ナミの経営する喫茶店『みかん』でルフィとゾロが学校帰りに話をしているときだった。

「はい、これ。ちゃんと払いなさいよ?」

突然、ナミに笑顔で伝票を渡されルフィは笑顔で固まった。

「……ゼロがいっぱいある」
「そうね。高校生だもんね? いくら滞納してるか分かるわよね?」
「え? こ、こんなに?」

ルフィは、じっと莫大な金額が書かれている伝票を睨む。無論、睨んだところでゼロは減らない。
前に座っている級友のゾロがそれを覗き込む。

「お前…これはちょっとヤバイだろ」
「ルフィはこの喫茶店を潰したいのかしらぁ?」
「そ、そんなわけねェだろ!」

笑顔で怒るナミにルフィは慌て応えた。

「じゃあ払って。赤字はイヤなの。ツケで食べすぎ」
「む、無理です」

ルフィはぶるぶると首を横に振った。

「…食い逃げで警察に突き出すわよ?」
「えー!? ご、ごめんなさい!」
「…私も鬼じゃないわ。この金額分をバイトしてくれたら許そうじゃない?」
「ば、バイト? 放課後…毎日?」
「当たり前よ」
「ぞ、ゾロ…」

ルフィは子犬のような眼差しでゾロを見つめる。

「お、おれは部活があるから手伝えねェ」

どもりながらもゾロは自分の意思を伝えた。

「ちぇ〜しばらく遊べないのか」
「自業自得だろ? まァ精々頑張れ」

ゾロはニヤッと笑ってルフィにエールを送った。

「ゾロだってツケてたじゃねェか」
「おれはまとめて払ったんだよ」
「ちぇ〜」

口を尖らせ、拗ねたようにルフィはオレンジジュースを飲んだ。
そんな様子を微笑ましく見守った後、ゾロはナミに小声で問いかけた。

「ナミ…わざとか?」
「だって、可愛いし、一緒にいたいじゃない」

ナミは悪女の笑みでゾロを見る。

「……卑怯者」
「あんたは学校でずっと一緒なんだからいいじゃない。私はこの喫茶店でしか会えないんだからね。しかも毎日来るわけじゃないし」
「チッ…部活が休みの日は来るからな」
「どうぞ〜ご勝手に〜」

ナミはまだ拗ねているルフィを見て、楽しそうに笑った。



***



バイト生活開始から約一週間後、ルフィもだいぶ仕事に慣れてきた。
ウエイター姿も様になってきたように見える。

「ルフィ、これを三番テーブルに運んで」
「分かった」

お盆にアイスコーヒーを乗せてルフィは慎重に歩く。

「お待たせしました〜ってなんだ、おっさんか」
「ルフィ君、なんだはないだろ。常連客を敬いなさい」
「えへへ」

ルフィはアイスコーヒーをテーブルに置く。
手際よく、とはいかないが不慣れな手つきでも一生懸命さは伝わってくる。

「だいぶ慣れてきたね。バイト初日にホットコーヒーを頭に、ぶっかけられたのが忘れられないよ」
「あは、あはは」
「その日からアイスコーヒーにしてたんだけど、そろそろホットでも大丈夫かな」

ルフィは考え込んでから苦笑いをした。

「もうちょっとアイスコーヒーにした方がいいかも」
「あはは、そうかい」
「ナミがえげつない罰ゲームを考えたんだ…だから、おれは今、失敗できない」
「罰ゲーム?」
「いたっ」

お盆で頭を叩かれルフィは驚いて振り返る。するとそこにはナミがいた。

「こら、ルフィ! 話し込み過ぎよ。他のテーブルにも料理持って行って」
「はーい! じゃあな、おっさん」
「頑張りなよ」
「おう」

ルフィはニカッと笑って手ぶらで厨房に消えて行った。

「ナミちゃん、罰ゲームって?」
「ルフィのせいでたくさん食器が割れちゃったの。だから腹いせの罰ゲーム。次、食器を割ったら……あはは、内容は黙っとこうっと」
「えェ? 気になるじゃないか」

ナミはにっこり笑って、ルフィが忘れていったお盆を持つ。

「すぐに何か割るわよ。おじ様は毎日来てるから必ず目撃できるわ」
「あはは、ルフィ君には悪いけど楽しみだな」
「ふふ、ゆっくりして行ってね」

ナミはとても楽しそうにその場を去った。

「ルフィ君が来てから、この店も明るくなったな〜」

コーヒーを飲みながら賑やかな厨房に耳を傾けるのだった。

闇に辺りが包まれた頃、やっと仕事が一段落し、ルフィは厨房の隅で休んでいた。

「はァ…客が多いな〜」
「夕飯時は仕方ないわよ。客がいないと潰れるでしょ」
「それもそっか」

背伸びをしてルフィは納得した。

「はい、お疲れ様。これはサービスね」

ナミはオレンジジュースをルフィに差し出した。

「え? いいの? ありがとう」
「それ飲んだら、もうひと頑張りよ。飲み終わったらまた表に出てきなさいよ?」
「うん!」

ニコニコと嬉しそうに笑うルフィへ優しい笑顔を向けてナミは注文を取りに行った。
ナミが厨房から出ると丁度、客が喫茶店に入って来るところだった。

「あら? サンジ君、久しぶり」

見覚えのある顔にナミは自然と笑みをこぼす。
この喫茶店に以前から来ている客の一人だ。
それほど頻繁に来るわけではないが連れている女性が毎回違うのと、何度か口説かれたのでナミも覚えていた。

「お久しぶりです、ナミさん」
「こんばんは〜」

サンジの後ろから髪の長い女が出てきた。
ナミはまた違う女か、と思いながらも営業スマイルで、にっこりと笑った。

「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」

イチャつかれたら面倒だと思い、ナミは店の奥へ案内した。

「ルフィ、水とおしぼり持って来て。二名様よ」

厨房の前を通るとき、ナミはまだジュースを飲んでいるであろうルフィに声を掛けておいた。
厨房の中から元気の良い返事が聞こえ、ナミは微笑む。

「新しいバイト?」
「ええ、まだ失敗が多いんだけどね」

楽しそうなナミの様子にサンジも笑う。

「ま、男みたいだし。おれには関係ないか」
「リサがいるでしょ〜」
「ごめんごめん」

いかにも身体だけの関係に見えて、ナミはため息を吐いた。

「サンジ君、ほどほどにしなさいよ?」
「ナミさんが付き合ってくれるなら」

小声で警告するがサンジから反省の色は見えない。

「はァ、遠慮します。ま、ごゆっくりどうぞ」

ナミはもう一度ため息を吐いてテーブルを離れる。
すれ違いでルフィがお盆に水とおしぼりを乗せて歩いて来た。
零さないようにと真剣な表情にナミは思わず笑ってしまう。

「失礼しま……あっ」

ルフィはサンジの顔を見た瞬間、持っていた水を思わず落としてしまった。

「きゃっ、冷た〜い! ちょっと〜ウエイターさ〜ん」

どうやら同席の女性の足に水が掛かったようで席を立って怒っている。

「わ、悪ィ! いたっ」

いつの間にか後ろに来ていたナミにルフィは頭を叩かれた。

「謝り方が違う」
「も、申し訳ございません」
「もう、しっかりしてよね〜」
「本当に申し訳ございません」

ナミはルフィに変わって深々と頭を下げる。

「ナミさん、気にしないで。おれが新しい靴買ってあげるし」
「え? 本当? ありがとう、サンジ」
「サンジ君、いいの?なんだか悪いわね」

頭上で繰り広げられる会話を無視しルフィは、こぼれた水を雑巾で拭く。
そして、転がったコップを拾い愕然とした。

「ルフィ〜?」

ルフィは慌てコップを隠すがナミに見られていたようだ。

「見せなさい」

恐る恐るルフィはコップをナミに差し出す。

「……ひびが入っただけだから、セーフ?」

ルフィが差し出したコップにはひびが入っていた。
ナミはコップを見てからルフィに、にっこりと笑いかけた。

「アウト!」
「えー!? だ、ダメ?」
「使い物にならなくなった時点でアウトでしょ」

ルフィは勢いよく立ち上がりナミをチラチラと見る。

「……お、お腹痛いから明日はバイト、休む」
「嘘言わないの。明日が楽しみね〜」
「あ、明日はゾロも来るんだぞ?」

部活が休みなので明日はゾロが手伝ってくれるのをルフィは思い出した。

「いいじゃない。ま、ゾロに見せるのは勿体ないわね」
「う〜、ヤダ」
「割らなきゃよかったのよ。ダメ、そんな可愛い顔しても許さないわよ」
「……う〜」
「ほらほら、お客様に料理を運んで」
「…はーい」

ルフィは観念したのか、とぼとぼと厨房に消えていった。

「……今の」
「新しいバイトのルフィよ。次に何か壊したら罰ゲームって言ってたのよ。ふふ、明日が本当に楽しみだわ」
「…そう」
「サンジ君?」

いつもと様子が違うサンジにナミは怪訝な顔をする。

「い、いや、なんでもない」
「そう?また注文が決まった頃に来るわね」

サンジの態度を不思議に思いながらもナミはその場を離れた。



***



少ししてからルフィが注文を取りに行くと奥の席にはサンジしかいなかった。

「あれ? 女の人は?」
「帰った」
「ふーん? ご注文はお決まりですか?」

一人の方が運ぶ料理が少なくていいなとルフィは内心思った。

「持ち帰りもできるのか?」
「うん。物によってはできるぞ」
「じゃあ、お前」
「はい。…はい? ……おまえ?」

ルフィはそんな料理あったっけと思い、首をかしげた。

「お前を持ち帰りたいんだけど」
「ふえ? 無理だぞ? おれは料理じゃねェもん」

何言ってんだ、と困り顔でルフィはサンジを見つめる。

「ガキだな…どうしたもんかな。お前、明日もバイトあるのか?」
「うん、ずっとある。明日は来たくないけどな」

拗ねたようにルフィは口を尖らせた。

「罰ゲームだっけ?」
「し、知ってるのか?」
「内容までは知らねェけどな」

妙に焦るルフィにサンジは罰ゲームの内容が気になった。

「そ、そっか。明日は来ない方がいいぞ?」
「なんで?」
「な、なんでも!注文決まってないならまた後で来る」

この話は止めにしたいのかルフィは走って厨房に帰ろうとする。

「待てよ、ルフィ」
「わっ、……名前?なんで?」

サンジに腕を掴まれ、ルフィは引き止められた。
知らない人に名前を呼ばれ、きょとんとする。

「ナミさんに聞いた。おれはサンジだ」
「サンジ…先輩?」

年上に見えたのでルフィは一応、先輩を付けて呼んだ。
するとサンジが何とも言えない不思議な顔をした。

「……悩むトコだがサンジでいい」
「悩む? ん、じゃあサンジって呼ぶ」
「今日はこのぐらいにしとくかな」
「? ……手、放せよ。ナミに怒られる……じゃあな」

心臓がドキドキしているのがバレそうでルフィは掴まれた手を振りほどいて厨房へ走って帰った。

他にも客がいたのでルフィはサンジのところへ行くことはなかった。
しばらくしてルフィは他の客の注文の合間にチラリと奥の席へ目を向けたがサンジはもういなかった。
安心したような寂しいような不思議な感じがした。

閉店時間になり帰る前の店内清掃をしているとナミがルフィに話しかけてきた。

「水をこぼすなんてバイト初日以来じゃない?」
「う、うん」

なんだか歯切れの悪い返事にナミはモップを持ったまま、テーブルを拭いているルフィに近づく。

「…失敗に何か理由でもあるの?」
「か、かっこいいな〜って思ったらコップを持ち損ねたんだ」

あはは、と恥ずかしそうに笑うルフィにナミは脱力した。

「……ちょっとそこに座りなさい」
「え? うん」
「待ってて」

ナミは厨房へ帰り、すぐに戻って来た。手には残り物を使ったサンドイッチとジュースを乗せたお盆を持っている。

「はい、晩ご飯」
「ありがとう!」
「ちょっと、話をしましょうね」

さっそくサンドイッチを食べながらルフィはコクリと頷いた。

「サンジ君はダメよ」
「む? ……何が?」
「あ〜自覚はないのね」

ナミはルフィの自覚のない恋心をどうやって潰そうかと考える。

「サンジ君はたまに来る客なの」
「じゃあ、また会えるのか?」
「……そうね」
「えへへ」

嬉しそうなルフィにナミは顔を引きつらせた。

「毎回、違う女性と来るのよ」
「モテモテだな」

ルフィは知らず知らず表情を曇らせる。

「そうね。女遊びが激しいのかもね」
「女遊び……そういうのはよくないぞ」
「その通り! だから気をつけなさいよ? 遊ばれて捨てられたくないでしょ?」
「へ? おれが気をつけるのか?」

なぜ自分が気をつけるのか分からず、ルフィはきょとんとした。

「そうよ、あんたが気をつけるの。一人暮らししてるって言っちゃダメなのよ」
「はーい」

よく分かっていないようだがルフィは片手を上げて了解した。

「よし、じゃあもう着替えたら帰っていいわよ? 明日は早く来なさいね」
「……はーい」

罰ゲームを思い出し、ルフィは嫌そうに返事をした。



***



「ルフィ、今日は自主練してから行くからな」

放課後、ゾロに声を掛けられルフィは顔を引きつらせた。

「む、無理して来なくていいぞ? じゃあな〜」
「あ、あァ」

カバンを掴み、物凄い勢いで教室を出て行ってしまった。

「なんだ〜ルフィの奴」

近くにいたウソップが不思議そうな顔をした。

「さァな」
「ははーん、なるほど。ゾロ、ルフィがバイトしてる喫茶店の場所教えてくれ」

ニヤニヤしながらウソップはゾロに近づく。

「なんで?」
「バイト先に来られたくない理由があるんだろ! すなわち、行くっきゃない!」

ノリノリなウソップに呆れながらもゾロはさっさと自主練を終わらせて喫茶店へ行こうと思った。



***



「あら、おじ様。いらっしゃい。ふふ、今日は罰ゲームの日なの」
「へェ? じゃあいつもの席でルフィ君を待つとするよ」

常連客の男はいつも座っている三番テーブルへ腰を掛ける。
すると、いつものようにルフィがおしぼりと水を持ってきた。

「…いらっしゃいませ」
「え? ルフィ君!?」
「何も言わないでくれ…う〜早く着替えたい」

ルフィの姿はいつものウエイター姿ではなく、可愛らしいメイド服を着ていた。
頭には猫耳付きのカチューシャに、鈴のついた首輪、スカートにはリボン付きの尻尾まである。

「マニアックな制服だけど……似合うね」
「どこが!?」

ルフィは叫ぶ。

「似合うわよ。すごく可愛いもの」
「ナミちゃん、メイド喫茶に変えてもやっていけるよ」

ホットコーヒーを持ってきたナミは、しあわせそうな顔でルフィを見つめる。

「そうよね〜ルフィの制服だけメイド服に変えようかしら」
「ヤダヤダ! 断固拒否するぞ!」
「でも、何か失敗したらまた着せるからね」

またこんな恥ずかしい思いをしなければならないのかと思い、ルフィは絶句した。

「ふふ、失敗しなきゃいいのよ?」
「その姿が見られるなら、おじさんは失敗してもいいと思うよ」
「おれはもう失敗しないからな!」

ルフィは赤い顔で厨房に姿を隠してしまった。

「可愛いのに」
「今日のお客は長居してるのよ〜きっとルフィを見てるのね。ふふ、おじ様もゆっくりして行ってね」
「あはは、言われなくてもしてゆっくり行くよ」

ナミは窓でも拭こうかと雑巾を手にするとゾロとウソップが店に入って来た。

「いらっしゃい。気の毒だからゾロは今日、長居しないであげてね」
「は?」
「やっぱり何かあるんだな!」

ウソップはワクワクしながらルフィの姿を探す。
厨房からルフィが出て来ると、同時にドサッとゾロが荷物を落とした。

「あっはははは! なんじゃその格好!」
「げ、ウソップ」
「……」

笑い続けるウソップと対照的にゾロは無言でルフィを凝視している。

「来なくていいって言ったのにィ」

涙目でルフィに見上げられゾロは鼻を押さえた。

「はいはい、そのぐらいにして水とおしぼり、持って来なさい」
「はーい」

拗ねたままルフィは水を取りに行った。

「鼻血はダメよ」
「まだ出てねェよ」
「まだって……あのまま見られてたら出してるのね」

否定出来ず、ゾロは黙り込んだ。

「ゾロ、今日はバイトしないでやれよ。後で怒りそうだしな」
「あ、あァ、そうだな」

ウソップは、さっさと空いてる席に座ってしまった。
ブレザーのポケットからカメラを出している。

「何してる」
「撮るに決まってるだろ〜?」
「後でちょうだい。そしたら今日はタダにしてあげる」

ナミは、すかさずウソップに提案した。

「オッケー! 新聞部と写真部を両立する男に不可能はねェ!」
「お待たせ〜え? え?」

パシャッとシャッター音が聞こえ、ルフィはポカンとした。

「えー! 写真なんか撮るなよ!」
「減るもんじゃねェだろ〜ルフィ」
「なんかヤダ」

ルフィが首を振るとチリチリと鈴が鳴った。

「……似合う」

ゾロはボソッと呟いた。

ギャーギャーと騒いでいると新しい客が入って来た。

「…いらっしゃいませ」
「っ………何、着てるんだ」
「サンジか……来ない方がいいって言ったのに…罰ゲームに決まってるだろ」

乾いた笑みでルフィは空いてる席へサンジを案内した。
なぜだかサンジにはこの格好を見られたくなかった。
変な奴だと思われたくない。

「似合うな」
「うるせェ!」

みんな、本気で似合うと言っているのだがルフィはからかわれていると思っているのだ。

「あはは、そう怒るなって」
「ちぇっ、怒るに決まってるだろ。こんな服が似合ってたまるか」
「へェ?」

サンジは上から下まで舐めるようにルフィを見つめる。

「な、なに?」
「スカートの中、何着てんだ?」
「へ? うわ、放せよ!」

スカートの裾を掴まれルフィは慌て、サンジの手を放そうとする。

「気になるのが男の性だぜ?」
「し、知るか!」
「……冗談だ。あんまり可愛い顔するなよ? この場で襲うぞ?」

サンジは不穏なことを言いながらスカートから手を放した。

「サンジはわけわかんねェな」
「ルフィ! 料理運んで」
「はーい、じゃあな〜」

ルフィはサンジが何か言う前にナミに呼ばれ、サンジのそばを離れた。
そのとき、サンジがため息を吐くように何か呟いた気がしたがルフィには聞こえなかった。



***



「終わった! やっと着替えられる!」
「はい、お疲れさま〜。お客の反応もよかったし、早くまた失敗してね」
「……ヤダよ」

学校制服のブレザーに着替えながらルフィは口を尖らせる。

「気をつけて帰りなさいよ」
「うん、じゃあまた明日な」

ニカッと笑い、ルフィはナミに手を振って店を出た。
家路をのんびりと帰っていると人混みの中に見知った人が目に入った。

「ん? あれって……」

遠目に見てもルフィにはサンジだと分かった。
隣には昨日、水をかけてしまった女性がいた。
距離があるので二人が何を話しているのかも聞こえない。

「っ!」

ぼーっと立ち尽くして見ていると女性がサンジにキスをした。
なんだか胸が異常に苦しくなり、ルフィは全力でその場を離れた。

家に着き、風呂に入る。
バイトで疲れているのでいつもはすぐに眠ってしまうのだが今日に限っては眠れなかった。

「彼女なのかな…」

呟いた自分の声がやけに耳に残った。
目を瞑ると、さっきの光景が浮かび苦しくなる。
キスをしていたのは、ほんの一瞬だったのにその時の光景が頭から離れない。

結局、ルフィが眠れたのは明け方になってからだった。



***



放課後になり、バイトへ行こうと立ち上がると身体がふらついた。
そばにいたゾロが慌て支える。

「……眠い」
「大丈夫か?」
「うん、バイト行く〜ゾロは部活だろ? 優勝目指して頑張れよ〜」

目を擦りながらルフィはゾロを応援する。

「頑張らなくても優勝するから気にすんな」
「お? 余裕だな〜剣道って楽勝なのか?」
「日々、鍛練してるから気張って頑張らなくてもいいってことだ」

ゾロはニヤリと不敵に笑った。

「ほえ〜部長が泣いて喜びそうだな。う〜、よし、目ェ覚めてきた。じゃあな」
「……気をつけろよ」
「おう!」

ルフィは元気良く教室を出て行った。



***



「大丈夫?」
「また眠くなってきた」

ふらつくルフィにナミは心配そうに声をかける。

「寝不足? なんか元気ないわね。無理しなくていいわよ?」
「明日は休みだから頑張れるぞ! バイト時間もあと少しだしな」

一人になるとサンジのことを考えてしまいそうで、今は誰かと一緒にいたかった。
何も考えられないほど疲れて、今日はぐっすり眠りたいとルフィは思っているのだ。

「……ほどほどにしときなさいよ」

忙しい時間帯は終わっているので大丈夫だろうとナミはルフィの頭を撫でながら思った。

「あ、客が来たみたいだぞ」
「ここの片付けしとくからルフィ、よろしく」
「了解」

ルフィは接客するために厨房から出た。

「あ…い、いらっしゃいませ」

そこにいたのはサンジだった。

「何、どもってんだ?」
「べ、別に…こちらへどうぞ」
「変な奴だな」

ルフィは昨日のことを思い出し、一人焦ってしまう。
忘れたいと思えば思うほど忘れられない、嫌な光景。
サンジを空いてる席へ案内すると背後に気配がした。

「ルフィ」
「えっ? ゾロ〜どしたんだ?部活は?」

振り返ると部活に行ってるはずのゾロがいた。

「してきた」
「えー、部活の後に来たのか? 疲れてんだろ〜座ってろよ」

サンジの横の席を指すとゾロは嫌な顔をした。

「……その席は遠慮しとく」
「は? まァ好きな席に座ればいいけど。今、空いてるし」
「そうさせてもらう」
「ちょっと待ってろよ〜水とか持って来る」

予期せぬ親友の登場にルフィは嬉しそうに笑った。
厨房に戻るとナミが声をかけてきた。

「楽しそうね?」
「ゾロが来てくれたんだ〜」
「そう、よかったわね。好きな物、頼んでいいって言っといて」
「分かった! ナミ、ありがとうな」

バタバタと厨房を出ていくルフィを見届けてからナミは少しだけゾロを哀れんだ。

「親友のポジションからは抜けられなさそうね。はァ、私も似たようなもんか」

ナミは自分も似たようなものと悟り、大きなため息を吐いた。



***



閉店になり、ルフィは背伸びをした。
心配していたゾロを先に帰らせてルフィは後片付けを始める。

残り物の賄いを食べた後、ルフィは帰り支度を始めた。

「お疲れさま。今日はよく頑張りました」
「えへへ、ありがとう」
「土日はのんびり休みなさいね」
「うん、またな〜ナミ」

喫茶店を出てからルフィは安堵のため息を吐いた。
サンジと会ったときゾロがいなかったら泣いていたかもしれない。

ルフィは自分の感情を持て余していた。

「ルフィ」
「うわっ!」

突然、声をかけられルフィは飛び上がらんばかりに驚いた。

「はは、びっくりしすぎだろ」
「さ、サンジ! なんで…ここに…」

随分前に喫茶店を出たはずだったのでルフィは驚きを隠せない。

「お前を待ってた」
「え? なんか用事か?」

特に用事も思いつかず、ルフィは首をかしげた。
戸惑う反面、会えて嬉しいと思う自分もいた。

「ちょっと歩きながら話そう」
「う、うん」

しばらく無言で二人は歩いた。
サンジが何を考えているのか分からずルフィはびくびくしてしまう。
近くにある公園のベンチに二人は腰掛けた。

「あの藻みたいな野郎とは仲良いのか?」
「藻? ………ゾロのことか?」
「そんな名前だったかもな」

心底嫌そうな顔をしているサンジにルフィは不思議そうな顔をした。
仲が悪くなるほど二人の接点が見つけられなかったからだ。

「仲良いぞ? 同じクラスだし、親友だし、よく一緒にいる」
「下心があるように見えるが?」
「? ……意味わかんないけどゾロのことバカにしたら許さないぞ!」

親友を侮辱された気がして、ルフィは憤慨する。

「バカにしてねェよ。嫌なライバルだと思っただけだ」
「ん? らいばる?」

ルフィはサンジが何を言いたいのか分からずボンヤリとサンジを見た。

「お前のことが好きだって言ってんだよ」
「へ? ありがとうございます……?」
「……お前、意味分かってねェな」

きょとんとしているルフィをサンジは立ち上がるように促した。

「わっ?!」

ルフィが不思議そうに立ち上がると、サンジに抱きしめられた。

「好きだ。愛してる」
「あ、愛? ……っ」

ルフィは一気に心拍数が限界まで上がった気がした。
自分が赤面しているのが分かるぐらい顔が熱い。

「な、お、おれ…っ!」

ふと、ルフィの鼻を掠める匂いがした。
タバコのニオイでは消しきれなかった甘い香水のニオイ。

「い、イヤだ!」

ルフィはサンジを思い切り突き飛ばした。
冗談でこんなことをするなんて、質が悪い。

「……ルフィ?」
「彼女がいるのに…おれのことからかうの止めろよ!」
「彼女? …いねェよ」
「昨日、キスしてた!」

感情が高ぶりすぎて涙が出そうだった。

「見てたのか? あれは…あっちが勝手に」
「サンジは好きでもない奴とキスできんのかよ!? おれはできないし、したくもない!」
「ルフィ…」

動揺するサンジからルフィは距離を置くためにゆっくりと後退りする。

「近寄るな! おれはいい加減な奴、キライだ」
「……いい加減じゃなかったらいいのか?」
「へ? ……うん。だって、おれ遊ばれて捨てられるのイヤだもん」

ルフィは立ち止まり、サンジの質問に少し考えてから答えた。

「男相手に遊ぶかよ。おれは女に困ってるわけじゃない」
「ふーん」

ムカッとしながらルフィは少し離れた場所からサンジを見る。

「お前さ…おれがイヤなわけじゃないんだな?」
「え!? そ、それは……あっ、雨だ」

空を見ると暗闇からポツポツと雨が降り始めていた。
雨は瞬く間に激しくなり、大粒の雫を降らせ始める。

「どしゃ降りだな。おれの家、近くにあるから来るか?」
「くしゅん」

返事をする前にくしゃみが出てしまった。

「風邪引くぞ? タオルぐらい貸してやる」
「…うん、行く」

寒気に震えながら二人はサンジの家へ向けて走った。



***



「広い部屋だな〜マンションの入り口もオートロックだったし、最上階だし、警備員みたいなのもいた…サンジって金持ちなのか?」
「まァな。ほら、タオル。風呂も貸してやるよ」
「……いいのか? くしゅん」

寒いのは寒いが風呂まで借りていいものかルフィが悩んでいるとまたくしゃみが出てしまった。

「構わねェよ。さっさと入って来い」
「あはは、じゃあお借りします」

ポタポタと水滴を落としながらルフィは風呂場へ向かった。



***



自動で湯が沸くタイプの風呂らしく風呂場の中はもう温かかった。
ザバザバとお湯をかけて湯船に浸かる。

「ふわ〜あったかい。風呂も広いな〜金持ちだ」

冷えた身体が温まる。
そして告白されたことを考えてみた。
顔が熱くなる。

「…ホントなのかな」

女に困っていないなら男をからかわなくてもいい気がする。
ルフィは悩む。

「ニオイしなかったな」

サンジの部屋に入ったとき、タバコのニオイしかしなかった。
ルフィはそのことにひどく安堵していた。

「サンジがおれをどう想ってるかじゃなくて、おれがサンジをどう想ってるか…だな」

自分の気持ちをじっくりと考えてからルフィはザバッと立ち上がった。

脱衣場に出るとバスタオルと大きめのシャツが一枚だけ用意してあった。

「へ? これだけ?」

不思議に思いながらも、とりあえず身体を拭き、シャツを着た。
やはり、これだけでは心許ない。

「サンジ〜おれの制服、どこ?」

ルフィが髪を拭きながらドアを開けるとサンジは着替えてソファーに座っていた。

「乾燥機に入れてる。そのうち乾くだろ」
「乾燥機……金持ちだなァ」

しみじみと言いながらルフィは感嘆した。

「はいはい、金持ちだからなんでもあるんだよ。こっちの部屋に暖房してるから早く入れ。あと、ホットミルク」
「わ〜、ありがとう」

サンジの横に腰掛けて、ルフィはホットミルクを飲んだ。

「警戒心ないな、お前。逆に手ェ出しにくい」
「ん? ごちそうさま。おいしかった」
「そりゃよかったな」

警戒心の欠片もなくニコニコと笑うルフィの頭をサンジはさり気なく撫でた。

「サンジは風呂入らなくていいのか?」
「着替えたから平気。それより、お前と一緒にいたい」
「わっ、な、なんか近いぞ?」

急接近して来たサンジに焦り、ルフィは赤くなる。

「近づいてるからな。それより、お前の格好、そそるな」
「へ? え? ……服、着たい」

サンジの視線に堪え切れず、ルフィは顔を逸らした。

「まだ乾いてねェよ」
「ほ、他に服ないのかよ?」
「あるぜ?」

予想外の返答にルフィは目を丸くする。

「え? 貸してくれないのか?」
「せっかくだからな」
「……?」

言葉の意味が分からずルフィは混乱した。

「さて、返事を聞かせてもらおうかな」
「う、わっ…あれ?」

見えている景色がぐるりと回り、いつの間にかルフィはサンジにソファーへ組み敷かれていた。

「おれはいい加減な気持ちで男に好きだなんて言わない。まァ、きっかけは一目惚れだがな…ちゃんと本気でルフィのことが好きだ」
「え…えと、ちょっと体勢が…うー」

真剣な瞳に心臓が止まりそうな気がした。
ルフィはソワソワとしながらサンジを押し戻そうとするが肩を押さえられていて上手くいかない。

「逃げるのか?」
「じゃなくて…緊張する、から…どいて?」
「イヤだね」
「い、意地悪だな」

こちらも真剣に応えたいのだが普段にない体勢にルフィは動揺が隠せない

「体勢は気にするな。で、お前はおれのことどう想ってんだ?」
「お、おれは…」

ルフィの顔がさらに赤くなる。
風呂場で考えたことを口にしようとするが緊張してしまって上手く言葉がでない。
深呼吸をして心を落ち着けようとするが鼓動は早くなるばかりだ。
心を決めて、拳を握り締める。

「おれは、サンジが…好きだ」
「………マジ?」

素直な返答にサンジは驚いているようだ。

「お、おれ…サンジと違ってウソつけねェもん」
「……失礼な奴だな。お前を想う気持ちにウソはねェよ」
「そ、そっか。あはは、恥ずかしいから、どいてくれよ?」

赤面して笑いながらルフィは再度サンジを押し戻そうとする。
やはり、上手く押し戻せない。

「せっかく相思相愛だって分かったんだからイチャイチャしようぜ?」

サンジにニヤニヤと笑われてルフィは、あたふたとする。

「おれ、サンジのこと何も知らねェからサンジのこと聞きたいな!」
「おれのこと〜? 今、じゃなくていいだろ」
「ん、やっ…さ、さわるなっ」

太ももの内側を撫でられルフィはビクリと反応する。

「可愛いな、お前」
「うー、そんなことないから…どいて」

思いもよらない展開にルフィは、このままじゃ心臓が保たないと心底思った。

「…キスぐらいしてもいいだろ?」
「ぐ、ぐらいって…おれはしたことないのに」
「ないのか…それは嬉しいな」
「サンジは……あるな」

昨日の光景を思い出し、ルフィは自然と不機嫌になる。

「も、もうお前以外とはしねェよ。怒るなって」
「ホントかなァ…不安だぞ?」
「信頼ねェな。絶対しない、誓う」

今までにないぐらい真剣な顔で言われ、ルフィは照れたように笑った。

「冗談だ。サンジのこと好きだから信じてる」
「……おれの理性を試すとは恐ろしい奴だな」
「ふえ? わ……っ」

チュッと軽く口づけされルフィの心臓は早鐘のように動く。

「あはは、真っ赤だな」
「は、恥ずかしいな…えへへ、でも嬉しいかな」
「……可愛いなァ、どうしてやうか」

こんな状況なのだがルフィは猛烈な眠気に襲われていた。
サンジの言葉も上手く頭に入って来ない。
自分も何か喋った気がするが何を喋っているのか自分でも分からない。
想いが通じ合った安堵感と昨日の寝不足が原因だろう。
気づけばルフィは深い眠りの淵にいた。



目が覚めるとサンジのベッドの上で、何故か寝不足気味なサンジに無防備すぎるのも問題だと言われ、約束を守れと言われた。

何のことかよく分からなかったがサンジの嬉しそうな顔を見ていると、これからもずっと一緒にいられる気がした。


























*END*