「……」
人間、驚き過ぎると声も出ないらしい。
カーテンを開けると見知らぬ男が笑顔で手を振っていた。至近距離で。
何も驚くことはないように思う。しかし、ここはマンションの5階。
しかも、この近辺にこのマンションより高い建造物はなかった。
そして、ルフィの部屋にベランダはついていない。
状況を総合すると、そこに人がいるのはありえなかった。
重力を無視している。
人間は空を飛べただろうか。
ありえない。とにかく、ありえない。
爽やかな朝日の中、突然の非日常に硬直していたルフィは行動することにした。
開けたカーテンを再び閉める。
「よしっ!」
見なかったことにしよう。
せっかくのゴールデンウイークに早起きしたのが間違いだった。
勢いよく布団に潜り込むと頭上に見知らぬ気配がする。
「無視するなよ〜」
「っ!?」
聞いたことない声音。ルフィは飛び起きた。
「おはよう」
「……えっ?」
笑顔で朝の挨拶する男に混乱する。
窓の鍵は開いてない。
開いていたとしても、ここに人間が存在する理由にはならない。
(人間…じゃないのか?)
疑問が急速に解決しつつある。
人間じゃない。
それなら不可思議は不可思議ではなくなってしまうのだ。
「どうやって…ここに?」
「ん? こうやって」
男は歩き、壁からそのまま外へ出た。
はっきりと自分の目で見ているのに信じられない。
大がかりな手品を見せられているような感覚に近かった。
ルフィは近くの壁に触れてみる。もちろん、通り抜けることはなかった。
「幽霊?」
「ん〜、ハズレかな」
戻ってきた男に自分の推理の結論を尋ねたがハズレた。
ルフィは唸る。
「今日はお祓いに行こう」
幸いなことに近所に神社があった。きっと困った時の神頼みをするときが来たのだ。
「おれは簡単に祓えないよ。幽霊じゃねェから」
「幽霊じゃないなら悪霊だ、悪霊」
「違うっつーの! というか、悪霊も幽霊だろ」
もっともなことを言われてルフィは口を尖らせる。
「おれに何か用?」
生まれてから16年、明日で17年目突入だが、超常現象には出くわしたことがない。つまり、人違いだと思ったのだ。
「うん。予約をしとこうかと思ってな」
「予約?」
「魂の予約」
ヘンテコな展開について行けない。モヤモヤする。
笑顔の男を張り飛ばせばすっきりするだろうか。
ぎゅるるる
困惑の深まる中、ルフィの腹の虫が鳴いた。
こんな状況でも空腹はやってくるらしい。
「……お腹空いた」
「朝メシ食べながら話そうか」
「帰ってくれていいぞ?」
「そう冷たくするなよ。朝メシ、作ってやるからさ」
相変わらずの超展開だ。
両親がいなくてよかった。
あまり家にいる二人ではないけど、この状況には気絶してしまうかもしれない。
「他に家族は?」
「父親と母親」
「いないのか?」
「海外出張。帰って来るのは来年ぐらいじゃないか?」
仲が悪いわけでも、特別良いわけでもない両親。
親が家にいなくて寂しいと思う期間は当の昔だ。
今は気ままな一人暮らし気分を味わっている。
多過ぎるほどの仕送りがあるので食べ物には困らない。
物欲があまりないせいか仕送りは余り気味。しかも、昔は貧乏だったせいか贅沢の仕方がイマイチわからない。
節約癖もあるから貯蓄も増える一方だ。
何かドカンと買った方がいいのかもしれない。
ゲームも漫画も欲しいものはあるが高価という値段ではないし、中古で買う癖もあった。貧乏性だ。
(旅行でもするかなァ)
自分の貧乏性に心の中で呆れつつ、キッチンのある部屋に向かうため立ち上がる。
「へェ? それじゃあ話するのに都合いいかな」
「おれは話すことないって」
「聞いて損はないから! あ、おれはエースな」
キッチンで調理する変な男を見ながらルフィはため息を吐いた。
一体、何者なんだか。素性も知れないが自己紹介されたなら、こちらもしなければいけない。
「……おれはルフィ」
「よろしく!」
「…ん〜、たぶんな。話の内容によりけりだ」
「お前、神経図太いんだな。あんまり驚かないし」
正直、驚くタイミングを見逃しただけだった。
***
炊き立てご飯に焼き塩鮭、きんぴらごぼう、卵焼きと焼き海苔。そして、豆腐の味噌汁。
いい匂いに、ものすごく胃袋が刺激される。
ルフィが再度うたた寝している間に作ったとは思えないほど完璧な和朝食が目の前にあった。
「いただきます!」
「どうぞ〜」
元気のいい挨拶に、熱い緑茶を湯呑みに注ぎながらエースは笑う。
「あんたは食わないのか?」
「あ〜、別に必要ないからな。食べてもいいし、食べなくてもいい」
「じゃあ、食えよ」
「えっ?」
ルフィの言葉にエースは戸惑った。
「せっかくだから食べれば? 美味しいし」
「あ、ああ」
「んん?」
何か変なことを言ったかとルフィは食事を一時中断し、エースを見る。
「一人分しか作ってない」
「じゃあオカズ、半分ずつ食べよ。父ちゃんの茶碗使えよ。箸もテキトーに使えばいい」
「おれは食べなくていいんだぞ? ……それでいいのか?」
「それがいいの! 誰かと食べる方が美味しい。一人で高級料理食べるより、誰かと駄菓子食べる方がいい」
「駄菓子て…ちゃんと飯を食え」
変な例えに呆れながらエースはお茶碗に白米をよそった。
そして、ルフィの正面の席へ座る。
「じゃあスーパーのおにぎり食べる。とにかく誰かと食べる方がいい」
「そういうものか? 高級料理の方がいい気がするけど」
「ん〜? 他の人はわかんない。けど、おれはそういうものなんだよ」
「わかった。いただきます」
「どうぞ〜」
ルフィは笑って、食事を再開する。
「……美味いな」
「そうだな! エースは料理が上手なんだな〜」
「そういう意味じゃねェんだけど」
エースは苦笑して、美味しそうに食べているルフィを見た。
食事を美味しいと感じるなんて初めてかもしれない。
先程のルフィの言葉の意味を朧げながら理解した。
***
食事とその片付けが終わり、エースはようやく本題に入った。
「ルフィはもうすぐ死ぬんだよ」
「ブハッ」
ルフィは食後に飲んでいたお茶を盛大に吹き出した。
エースはタオルを差し出す。
「もうすぐって言ってもまだ時間はある。おれとお前達の時間感覚は違うからな。近日って感じかな。ん〜、来月か来年かもな」
「えーっ…そんなさらさらと話続けられても困るんだけど」
ルフィはとりあえず吹き出したお茶を拭いた。
どこが損のない話なんだろう。脳内が痺れたようで上手く考えがまとまらない。
「だって事実だからな。そして、おれはキレイな魂が欲しい」
「ええ? ちょっと待って。意味わかんないって…質問させて…」
「どうぞ?」
何から聞けばいいのか。
頭がこんがらがる。
ルフィは一番気になることから尋ねた。
「エースって何者なんだ?」
「お前達の言葉で定義するのは難しい」
「お前達って…『人間』のこと?」
エースは頷く。
その肯定はエースが人間ではないことを示した。
「簡単にいうと魂を集める者だな」
「死神ってヤツ?」
「いや、違う。近いかもしれないけど。おれはお前達に死を与えることはできない。ただ、魂を集めてる」
「…集めてどうすんの?」
「さァ?」
首を傾げて、エースは少し悩んだ。
「し、知らないの?」
「集めるのが『使命』だからな。その先は知らん。ま、キレイに記憶を消して再利用してるんじゃないか?」
「再利用? え〜っと、輪廻転生みたいな?」
「そうそう。例えば行ったことない場所なのに来たことがある気がしたり、理由もなく嫌いなモノがあったり。そういうのは魂を再生する際の手抜きだろうな」
「手抜き…魂の記憶が少し残ってるってことか?」
「真実はわからないけど、おれはそうだと思ってる」
「う〜ん、話が大きくてサッパリだ」
『魂』というものが存在する前提の話だ。しかも、彼はそれを集めているらしい。
ルフィも疑っているわけではない。今までの状況を考えるとエースは人間ではない。
人と同じ形をしているだけ。性質や能力は飛躍的に違うだろう。
不思議なこと続きで、彼の話を『ありえない』と否定するほどの強い根拠がなかった。
「魂の行方はいいや。詳しく聞いても、おれには理解できなさそうだし。エースはなんでおれの魂が欲しいの?」
「キレイだから」
「キレイ? 魂に種類があるのか?」
「ある。お前達は成長していく中で魂に色をつけていく。負の感情を抱えるほどに澱んだ色になる。その年齢でそこまで穢れない魂は稀有なんだよ。澱みきった色が好きな奴もいるから、結局はおれ好みだな。欲しいんだ、すごく」
「……魂をやるとどうなるんだ?」
じっと見つめられてルフィは身体を捩る。魂を見ているのだろうか。なんだか落ち着かない。
「輪廻から外れる。おれの手伝いをしてもらうことになると思う」
「………イヤだ。それなら、あげない」
人間ではなくなるということだろう。人間をやめたくなるほど、ルフィは人間に絶望していない。
「そんなこと言わずに! 何でも願いを叶えてやるから!」
「いらないって! というか、おれの許可がいるのか?」
「必要だから、こうして話に来てる。魂を集めるだけの存在が魂を所有するのは規約違反だ」
「規約違反……まァ、そっちの事情も色々あるんだろうな」
「事前に申請して、許可を取れば共にあることも許される。それにはお前のサインも必要なんだ。魂になってからじゃ遅い。『人間』のうちに話を理解し、サインして貰わなければ契約成立しない」
ルフィの意思でサインをしなければいけないらしい。
首を横に振り、両腕をクロスさせてバツ印を作り、拒否の意思を示した。
「い、や、だ」
「……まだ諦めない。おれはルフィの魂に焦がれている」
「そんなこと言われても…困るって。諦めて帰ってよ」
「それでもルフィの『死』は近いぞ? 確率的に98%」
絶句する。しばらくの沈黙。
恐る恐るルフィは口を開いた。
「わか、るの? どうやって死ぬの? 確率だなんて…98? ほぼ確実じゃんか」
「わかる。でも、言えない」
「……なぜ?」
「原因を避けるだろ。それじゃあ、おれの規約違反だ。だから、言えない」
「言わなくても…家に引き篭もるかもよ?」
口にした段階で薄々気がついていた。
『死』の原因がわからないなら家の中が安全とも限らないと。
結局、恐怖が深まっただけ。
「とにかく、少し考えてみてくれ」
「…………わかったから、一人にして?」
「了解」
そういって微笑んだ瞬間、エースは目の前から一瞬で消えた。
『人間』でないことを見せつけるように、今の話に嘘はないというように。
***
生きているモノ全てに『死』は平等に訪れる。
早いか、遅いか。
明日も必ず生きているという保証は実のところ存在しない。
でも、毎日そんなことを真剣に考えると足がすくむ。上手く生活できない。
少しの時間でも意義あるものにしたくなる。それは息の詰まる日常かもしれない。些細なことが嬉しく、切なく、尊くて儚い。
だから『最期』は考えないようにしている。至極、真っ当な考えだ。考えないことで精神的に『死』を遠ざける。
誰だって死ぬために生きてるわけじゃない。
いずれ訪れる永遠の眠りが明日でないことを心のどこかで常に願っている。
「……」
眠れない。いつもどうやって寝ていたか忘れた。
『死』への恐怖だろうか。
別に自分の命が永遠にあるなんて思ったことはないけど、寿命は可能な限り長くありたかった。
生存本能というものかもしれない。
もうすぐ死ぬと言われて、すぐに気持ちを切り替えられるほど器用ではないし強くない。
『死』の何が怖いのだろう。
親や友達と会えなくなる。
何も食べられなくなる。
感情が消える。
死後、どうなるかわからないというのも怖い。
『死』を経験したことがないから情報がない。
未知なモノへの恐怖でもあるようだ。
世界に自分がいなくなる。それは圧倒的な『無』だ。
記憶には残るかもしれないけれど、自身の肉体は喪失する。
漠然としたイメージしかないモノが形になりそうで思考が停止した。これ以上は考えてはいけない。
脳は自分の意思に反して器用なところがある。心を守るために。
「……はァ」
どこか行く気にもなれず、結局家でゴロゴロしているだけの一日だった。
あんな話を聞かされたあとに遊びに出掛けられるほど豪胆ではないのだ。
夜中を過ぎても眠れやしない。
(魂を集める者か)
エースという存在は天使や悪魔、死神のようなものと考えて遜色ないだろう。
死が近いことだけでも衝撃的なのに『人間』ではない存在になって欲しいと言われた。
『人間』が好きな自分には難しい。他の魂を探すように明日は言ってみよう。
もしかしたら、エースのような存在になりたいと思う人間もいるかもしれないのだから。
そう思うと次は『死』について考えることになった。
もう嫌だ、今日は自身の死について一日中考えているように思う。
死を意識しない。
この鈍感さは必要だ、笑って生きていくためには。
無性に誰かに会いたくなった。
「あ〜、変なのに目をつけられたなァ」
わざと声に出して、呟く。
ルフィはしばらく寝返りを繰り返して、起き上がった。
キッチンに向かい、冷蔵庫の中のミネラルウォーターを一気に飲む。
悩みも押し流す勢いで飲み干した。そして、気合いを入れる。
「よし、決めた!」
気にしない。
ルフィなりの最終結論だ。難しいかもしれないけれど、気にしても仕方ない。
誰かに相談できる話ではないし、自分の問題な気がする。
いつも通りの生活をさせてもらおう。
エースは少し電波な変わった友達という設定にしよう。得意なことは手品。
そんなことを考えながら自室に戻り、布団に潜り込むと今度はすぐに睡魔が訪れた。
自分は結構、神経図太いのかもしれないと夢うつつの中で思うルフィだった。
*続く*