サンジにはよく見る夢があった。
自分の屋敷の縁側で同じ人物と話をするだけの夢。



サンジは自分の意志で夢の内容を決めることが出来た。
特に何をするわけでもなく、屋敷の縁側でたった一人、のんびりと休む。
ぽかぽかとした陽気、風が通り抜ける感覚や小鳥のさえずりだけを肌で感じるような穏やかな夢。
毎回、そんな夢ばかりを好んで見ていた。
五歳の子供が見るにしてはつまらない夢だ。
しかし、現実世界でサンジはなかなか一人の時間が持てないような立場にいた。
誰もいない夢の中なら気を遣わなくてもいい。だから、サンジは自分の見る夢にかなり満足していたのだ。

いつものように今晩も同じ夢を見る予定だった。
しかし、今日はいつもと違い先客がいた。

「よっ!」

驚くサンジを全く気にしないで先客の男はにっこりとサンジを見た。
もしかして、誰かを想像して眠ってしまっただろうかとサンジは男をじっと見る。
少し汚れた着物を着た黒髪で左目の下には傷のある年上の男。
どう考えても見覚えがなかった。そんな人物が自分の夢に現れるなどありえない。

「……誰だ、お前」
「あはは、誰でもいいじゃねェか。夢の中のことなんだしさ」
「よくねェよ…どうやってこの夢に来た?」

サンジより十歳ほど年上に見える男はにこにこと笑って縁側に座っている。
僅かに顔を引きつらせてサンジはとりあえず、男の横に座った。

「えっ? この夢に入るのにはお前の許可がいるのか?」
「そうだよ…これはおれが見ようとして見てる夢なんだから知らない奴がいるなんて変だろうが」
「へェ〜! 見たい夢を見れるのか〜そんなこと出来るんだ! お前、スゲーな!」

ひたすら感心したように騒がれ、サンジは少し照れたように男を見る。
確実に年上なのに、初対面なのに、なぜだろう自分よりも頭が悪そうに見えた。

「ってことは、このデカイ屋敷はお前の家なのか?」

男はサンジの視線を気にすることなく、座ったまま楽しそうに辺りを見回している。

「ジジイが有名な陰陽師だからな。依頼も多くて金には困ってない」
「陰陽師? そりゃ大変かもなー」
「知ってんの?」
「うん、少しな。でも難しいからよくわかってない」

目の前にいる男は見栄や意地はないらしい。
知らないことは知らないと言える、その飾らない態度に自分が接したどんな大人より大人に見えた。
頭が悪そうと思ったことをサンジは脳内でこっそり訂正する。

「まァ、陰陽師なのはジジイだけだ。妖怪退治は家系でしてるけど、みんな自分に合ったモノで退治してる」
「まさかと思うけどお前もしてるのか?」
「弱いのとなら。術は苦手だから、刀に霊力をまとわせて妖怪を斬ってる」
「勇ましいな。なんつーか、あんまり無理すんなよ? まだ子供なんだからさ」

馬鹿にしたようにではなく真剣に心配され、サンジは苦笑した。
強がったところで自分は子供なのだ。
本当のことを言われて怒るのもガキくさい。

「あァ、気をつける」
「それにしても他に誰も現れない夢だな〜。ま、まさか一人になりたい夢だったのか?」
「そういうわけじゃねェけど。屋敷がデカイから人も多い。付き人もいるし、一人になる暇がない。一人になる時間がないと疲れるんだよ」
「あっははは! ガキなのに大変そうだな」

苦労少年を大笑いする無神経男をサンジは睨む。しかし、同情されるよりは断然気は楽だ。

「で、あんたは何者なんだ?」

笑っていた男は瞬時に困った表情でサンジを見下ろした。

「えーっと、気にすんなって。どうせ、夢の中でしか会えねェし、聞いてもつまんないぞ?」
「…言いたくないなら別にいいけどな」
「お、怒るなよ〜おれ、説明するの苦手なんだ」

不機嫌そうなサンジの声に男は慌ててから、しょんぼりとうな垂れる。

「…別に怒ってない。名前ぐらい聞いてもいいか?」

あまりにしょんぼりと落ち込まれたのでサンジの方が悪いことをした気になってしまった。厄介な男だ。

「名前……ないんだよな」
「名がない?」
「あー好きにつけていいぞ? 夢の中でなら好きに呼んでくれ」

なんでもないことのように男は笑う。
いろいろ聞きたかったがサンジは余計な詮索かと聞くのをやめた。

「……考えとく」
「うん、お前の名前は?」
「サンジ。よくわからねェけど暇なら、おれの夢に来ればいい」
「いいのか? 別に他の奴らの夢をうろつくから気にしなくてもいいぞ?」

大笑いした割にはさっきの話を気にしているのか、黒髪の男は申し訳なさそうにサンジを見る。

「あんたこそ、気にすんなよ。愚痴でも聞いてもらうつもりだからな」
「そっか! ……ん? 朝かな。じゃあ、またな。サンジ」

笑顔で手を振る姿を見た後、サンジは朝日で目を覚ました。



サンジにはよく見る夢があった。
自分の屋敷の縁側で同じ人物と話をするだけの夢。
何度も言葉を交わすうちにサンジはその人物に会うために眠るようになっていた。



※※※



その後も黒髪の男は気まぐれにサンジの夢に現れた。
十四年経った今も何も変わらず夢に現れる。
そう、何も変わらず。
男は姿形を変えることなくサンジの夢に現れ続けていた。
いつしかサンジの方が黒髪の男より背が高くなっていた。

「なァ、お前とは夢でしか会えないのか?」
「んー、そうだろうなァ。たぶん」
「なんだよ、その曖昧な返事」

男は腕を組み、悩んでいる。
サンジにとっては大事な質問なのだから、きちんと答えてもらわないと困るのだ。

「いや、もしかしたらそろそろ目を覚ますような気がして…でも、微妙なトコだからな。ま、夢で会えるから別にいいじゃんか」
「夢じゃ触れねェだろ」
「へ? おれに触りたいのか?」
「まァな」

いつしか抱いていた恋心。相手は鈍くて気づかない。
もしも、これがサンジの作り出した空想の人物なら相当イタイ話だ。
しかし、目の前の男は会えないものの実在するらしい。
話を聞く限りでは、どこかでずっと眠っているようだ。

「そうなのかァ。うーん、でもさ」
「ん?」
「仮に会えたとしても…おれ、サンジのこと憶えてないと思う」
「はァ?」

サンジの物凄く不機嫌な疑問符に男は怯えたようにサンジを見た。

「わ、悪いとは思うけど長く眠ってるから、起きたら夢の中のことは忘れてる」
「……それでもいいから、とりあえず夢の中以外で会いたい」
「そう…なの? そっか…うーん」

困り顔で考え込む男の頬に触れようと、サンジは手を伸ばすがすり抜けるだけで感触はない。
この夢では縁側には腰掛けられる。風も感じることができる。しかし、実際に会ったこともない人物に触れられるはずもなかった。

「どこにいるんだよ」
「わかんない。小さな村だったと思う。夢の中は現実が曖昧なんだ。自分のことはなんとなくわかるけど、どこにいたのかはよく憶えてない」
「…そうか」

これだけの情報で一人の人物を探し出すのは非常に困難だ。
実際に探しているが手掛かりさえ見つかっていない。

「そ、そういえばさ! サンジ、おれの名前つけてないよな」

暗くなりそうな雰囲気を察したのか男は、にかっと笑ってサンジを見た。

「一応、決まってるけど」
「そうなんだ〜。あ、呼ぶのは夢の中だけにしろよ。もし、現実世界で会うことがあっても呼ぶなよ?」
「なんで?」
「なんでも! お? もう朝か〜名前はまた今度、呼んでくれ。じゃ、またな〜サンジ」

夢でしか会えない男は、いつものように笑顔で手を振った。
そして、サンジは目を覚まし、ため息を吐く。
当たり前だが目の前に先ほどまで話をしていた男はいなかった。
あの男には夢という空間でしか会えない。
『またな』という言葉があれば再び会える。
その言葉に自分がどれほど安堵しているかあの男は知らないだろう。

何も初めから純粋に夢の中の男だけを好きだったわけではない。これでも一応、悩んだりしたのだ。
男を好きになるなんて、しかも、夢の中でしか会ったことのない年齢不詳の男に。
一時は女に夢中だった。今思えばそれはあの男に対する最後の抵抗だったのだろう。
だが、どんだけ女に尽くしても空しさが付きまとった。好きでもない女に尽くしたところで空しくなるのも当然か。
そして、恋心を認めてからは会いたくて仕方なくなった。

「……目を覚ますのが嫌になるなんてな」

サンジはいつの頃からかしている、右手人差し指の指輪を見て、もう一度ため息を吐いた。
そして、依頼主の待つ村に向けて出かける準備を始めた。



※※※



依頼先の村に着くと夕刻になっていた。随分と時間が掛かっており、サンジはそれなりに疲労している。
しかし、仕事の途中だ。文句を言うわけにはいかないだろう。
村の入り口でぼんやりしていると、村人がサンジに気づき村長の家へ案内してもらうことになった。
サンジは歩きながら辺りを見渡す。畑や田んぼばかり。
そして、質素な家が立ち並んでいる。ふと、どの家にも共通点があることにサンジは気がついた。

「やけに犬が多いな」

軒先であったり家の中であったり、ほとんどの家に犬がいる。
サンジの呟きに村人は笑顔で応えた。

「あ〜大昔はイノシシや狐の作物被害が多かったんすよ。そんときに迷い込んで来た一匹の犬が害獣を追い払ってくれたのがきっかけで、どこの家も犬を飼いだしたと聞いてます」
「へェ?」

村人の訛りのある言葉にサンジは頷きながら、庭先で眠る犬を見る。

「丁度、この石段の上にある神社で最初に村を訪れた御犬様を祀ってるんですよ〜」

サンジは指差された石段を見上げた。

(犬を神格化してるのか。動物を祀る。ま、この手の村にはよくある話だな。気にすることもないか)

僅かに人間ではないモノの気配を感じたが雑霊の類だろうと特に気にすることもなく、サンジは村人の後に続いた。



※※※



「こんな辺鄙な場所へ、よくぞおいでくださいました」
「いえ、気にしないでください。それより、村の被害状況を教えてもらえますか?」
「そうでありましたね。少々、お待ちください。あァ、遠慮せず足を崩してください。長旅でお疲れでしょう」

村長は立ち上がり、他の部屋へと姿を消した。
サンジは村長に言われた通り足を崩す。
途中までは馬に乗って来たのだが、この村に続く道は整備されておらず、先日の雨のせいでぬかるんでいた。
馬ではこの先は無理と判断し、途中にあった茶屋に預けて、そこから随分歩いた。
そのせいか、足がだるい気がする。

「お待たせ致しました。これが被害に遭った作物と農具です」
「少し貸して貰えますか?」
「お願いします」

サンジは作物と農具を受け取り、じっくりと見た。
僅かに妖力を感じるが、サンジは首を傾げる。

「作物がやられるなんて考えもしませんでした。犬達のお陰で害獣被害は皆無といっていいぐらいだったんですが…農具はそれ一つだけじゃなくて他にも何点か壊されてます。誰も住んでいない空き家にも被害がありまして」
「被害の遭った晩に犬が鳴いたりしました?」
「農具や空き家が壊された前の晩は鳴いていました。すぐに怯えたように鳴き止むんですが」
「作物のときは?」
「それが…何も。どこの家の犬も静かなものでした」

サンジの問い掛けに村長も不思議そうな顔をする。何故、飼い犬達が鳴かなかったのか疑問に思っているようだ。

「なるほど。作物を荒らした奴と農具などを壊した奴は別ですね。残された妖力の質が違います。農具を壊した方が厄介ですかね…しばらく夜は家から出ないように村人達に伝えてもらえますか?」
「は、はい」
「そんな心配しないで下さい。こう見えて腕は確かですから」

サンジは心配そうな村長に向かって、安心させるように笑う。

「あ、ありがとうございます! こういった被害は初めてなもので…どうぞ、風呂にでも入って身体を休めてください。そのあと食事にしましょう」
「ありがとうございます。風呂と食事のあと、少し出掛けますが気にしないでくださいね。一晩、様子を見てくるだけですから」
「わかりました」



※※※



「営業用の笑顔は疲れるな〜」

風呂と食事を終えたサンジは、月明かりの中、神社に向かっている。
行き掛けに感じた気配が作物被害の犯人だろう。

石段の下に来ると、やはりまだ気配を感じた。

(さて、何がいるのかな)

ゆっくりと石段を上る。
小さな作りの神社だが、この村の大きさ的に、これは破格の扱いだろう。
境内の中に何かいるのがわかり、サンジはとりあえず刀を構えた。
そして、術を口の中で唱え、本殿の扉を開ける。

「ぎゃん! な、なんだァ?」
「捕まえた」

寝ていたのか容易く術で縛ることに成功したサンジは、不必要な刀をしまった。
どうやら人語を話せる妖怪のようだ。
暗くては話もできないと、簡単な術で火を熾し、本殿の中を照らした。
サンジはその姿を見て驚愕する。

「っお前!」
「な、なに? 放せよ! いきなり何すんだ、バカ!」

泣きそうな顔で捕まった妖怪はサンジを睨んできた。
その顔には見覚えがある。
サンジが何度も会いたいと願い、恋焦がれてきた姿だ。
夢の中の男が今、サンジの目の前にいる。

「おれが…わからないのか? …サンジだ」
「ふえ? サン…ジ? し、知らない…と思うぞ? おれが起きたのは今朝だもん。前に起きた時のヒトはもう生きてないはずだし」

サンジは信じられないような気持ちで見つめた。
人間ではないと思っていたが、まさか妖怪だったとは。
夢の中に出てきていたときは人間の姿だったはずだ。しかし、目の前にいる夢の男は茶色の犬耳と尻尾がついている。

「ヒト違いじゃないか?」
「…おれがお前を間違えるわけないだろ」
「ひぅ…なに?」

突然、サンジに頬を撫でられ男の犬耳が震えた。
温かい感触にサンジは泣きたい気分になる。
夢で会えるのに触れることさえできないと落ち込むことはもうないのだ。

「やっと…会えた」
「ど、どうしたんだ?」
「夢じゃないんだな」

サンジは嬉しさと混乱で、困惑している男の頬をぎゅっと抓る。

「いっだー! なんで、おれの頬を抓ってんだ! 自分のを抓れよ!」
「ずっと、会いたかった…」

ぎゅっと抱きしめられて男は途方に暮れたようにサンジを見た。

「あ、あのさ。言いにくいけどさ。やっぱり、ヒト違いじゃないか?」
「そういや、お前は夢の中のことは憶えてないって言ってたな」
「えっ!? 夢の中? ……じゃあ、会ったことあるのかな。ごめんな、おれ、夢の中のことはほとんど憶えてないから」

申し訳なさそうに男の犬耳がしゅんと垂れる。その毛並みは光の加減によっては金色にも見えた。

「お前、結局何者なんだ?」

初めて夢で会ったときも似たようなことを聞いた気がした。だが、今回は応えてくれる。
現実世界で会っているのだから。

「おれは、この村の守り神だ。村人の信仰心から生まれたんだ。犬の神様だから犬神だぞ」
「……犬神ねェ」

呪詛や呪術に使われたりする犬霊の憑き物という本来の意味を知っているのだろうか。いや、絶対にわかっていない。
にこにこと笑う姿にサンジは苦笑した。
畑が荒らされても犬達が吠えなかった理由も犬神が相手なら納得だ。

「まァ、言葉の意味なんて時代とともに変わるしな」
「ん?」
「いや、こっちの話だ」
「それより、これを外してくれよ! 神様に対して無礼すぎるぞ」

両腕にある青白く輝く光の縄に男は文句を言う。
自分のチカラでは取れないのだろうか。

「それよりさ、作物を食い荒らしたのお前だろ」
「…違います」

明らかにサンジから目を逸らす。なんてウソが下手なんだ。

「神様がウソついてもいいのか?」
「うっ……」
「守り神が村人を困らせてもいいのかなァ?」
「お、おれが食べました! ごめんなさい! 久々に目が覚めてお腹が空いてたから、つい…もうしません!」

神様が畑を荒らすなんて聞いたことがない。規格外な自称神様にサンジは笑った。

「お仕置きが必要かな」
「えー!? ご、ごめんなさい〜許してください」

半泣きで謝る神様の頭を撫でて、サンジは笑う。

「あはは、許してやるよ。ルフィ」
「あ、ありがと…ん? ……えっ!? お前、今…」
「なんだ、ルフィ?」
「ななななななに勝手に名をつけてんだ! 意味わかってつけたのか?」
「ああ、名前をつけることで、名付け主が妖怪を使役できるんだろ? 神様にも有効だとは思わなかったけど。嬉しい誤算だな」

強い意志を持って名を付けられたせいで簡単に使役されてしまった。
目の前の男が相当のチカラを持っていることがわかり、犬神は動揺が隠せない。

「し、知ってて? 早く契約解除しろ!」
「お前が名前を付けていいって言ったんだぜ?」
「う、ウソだ! ……言うわけ、ない…だろ」

不安になったのか声が小さくなっていく。
確かに犬神は『夢の中』でなら呼んでいいと言っていたのだが記憶がないので全否定しにくいようだ。

「と、とにかく! おれはこの村を守る義務があるの! だから、お前については行けないの!」
「それなら、いいじゃねェか。この村を荒らす妖怪退治をするのが目的で、おれはここに来たんだからな」
「えっ? そうだったのか…じゃあ、手伝う。妖怪を退治したら解除してくれるんだろ?」
「それより、聞きたいことがあるんだけど」

ルフィの言葉を無視して、サンジはじっとルフィを見つめた。
なんとなく、ルフィは後退りするとすぐに壁に背をぶつける。

「…なに?」
「お前の身体ってどうなってんの?」
「身体? ……耳と尻尾が違うくらいで大体、人間と同じだけど。それを聞いてどうすんだ?」

変な質問だと思ってルフィは不思議そうにサンジを見上げた。
するとサンジは嬉しそうに笑う。

「いや、性行為に支障があったら嫌だろ? ちゃんと気持ちよくしてやりたいし」
「せ……ぎゃー! 近寄るな!!」

あからさまに怯えてルフィはサンジから顔を逸らした。
逸らした顔の先にサンジの手がある。いつの間にか両手を壁につかれ、逃げられないようになっていた。

「悪いな、片想い期間が長過ぎて暴走しそうだ。しかも、予想外な場所で出会えたから歯止めが利くかどうか」
「か、片想い?」

ルフィは驚いて、サンジを見つめる。熱っぽい視線に自然と顔が赤くなった。

「ああ、お前がずっと好きだった。もちろん、今も」
「おれは男だぞ?」
「そんなの悩む時期はとっくに終わってる」
「に、人間じゃないぞ? ほら、耳も尻尾も違う」
「可愛いんじゃないか。おれは全く気にしない」
「あ、ヤダ! 尻尾を…さわ、るな」

尻尾を触ると力が抜けてしまったように、真っ赤な顔でルフィはその場にしゃがみ込んでしまう。
ふるふると震えて嫌がるルフィの姿はなんとも言えず欲を刺激された。

「可愛い…ルフィ」
「うえ…ヤダ……あ、指輪! 彼女がいるんだろ? だったら、他の奴に手を出すなんて不誠実だぞ?」

頬を撫でる右手の人差し指に指輪がしてあるのを見て、ルフィは慌てて指摘する。

「これか? 別に女に貰ったわけじゃねェよ。右手の人差し指にする指輪には『夢が現実になる』って意味があんだよ。我ながら女々しいけど試してみるもんだな。やっと叶った」

指輪を見せられ、子供のようにあどけなく笑われて、ルフィはどんどん追い込まれていくのがわかった。
何を言われても揺るがない自分に対する想いに、なんだか恥ずかしくなってくる。

「おれ、神様だし……」
「別にいいだろ? 神様は恋愛禁止なのか?」
「さ、さァ? 考えたこともなかった」

自分に恋愛感情を抱く人間がいること自体ルフィにとっては初めてのことなのだから仕方ないだろう。
いや、実際いたのかもしれないが本人は鈍く、ここまではっきり言われたことはないのだ。

「いいだろ?」
「いやいや、ダメだろ!」
「でもな…その気になっちゃたし」
「ぎゃー! 助けて〜村の人達!!」

サンジの言葉と身の異変にルフィは叫ぶが、もちろん誰も来ない。

「愛してるよ、ルフィ」
「わぁん! 話を聞けよ! せめて、この術を解けって!」
「ヤダよ、逃げるじゃねェか」
「罰当たり!」
「お前が下す罰なら受けてもいい」

何を言っても止まらないサンジにルフィは恥ずかしくて泣きそうになってしまう。

「会話にならないよ…や、手を着物に入れんな」
「悪い、止まらない」
「〜っ!」

文句を重ねようとしたとき口づけをされ、ルフィは目を見開く。
これでは何も言えない。恥ずかしい。不思議と嫌だという感情がなく、そのことに驚く。
初めて会った男にいきなり襲われて嫌じゃないはずないのに。
その後は何かを考える余裕さえなかった。



※※※



「無理矢理…おれ、神様なのに…う〜」
「…悪かったよ。今度からは許可取るって、たぶん」
「今度ってなんだ! たぶんって! もう、しないもん」

憤慨するルフィにサンジは拗ねたような表情になる。

「えー、寂しいこと言うなよ。痛かったのか?」

痛かったに決まっているが、口に出してなんて言いたくない。
一応、ルフィは治癒術も扱うことが出来るがなんとも情けない気分だ。しかも、本来はヒトを癒すために使うので自分に向けて使うのには慣れていない。
元々、傷の治りは速いのだが使わずにはいられなかった。

「うるさい! こ、こんなことに神通力を使うことになるなんて…こんな恥ずかしいこと、もうしないの!」
「気持ち良さそうにしてたじゃねェか。術も途中で解いたのに逃げなかったし」
「っ! ……うぅ」

ルフィはサンジを睨んだあと、力なく俯いてしまった。
違うとも言えないのは根が素直なせいだろうか。
快楽を感じたのも事実で、ルフィは冷水を浴びたい気分に駆られる。

「ホントに可愛いなァ。依頼がなきゃもう一回出来るのに…」
「バカ! 早く退治するんだよ! そんで、早く帰ってくれ……」
「でも、依頼がなきゃ会えてないのか」

しあわせそうに笑われて、どこかで会ったような気分になる。
自分が忘れているだけで、サンジは憶えているのかと思うとルフィは少し申し訳ない気持ちになるが先程のことを簡単に許せるわけもなかった。

「うぅ…川に行って身体を洗わなきゃ」
「洗ってやろうか?」
「いらないよ! 絶対余計なことしてくる!」

警戒心剥き出しでルフィはサンジから距離を取る。
サンジは構わずにルフィに近づき、頭を撫でた。

「ルフィは勘がいいな〜」
「サンジも…ちゃんと身体を洗えよ」
「洗ってくれるのか?」
「洗わない! もう、知らない」

ルフィはサンジを置いて、さっさと川へと向かう。
サンジは笑いながらルフィの後をついて行った。
川に着くと、ルフィはサンジから距離を取る。

「こっち来んなよ!」
「そんなに警戒しなくてもいいだろ。失礼な奴だなァ」
「自分の胸に手を当てて、今日の行動を思い返してみろ! 警戒しなきゃ、おれはただのバカだろ!」

ぷりぷりと怒りながらルフィは自分の身体を洗う。
久々の水は気持ちいい。怒りを冷ましてくれるようだ。
何年眠っていたのだろう。数えても仕方のないことだが、ふいに気になることもある。
しかし、今回は以前に眠ったときよりも早く目覚めた気がした。
あの男が原因なんだろうかとルフィはチラリとサンジを見る。
少し離れた場所でルフィ同様身体を洗っていた。
夢で何を話したのか少し気になる。
こんな目に合わされたのだから聞かなければ気がすまない。
あと、一つ気になるのは名前だ。なんだか、ひどく懐かしい気分になる。
この名で呼ばれたことはないはずなのに、やけに自分に馴染んでいた。

「サンジ」
「なんだ?」
「おれの名前、どうやって決めたの?」
「なんだったかな? 直感ってやつか。十年くらい前に突然、思いついた。お前にぴったりだと思ったんだが嫌だったか?」
「ううん、嫌じゃない。そうなんだ…直感か〜」

ルフィはブルブルと頭を振って、水気を飛ばす。
あとは風のチカラを借りて、身体を乾かした。

「自然を操れるのか?」
「うーん、軽くなら。いろいろチカラを分けて貰うんだ。まァ、雨を降らせるとかは出来ないけどな」
「はは、便利じゃねェか」
「うん! 自然には助かってる。あ、着物もボロボロだな〜変えなくちゃ」

袖を通しながら、自分の着物が結構古くなっているのに気がつく。

「おれが買ってやるよ」
「いいの? じゃあ、サンジが自分の家に帰ってから、いつか神社に供えてくれよ」
「……それはどうかな」
「ん?」
「いや、なんでもない」

サンジの声は流れる川の音でかき消され、ルフィの耳には届かなかった。

「お前さ、耳とか尻尾は常に出しっぱなしなのか?」
「え? いや、チカラがあれば消せるけど。やっぱり、本気のときと弱ってるときは出てるかもな」
「そうか」

にっこりと笑われてルフィは首を傾げる。一体何が知りたいのだろう。
着替え終わったサンジの顔を見るがにこにこと笑っているだけで真意がわからない。

「よくわかんねェけど、帰るか〜」
「そうだな。ん? ルフィ、気をつけろ。妖力を感じる」

サンジの真剣な声に、気を張り巡らせると近くに妖気を感じた。
こんなに近くにいるのに気がつかないなんて、気が緩んでいるのだろうか。
ルフィは慎重に一歩、足を進めた。

「う、わ! なんだァ? …クモの糸? うー」

突如、身体を不安定に持ち上げられて、ルフィは驚愕する。
自分の身体を見ると月の光に白く光る糸が巻きついていた。
近くに巨大なクモの妖怪を見つけ、ルフィはもがく。

「ルフィ、大丈夫か! どうにか自力で抜け出せ!」
「助ける気ないのか!? って遠いな!」

粘つく糸に捕らわれながらも、サンジを見ると随分遠くにいてルフィは驚く。
そして、助ける気配もなければ、近づく気配もない。

「悪い。おれ、クモって苦手なんだよ」
「えー! 本気? 真顔で何言ってんだ! 今までクモの妖怪退治してないのか!?」
「ここまで、デカイのはないな。小さいのは近づかないように術で燃やしたりしてたな……っていうか」
「ていうか?」

一定の距離から上から下まで舐めるようにマジマジとサンジに見つめられ、ルフィは不思議そうな表情になる。

「今の格好、エロいな」
「バカか! ヤダっ、そんな目でこっち見んな! も〜あのヒト、役に立たないよー! うー、自力でなんとかする」

ルフィは自分に絡まっているクモの糸に息を吹きかけて溶かし、地面に着地するついでに巨大クモの頭に踵落としをくらわせた。
クモはその衝撃で目を回して、倒れてしまう。呆気に取られてルフィはクモを見た。

「…デカイだけで弱いな」
「お前がいてよかった」
「嬉しくねェ! はァ、瘴気にあてられたんだな…浄化してやれよ。元のクモに戻るだろ」
「はーい」

サンジは巨大クモの出来るだけ遠くから、邪気を祓う。
ルフィはそのうちに、まだ身体に残っているクモの糸を掃った。

「終了〜」
「早く片が着いてよかった。家に帰ろうっと」

ルフィのいう家とは神社のことだろう。疲れたのか耳も尻尾も垂れてしまっている。

「おれはとりあえず、村長に話をしてくるかな〜また、後で会いに行くから待ってろよ」
「へ? ああ、名前の契約解除してくれるのか」
「あはは、じゃあ後でな」

村の方に向かうサンジを見ていると空が白んできた。

「朝か〜。ふわ〜もうちょっと寝ようかな」

自称神様とはいえ、ルフィの生活習慣は人間とほぼ変わらない。疲れたので眠くなったのだ。
朝起きて、夜眠るような生活をしていれば、極端に長い眠りは必要ない。
今朝まで百年ほど眠っていた理由は以前に何年も眠らない生活をしていたせいだとルフィは思い出した。
それに人間にしてみれば長い眠りから覚めたように思えるが、ルフィにしてみれば昼寝から覚めたようなものだ。
それにしても今日はいろいろあった。忘れたいことも多々あるが、とりあえず早く眠りたい。
ルフィはとぼとぼと歩いて、自分の寝床に向かった。



※※※



「ルフィ、帰るぞ」
「ふえ? ……朝か」

揺り起こされ、眠そうに目を擦りながらルフィは寝転がったままサンジを見た。

「いや、昼だ。今回は村長に謝礼は貰わないことにした」
「えー? いいのか? 守り神としては村人に負担が掛からなくていいけど」

よく考えたら妖怪を退治したのは自分なのだからサンジも遠慮したのだろうかと思いつつ、ルフィはアクビをしながら起き上がった。

「代わりにお前を貰って帰ることにした」
「へ〜………はい?」
「村長も寛大に許可してくれたぜ?」
「そ、村長に直訴させてくれ! 守り神が村から離れたら変だろ!」

サンジのセリフに驚愕して、ルフィは喚く。

「長い間、寝てて無事なんだから平気なんじゃねェか?」
「うっ……そんなことない! 昨日みたいに悪い妖怪が出るかもしれないだろ!」
「お前が寝てる間に村の周りに結界をしといたから大丈夫だ」
「え? ありがと……じゃなくて! えっと…その」
「名前の件もあるし、無理矢理連れて行くのも可能だけど」

拗ねたようにサンジはルフィを見てきた。

「か、解除してくれるんじゃねェの?」
「おれ、解除するなんて一度も言ってない」

ルフィは今までの会話を思い出してみる。確かに『解除する』なんて一言も言っていない。

「い、言ってはないけど…」
「それに傍にいるのに名前がなけりゃ不便だろ」
「帰らす気ないのか!」
「ねェよ」
「は、はっきり言うなよ」

あまりにはっきり否定されて、ルフィの耳が垂れる。
サンジは笑ってルフィを優しく見つめた。

「冗談だ。ちゃんと術式を張って、この神社とおれの屋敷を行き来できるようにしてやるからさ。おれに言えば、すぐにここに戻って来れる。それなら、安心だろ?」
「…うん。うー? そうかな?」
「外の世界は広いぞ? お前、この村しか知らないんだろ?」
「……うん」
「面白いこと、たくさんあるぞ? 異国の奴らも多く来る都だから、退屈しない。美味いモンもたくさんある」
「うっ…楽しそう…」

ルフィは相当ぐらぐらと揺れているのだろう。
この村をずっと守って来たから外の世界をあまり知らない。
用事があって出て行くこともあるが、行く場所は限られている。
都に行ってみたくないといえば、ウソになる。

「どうする?」

なんと言われようと連れて行く気満々なのだが、サンジはあえて質問してみる。
やはり、ルフィの意思でここを離れて欲しいからだ。

「……行く」
「よし! いいコだな」
「も〜、子供扱いすんな。おれの方が相当年上だぞ」

サンジに優しく頭を撫でられルフィは怒ったように顔を背けるが、それでも嬉しそうに揺れている尻尾は隠せていない。

「まずは着物を用意しなきゃな。ボロボロだし」
「……金、持ってないぞ?」
「身体で払ってくれたらいい」
「バカ! もうしないって言った!」
「えー? おれ、我慢できる自信ねェけど」
「そんな不満そうに言われても困るんだけど…」

心底困り果てたようにルフィはサンジを見上げた。すると、サンジも心底困ったような顔をしている。しかし、サンジはすぐに笑った。

「まァしばらくは我慢しようか…触れるだけで結構しあわせなんだよな」
「え?」
「夢の中じゃ触れなかったからな」
「……ああ、そう」

サンジの言葉や声音がひたすら、恥ずかしい。
なんて優しい目で自分を見るんだろう。まともに見返すことができない。
サンジは本当に自分のことを好きなんだと思うと、なぜだか少し嬉しかった。
この感情の理由も一緒にいれば、いつかわかるのだろうか。

「それじゃあ、我が家に帰りますか」
「おれにとっては新居だけどな〜えへへ、楽しみ」
「おれも楽しみ。一緒にいろんなトコへ行こうな」
「うん!」

神社の本殿の片隅にサンジは普通の人間には見えない術式を作った。
そこから、二人はサンジの屋敷に戻る。

これから、いろんな出来事が待ち受けているに違いない。


























※続※