「考えてくれた?」
「う〜?」
「うんうん。じゃあ、ここにサインして」
「んー……って却下だ!!」

渡された万年筆をルフィはベッドに寝転がったまま、ブン投げた。

「あー! おれの万年筆がァ!! 普通に売ってるのとは訳が違うんだぞ!?」
「うるせェよ。寝起きにサインさせようとするとは怖ろしいヤツだな」

慌てて万年筆を取りに行くエースをルフィはじっとりと睨んだ。
契約用紙をしまいながらエースはにっこりと笑った。

「でも、予備があるから心配ないぞ」
「そんな心配してねェー」

その万年筆が契約とやらに必要ならへし折ってやろうかと思っていたが、予備があるのなら意味が無い。
背伸びをして、時計を見るともう昼になっていた。

「うあ…寝過ぎたな」
「不健康なんだから〜。男のコは外で元気に遊べ」
「あんな話聞かされてスヤスヤ寝れるか、バカ」

悪態をつきながらエースを見ると笑っている。
訝しげに見つめると、エースは嬉しそうに話した。

「ルフィは強いな」
「はァ? どこが?」

怖くて眠れなかったのに、どこが強いというのか。
ルフィにはエースの言う意味がわからなかった。

「あんな話をしても壊れない。変わらない」

それは壊れる可能性もあって話したのだろうか。唖然と見つめる。
満足そうに、ただ笑っていた。
背筋が冷える。
目の前の男は『人間』として何か欠けているのかもしれない。
いや、人間ではないのだからこれが普通なのかもしれないが。

「……壊れなくてよかったな。でも、壊れたらどうするつもりだったんだ? 契約なんてできないどころかお前自身を拒絶すると思うんだけど」
「ルフィはそんなことしない。壊れない核心があった。」
「自信があったんだ?」
「ああ。おれの言葉なんかじゃ壊れない。ルフィの魂は汚せない」

うっとりと見つめられて、ルフィは頬を引き攣らせた。
仲良い友達から予想もしないマニアックな趣味を聞かされた気分だ。

「はい、質問」
「どうぞ」

挙手したルフィにエースは先を促す。

「おれの魂が汚れたら興味なくなりますかね?」
「あ〜、どうだろ? 今さら汚れても関係ないかな」
「ああ、そう」

魂汚し作戦は考えるまでもなく失敗した。
魂の汚し方なんて知らないので根本的に無理があったのだけど。

「他には何かある?」
「あ〜、エースには魂が見えてるの?」
「知覚するのは意外と難しい。けど、見える」
「ふ〜ん。じゃあ、おれの魂は何色なんだ?」
「一色じゃない。状況によって変わるけど根本は変わらない。他人と似た色を彩ることはあるけど同じ色はない。全員、違う。だから、おれはルフィがいい。他の魂を探せと言われても困る」

先手を打たれて、ルフィは口籠もる。

「あはは、他の奴を探せって言うつもりだった?」
「……さァな」
「残念だったな〜」

ニヤニヤと笑うエースにルフィは悔しそうに顔を歪めた。

「とにかく! おれの魂はあげないからな!」
「はいはい。今は、だろ?」
「この先ずっと、だ。新しく好みの魂探せよ」
「イヤだ」
「あー! もう! キリがない!! この話は一旦保留だ。昼メシにする」
「用意してあるから一緒に食べよう」

驚いてエースを見ると少し照れたようにルフィを見ている。
エースという存在を理解し難い。
嬉しい。でも、釈然としない。
契約して欲しいからしているというわけでもなさそうだ。何となくそう思った。
何のために、食事を作っていたのだろう。
この男も寂しいと感じたりするのだろうか。
人間にとても似ているから、でも人間じゃないから。とても、惑う。

「………ありがと」

考えた末に出てきたのは、お礼の言葉だった。
エースは満面の笑みでルフィを見てきた。



***



昼食を摂ってのんびりしたあと、ルフィは神社に来ていた。
おさい銭を入れて、声に出して願う。

「変なヤツがおれの魂を諦めますように。もしくは祓ってください」
「おれは祓えないって」
「ただの気休めだもん」

気休めついでにお守りも買っておいた。
神社に長居する理由もないので、のんびりと帰ることにする。

「なーんか、視線を感じる」

エースと会話しながら歩いていると、すれ違う人がチラチラとルフィを見ている。

「お前が独り言をしゃべってるからじゃないか?」
「……はい?」
「おれはお前にしか見えないから」
「なっ…何だって?」
「だから、おれの姿はルフィにしか見えないようにしてるんだよ。必然的に声もルフィにしか聞こえない」
「……不審者決定」

ルフィはその場に崩れ落ちた。
ジーンズにTシャツというラフな格好をしているエースが憎い。
死神(仮)なら死神(仮)らしい格好があるはずだ。
それらしい格好をしていたなら、周りの人間にエースが見えていないことにすぐ気づけただろう。しかも、この男は普通に歩いていた。

「初登場のときみたいに空を飛んでろよ」

このパターンでもすぐに見えないことを悟れたはずだ。
極力小声で、しかし怒気を含むことを忘れずにルフィはエースを睨む。

「できなくはないけど、せっかくなら並んで歩きたいだろ? 仲良くなれば魂をくれるかもしれないという打算的考えもある」

エースの言葉に先程買ったお守りを勢いで投げつけてしまった。まさに無意識。
罰当たりな行動をしてしまった。

「いてっ」

しかも、お守りはエースをすり抜け近くを通り掛かった人物の後頭部にぶつかってしまう。

「必技、物体法則無視! エースは物体をすり抜けたりすり抜けなかったりを自由自在にできるのだ!」
「…黙れ」
「いってェ!」

エースの得意気な説明口調にルフィの苛立ちは頂点に達した。思わず、本気で蹴る。
なぜかルフィの蹴りはエースにクリーンヒットした。きっと、すり抜けなかったりしたときに当たったのだろう。

「なんだァ? お守り?」
「う、わー! ごめんなさい! 振り回してたら、手からすっぽ抜けちゃって!」

エースに報復している場合ではなかった。
ルフィは慌てて目の前でぶつけてしまったお守りを拾っているの金髪男の元へ駆け寄る。

「罰当たりなことしてんな〜、ほら」
「ごめんなさい。そして、ありがとう」

お守りを手渡され、ルフィは頭を下げた。

「好きなヤツでもいるの?」
「はい?」

突然の変な質問にルフィは首を傾げる。

「だってそれ」
「……あー」

指差された先にはお守り。お守りには『恋愛成就』と書いてあった。
適当に選んだのが裏目に出たようだ。この状況で恋を成就させている場合か。

「でも、恋はしてみたいかも」

こんな状況に? 違う、こんな状況だから。
恋い焦がれることに憧れがある。そんな想いをしたことがないから。

「よくわかんねェけど、青春を楽しめよ」
「うん。あ、ホントにごめんなさい。痛くなかった?」
「ああ、平気。そうだな〜悪かったと思ってんなら道案内してくれねェかな?」
「えっ?」
「迷った。おれ、旅行中なんだよ。今日帰るんだけどな」
「そうだったんだ〜お詫びも兼ねて案内します! 行きたいトコあったら教えて」

近所に観光名所もわりとあるのである程度案内できると思い、ルフィは笑顔で男を見返した。

「お〜、頼む。とりあえず大通りまで案内してもらえるか? あと、おれの名前はサンジ」
「おれはルフィ、よろしく。シッシッ」

虫を追い払うようなジェスチャーでエースを追い払う。
嫌そうな顔をしたがエースはサンジをじっと見つめたあと、渋々消えた。
エースがいると気になって観光案内もできやしないのだ。

「なんだ?」
「変な虫がいてさ。もうどっか行ったよ〜。サンジは一人で旅行?」

不思議そうなサンジを笑いながら誤魔化して、ルフィは歩き出す。
その横に並ぶようにサンジはついて来た。

「ああ。友達誘おうかとも思ったけど、一人の方が気ままだろ」
「ん〜、そうかもな。彼女も置いて来たのか?」
「ここ最近は独り身なもんで。現地調達してもよかったんだけどな」
「ふわー…大人だ」

ニヤリと笑ったサンジからどぎまぎしつつルフィは顔を逸らす。

「ははっ、なんだそれ。可愛い女のコに声を掛けるのは礼儀だろ」
「な、なんかもう…おれとは違う種類の生き物だ」
「違わないって。奥手なのか?」
「さ、さァ? 恋愛したことないもので。その辺りはよくわからないです」
「ええ? お前、何歳?」

意外そうな顔で驚き、サンジはルフィを見た。

「16歳…ん? あ、17歳だ。今日が誕生日なんだ」

色々あって、今日が誕生日だということも忘れていた。

「そうなのか? そりゃ、おめでとう」
「えへへ、ありがと」

17歳初の祝いの言葉をもらい、ルフィは嬉しそうに笑う。

「高校生で恋愛経験なしか」
「へ、変?」
「いや、変ではないだろ。めずらしくはあるけど。恋愛は一人じゃできないからな。今まで好きになるような相手に出会わなかったってだけだろ。おれが高校生の頃はそれなりに恋愛を楽しんでたから驚いただけ。気を悪くするなよ?」
「あ〜、大丈夫。周りの連中も好きな人の話してるもん。友達も部活に友情に恋愛に、たまに勉強にって色々充実してるみたいだからさ。おれは恋愛が抜けてるだけで、毎日楽しいよ」
「ん? 好きなヤツもいないのか?」
「う〜ん、好きな人? みんな、好きだよ」

にこにこと笑うルフィを見て、サンジは苦笑した。

「みんな好き、ねェ。ホントに恋愛はしたことないんだな」
「む、嘘じゃないよ」
「いやいや、嘘だと思ったわけじゃないって。恋愛したことないのを確信しただけ」
「ふ〜ん? あっ、この先が大通りだ。どっか行きたいトコがあるのか?」
「うーん、有名所は巡ったからなァ。あのホテルに3日の朝からいるんだけどな」

指差すホテルは近所でも評判のホテルだった。
料理は美味いし、従業員の接客もいい。駐車場も完備しているし、宿泊代金も他のホテルに比べて安めだ。

「あそこに泊まってたんだ〜。大正解だろ! 地元でも評判なんだ〜。レストランだけは宿泊客以外にも開放してるから、おれもたまに食べに行くんだァ」
「へェ? 確かに料理、美味かったな。次に来たときもあそこに泊まろうかな。さて、どうしようか。帰るにはまだ早いんだけど」
「そんじゃあ地元民がマイナーな場所を案内致します」

にっこり笑ってルフィはサンジを見上げた。

「お、いいね。そんで、遠い? 一応、車あるけど」
「あ〜、車で来たんだ」
「ちょっと遠かったけど、ドライブも好きだからな。乗るか?」
「う〜んと、それじゃあちょっと遠くまで案内できるから…うん! 車で行こう」

少し考えた結果、いい場所を思いつきルフィはホテルに向かって歩き出す。

「……お前、誘拐とか簡単にされそうだな」
「ええ!? 誘拐犯なの?」
「はは、そんなわけねェだろ。男誘拐して何が楽しいんだ」

おかしそうに笑うサンジをじっとりとした目でルフィは見た。

「……なんか、不潔」
「お子様だなァ。おれの恋愛の歴史を車内で教えてやろう」
「いらないよ!」

嫌そうな顔をするとサンジは面白そうに笑っている。

「お前もあと2年もすれば、こうなるって」
「サンジって19歳?」
「そうそう、気ままな大学生だ」
「ふ〜ん」

ルフィはサンジをじろじろと見た。
幼く見えるような、大人っぽく見えるような、不思議な印象だ。きっと笑顔が少し幼く見えるからだろう。
普段は大人っぽく見えるのだから羨ましい。

「お前は17歳だっけ? 中学生にも見えるな」
「うわ! 失礼な!」

若干、気にしていることだ。実年齢よりも幼く見えるルフィとしては歳相応に見られたい。
あっさり指摘されてルフィはしかめっ面でサンジを睨む。

「ん? 気にしてたのか?」
「……態度を改めないと、つまんないトコに案内するぞ?」

ニヤニヤしているサンジに、ルフィはそっぽを向いた。
ホテルの駐車場に着いたので、辺りを見渡す。見ても、それがサンジの車かはわからないのだけど。
ルフィは手招きするサンジについて行きつつ、まだ少し拗ねていた。

「悪かったって! お詫びにケーキでも奢ってやるよ」
「えっ?」
「誕生日なんだろ? あ、もしかして家で食うのか?」

ルフィは首を横に振る。

「誕生日にケーキって初めてだ」
「えっ? なんか、複雑な家庭?」

サンジにしてみれば、幼い頃に誕生日ケーキを食べるのは当たり前だった。
17年間、誕生日にケーキを食べたことのない家庭というのが上手く想像できない。
墓穴を掘る前に、事前に聞いておこうとサンジは世間一般が避けて通る話題をあえて正面から聞いた。

「ううん、そんなことないよ。昔は貧乏だったから、ケーキを買うお金がなくて。今は両親の仕事が成功してて多少金持ちなんだけど、その分忙しくて家にいないんだ。だから、ケーキを誕生日に買ってもらったことないだけ。誕生日じゃない日ならあるよ」
「なるほど。そういうことなら存分に食べろ」

優しく頭を撫でられて、ルフィは赤面してしまう。
なんだか嬉しくて、くすぐったくて、心が満たされた。

「う、うん。ありがと」
「よし、これがおれの車だ。案内頼むぞ」
「了解です!」

ドキドキしている心臓を不思議に思いつつ、ルフィは助手席に座る。
シートベルトを締めて、どちらに出るか指示をした。
今までにない感情に、ルフィは少し戸惑う。



***



「4時間も掛けて…そんなに遠くから来たのか」

目的地に着くまで、雑談をしていたのだがサンジの住む町の話になり、ルフィは驚いた。

「まァな。とりあえず今日の夜中までに帰れたらいいから、時間はそんなに気にしなくていい。明日の早朝は大学の用事があるから、レポート提出なんだがな。遅れるのはアウトだ」
「お疲れ様。おれ、免許持ってないから運転の大変さも楽しさも、よくわかんないけど…気をつけて帰れよ? おれの父ちゃんは運転苦手だから、なんか大変なイメージが強いんだ」
「そうなのか? そんな大変でもねェけどな。あ〜、維持費は大変だけど、時間気にせず好きなトコに行けるようになるし。便利だな。長時間の運転は…まァ、眠くなるとヤバイか。あとは同じ姿勢だと疲れるな。休憩取りながら帰るから安心しろって」
「うん。おれも免許、取るの少し楽しみになって来たなァ」

ルフィの住む町は微妙に田舎なので、車は必需品だ。来年になったらルフィも免許を取ることになるだろう。
サンジの話を聞くと多少気が楽になった。運転も上手いと思う。
父親の運転を見ていると、どうも危なっかしいので実は免許取得は不安だったのだ。

「それはよかった」
「あっ、そこ右」
「はいはい」

話に夢中で道案内を忘れるところだった。

「サンジって一人暮らし?」
「ああ、メシも自分で作ってるぜ? 近所に24時間スーパーがあるから助かってんだよ」
「いいなァ〜。おれもほぼ一人暮らしだからさ。24時間スーパーが近所にあるのは羨ましい」
「だろう? それに一人暮らしだと、彼女を連れ込みやすいしな」
「……不純だー」
「あはは」

ルフィの態度が新鮮なのか、サンジは楽しそうに笑う。
何となくつられてルフィも笑った。

「あっ、その道を左、そこの駐車場に停めて。ここからは歩きだ」

到着したのは、人気のない公園。
ガイドマップには絶対に載っていないだろうということが、人目でわかる。

「なーんにもなさそうなんだけど? おれの住んでるマンションの近くの公園でも、もう少し賑わいあるぜ? もしかして、つまんないトコに案内してくれてんのかな?」
「違うっての! こっちこっち」

車を降りて、サンジはルフィに着いて行く。
小さな森を抜け、地元の人間でも限られた者しかしらないであろう小高い丘に連れてこられた。
ルフィはにんまりと笑って、サンジに目を瞑るように言う。

「ハイハイ」
「まだ、開けるなよ! ん〜、ここが一番かな?」

ルフィは目を瞑っているサンジを微調整してから、満足げに頷く。

「よし! どうぞ〜」
「……」

サンジは目を開き絶句した、あまりの美しさに。
薄オレンジに染まる町並み。光の加減で別世界に連れて来られたようにも思える。
説明の言葉も要らないくらい、その場所から見る町はキレイだった。

「普段でも十分キレイなんだけど、桜吹雪が舞ってるときが一番オススメだな。町全体に雪が降ってるみたいに見えるんだ。ここら辺は雪あんまり降らないから、すっごくキレイなんだァ」
「へェ。それはまた、見てみたいな」
「ここ見つけたのは偶然だから。おれの秘密の場所かな。地元の奴もほとんど来ないから」

町並みを見ながら、ルフィは声を弾ませる。宝物を自慢するようで微笑ましい。

「ありがとな。気に入りました」
「よかった〜。ただの景色かよ! って言われたらどうしようかと少し思ってたんだ」
「おれはロマンチストだから、こういうのも好きなんだよ」
「う? うん。とにかくよかった」

夕日が沈むまでの間、二人はぽつりぽつりと話しながら景色を堪能した。

「さて、この場所の招待へのお礼も含めて、豪華なケーキを買いに行くか」
「この近くにケーキ屋さんあるよ〜しかも、美味しいの」
「丁度いいな」

サンジは笑って、駐車場に向かう。それについて行きながらルフィは訊ねた。

「喫茶スペースもあるけど、食べていくのか?」
「…男二人でケーキを食うのはシュールじゃないか?」
「そう?」
「周りの視線が痛いだろうから、おれの泊まってるホテルで食おう」
「うん、そうしようか」

どこで食べてもよかったのだが、二人でのんびりできる方がいいかとルフィはサンジの言葉に頷いた。



***



「美味かったァ!!」
「確かに予想以上に美味かった」
「何時に、ここを出るんだ?」

ケーキを食べ終わり、ルフィはベッドに腰掛けた。

「チェックアウトは午後8時だから、それまでに帰ればいいんだよ。まァ、もう少ししたら出発するかな」
「ふ〜ん、チェックアウトってそんな遅くにもできるんだな」

宿泊施設は午前中にチェックアウトするイメージがあるが、このホテルは違うようだ。

「予約のときに聞いたら大丈夫だって言ってたからな。チェックインも好きな時間でいいってさ。そういう融通が利くのって、かなり助かる。ホントにキャンセル出てよかったよ。いいホテルだし、また使いたいけど結構人気だからな」
「一ヶ月前くらいじゃ予約取るの難しいかもな」
「そうだろうな。突発的に旅行したくなったときは困るな。今度はお前の家に泊めてもらおうかな」
「ん? 別にいいよ〜おれ以外誰もいないし」

一瞬、エースの顔が頭を過ぎったが、打ち消す。
いつまでいるかわからない存在だ。自宅にいることに慣れるのは、よくない。
いなくなったときに寂しく感じてしまうから。

「そうなのか。じゃあ、次はお邪魔させてもらうかな」
「うんうん! でも、サンジは旅先でいっつもこうなのか?」
「こう?」
「適当に出会った奴と一緒に遊ぶの。誕生日祝いまでして」
「ルフィと一緒にいるのは楽しかったからな。普段なら絶対にしない、旅先で出会った男の誕生日祝いなんて。したとしても普通、祝いの言葉止まりだろ。ケーキまで買うなんてしない」
「あ〜、言われたらそうかもな。おめでとうって言うくらいかも」
「だから、楽しかったんだって。年下のため口も気にならないくらい」
「……えへへ」

そういえば、ずっとため口で話していた。目上の者を尊敬する気持ちはあるのだが、サンジは不思議と話し易かったから。
サンジは楽しそうに笑っているので、本当に気にしてないのだろう。
ふと、サンジがじっと見つめていることに気がついて、ルフィは首を傾げる。

「ん?」
「クリーム、ついてる」

サンジは真正面に立ち、自分の口の端を指差した。
きょとんとしたあとに、ルフィは自分の口の端に触れようとする。

「え? どこ……んむっ!?」

ルフィの行動よりも早く、親指で口の端を拭われ、それを口内に押し込まれた。
動転したまま、ベッドに仰向けに押し倒される。
サンジは酔っ払っているのか。いや、酒は飲んでいない。
なぜか馬乗りになられ、肩口を開いた方の手で押さえられ、身動きが取れない。
そもそも、動揺しているので逃げることまで頭が回らなかった。

「ほら、舐めろって。もったいないだろ?」

優しく低い声は有無を言わさない。唐突な展開についていけない。従うのみだ。
ルフィは舌先で、恐る恐るクリームを舐め取る。
他人の指を舐めるなど、生涯初の出来事ではないだろうか。
ルフィはクリームの甘さなど感じないくらいに、動揺しきっていた。

(ひぃ…何なんだァ!? なんで、おれはサンジの指を!?)

ぐるぐると思考は回る。
いつまでこんな恥ずかしいことをしなければならないのだろうか。
恥ずかしさのあまり、視線はサンジを捉えられない。
羞恥で泣きそうになってしまう。
限界が訪れ、ルフィは顎を引こうとした。すると、すぐに阻止される。

「まだ、ついてるだろ」

サンジの言葉に、ルフィは首を緩く横に振った。
気をつけたつもりだが、歯が軽くあたってしまう。

「こら、噛むな。お仕置きされたいのか?」
「んん!? ……っ」

他の指も突っ込まれ、口内を弄られた。
ぞわぞわと知らない感覚が沸き起こってくる。
それを耐えるように、ぎゅっと目を瞑った。

「エロい顔………なんか、危ないなァ。冗談のつもりだったんだけど」

口内を好きなように弄繰り回したあと、サンジは指を引き抜く。

「ぷはっ…はァ……も、もう! バカっ! ……!?」

言うまでもなく真っ赤になっているルフィはサンジの顔を見て、絶句した。
先程までとは明らかに違う目をしている。
見たことのない目に、身体が硬直した。
ルフィは情欲を宿した目など見たことなかったのだ。
頬に触れられて、ビクッと面白いほどに肩が揺れる。
それを見て、サンジは苦笑し、いつもの表情に戻った。そして、ルフィの上から退ける。

「何、ビビってんだよ。ただの悪ふざけだろ?」
「そ、そっか。えっと…別に、イヤじゃなかったから…?」

起き上がり、自分のセリフに首を傾げる。何を言っているんだ、この口は。

「……おい、煽るなよ」
「? と、とにかく! 手を拭いて!」

自分の唾液で濡れているサンジの手など正気のまま見られるわけがない。
ルフィは近くにあったティッシュをサンジに投げつけた。
火照った顔を誤魔化すようにルフィはイスに座る。
どうしよう、とてもドキドキする。こんなの、初めてだ。

「はーい。そうだ、ルフィ」
「ん?」

自分の感情を気取られないようにルフィは笑った。

「今度はおれの町に遊びに来いよ。いろいろ案内してやるぜ?」
「えっ……うん! ちょうど、旅行しようかと思ってたんだ」

また、会える。これが最後じゃない。それが何だか、ものすごく嬉しかった。
ルフィはにっこりと笑って、サンジを見る。

「おれの家に泊まればいいし」
「じゃあ夏休みにでも行こうかなァ」
「お〜、いつでも来い。予定空けといてやるよ。連絡先、教えろ」
「うん! あ、彼女…」

携帯を渡しながらルフィは表情を曇らせた。
サンジは怪訝な顔で携帯を受け取る。

「あ? いないって」
「うっ…でも、夏休みまでにできるかも」

そうなれば、一緒にいるのは難しいのではないだろうか。世間一般の恋人とは一緒にいるものじゃないだろうか。
少ない恋愛知識で考えると、自分のためだけに時間を割いてもらうのは申し訳ない気がした。
だから、会えない。
ズキリと、痛んだ。
サンジに彼女ができる。
ズキズキと痛む。どこが痛いのだろう。ケガをしたわけでもないのに。
痛い。苦しい。急に泣き叫んでしまいそうなくらい不安になる。
痛むのは心、だろうか。それ以外、考えられない。
俯き、歯を食い縛る。感情の波が引くのを待つしかない。

「………作らないから。変な心配すんな」
「えっ?」

思考の淵に沈んでいたルフィは驚いて顔を上げた。

「お前はへらへらしながら遊びに来ればいいんだよ。アホな心配してるヒマあったら、旅行の予定でも立ててろ」

そう言うサンジの顔は優しくて、ルフィは何だか安心する。
携帯を投げ返された。
電話帳画面にサンジの名前が入っていてルフィは、はにかむように笑う。
繋がっていると思うと、それだけで幸福な気分になれた。

「うん。また連絡する」
「そうしろ。さて、そろそろ帰るかな」
「…そっか。えっ?」

勝手に悲しそうな顔になってしまう。すると、唐突に抱きしめられる。
驚いていると、すぐにサンジは離れた。

「なんでもない」
「う、うん」
「名残惜しいけど、帰るな」

また胸の奥が痛んだ。でも、先程よりはマシだ。耐えられなくはない。

荷物をまとめて、一緒に駐車場に降りる。
買い物をして帰りたいから、ルフィは家まで送ると言ったサンジの申し出を丁寧に断った。

「気をつけて帰れよ」
「サンジこそ。そんじゃあ、また」
「ああ、またな」

ルフィは笑って、サンジを見送ることができた。
車が見えなくなるまで見送る。見えなくなってから、携帯を取り出した。

「ん?」

ポケットに入れていた、お守りも一緒に落ちる。
拾って、手のひらに乗せる。
『恋愛成就』間違えて買ったお守り。

「……効果アリかも」

自分の感情が恋かどうかはわからないけど、何かしらの効果はある気がした。
これを投げつけなければ、サンジには出会っていない。
となると、エースにも感謝しなければいけないのだろうか。

「今日はおれが晩メシ作ってやろうかな」

ルフィは携帯の電話帳画面をもう一度確認して、微笑んだ。



***



「おかえり」
「うわっ、びっくりした! …ただいま」

ルフィがいないにも関わらず、当たり前のように自宅にいるエースに少なからず驚いてしまった。嫌ではないが、事前に教えて欲しい。

「…楽しかったか?」
「うん! めちゃくちゃ楽しかった!」

帰りにスーパーに寄ったので、サンジと別れてから少し時間が経っている。
冷蔵庫に食材をしまっていると、エースが静かに問いかけてきた。ルフィは満面の笑みで答える。
一瞬、余計なことも思い出して赤面しそうになる。でも、あれは悪ふざけだったので気にしてはいけないのだ。

「へェ? それならよかった」

気のせいかもしれないが、エースの表情が読めない。
虫の様に追い払ったのを怒っているのだろうか。でも、原因はそれではない気がした。
食材をしまい終わり、無意識にテレビをつける。
音がないと寂しい。一人暮らしの習慣も抜けていなかった。でも、今は寂しくない。
心がふわふわしていた。サンジに会えて、浮かれているのかもしれない。

「今度はおれがサンジのトコに遊びに行くんだ〜」
「そっか。でも、あの男死ぬぞ?」
「………え?」

咄嗟に反応できなかった。心が凍る。
エースは今、何を言ったんだろう。
つけたテレビではニュースが流れていた。何の気無しにそちらに注目する。
よくある交通事故。悲しいけど無くならないのが現実だ。そして、被害者は意識不明の重体。
いつもと違うのは被害者の名前がさっきまで笑って話していた男のものだということ。
遠く悲しい出来事が急に現実味を帯びた。他人事ではなくなる。
悲しいニュースにいつも心は痛む。しかし、いつもその場限りの感情に近かった。
当たり前だ。全てを親身に考えすぎると心は疲弊しきって壊れてしまう。
知り合いが出て来るだけで、こんなにも動揺するものなのか。
心臓が止まってしまったのではないかというほどの静寂。そして、途端に嫌なほど早鐘を打っている。
煩くて、キャスターの声が上手く聞こえない。しかし、聞く必要もなかった。
ニュースはもう別の話題に移り変わっていたから。交通事故の詳細が知りたいのに、急に明るい話題に変わってもついていけない。
軽い憤りさえ感じていた。違う。いつもは普通に見ていたのだから、この怒りは理不尽なものだ。
ニュースキャスターに罪はない。原稿を解りやすく伝えているだけ。

「…どこへ行くんだ?」

テレビを消して、玄関に向かうルフィの腕をエースは存外強く掴んできた。
簡単には振りほどくことのできないような強さ。
まるでこの場に縫い止めるような力も今は気にならなかった。腕が痛い、でもそれどころではない。
振り返ると、なぜか驚愕の表情。エースは自分自身の行動に驚いているようだった。
そのことを疑問にも思わずルフィは言葉を紡ぐ。

「病院…行かなきゃ」

ルフィの言葉に困惑と安堵、焦りと苦悶の表情を彩ったと思えば、エースは急に無表情になった。
自分の思考を隠すように。

「やめた方がいい。今から行っても、間に合わない」

その顔はいかなる感情も存在しない。
ルフィはそれが怖くてしかたなかった。
エースを振り切り、出て行くつもりもないのに腕を掴む力はまだ緩まない。

「……間に合わない?」

声が、足が震える。言わないで、そう思うがエースは容赦なかった。

「サンジはもう死んでる。だから、行かない方がいい」

突き付けられた現実に、一気に目の前が暗くなる。
自分の死を宣告されたときより動揺していた。
どうしていいか、わからない。
エースが何か言っている気がしたが聞こえなかった。

































*続く*