「…あの、失礼します」

控えめなノックにルフィは目を覚ます。どうやら眠っていたようだ。
こんなときに眠るなんて、この状況に慣れてきたのか図太い自分に苦笑する。

「ご、ごめんなさい。寝てましたか?」
「いえ、大丈夫です。あれ…あなたは」

灯りが点され、ルフィはベッドに腰掛けた。そして、部屋の中に入ってきたメイドの姿に目を丸くする。
そこにいたのは大通りでムチ打ちにされそうになっていた少女だった。
少女はルフィの腕についている手枷を見て、顔を歪める。

「ごめんなさい! 私のせいで…こんな…」
「いいえ、気にしないで。私、あの方から話を聞いたらここから逃げるつもりだから。それより、あなたはあのあと酷い目に合わされたりしなかった?」
「…私は大丈夫です。それどころか褒められました。あなたを…捕まえることが出来たから」
「そう…ですか」

本当に分からない。伯爵に会った覚えはいくら考えてみてもなかった。
お嬢様を知っているなら屋敷時代に会ったことがあるはずなのに。

「あの…男の方だったんですね」
「えっ?」
「ご、ごめんなさい。あなたを着替えさせたのは私なんです。その…他の人は知らないし、言ってませんから」

赤い顔でうつむく少女を見て、ルフィの方が恥ずかしくなる。
一体、どこを見て、この少女は自分を男だと判断したのか。考えるだけで赤面してしまう。

「そ、そっか。えっと…おれも気にしないから、お前も気にすんな」
「は、はい。訳ありなんですよね? とても、似合っていると思います」

笑顔でそんなフォローをしないで欲しい。
ルフィはこのことは考えないようにしようと決心した。

「私、ビビです。実は今日が初めてなんです。こういうところで働くの」
「そうだったんだ。あ、おれはルフィ。まァ、座れよ。あと敬語じゃなくていいから」

ルフィは自分の座っている横をポンポンと叩いて、突っ立っているビビを呼ぶ。
ビビは遠慮がちに笑ってから、ルフィの横に座った。

「わかったわ。私の父がどうしようもない浪費家で…何度言っても直らなくて、私が幼い時に母が父を見限って、遠い街に住んでいたの。そんな父が死んで、初めてわかったんだけど伯爵様に借りてるお金が多くあって…借金ってやつ。払える見込みが無いので私が屋敷で直接働くことになったの。それで今日が初日だったんだけど…ミスが多くて」
「それで、大通りでの出来事?」

例の出来事を思い出し、ルフィは自然と仏頂面になる。

「はい、誰も助けてくれないものだと思っててムチで打たれるのは当然だと…でも、ルフィさんが助けてくれて、とても嬉しかった。本当にありがとう」
「どういたしまして。ケガがなくてよかったな」
「……優しいんですね。私、もう屋敷に来なくていいと言われたの。私が一生、ここで働いてもなくならないような多額の借金も帳消しにすると」

ルフィを捕らえるきっかけを作った褒美だろう。
ビビは苦い表情で苦しそうに呟く。

「よかったんじゃないか?」
「え?」
「だって、一生ここで働かなくてすんだんだろ? よかったじゃん。おれは頼りになる…仲間がいるから、絶対に大丈夫だから気にすることないぞ」

太陽のような明るい笑顔にビビは泣きそうになってしまった。
こんな状況、怖くないわけないのに。なんて強い人だろう。

「私にルフィさんの手助けをさせてください。わかることはなんでも話します! このまま母のところに帰るわけにはいかない」
「いいの? 下手したら借金のこと、また持ち出されるかもよ?」
「あなたを見捨てるぐらいなら、ここで一生働いたほうがマシです」
「ありがと…すげェ心強い」

ルフィは本当に嬉しそうに、安心したように笑った。
不安な状況の中で初めて安心して話せる味方ができたのだ安心して当然だろう。

「なんで伯爵がおれを捕まえたか知ってる?」
「それは…ごめんなさい、わからない。でも、ルフィさんのことを守ると言ってました。危害を加えるつもりはないみたい」
「そこがわかんねェんだよな」
「面識、ないの?」
「うん…これは本人に聞いてみるか〜このあと来る予定だから」
「うん、もうすぐ夜会が終わるから、そうしたらここに顔を出すはず。伯爵様がいるときはメイドの入室は禁止されてるから話ができるのはそれまでですね」

ビビは時計を見て、残念そうに頷く。

「…そっか。この屋敷って実際どこあるんだ?」

聞きたいことは山ほどある。
今のように二人きりで話せる機会はあまりないかもしれない。
ルフィは出来るだけ多くの情報をビビから手に入れた。
もちろん、ビビの分かる範囲で、だ。
土地勘も無く、この屋敷に初めて来たビビが話せることは意外と少ない。
それでも、一生懸命ルフィに伝わるように時間の限り話した。
しばらく話したあと、突然ノックの音が聞こえ、二人は身を竦ませる。

「びっくりした…伯爵かな? じゃあな、ビビ」
「はい、また誰もいないときに来ますね」

以前、他のメイドが持って来ていた食器を持ってビビは部屋を出て行った。
入れ替わるようにグレイが部屋に入ってくる。

「食事は口に合ったかな?」
「ええ、とてもおいしかったです」
「それはよかった」

にっこりと笑うグレイにルフィはどんな顔をしていいか迷う。

「君の方から話があるなんて…嬉しくて、夜会を早く切り上げてきたんだ」
「それはダメですね。伯爵ならば夜会もきちんと出るべきですよ」
「ごめんなさい。もうしないよ」

グレイは紳士のようにも子供のようにも見える顔で笑った。
この男がよくわからない。
今までに出会ったことのないタイプの人間にどう接していいか分からず、ルフィは困った顔でグレイを見る。

「……私はあなたを知りません。拘束するのはやめてください」
「うん、君には直接会っていないから知らなくても仕方ないかもしれない。でも。拘束だなんて……そんな風に思ってしまったかな」

それ以外何があるんだと言いそうになり、なんとか押し止まった。
違う形で文句を言おうとグレイを見上げて、ルフィは唖然としてしまう。
理由はグレイが泣いていたからだ。

「な、何を泣いているんですか?」

訳が分からないという思いでルフィはグレイを見つめる。

「君の生い立ちを思うと…可哀想で…」
「え?」
「君はアンナの影をしていたんだろう? 酷い話だ…本当に酷い」
「っ……」

言葉が出ない。この男はどこまで知っているのだろう。
自分の周りでもお嬢様の影をしていたことを知っている人間は数少なかったはずなのに。
なぜ、この男はそのことを知っているんだ。

「驚いたかな? 調べたんだ、あらゆる手を使ってね。大丈夫、誰にも言っていないよ。だって、話すと君が危険な目に遭うだろう?」
「どう…やって?」

信頼できる者にしか領主は影の存在を話していない。みんな、一様に口が堅いもの達ばかりだ。
そんな人達から無理矢理聞きだす方法は限られてくる、まさか拷問でもしたのだろうか。
ルフィの顔が青褪める。

「大丈夫。君が心配するような方法では聞いていないから。世の中には情報屋っていうのがいるんだよ。僕達が思いもつかない方法で情報を仕入れるから、どうやって影の事実を知ったかは分からないけどね」
「そう…ですか」

グレイの言葉にルフィは安堵のため息を吐いた。自分のせいで誰か傷ついたかと思うと心臓に悪い。

「やはり、君は優しいね…僕の思い描いていた通りだよ。不安なら情報屋を消してしまおうか?」
「っ! そんなことをする必要はありません。情報屋もプロでしょう? あなたのような者がいなければ情報提供をすることもないはず。それに、人の命を軽く扱う輩は嫌いです」
「わかった、気をつけるよ。本当に優しい…そんな君に影をやらせるなんて…可哀想に」

再び泣き出すグレイにルフィは不思議な気持ちになった。
不可解なものと対峙する恐怖、少なくとも殺される心配はないという奇妙な安堵感、しかし、今の気持ちの中で強いて言うなら苛立ちが一番大きいだろう。

(なんで…こんな男に同情されなきゃいけないんだ)

ルフィの意志を無視して自分の屋敷に監禁するなど、常人には考え難い。
しかも、自分の生い立ちを知り、同情して泣いている。
自分の生き方を否定された様でひどく腹が立った。
確かに、他人から見れば不幸と呼べる生き方だったかもしれないが、よく知りもしない男に同情なんてされたくない。
屋敷で過ごしたことはルフィにとって、しあわせで温かい思い出なのに。
領主を悪者にされたようで気に入らないし、何より、影をしていなければサンジに出会っていない。
他人に泣かれるような人生ではないと心底思った。

考えれば考えるほど腹が立ってくる。
興醒めさせるために自分の性別のことを話そうかと思っていたがルフィは止めることにした。

(自分の本当の姿なんて、一欠けらも見せたくない)

押し黙ってしまったルフィを見て、グレイは微笑む。

「でも、もう大丈夫だからね」

言葉の通じないものと会話をしている気分だ。
ルフィは顔を引きつらせて、グレイを見る。

「お嬢様のことは黙っていていただけるんですか?」
「もちろん! 君を困らせたくない」
「今、困っているんですけどね」
「あはは、でも黙っている対価が欲しいな」

棘のある言葉に怯みもせず、グレイは楽しそうに笑った。

「何ですか?」
「君の本当の名前を教えて?」
「……ルフィ」

どんな無理難題を言われるのかと少し身構えてしまった自分が馬鹿らしい。
ルフィはため息混じりに名乗った。

「ルフィ…素敵な名前だ。美しく可愛い君によく似合う」
「ありがとうございます」

うっとりとした声音で言われ、ルフィは偽物の笑顔でお礼を言う。

「ここから出していただけませんか?」
「それは危ないよ。ここは安全だから、ルフィはここにいた方がいい」

優しい笑顔とは裏腹の有無を言わせぬ圧力にルフィは目を見張る。
相変わらず、にこにことしているグレイだが、ここからルフィを出さないという強い決意を感じた。

「もうこんな時間か…お喋りはまた明日にしよう」
「…どうして」
「ん?」
「どうして、お嬢様ではなく、影の私にこだわるんですか?」

真剣なルフィを見て、グレイはベッドの端に座るルフィの前に跪く。
そして、イタズラを思いついた子供のような顔でルフィを見上げてきた。

「ふふ、その話は明日しよう。今日の夜、僕のことを考えて眠って欲しいからね」
「……ああ、そうですか」
「大丈夫、明日にはちゃんと話すよ。それじゃあ、おやすみ。良い夢を」

突っ込むのも面倒になるような物言いにルフィはドッと疲れてしまう。
その様子にグレイは笑って、ルフィの左手の甲に口づけた。
ルフィが手を振り払う前にグレイは手を放し、笑顔のまま部屋を出て行く。

「……変な奴」

グレイを怖いという感覚はだいぶ薄れたが酷く疲れた。気疲れだろう。
結局、なぜ自分が捕らわれたのかわからなかったが明日、また聞いてみよう。

それより、ビビに言われたことを思い出していた。
この屋敷は隠れ別荘と呼ばれていて、一般人はどの場所にあるか分からないということ。
グレイ伯爵は街の中で顔を出さないということ。
道理で街中をサンジが歩いても誰も驚かなかったはずだ。
もし、街の人達がグレイの顔を知っていたらサンジに何か聞いてきたかもしれない。
そして、伯爵になったのは二ヶ月ほど前ということ。
偶然かもしれないが、それは丁度、ルフィが影の役目を終える頃と同じだった。
接点の糸口が見えそうで見えてこない。

そこまで考えてルフィはグレイの言葉を思い出した。

『今日の夜、僕のことを考えて眠って欲しいからね』

あの男の思惑通りになっている自分に舌打ちしたい気分で布団に潜り込む。
グレイのことなど考えず、さっさと眠ってやろうとルフィは目を瞑った。


その日、見た夢は音の無いモノクロの世界だった。
しゃがみ込み幼子のように泣きじゃくる自分。
ふと人の気配を感じて顔を上げると、目の前に誰かが現れた。
手を差し伸ばし、優しく笑っているのはルフィのよく知る人物。
でも、もしかしたら違うかもしれない。
白と黒だけの世界、音の無い世界。
その中で自分は確実にサンジを選べるだろうか。
目の前で自分に手を伸ばす人物は一体どちらなのだろう。
サンジであって欲しいと思うほど、グレイに見えてくる。
その手を迷いながら掴んだところでルフィは目が覚めた。

結局、自分が掴んだのはサンジとグレイ、どちらの手だったのだろう。
寝覚めの悪い夢にルフィはため息を吐いた。



※※※



サンジが二件目の屋敷を調べ終わったところで、太陽はもう頭上にあった。

「ふー、そろそろ集合時間か」

別々に調べることにしたが情報収集のために昼頃、一度集合することにしていたのだ。

「おーい!」
「ウソップ」
「こっちこっち」

細い路地の隙間からウソップはサンジに向かって手招きしている。
サンジはウソップのいる路地に入った。
少し進むと開けた場所に出る。そこには、たしぎとスモーカーがすでに来ていた。
ウソップは廃材の上に適当に座りながら、サンジを見る。

「誘拐の話を大通りでするのは危険だからな」
「まァな。収穫あったか?」
「少し遠くを調べに行った奴らはまだ帰ってきてないから断言はできないが、この領土からは出てないと思う。調べた限りじゃ辻馬車の出入りもなかったし、特に変わった出入りはなかったからな」

念のために仲間内で分かれて、街の外周辺も調べた。
馬車や旅人、商人の出入りを調べてみたがルフィに関係するものはない。

「そうか。たしぎちゃんは?」
「大通り周辺で聞いてみましたけど、反応悪いですね。でも、何か知っているように感じましたよ。ウソップさんの言っていたパン屋も行ってみましたけど…」
「けど?」

サンジは口籠もるたしぎを促す。

「お譲ちゃんには気の毒だけど関わらない方がいいと言われました」
「…なるほどね。スモーカーは?」
「こっちで調べた屋敷はいない。断言してもいい。お前は?」

スモーカーの言葉にサンジは壁にもたれて応える。

「こっちもいないな。盗賊生命を掛けて断言してもいい」
「ということは成果なしか」

残念そうに言うウソップにサンジは笑う。

「いや、そうでもない」
「へ?」
「たしぎちゃんの話を聞く限りじゃ大通りでしか目撃されてないってことだろ」
「ああ」

よくわかっていないのかウソップは首を傾げながら頷いた。

「ルフィが黙って誰かについて行くことはないと仮定しての話だが、誰かに気を失わされて運ばれたんだろう」
「そっか…暴れてたら大通り以外でも何かしら反応あるもんな」

昨日の聞き込みをした限りでは大通り以外の人達は本当に知らないという反応だった。

「しかも、背負って行ったなら誰か見てるよな。ルフィを誰にも見せずに自分の家に運ぶにはどうしたらいいと思う?」
「ん? あー! なるほど、馬車か!」
「だろうな。ウソップの調べで昨日、辻馬車がこの街に来た形跡もない。それなら、この街で馬車を所有している奴だろう。そんな奴らは三人だけだ。そのうちの二人はスモーカーとおれが調べてるから消去法で残りの一人だな」

ウソップとたしぎは感嘆のため息を吐いて、サンジに拍手喝采を送る。
スモーカーはにやりと笑って、サンジを見た。

「お前の方が探偵に向いてるんじゃないか?」
「そりゃどうも。さて、どうするかな」
「消去法で出てきた相手が伯爵だもんなァ。どこから手をつけるべきか」

珍しくスモーカーも悩んでいるようだ。
たしぎも苦い顔で腕を組み悩んでいる。

「そんな悩むことなのか?」
「実は今の伯爵様って情報があまりないんですよ。この伯爵領を最近、受け継いだぐらいしか」
「もともと継ぐのを嫌がっていたはずなんだがな…二ヶ月前ぐらいに急に継ぎたいと言ってきたらしい」
「…結構、詳しいじゃねェか」

情報がないと言った割りに詳しい二人にウソップは呆れたような顔をした。

「そうでもないです。得体が知れないというか、なんというか。掴めない男なんですよ」
「領主の引き継ぎなんて、特に記事にすることでもなかったからな。調べてみるか…行くぞ、たしぎ」
「はい、スモーカーさん! また、あとで」
「わかった。今度は宿で合流しよう」

二人がどこかへ行ったあと、サンジもどうするか悩む。

「どうした?」
「伯爵の屋敷って大通りの先にあったよな?」
「ああ、早速忍び込んでみるのか?」

サンジは頭を掻いてから、しばらく考えてウソップを見た。

「いや、スモーカー達の話しを聞くまでは迂闊に動かない方がいい。これは勘なんだが、あの屋敷にはいない気がする」
「そうなのか? でも、じゃあ一体どこに…」
「そこなんだよな…ここで悩んでても仕方ないか。とりあえず、大通りの先にある屋敷を調べてみるか」

さっきと言ってることが違うとウソップは驚いてサンジを見る。

「え? いないと思ってるのに?」
「いないと『思う』じゃなくて、いないことを確実にしとくんだよ」
「なるほど。間違えられねェもんな。おれは仲間とバラけて、もう少し聞き込んでみる」
「わかった。また、あとでな」

なんとなく、走り去るウソップを見送る。
居場所の目星までは付かなかったが、誘拐犯には目星が付いたのだから昨日からすればかなり前進した方だろう。
あとは居場所を絞って、ルフィを助け出すだけだ。
サンジは決意も新たに再び、情報収集に向かった。



※※※



太陽が真上を過ぎたてしばらくした頃、ルフィは特にすることもなく、ぼんやりとしていた。
ノックの音がして、扉の方に目を向ける。

「失礼します」
「あ、ビビ」

ルフィは入って来た人物を見て満面の笑みを浮かべて、立ち上がった。
ビビを招き入れてからソファーに座り、その横に座るように促す。

「伯爵様は夕方頃に来ると言ってましたよ」
「よかった〜。結局今日は現れないから、また話が聞けないかと思った」
「ということは、何で閉じ込められてるか、わかってないの?」

ルフィの横に座り、ビビは不思議そうに首を傾げた。

「うん、昨日は笑って泣いて笑って出てった」
「そ、そうですか。悪い人ではない…はずなんですが。その、変わった方ですから」
「昨日話して、おれもよくわかんなくなった。腹は立ったけどさ、ホントに変な奴…あっ、ビビは今日街に出る予定あるか?」
「はい、夕方頃に行って来ると思うの」
「じゃあ、これをサンジに渡して欲しいんだけど」

ルフィは午前中に書いた手紙をビビに渡す。
半分に折られただけの紙だったのでビビは中身を開いてみた。

「昨日、話していたルフィさんの仲間ですね…これは?」
「手紙と地図…のつもり」
「えっと…」
「やっぱり、よくわからないかな。窓から見た風景を書いてみたんだけど…」
「えーっと…絵心はあると思います」

上手いとは言えないが味があるというのだろうかビビは何と言っていいか悩みつつ、紙に書かれた絵を見る。
目標となる物は描かれているのでわからないこともないだろう。

「絵心? いや、場所が見当つかなきゃ意味ないんだけど…」
「そ、そうですね。えっとー、少し書き足しておきますね。大体の場所は会ったときにでも説明します」
「じゃあ地図もどきはいらないんじゃないか?」
「い、いえ! そんなことはないですよ! きちんと手渡します! あっ、でも私、サンジさんの顔を知らない…」

困り顔になったビビにルフィは微妙な表情で笑った。

「……グレイと同じだよ。髪の色は金色だけど、顔は伯爵様に似てる。宿にいると思うんだけど」
「そう、ですか。探してみますね」
「うん、会えたらでいいからさ。おれもそんなにのんびりするつもりはないし」

どうせなら、グレイが自分を閉じ込めている理由を聞いてから脱出してやろうとルフィは思っている。
変な余裕が出てきたのかルフィは笑顔でビビを見た。

「ふふふ、ルフィさんは前向きね。私も見習わなくちゃ! 伯爵様にソックリの人を見つけます」
「うん、できればな。やっぱり、心配してると思うから…大丈夫だっていうのは伝えたいかも」
「無事かどうかわからない状態だと不安だと思うわ」
「そうだよな〜。おれが今サンジの立場だったらどうしていいか、わかんねェもん。あはは、でもサンジは大丈夫だ」

ルフィの顔が笑顔になる。サンジに対する信頼感だろう。
サンジがいるからすぐに帰りたいけど、サンジがいるから今の自分は笑っていられるのだ。

「ルフィさん、サンジさんのこと好きなのね」
「う、えっ!?」

瞬時にルフィの顔が真っ赤になった。
ビビは微笑ましそうにルフィを見る。

「ふふ、余計に届けたくなったわ!」
「う、うん」
「そろそろ伯爵様が来る頃だわ…」
「わかった。今日中に会えたらまた後でな」
「はい。それでは失礼します」

ビビはルフィに会釈をしてから部屋を出て行った。
ルフィは伸びをしてから時計を見る。五時を過ぎた頃だった。
思ったよりも時間が過ぎている。

「よし! 手紙も渡せたし、逃げ出す用意でもしようかな〜」
「逃げないで欲しいな」
「わっ!」

突然したグレイの声に驚いくとバルコニーに繋がる窓が開く。
昨日からある白い花びら達が風に舞った。

「ふふ、驚かせてしまったかな? 実はこの部屋はバルコニーから入れるようになっているんだよ」
「それなら、そこから逃げ出せますね」
「それは良くないね。鍵でもつけようかな」

まともに取り合っていないのだろうが、このままでは今すぐにでも鍵をつけそうに見えたのでルフィはため息を吐く。

「……早く入ってくればいいでしょう? いつまでそこにいるんですか?」
「君が許すならいつまでもいるさ。失礼します、姫君。今日のドレスも似合っているよ」
「ありがとうございます。お世辞はいいから、話を聞かせてもらえませんか?」

グレイは一度部屋を出てから、トレーを持ってすぐに戻って来た。

「お茶でもしながら話そうか。美味しい紅茶が手に入ったんだ」
「はァ、そうですね。長い話になるんでしょうね」

マイペースに紅茶を淹れている男にルフィは再びため息を吐く。
今は腹が立つというよりは呆れてしまう。不思議な男だ。
呆れながらルフィは紅茶を淹れるグレイの正面のイスに腰掛けた。
紅茶を淹れ終えたグレイは笑顔でルフィを見る。

「ううん、実はそんなことはないんだ」
「?」
「僕はついさっきのことのように覚えているんだけど、君は覚えているかな。二ヶ月ほど前のことだ。よく晴れた日に君のいた屋敷でパーティーがあったんだ。君ではなく、アンナお嬢様がパーティーに来ていたよ」
「二ヶ月くらい前?」

ルフィは記憶の糸を辿る。
特に危険がないと判断されるパーティーはお嬢様自身が出ていたこともあるが二ヶ月ほど前に自分が出なかったパーティーなどあっただろうか。

「新しく領土が手に入ってね。父親が僕に爵位を受け継がせようと奮闘していた頃の話だよ。アンナお嬢様に説得を頼んだみたいだね」
「あっ、あのときのパーティーに来ていたのは…あなただったんですか?」
「思い出してくれたかな」

嬉しそうにグレイは笑っているが、パーティーに出たのがお嬢様なら自分の存在を知るわけがない。
ルフィの疑問に気づいたのか、グレイは紅茶を飲んでからルフィを見つめた。

「帰り際に、ふと屋敷を見上げたんだ」
「え?」
「そうしたらバルコニーに君がいたんだよ」

確かにあの頃はよくバルコニーにいた気がする。
影の消える期日が近づいていたから気晴らしに景色を見ていた。

「憂いた表情でぼんやりと街を見ていたんだ。とても悲しそうな顔が僕は忘れられなかった」
「な、にを?」

何を言っているんだろうか、この男は。
ルフィは驚き、グレイを見つめる。

「だから、守ろうと思ったんだよ」
「それ、だけ?」
「うん。そうだよ」

閉じ込めて、手枷までして、どんな大層な理由があるのかと思っていなのに。
悲しそうな表情をしていた。
たったそれだけの理由で目の前にいる男は過剰なまでにルフィを守ろうとしているというのだろうか。

「お嬢様だと…思わなかったのですか?」
「確かに似ているけど、君と誰かを間違えるはずないだろう」
「……」
「君を守るには地位が必要だと思った。だから、爵位を継いだんだ。それより、君のことを調べるのは大変だったよ。情報屋も苦労したみたい」

あはは、と軽快に笑うグレイがぼやけて見えた。ルフィは慌てて目を擦る。

もし、あのとき自分の前に現れたのがグレイだったら?
答えは簡単だ。
あの頃は不安と恐怖の中にいた。
いくら自分を納得させようとしても誕生日が近づくのが怖かった。
誰にも相談できないことだった。だから、景色を見て気分を紛らわすしかなかった。
そんなときに手を差し伸ばされたら…そう思うと胸が苦しい。
名前も知らない、話したこともない他人のために、ここまで普通出来るだろうか。
このやり方が正しいなんて認めるわけにはいかないけれど、自分のためだと思うと嬉しくて苦しい。

「安心していいからね。ここにはルフィにあんな表情をさせる奴はいないから」
「……バカな人」
「ふふ、君になら罵られたって嬉しいよ」

しあわせそうに笑うグレイの顔を見ると、ルフィは泣きそうになってしまった。
早くサンジに会いたい。
そうでなければ、無償の愛情に頭がおかしくなりそうだから。

「私には、もう守ってくれる人がいます」
「そう、なの?」
「あなたが心配してくれたことは…とても嬉しいけれど私には帰る場所があるんです」

自分を大切に想ってくれている人なら尚更、理解して自分をここから出して欲しいとルフィは心底、思った。

「とても、大切にしてくれる人達です」
「でも、盗賊じゃないか」
「っ! どこで…それを」
「君のことなら何でも知ってる。騙されてるんだよ…きっと危ないことをさせられる。そんなのはダメだよ」
「そんな人達じゃない!」
「ごめんね、時間だ。この話はまたあとでね。夕食を食べて待っていて」

時計を見てから、申し訳なさそうにグレイはルフィを見る。
そして、優しく頭を撫でてから部屋を出て行った。

「……っ」

相手の想いがわかり、泣きそうになる。
なんでこんなことになったんだろう。
わかってる。ただの偶然とタイミングの問題だ。
この街に来なければグレイの想いを知らずに過ごしたし、グレイがバルコニーを見上げなければルフィを守ろうなんて思わなかった。
サンジに出会わなければ、自分が消えていたら、そもそも影をしていなければ、どれも考えても仕方のない過去の出来事。
今さら変えることのできない事実だ。
でも、ルフィは今の生活を気に入っているし、大きな不満もない。
景色を眺めて気を紛らわせていた頃とは違うと断言してもいい。

「ちゃんと説得…したいな」

ベッドに仰向けに寝転がり、ルフィは涙を堪えた。
きっと、これは泣くような出来事ではない。
グレイは自分を心配しているのだから今の境遇を上手く説明できれば、ここから出してもらえるはずだ。
確かに盗賊と一緒にいると思うと心配かもしれない。でも、自分の居場所は盗賊団の中にある。
別に盗賊じゃなくてもいい。今の仲間達と一緒にいられるなら、役職は関係ない。
そういうことをちゃんと説明しなければいけなかった。

「殴ってでも出て行きたいと思うような奴だったら良かったなァ」

ルフィは夕闇に染まりそうな空を見て、昨日と全然違うことを考えている自分に苦笑する。
早くサンジに会いたい。
そんなに悪い奴じゃなかったと説明して、またいつかこの街に来たときグレイに会いたいと言おう。
ダメだと言われるかもしれないが、真剣にお願いすればサンジはわかってくれる。

(……閉じ込めるためじゃなくて守るための手枷なんだな)

左腕にある手枷を見て、ルフィは思う。
グレイの主張がわかると手枷は優しいものに見えた。
でも、自分の居場所はサンジの横だから、上手く説明できないかもしれないけど精一杯、伝えなくてはいけない。
こうさせたのは自分だから、きっと説得できるのも自分だけだ。

(よし、ちゃんと考えよう)

ルフィはどう伝えたらいいか目を閉じて考え始めた。



※※※



「入り込んでまでは調べてねェが、大通りの先にある伯爵の屋敷にはいない」

全員が宿に揃ったときにサンジは先ほどまで調べていた屋敷の話を始めた。

「そうか。おれ達も調べてみたけど伯爵のことについて聞くと結構情報入ったぜ。人前に顔を出さない変わり者みたいだな」
「私達もそれなりに。ね、スモーカーさん」
「ああ、お前が説明しろ。おれは疲れた」

スモーカーは葉巻を吹かしながら、背もたれに身体を預ける。
たしぎは頷いて、サンジとウソップの方を向いた。

「どうやら所有している屋敷は一つじゃないみたいなんですよ。サンジさんの調べた屋敷以外に複数所有しているんです」
「複数? そりゃ調べるの大変そうだな…」

ウソップがテーブルにアゴを乗せてため息を吐く。

「実は所有している屋敷を調べたんです。だから、スモーカーさんも疲れているんですが…別段、変化はないらしいです。どういうことなんでしょうか」
「……他にも屋敷があるんじゃねェか?」
「うーん、やっぱりそうなんでしょうか?」

サンジの言葉にたしぎはスモーカーを振り返った。
スモーカーは煙を吐きながら、思案する。

「伯爵が犯人なのは間違いないだろう。他の屋敷に昨日、今日現れていない。昨日あった夜会も早く切り上げたという噂だからな」
「夜会?」
「どの屋敷でしたかまでは聞けなかったが出席者に話しを聞くことができた。使用人に何か言われた後に切り上げたと言っていたからな」

同じく思案しながらサンジは階段を上がってくる足音に耳を澄ました。
聞いたことのない足音だ。女性だろうか。
ノックの音がして四人は身構えた。

「あ、あの…」
「誰だ?」
「わ、私、ビビと申します! あっ、ソックリ…」

使用人の格好をした少女は扉を開けたサンジを驚いて表情で見つめた。

「?」
「す、すみません! サンジさんですよね? これ、ルフィさんから」
「っ! ルフィから?」

サンジは慌てて、手紙を受け取る。
部屋にいたメンバーも慌てて、サンジに近づき手元を覗き込んだ。

「独創的な絵ですね…地図?」
「はァ、無事みたいだな…」

ウソップは軽く手紙に目を通してから、安堵のためその場に崩れ落ちた。
自分で思っていた以上に心配していたらしい。
たしぎとスモーカーは地図を見ながら、首を傾げる。

「ビビちゃんだっけ? どこでこれを受け取ったんだ?」
「伯爵様のお屋敷です。一般的には知られていない場所で…説明しますね」
「立ち話もなんだから、部屋に入りな」
「はい!」

ビビは事の発端と現状を出来るだけわかりやすく、四人に話した。
わからないことは質問しながら、長い説明を四人は真剣に聞く。
説明が終わる頃には辺りは夕闇に包まれていた。

「伯爵はルフィに危害を加えるつもりはねェのが救いかもな…場所もわかったし、助けに行かないと」
「すみません。私そろそろ行かないと…怪しまれてしまうかもしれませんから」
「ああ、危険なのにありがとう。気をつけて帰りなよ」
「ルフィさんをお願いします。皆さんが今晩助けに行くなら、もう会えないかもしれませんから」

少し寂しそうにビビは笑う。
もう会えなくても、ルフィが帰りたい場所に帰れる方がいいとビビは自分に言い聞かせた。

「…わかった。いろいろ、ありがと」
「それでは、健闘を祈ってます」

ビビの気持ちがわかったのかサンジは申し訳なさそうに笑って、手を振る。
そんなサンジを見て、ビビも苦笑して頭を下げて部屋から出て行った。

「ホント、ルフィはどこにいてもモテる奴だな。本人、無自覚なのがコワイけど」

サンジがちらりとスモーカーを見ると、視線を外される。
ルフィに気がある一人なので何も言えないスモーカーだった。

「さて、何からするかな」
「とりあえず、おれはサンジにソックリな伯爵を見てみたい」
「私も興味あります! でも、役割分担してたら会えないかもしれないですね」

ふと変わった気配を感じて、サンジは耳を澄ます。
長年、盗賊をしているからわかるようなものだが、故意に気配を消している感覚にサンジは顔をしかめた。

「たしぎちゃん、ウソップ、扉から離れとけ」
「は、はい」
「言われるまでもなーい!」

ウソップはたしぎよりも早くテーブルの影に隠れる。
そして、遠隔から援助できるように隠し持っていたパチンコを取り出した。

「私も手伝いましょうか?」

たしぎは部屋に飾ってある剣を取り、サンジとスモーカーに尋ねる。

「いや、おれ達だけで平気だろ。狭いから、下がっててくれ」
「はい、わかりました」
「やれやれ、物騒な世の中だ。さて、誰だろうな」

四人が身構えたところで、扉が爆音とともに蹴破られた。



※※※



日も沈み、空には月が浮かんでいる。
ルフィは食事も摂らずに、グレイを待っていた。
ノックの音が聞こえて、ルフィはベッドから跳ね起きる。

「こんばんは」
「グレイ…話があります」
「うん、僕もあるよ。とてもいい話なんだ」

にこにこと笑うグレイに話を促すようにルフィは首を傾げた。

「盗賊達に刺客を送ったんだ」
「えっ?」
「これでもう大丈夫だね。君を騙す悪い盗賊はいなくなったよ」

あまりの言葉に声が出ない。
そんなわけないと思うが涙が溢れてきた。
止めようと思っても無理だ、サンジがいなくなったと思うと涙腺は壊れたも同然だった。

「ひ…っく…うあ…」
「ルフィ…そんなに…盗賊が大事なの?」

子供のように泣きじゃくるルフィの頬に触れようと、グレイは手を伸ばす。

「おれのモノに触るな」

突然、聞こえた声にルフィは顔を上げる。
いつの間にか夜風で花びらが舞っていた。
涙でよく見えないが、そこにいるのはずっと会いたかった人物だった。

「サン…ジっ」
「ルフィ、もう大丈夫だからな」
「う、ん」

サンジに優しい笑顔で手を差し伸ばされ、ルフィはその手を掴む。

「なんだ…これ」
「あっ、そっか」

涙を拭い、ルフィは自分に繋がっている手枷を見た。
サンジは怒りも露わにルフィの左手を掴む。

「おかしいなァ。宿に刺客がいかなかったかな?」

部屋に盗賊が入って来たというのにグレイは焦る素振りも見せなかった。

「あんな弱い奴ら刺客のうちに入らねェよ」
「そっか…盗賊君は強いんだね。ん? なんか僕達、似てるね」
「全然、似てねェよ。おれの方がイイ男だ」
「あはは、面白い人だなァ」

グレイは愉快そうに笑って、部屋の中にある棚を探り始める。

「クソッ、外れねェな」
「サンジでも無理なのか?」
「そりゃあ、時間掛けたら外せねェこともないけどな…鍵は?」
「グレイが持ってる」

二人の会話を聞いているのかいないのか、グレイは目当てのものを見つけてテーブルの上に並べ始めた。

「ルフィを賭けるなんて、僕には出来ないからね。鍵を賭けて勝負しない?」

ルフィは驚いた顔で、グレイを見る。

「ん?」
「い、いえ、なんでもありません」

戸惑いの表情でルフィは首を横に振った。
不思議そうに首を傾げてルフィを見、グレイはサンジに向き直った。
サンジも不思議そうにルフィを見ていたが、グレイに向き直り鼻で笑う。

「いいぜ? こう見えてもチェスは強いからな」
「ふふ、お手柔らかに」
「お手柔らかにするわけねェだろ…なんか、コイツめんどくせェな」

ルフィは苦笑して、サンジの横に座る。

「変な奴なんですよ」
「……そうみたいだな」
「さて、白と黒どっちにしようか?」
「チェスは先手が有利と聞いたことがありますよ」

グレイはルフィの言葉に嬉しそうに笑って、白のポーンを掴んだ。

「そうなの? じゃあ、僕が白でいいよね」
「よくねェ! はァ、もう好きにしろ…そんな顔すんなって。負けねェから」

ルフィの不安そうな表情にサンジは優しい顔で笑う。
結局、先手の白はグレイ、後手の黒がサンジになった。
静かにチェスが始まり、ルフィも真剣に盤上を見つめる。

「盗賊君とはいつ出会ったの?」
「…お嬢様の誕生日前日です」

しばらく無言でチェスをしていたグレイは盤上を横目に見ながらルフィに話しかけた。
ルフィも盤上を見つつ、応える。

「ふーん? ずっと一緒にいたの?」
「そう…ですね」
「盗賊君と一緒にいて楽しい?」
「もちろん! しあわせです」
「大変なことはない?」
「ない…と思います」
「真面目にやれよ…ってもう手遅れか」

真剣な顔でルフィを見ているグレイにサンジはため息混じりに呟いた。
サンジの言葉にグレイが盤上を見る。

「ん?」
「チェックメイト。おれの勝ちだ」
「おや? 負けちゃったなァ。はい、じゃあこれは君にあげる」

少しも悔しくなさそうにグレイはサンジに鍵を渡した。
サンジは訝しげな表情をしつつも、ルフィの手枷を外す。

「じゃあ、ルフィは返してもらうぞ」
「うん、仕方ないかな。君はルフィを守ってくれそうだし」
「当たり前だろ。お前みたいな輩がいるなら自由行動させられねェよ」

拍子抜けするほど簡単にグレイはルフィを開放した。
バルコニーから外に出ようとして、ルフィは見送るグレイを振り返る。

「……グレイ」
「どうかした?」
「…なんでも、ないです。さようなら」

ルフィは頭を振ってから別れを言い、サンジの後に続き、隠し梯子から下りた。
地上に着いてから、二人は顔を合わせる。

「何だったんだ?」
「わかんない…なんか疲れた」
「……無事でよかった」

心底、安心したように笑われて、ルフィは泣きそうになってしまった。
そんなルフィの頬を撫でようとした矢先にサンジは地面に倒れてしまう。

「サンジ!?」

サンジが倒れた後ろには太い木の枝を持ったグレイが笑顔で立っていた。
ルフィは慌てて、サンジの傍にしゃがみ込む。

「あはは、油断禁物だね。あまり動かさないほうがいいよ」
「あ、あなたがしたんでしょう? サンジ…」

ルフィは倒れているサンジに膝枕をする。
低く呻いているので時期に意識を取り戻すだろう。
安堵のため息を吐いてから、ルフィはグレイを見上げた。

「なんで…こんなことを」
「ルフィと二人きりで話がしたかったんだ」
「そ、それだけ?」

相変わらず、やることが大胆なグレイにルフィは驚きが隠せない。
驚くルフィに笑顔のままでグレイは木の枝を投げ捨てた。

「あはは、重要なことだよ。それとね、刺客を送ったのは大切な人を守れる男か試したかったんだよ」
「私は……おれは男だ。守ってもらう必要なんてない」
「ん? 知っているよ。それでも悲しい顔をさせたくないんだ」
「えっ!? 知ってて今までドレスを着させてたのか?」

予想外にグレイはルフィの性別を知っていた。
ルフィは驚きすぎて、どうでもいいことを聞いてしまう。

「うん。似合うし、ドレスが好きなのかと思ってね」
「あっそ…ホントに変な奴だな」
「そうかな。ふふ、君が言うならそうなのかもしれない」

少しだけ笑ったあとにグレイは真剣な表情でルフィを見た。

「彼はいつか、ルフィを傷つけるかもしれない」
「いいんだよ、別に。おれは、サンジになら傷つけられても構わない」
「……そう。君を傷つけたら僕は盗賊君を許さないけどね」
「あんた、過保護だな」
「そうかもね」
「なんで、チェス勝負にしたんだ? あんた、チェス弱いんだろ?」
「おや? 知ってたのか。うん、苦手なんだ。何度やっても、よくわからない」

イタズラのバレた子供のようにグレイは笑う。
役に立つ情報だとは思ってもみなかったがルフィはビビに聞いていたのだ、チェスが苦手だと。
ルフィは理由がわからず、不思議そうに首を傾げた。

「僕にチェスで負けるような男には君を渡したくなかったんだよ。でも、大丈夫じゃないかな? 何に置いても君を優先して守ってくれると確信したんだ。だから、君を守るのは盗賊君に任せるよ」
「そっか…おれの居場所はサンジの横だから、心配しなくていいよ」
「うん、そうみたいだね。さて、盗賊君が起きる前に戻ろうかな。怒られちゃいそうだし」

グレイはサンジを一瞥してから、ルフィに笑顔を向けて立ち去ろうとする。
ルフィは慌てて、言葉を発した。

「おれ、嬉しかったから」
「ん?」

振り返り、グレイはルフィの横に跪く。

「そんな風に、守りたいって思ってくれてる奴がいてくれて…嬉しかったから。グレイのことは忘れない」
「ここはルフィの家なんだから、いつでも帰っておいで」
「…っ」
「いってらっしゃい」
「……いってきます」

ルフィの返答に満足そうに頷き、手の甲に口づけた。
それからグレイは立ち上がり、ルフィに笑みを向けてから、屋敷へと戻って行く。
気づかないうちに流れていたルフィの涙を拭う指があった。

「サンジ…起きたのか」
「割りと初めからな。軽い脳震盪だろ…ホント、むちゃくちゃな男だ」
「そうだな。今の聞いてた?」
「ああ」
「そっか! ホント、なんだったんだろうな」

困ったように笑いながら膝枕から起きようとしないサンジをルフィは見下ろす。

「お前は簡単に心を許すから…怖いな」
「許してないって…嬉しかったけどさ」
「そこら辺の話はあとで聞かせてくれるか?」
「うん、上手く説明できないかもしれないけど…なんか最終的に悪い奴じゃなかった」

グレイのことを思い出して、まるで古くからの友人を思い出すようにルフィは笑った。
その顔を見て、サンジはため息を吐く。

「おれ的には悪い奴の方が助け甲斐があったんだけどな」
「あはは、何言ってんだか」
「そうだろ? なんか二人がイイ感じでハラワタ煮えくり返ってんだけど」

笑っているルフィにサンジはにこりと笑って物騒なことを言う。

「えっ!? そ、それはさすがに怒りすぎだろ」
「はァ、もう変な奴に捕まるなよ」
「ま、守ってくれるんだろ?」
「ん?」
「捕まっても迎えに来てくれるなら、おれは何も怖くない」
「…アホ。迎えに行くし、守るけどな。一緒にいないと、おれが大丈夫じゃねェんだよ」

ルフィは嬉しそうにサンジの髪をさらりと撫でた。

「月が輝くには太陽が…お前がいなきゃダメなんだ」
「……え?」
「お前には天文学の勉強が必要だな。月は太陽の光があるから輝けるんだぜ」
「た、太陽だって…月がなきゃダメだった。だから、傍にいないとダメだぞ!」

紅潮した頬でルフィはサンジから顔を逸らす。
頬を撫でながらサンジは楽しそうに笑った。

「可愛いなァ。で、今回の報酬は何をくれるんだ? 結構、頑張ったんだけど」
「なんか…前にも聞いたことあるなァ」
「ははは、そうだったかな。じゃあ今回も言葉じゃなくて態度で示してくれ」

前の報酬は頬っぺたにキスだったが今回はそれではいけない気分になり、ルフィは顔を赤らめる。

「あ、あのさ」
「なんだ?」

膝枕から起き上がり、サンジはルフィの横に座った。

「おれ、サンジのこと好きだ」
「っ! 急過ぎだ!」

赤面するサンジにルフィも照れてしまう。
恥ずかしい、けど今はちゃんと言わなければ。

「ず、ずっと恥ずかしくて言えなかった…でも、ちゃんとサンジが好きだ。その、恋愛対象として」
「……」
「えっと…助けてくれて、ありがと」

ルフィはサンジの唇に軽くキスをした。
心臓が壊れそうだ。
永遠のような一瞬の時間が過ぎて、ルフィはサンジを見れずにいる。
すると押し倒されてしまった。

「わっ! …サン、ジ?」
「スゲー嬉しい」

初恋の叶った少年のようにサンジは嬉しそうに、しあわせそうに笑う。
その顔を見れただけで、言ってよかったとルフィは心から思った。

「なァ、おれのモノになってくれるってことだろ?」
「…うん」
「心もくれるんだよな?」
「……うん」
「身体も?」
「っ………うん」

熱い。身体全体が熱くて仕方ない。
ルフィはどうしていいかわからず、サンジを見上げた。

「そうか。みんな心配してるから宿に戻るぞ。そんな顔すんなよ、こんな場所でどうこうするわけねェだろ」
「う、うん」
「みんなに無事だってわからせた後で、な」

サンジの目を見て、ルフィは怯む。
そんなことを言われて、みんなと普通に会話できるわけがない。

「っ! む、無理だって! どんな顔してみんなに会えばいいんだよ!」
「それはご自由に」
「い、いじわるだ」

サンジは笑いながらルフィの上から退けて、ルフィを起こした。

「お前があまりに可愛くて」
「理由が変だぞ! もう…」
「はは、冗談だ。近々、手に入れるけどな」
「恥ずかしいから…しばらく我慢して?」

本当に恥ずかしそうに、ルフィはサンジを上目遣いに見上げてお願いする。

「新手の拷問か! 嫌だ、おれはルフィを抱くんだ」
「うわ! なんてこと言うんだ! バカ!」
「あはは! この話はあとでな」
「…はーい」

赤い顔で唇を尖らせ、ルフィは渋々承諾する。
しあわせそうにサンジはルフィの頭を撫でた。
ルフィもしあわせそうに笑う。

「さて、帰ろうか」
「うん!」

サンジの言葉に嬉しそうに頷き、差し出された手を握った。


























※END※


5 吸血鬼と警察を読む?