目を開けると自分のベッドに寝ていた。ということは眠ったのだろうか。
ルフィはゆっくりと身体を起こす。
時計に目を向けると午後2時を回っていた。身体が怠い、気力がわかない。

「……?」

昨日のことを上手く思い出せなかった。
気配を感じて、顔を上げた。エースが申し訳なさそうにルフィを見ている。

「悪い…おれが眠らせた」
「そう、なんだ」
「ルフィ、昼メシ食べるか? 昨日の晩も食べてないだろ?」
「……いらない」

独特の重苦しい空気に昨日のことをまざまざと思い出した。

(夢なら、よかったのに)

例え苦しくてもどんなにつらくても、悪夢は覚めるから。
水面に落ちた水滴の波紋のように、ゆっくりと悲しみに侵食されていく。
緩やかに、だが確実にサンジの死を実感していた。
実際に見たわけでもないのに。
それはエースの言葉を疑う必要ないことが心のどこかでわかっているからだろう。
サンジにもう会えない。この世界のどこを捜してもいない。
なぜか涙も出なかった。感情がコントロールできない。
せめて、泣き叫べたら悲しみを外へ追いやれるのに。
エースは困ったように立ち尽くしている。でも、構っていられなかった。
ベッドの端に寄り、膝を抱えて俯く。

「………ルフィ」

エースの気配が近くなった。顔も上げられない。
ルフィに触れようとして、エースは直前で自分の手を強く握った。
触れれば壊れてしまう。そう、思ったのかもしれない。
ルフィとは反対側のベッド端にエースは座った。
何も言わずに時間だけが流れていく。



***



「晩メシ…食おう。な?」
「ごめん…欲しくないんだ」

ルフィは力なく応えた。
もう、夜中に近い時間だ。部屋も真っ暗で静寂が辺りを包んでいる。
あれからルフィは一歩もその場所から動かなかった。
同時にエースも動いていない。何も言わないけれど、ずっと傍にいた。
少なからず、それがルフィの支えにもなっている。
一人になりたい、けど現段階の孤独は自分が何をしてしまうかわからない。
何も考えたくない。何もしたくない。
昨日はあんなに楽しかったのに。何でこうなったんだろう。
サンジも笑ってて、自分も笑ってて。どこで間違えたんだろう。
どうして、なんで、そんなことを考えても答えなんて出なかった。

叶うなら、会いたい。
サンジに会いたい。
願いが、叶うなら。もう一度。

『何でも願いを叶えてやるから!』

急に思い出した。
今の今まで記憶にすら留めていなかったはずの言葉。
もしかしたら、人間は一度聞いた言葉は脳のどこかで憶えているのかもしれない。
ルフィは勢い良く顔を上げて、エースを見た。
夜目に慣れた目は容易くエースを捉える。
それに驚いたようにエースは見つめ返してきた。

「何でも願いを叶えてやる」
「え?」
「一昨日の4日に、そう言ったよな?」
「あ、ああ」

エースは嫌な予感を抱えつつ、頷いた。

「おれの魂をやるから! だから、サンジを…」
「生き返らせろって?」
「……うん。無理、か?」
「無理だ。一度死んだ者を生き返らせるなんて違反どころの騒ぎじゃない。しかも、サンジの『死』は多くの人間に知れ渡っている。今更、生き返るのは倫理を外れることだ。だから、できない」

どこか事務的なセリフに心が凪いでいく。何を期待したのか、理解する。
それは無謀で無知で夢のような願いだ。
それでも、愛しい者を失った人が誰しも願うことかもしれない。
誰がこの夢のような願いを馬鹿にできるだろうか。同じ立場になったとき、誰が笑えるだろうか。
叶うのなら、何を犠牲にしても叶えたい。そんな悲しくて優しくて残酷な夢だ。
触れていたい。話したい。笑顔が見たい。会いたい。
ただ、生きていて欲しい。
それさえ叶うのなら何だってするのに。

「……そっか」
「それに契約者になる可能性のある奴に直接関係あることしか叶えられない。サンジに関することはダメだ。お前が一度死んで生き返りたいと望むなら…多少、違反だが叶えてやれる」
「……」

わかってはいたことだ。出来るのであれば、みんなしているだろう。
他人の『死』を捩曲げるなんて不可能だと。それでも、諦めきれない。
もう会えないなんて信じたくない。

「他に方法はないのかな……会いたいよ」

自分は卑怯なのだろうか。
目の前の存在が『人間』ではないから何とかしてくれる気がしたのだ。
ルフィ自身の『死』を捩曲げるだけのチカラはある。しかし、倫理を壊してまで、違反してまでサンジを助ける義理などエースにはない。縋る希望もない。
心は時に脆く弱い、とても。
初めての感情だったのに、それを形作る前に霧散してしまった。
気がつけば涙が流れていた。サンジを失ってから、初めての涙だった。
もう会えない。そう想うだけで止まらなくなった。
涙を拭う気力もない。この喪失感は何なのだろうか。

「…ないこともない」

ひどく長い沈黙のあと、エースはルフィを真っ直ぐに見つめた。
その目は真摯で、決意を秘めている。

「えっ?」
「ちゃんと話す。嘘は言わない。だから、飯を食え」

エースの心配そうな視線にルフィは緩く首を横に振った。

「食欲、ないんだ」
「お粥でもいい。何か腹に入れろ。そうしたら話す」
「…うん、わかった」

ルフィは涙を拭い、立ち上がる。エースも真剣に考えてくれたのだろう。
それなら無理にでも食べなければ。そして、話を聞こう。
悲しみに沈みそうになる心を叱咤し、ルフィは無理矢理にでも笑った。



***



「さっきも言ったけどサンジを生き返らせるのは無理だ」
「うん」

軽くだが食事をした。胃は受け付けたがらなかったけど、食べることによって気力も湧く。
沈み続けていた頃よりも冷静になれた気がした。

「そもそもサンジの死はこの土地を訪れただけで確定的なんだ」
「エースはサンジを見たときから、わかってたの?」
「ある程度は見ればわかる」
「…そっか」

どうして止めなかったのかと問い詰めそうになる自分を、歯を食いしばって堪える。
エースにはエースの役目があった。
たとえ、それが誰であっても死因を言う、尚且つそれを止めるなど違反でしかないだろう。

「訪れる日付が多少前後しても、あの男は必ず5月5日の夜に帰る。その帰り道に事故に遭う。確率的には95%以上だ」
「そう、なんだ」
「だから、お前がこの土地に来るのを止めろ」
「えっ?」

ルフィは何を言われたかわからずにエースをじっと見た。

「時間を遡る。5月2日のサンジがいる場所にルフィを連れて行く。だから、この土地に来ること自体を止めろ」
「…そんなこと」

できるのか。否、聞くだけ無駄だ。エースは嘘を吐かないと言っていた。
時空を越える方法があるのだろう。

「5月3日の朝に…ホテルにチェックインするはずだから…日付が変わってすぐ、3日の夜中から明け方にかけて出発するはずだ」
「……うん」
「それを阻止する。そうすることで5月5日のサンジの死を無効化しよう。あと時間を遡るのには、いくつか条件がある」

未来から来たことを誰にも言わないこと。
接触するとき出来るだけ素性を隠すこと。
サンジの死因を話さないこと。
もしサンジの説得に失敗し、この町に来てもついて行かないこと。
それは同じ時間軸にいる自分と接触しないため、などなど。

「同じ時間軸にいる自分?」

いくつかの注意事項の中で何となく気になった。
ルフィはどういう意味なのか疑問を込めた視線でエースを見る。

「同じ時に二人のルフィが存在することになる。もう一人のお前は何も知らずにゴールデンウイークを楽しんでいる。鉢合わせない限りどうってことないが万が一、自分に出会うと存在が消失しかねない。だから、旅行に出かけた時点で失敗。絶対に追わないこと」
「…サンジがこの町へ旅行しないようにすればいいのか?」
「うーん、5月5日の夜…いや、夜中までは他県に出さない方がいい。『5月5日の夜に他県から自宅へ帰ろうとして事故死』がサンジの死因だ。それを完全に避けた方が安全だろうな」

唸りながらも最善の方法をエースはルフィに伝えた。

「旅行自体が危ないのか」
「まァ、この町に来る確率が一番高いんだけどな。ちなみにチャンスは一度きりだ。何度も時空移動はできないからな」
「…わかった」

ルフィは神妙な顔で頷く。失敗できない。
理由を告げず、留まらせなければ。
上手くいくだろうか。
途端に怖くなる。二度の喪失に耐えられるはずない。

「携帯も使えないからな。時空移動した時間で止まったままになる」
「そうなんだ。そっか、未来のものだから使うと変になるんだな」
「ああ。あと、成功したら…」

言いづらそうにエースは視線を彷徨わした。

「なに?」
「成功したら、サンジはルフィを知らないままだ」
「……」
「旅行させないってことは本来のルフィに出会わないってこと。5月7日、明日だな。そこにお前を戻した時点で記憶は改ざんされる。時間を遡ったときに、出会った全ての人間がお前を忘れる。写真を撮ったとしても、写真の中からルフィは消える。映像でも同じだ」

仮に過去に戻ったルフィのことを記憶していたとすれば歪みが生まれる。
同時刻、別々の場所に全く同じ人物がいたという事実はなくさなければいけない。

「わかった。サンジとは出会わなかったことになるんだな」
「お前からサンジの元へ訪れることもできない。二度と会えないと思った方がいい」
「…そっか」

もちろん、胸は痛む。結局、成功してもしなくてもサンジのいない日々を過ごす。
でも、全然違う。
サンジがこの世界にいるのなら、短い人生でも怖くない。笑っていられるはずだ。

「それでも、助けるのか?」
「うん…助けたい。身勝手だってわかってる。けど、理屈じゃない。おれはサンジに生きてて欲しい。おれのこと…一生、知らないままでも」

心はまだ痛いし、息苦しい。けど、不思議と穏やかな気持ちだった。
好きな人が笑って生きている。それは希望だ。
会えなくても、どこかにいる。そう想うだけで、心は満たされる。

「……ルフィ」
「な、なんでエースがそんな顔するんだよ〜。ほら、おれの命はそんなに長くないんだろ? おれの魂はエースにあげるんだし、最後のワガママを叶えてもらうんだ。感謝してるよ」
「お前が魂を犠牲にしてまで助けるのにサンジはお前を知らないんだぞ?」
「しつこいぞ! 理屈じゃないって言っただろ? サンジのために出来ることは全部したいんだ。おれが勝手にすることなんだからサンジは何も知らずに幸せに生きればいいんだよ! 恋愛して、結婚して子供が産まれて、あったかい家庭を築けばいいよ……うわ」

ルフィはエースに突然頭を撫でられた。その手は優しくて、抵抗を忘れる。

「理屈じゃない、か。その意見に賛成だ。だから、おれも出来る限り手伝ってやる」
「ありがと……えっと…契約書にサイン、しとこうか?」
「……成功報酬でいい」
「ん、そっか。そういえば、サンジの死因まで話しちゃったけど…違反じゃないの?」
「違反なら、お前に会ってからもう何度もしてる。今さらだろ」

やはり、サンジの死因に関しても違反だったようだ。
エースは悪戯っ子のように笑い、ルフィを見た。
その顔はどこか吹っ切れたようにも見える。
こんな顔をする男だっただろうか。
エースはどこか『人間』ではないことを肌で感じるような男だったのに。
一緒にいるうちに慣れたのかもしれない。

「それじゃあ、5月2日に行きますか」
「うん!」
「目、瞑ってろ。酔うかもしれないからな」
「わ、わかった」

少し緊張してしまう。時空移動など生まれて初めての経験だ。
どうなるのか予測ができない。
ルフィは恐る恐る目を閉じる。すると、エースの手が自分の頬に触れたような気がした。
不思議に思い、問い掛ける。

「エース?」
「ああ、行くぞ。しっかり掴まってろ」
「うん」

気のせいだったのだろうか。別段、何を言われることもなかった。
そして、エースに手を握られる。ルフィも掴まれた手をしっかりと握った。
途端に感じたことのない浮遊感に包まれる。
まるで世界が歪んでしまったように、ぐにゃぐにゃしている気がした。
何がどうなっているのか全く予想できない。
時空移動も楽じゃないのかとルフィは思った。


































*続く*