ」

強引に手を掴まれて、手首を確認される。

「赤くなってるな。ごめん、悪かった」
「いや……別に」

どう反応していいか困って、ルフィはサンジから目を逸らした。

「痛い?」

そう聞かれ、赤くなった腕を舐められる。悲鳴を上げなかっただけでも、自分を褒めてやりたい。

「な、な、なにを…」
「痛いって言ってただろ?」

もう一度、手首を舐め上げられて、渾身の力で振り解いた。それと同時に飛び退いたのでガツンと壁に頭を打ちつける。最近、後頭部を打ちつけすぎな気がした。

「何するんだ! バカぁ!」

これは無理だ。自制しても赤面する。心臓がうるさいほどに高鳴っていた。

「別に。消毒」
「いらない! おれ、帰るからな」

帰ろうとすると、ダンッと両手を顔の両側につけられて、思わず身体がビクついた。
逃げられないうえにサンジが近い。

「何なんだよ…さっきから、わけわかんないぞ? 何か言えよ」
「好きだ」
「は?」

今、何を言われたのだろうか。思わずサンジを凝視してしまう。
自分の気持ちに気がついてからかっているのだろうか。だとしたら、悪趣味だ。そんなことをする奴じゃないと思っていたのに。

「男が好きなら、おれを好きになればいいだろ!?」

反応できずに黙っているとサンジがさらに混乱する言葉を投げてきた。

「な、に言ってんだ? お前、好きな女のコいるって」
「どんな奴が好きって言ったか憶えてないのか? 何度も言ったから憶えてんだろ?」

まさか、言えというのか。サンジの好きな女のコの特徴を? 鬼のような奴だ。
ルフィは一度俯き、唇を噛んでから、決意も新たにサンジを睨む。
気分は当たって砕けろだ。

「頭はそんなによくないけど、優しくて可愛くてライバルが多い。マヌケなとこもあるけど、そういうところも含めて全部好き。そのコ以外、好きになる気がしない」
「お前のことじゃん」
「……え? オマエノコトジャン?」

同じ言語を話しているはずなのに今日のサンジの言葉は自分の脳ミソに上手く伝わらない。
どこかの調味料のようだなとアホなことを思っているとサンジは真剣に見つめてきた。

「おれ、好きな『女のコ』だなんて一回も言ってない。そりゃあ、お前に合わせて運命の女性とか言ったことあるけど…ルフィが全然気がつかないから…拗ねただけだ」
「は? なんで、そんな相談してたんだ?」

ようやく脳内に言葉の意味が届いてきて、ルフィはますます混乱する。

「お前、勉強できねェから勉強教えてとか口実にならねェし…理由ないと帰れ帰れって言われるし、お前の家に入り浸るには悩み相談するぐらいしかないだろ!」
「え? じゃあサンジっておれに会いに来てたの?」
「そうだよ! 悪いかよ!? お前が焦らすようなこと言うから」
「焦らすようなこと?」
「好きな奴がいるって言ったから焦ったんだよ!」

話が急展開すぎてついていけない。
何やら恥ずかしそうにしている目の前の男が自分を好きらしい。
ありえない。もし、サンジの言うことが本当なら両想いじゃないか。
心臓が跳ねる。
それじゃあ今まで愛しそうに大事そうに話していた好きな相手というのは自分のことだったのか。
途端に意識した。みるみる顔が赤くなる。
今まで自分の想いを隠すことばかり考えてきたから、両想いだなんて想像したことなかった。
どうすればいいのだろうか。

「なァ、おれのこと好きになってよ! さっきの緑頭が好きなのか?」
「ち、違う」

泣きそうな顔をしないで欲しい。動揺してしまう。
早く言わなければ、サンジが心変わりしてしまうかもしれない。
言え、言ってしまえ!

「おれのこと…嫌い? そうじゃなかったら、おれと付き合おうよ…男が好きなら、おれにしろ」

急に命令口調になって両肩を壁へ押さえつけられた。
身動きできないし、呼吸も上手くできない。
今さら逃げるつもりもないけど、それを伝えることもできない。

「お前の気持ち、教えろ」

怖い。何だか急に男の顔を見せられて、ルフィは怖々とサンジを見上げる。
怖いけどカッコイイ。

「お、おれは…」
「うん、ルフィは?」

『好きだ』の一言。たった3文字が出てこない。
この際『好き』だけでも伝わるだろうか。言え! たかが、2文字だ。
『す』と『き』だけだろうが!
感情が昂り過ぎて涙が出そうだった。しかし、我慢する。
その様子に気がついたサンジは邪悪ともいえる表情でルフィを見た。

「……泣いたって、放してやらないからな。ルフィがおれのこと認めなくても、一生諦めないからな」
「ふえ?」
「一生、付きまとわれるんだぞ? 好きな奴のトコに行くの全部邪魔するぞ? 結局、ルフィが付き合えるのは、おれだけなんだから。だったら、今すぐ観念しておれを好きになればいい」

今度は嬉しさで涙が出た。我慢なんて出来なかった。
サンジに涙を舐め上げられ、耳元で囁かれる。

「だから、泣いても逃がさないって言ってるだろ?」
「うぅ、おれもサンジが好きだ」
「……えっ?」

視線が混ざり合う。
恥ずかしいけど目は逸らさない。自分の想いを残さずサンジに届けたいから。

「ホントに?」

信じられないのだ。先程のルフィと同じように。

「ホント。サンジが大好きだ。恋愛感情で」
「え? だって、好きな奴がいるって…」
「お前のことだよ。おれは同じ会社の奴が好きだなんて一言もいってない」

さっき似たようなやり取りをした。それほど、お互いがお互いを好きになる可能性を考えていなかったのだ。

「あはは、なんだそりゃ」
「ホント。あはは、何なんだろうな」

しばらく、二人して笑った。
今までの悩みがバカらしくもあり、それでも二人が近づくために必要なモノだったと思う。
いきなり告白しても、きっとお互いが信じなかっただろうから。

「ルフィの家に行こう。なんか、自分の家って落ち着かない」
「おれの家にいることの方が多いもんな」
「だって、大好きなルフィがいるから」

サンジのセリフに嫌でも顔が赤くなる。
その様子にサンジはしあわせそうに笑った。そして、ルフィはそっとアゴを掴まれる。

「キスしていい?」
「気が早い!」
「いってェ!」

あまりの発言に思わず頭突きをしてしまった。サンジはアゴを擦りながら、涙目で睨んでくる。

「色気が無い…キスしたっていいじゃんか。せっかく両想いになれたのに」

あまりにも不満そうなのでルフィは申し訳なくなってくる。しかし、余裕のサンジに少し腹が立つので条件をつけることにした。

「……テストで満点取ったらしてもいいよ」
「ホントに? ウソじゃないだろうな?」

ルフィがコクリと頷くと嬉しそうに笑われ、抱きしめられる。

「満点取る! でも、全教科は無理だぞ? 一教科だけでいいんだろ? 約束守れよ?」
「うっ、わかったよ。約束な」
「よっしゃ! おれの頭の良さに引くなよ」

にこにこと笑うサンジは今からでもテスト勉強をしそうな勢いだ。
その顔を見ると自分達はもうキスしたことあるとは言いにくかった。
でも、やる気満々なサンジを見ると心が温かくなる。

「引かないけどさ。サンジって、いつからおれのこと好きだったの?」
「内緒。でも、ルフィより前だと思う」
「おれがいつからサンジのこと好きか知らないくせに」
「えっ? そんなに前からおれのこと好きなの?」
「……内緒」

驚くサンジにルフィは自動的に赤面してしまう。異様に恥ずかしい。

「へェ? なんかスゲー嬉しいんだけど。でも、おれの方が絶対先だよ。これは自信ある」
「お前、彼女いたじゃんか」
「あ、あれは彼女じゃないって…あの頃は中学生じゃん。若気の至り! って、いつの話持ち出してんだよ〜忘れろよ」
「無理。傷ついたから」
「それって少なくともあの頃から、おれのこと気になってたってこと?」
「……さァな」

嬉しそうにニヤけるサンジから思わず顔を逸らす。墓穴を掘ってしまった。

「へへ、そうだとしても、おれの方が先にルフィに惚れてたよ」
「なんで偉そうなんだ…結局、いつから?」
「すぐ教えるのなんか勿体ないな〜。よし、ルフィとの初ちゅーの後に教える」
「な、なんだそれ」

だとしたら、今すぐ教えないといけなくなるのだが、あれはノーカウントということにしよう。全力で黙っていよう。でも、気が向いたら話してもいいかもしれない。
これからずっと一緒にいるのだから、いつか話のネタになるだろう。

「おれ、テスト頑張るから応援よろしく」
「ん、いつから好きなのか気になるしな」
「……おれとキスしたくないの?」
「恥ずかしいんだよ、バカ」

ルフィが赤い顔のままサンジの軽く頬っぺたを抓ると、サンジは嬉しそうに笑った。


後日、サンジが満点の答案用紙を満面の笑みでルフィへ見せに来るのはもう少し先の話。


























*END*