ああ、またいつもの夢か。
映像のない音だけの夢。いや、映像はあるのかもしれない。それは赤一面の世界。
騒がしいような、静寂なような不思議な音達が耳をすり抜けていく。
ごめんなさい
そんな言葉が聞こえた気がして、そのあまりにも悲しそうな声音に胸が苦しくなる。
気にするなと言ってやりたいのに。
謝るのはおれの方なのに。
寝てる場合じゃない、早く起きなければ。
早く助けなければ。……誰を?
わからない。でも、とにかく、早く助けなければ間に合わなくなる。だって、世界はこんなに赤い。それは、つまり……
早く、早く。
焦燥だけが募る。このまま寝ていたら会えなくなるだろう。
早く、早く。
***
「っ!」
サンジはベッドから飛び起きる。
鼓動が異常に速い。
「…………はァ」
深いため息を吐き、額に手を当てると嫌な汗を掻いていた。
最近、例の夢をよく見ている気がする。でも、何も憶えていない。それもいつものこと。
「四時か」
ぼんやりと時計に目をやり、呟いた。
仕事の関係ですっかり昼夜が逆転した生活をしている。夢のせいで今日は早く起きてしまった。
ため息を吐きながら、胸に手を当てる。
まるで忘れているサンジを責めるように鼓動はまだ速く脈打っていた。
深呼吸をして、立ち上がる。
シャワーでも浴びていれば、そのうち治まるだろう。この喪失感も、そのうち消える。
突然、鳴り出した電子音にサンジは顔を顰めた。この音は仕事の電話だ。音の元へ手を伸ばす。
「はい」
『お〜、出るの早いな〜起きてたか』
「なんだ、ウソップか」
『なんだよ…あからさまにテンション下げるなよ』
電話の主が誰か分かり、サンジは多少気が抜けた。
まだ高校生だが情報屋をしているウソップとは歳が近いせいか仲が良い。
「どうせ仕事の話だろ。テンションも下がるっつーの」
『そういうなよ〜。お前、この町で仕事したかったんだろ?』
「は? なんで?」
『気づいてなかったのか? う〜ん、おれの気のせいかな。まァいいや。学校終わったし、メシ奢ってくれ〜そのときに話す』
「…了解」
適当にシャワーを浴びた後にサンジはホテルを出た。
夕焼けに染まる町並みは田舎でも都会でもない。悪く言えば中途半端だが、このくらいがサンジには丁度良いように感じられた。
「おーい、サンジ!」
「お? 早かったな」
「電話しながらこっちに向かってたからな。泊まるホテルなんて限られてるし」
得意気に言われてサンジは苦笑する。
確かに会社が契約しているホテルはこの付近ではサンジが滞在しているホテルだけだった。
「地下にある居酒屋っぽいレストランが美味いんだよ〜値段も手頃だし、そこ行こうぜ」
「はいはい」
言われるがままにサンジはウソップの隣を歩く。
「そのレストランは現場からも近いし、食った帰りにでも寄ってみれば」
「お前は?」
「行かねェよ〜噛まれたらイヤだろ」
微妙な表情でウソップはサンジを見た。
「おれだったら、お前みたいな男の血は欲しくないけどな」
「失礼な奴だな! 狙われたいわけじゃねェけど、そう否定されると腹立つ」
「まァ、お前は情報屋だし、現場までは来なくていいだろ」
「ネタがあるなら昼間に行く。夜は危険だからな〜情報屋は生きて帰らなきゃ意味ないって話だぜ」
いい情報が手に入っても生きて帰らなければ意味はないということだろう。
ふと、さびれた掲示板が目に入り、サンジは足を止めた。
「ここにも書いてあるな。まだ通り魔扱いだけど…ほっとくと被害者が出るだろうな」
ウソップの言葉にサンジは一枚のポスターに目を向ける。
落書きのような文字は暗号で書かれていて、同業者にしか分からないようにされている。
「本社の掲示板を見てるときとソックリだな」
「あ?」
本社にある掲示板は全国各地の情報が載っている。それを見ているときにウソップに話しかけられたのが二人の出会いだ。といっても、出会ってから一年も経っていない。
「この町の情報を食い入るように見てるから、ここになんかこだわりでもあるのかと思ってさ」
そういえば、先程の電話でもこの町で仕事をしたかったんだろうと言われた気がする。
自分はこの町にこだわっているのだろうか。
ウソップに言ったことはないが実は昔、この町に住んでいたことがある。しかし、ほとんど記憶にないほどなのに。
自分でも気がつかないうちに、こだわっているんだろうか。
「……わかんねェな」
「そうなのか? まァいいか。店まですぐそこだから行こうぜ〜仕事の話はメシのときにしてやるからさ」
悩むサンジを特に気にすることなくウソップは歩き出した。
サンジは悩みながらもウソップの後へ続いた。
***
店内はこじんまりとしていて、隠れ家のようだ。落ち着いた雰囲気で趣味がいい。
「あっ!」
突如、ウソップが叫んだのでサンジは首を傾げる。
どうやらカウンター席の方を見て叫んだようだ。
「なんだ?」
「な、なんでもねェよ。同じ制服がいて焦っただけ! さっ、行こうぜ!」
背中を押され、店の奥へと追いやられる。
ウソップの態度が気になり、振り返るが同じ制服を着ている後ろ姿しか目に入らなかった。
「知り合いだったんだろ」
「いいんだよ。仕事の話聞かれると厄介だろ」
それはそうなのだが、隠し方が異常なほど焦っていて気になってしまう。
個室に押し込まれ、訝しげにウソップを見ると慌てたように顔を逸らされた。
「えーっと…同じクラスの奴だったんだよ。好奇心旺盛な奴だから会わない方が無難かと」
「………へェ?」
いかにも怪しいがあまり気にしていても仕方ないだろう。ウソップは意外と口が堅い。今回の件は粘っても何も言わないだろう。
「元気な奴でさ。って、あいつの話はもういいだろ〜適当に注文頼むぞ〜」
「そうしてくれ」
注文して、しばらくすると料理が来た。
運ばれてきた食事を食べながらウソップは話し始める。
「現場はここの近くの公園だ」
「公園?」
僅かに顔をしかめたサンジには気づかずウソップは説明を続けた。
「日が落ちてからっつーか夜中がやっぱり多いみたいだな。三人ほど怪しい男に声を掛けられてる。いずれも夜中に一人で公園を通っているときだな。でも、まだ血を吸われたっていう被害はない」
「なんで?」
吸血鬼が獲物を取り逃がすのは珍しく感じたのでサンジは素直に疑問をぶつけた。
「運よく誰かが通り掛かって助けたんだよ」
「三回とも?」
「…まァな。正直、サンジが選ぶような仕事じゃねェと思ってる」
サンジはこの仕事のキャリアも長く、優秀な退魔士として裏の世界ではそれなりに有名だ。危険な吸血鬼相手の方がもちろん懸賞金も高い。
今回の件は危険性もあまりないと判断されているので懸賞金も低く、誰も相手にしないはずの仕事だ。
「別にいいだろ」
「そうなんだけどな。なんか気になって」
ウソップが言うことも一理ある。金にもならないような仕事を何故しようと思ったのか。
「気まぐれだ……ま、もしかしたら生まれ故郷だからかもな」
「そうなのか?初めて聞いた」
「小学生のときに引っ越したからな。あんまり記憶にない」
「へェ〜生まれ故郷のことなら記憶なくても気になるかもな」
今までの疑問が解けて納得したようにウソップは頷いた。
「危険な芽は早く摘んどきたいんだよ」
「なるほど〜。でも、頻繁に現れてるわけじゃねェから退魔も楽じゃないかもよ? もしかしたら、もう現れないかもしれないし」
「臨機応変にするからいい」
「そうなのか? まァまたいろいろと情報仕入れとく」
「ああ、頼む」
その後は雑談をしながら料理を平らげた。
***
ウソップと別れたあと、サンジは現場になった公園を歩く。
一応、外灯もあるがこの時間に誰か通ることは少なそうだ。
反対の通りに抜ける時に近道になるのかもしれない。
ここに吸血鬼が出たかと思うとイライラしてくる。
おとぎ話のような存在だが確実に現代に存在しているし、迷惑なことに人間を襲う輩もいるのだ。
特殊な銀のナイフで心臓を刺せば、灰になって消えてしまう。他にも消す方法はあるがサンジはこの方法しかしない。
こう聞くと吸血鬼はひどく儚い存在にも思えるが人の命を簡単に奪える能力を持っている。
きっかけは何だったか忘れたがサンジは吸血鬼が嫌いだ。異常なほど嫌悪している。
本社の方針は人を無差別に襲った吸血鬼だけが退魔の対象だが、サンジは全ての吸血鬼を退魔してやりたいと思っていた。
この強い感情はどこから来るのだろうか。
「……はァ」
辺りを見渡して、ため息を吐いた。
静かな公園はどこか物悲しい。
サンジは近くにベンチを見つけ、腰を掛けた。
公園は昔から苦手だ。
楽しくて寂しい。そして、赤いイメージ。
いつからこの感覚があるのか知らないが、頭痛までしてきた。
「おーい、大丈夫か?」
ひどい頭痛にこめかみを押さえていると心配そうな声が降ってきた。
「……大丈夫に見えるのか?」
サンジは俯いたまま、不機嫌そうに返事をする。
目の前に見える足はどこかで見たことある制服を着ていた。ウソップと同じ学校の奴だろう。もしかしたら、さっきのレストランで見かけた奴かもしれない。
「見えねェ」
「それならどっか行け。話すのも面倒だ」
「そんなこと言われてもな〜。この時間帯は危ないからさ。悩みがあるなら自分の家の中で悩めよ」
「危ない?」
「さ、最近は物騒だろ? えーっと、なんだっけ? 通り魔? そう! 通り魔が出るんだよ!」
明らかに今、考えながら話しているという雰囲気だ。自分の思いついたでたらめに満足そうに頷いている。
「それならお前も帰らないと危ないんじゃないか……っ!」
顔を上げると覗き込むようにして自分を見ている少年と目が合い、鼓動が跳ねる。
食い入るように見つめるサンジに気がつかず、黒髪の少年はそわそわと辺りを気にしていた。
「それはそうなんだけど〜。……今日は大丈夫かな」
後半を囁くように呟いて少年は辺りを見回して、頷く。
「うん、おれも帰るからアンタも帰れよ。じゃあな」
少年は、にかっと笑って歩き出した。
この感情はなんだろう。
ついさっき話しただけのわけのわからない少年の後ろ姿を見送っているだけなのに。
この感覚は絶望に似ている。
「ん? どうかしたのか?」
頭で考えるよりも身体は正直だった。サンジはベンチから立ち上がり、少年の右肩を掴んでいた。
「……どこかで」
会ったことないか、そう問おうとして思わず口をつぐむ。
まるでナンパのようなセリフを吐こうとする自分に嫌気がさしてきた。
「んん?」
少年はサンジの葛藤も知らず、サンジを見上げて首を傾げる。
「会いたかった」
「はァ?」
予想もしていなかった言葉に少年は心底驚いたようだ。しかし、少年以上にサンジは愕然としていた。
自分は何を言っているんだ。口が、身体が勝手に動いたとしか言いようがなかった。
「えっ?」
適当に謝って、その場を去ろうと思った。しかし、身体は別の行動を始める。
今度は少年を自らの腕の中に閉じ込めていた。再び、愕然とする。どうなっているんだ。まるでいうことを聞かない。
(何やってんだ、おれは!)
腕の中に閉じ込めた少年は硬直している。
突然、会いたかったなどと戯言を言われた揚げ句、知らない男に抱きしめられた心情を察すると同情してしまう。
きっと思考と身体が追いつかずフリーズしてしまったのだろう。
しかし、身体が言うことを利かないのだから仕方ない。
「あ、あの…人違い、じゃないですか?」
「……そうだな」
やっと自分の思い通りに言葉が紡げてサンジは心の中でガッツポーズをした。
これなら身体も言うことを効くはずだ。
放すというよりは引き剥がすという感じでサンジは少年から自分の腕を外した。
困惑した視線が交わる。
「えっと……」
お互い何か言いたいのに何を言っていいか分からずに黙ってしまう。
「……お前、名前は?」
なぜ名前を聞いたのかもよくわからないが、たぶん自分が知りたかったのだ。
初対面のくせに異様に心を揺さぶられる。
本当に初対面なのだろうか。
サンジが思考の世界に入る前に少年は視線を彷徨わせてから口を開いた。
「ルフィ……あんたは?」
「サンジ…えーっと、なんか悪かったな」
苦笑するサンジを見て安心したのかルフィも笑った。
「いや、いいよ。誰かと……間違えたんだろ?」
「……そう、だな」
「それじゃ、気をつけて帰れよ〜」
「お前もな」
どこか気まずい空気のまま、お互い別れた。
ルフィの後ろ姿を見送りながら、サンジは先程と同じように絶望感に沈む感情に困惑してしまう。
「なんだって言うんだよ」
誰に言うでもなく、サンジは呟いた。
***
ルフィは家路を急ぎながら、サンジという男の行動を思い出していた。
大部分は困惑。そして、一瞬の安堵と刹那の祈り。不思議な感覚だった。僅かだからこそより際立って感じた。
なぜ祈りの感覚を初対面の人間に抱かなければいけないんだろう。
初対面じゃないのだろうか。
「……ふっ」
突然、涙が溢れてきて困惑する。
胸が苦しい。我慢できずに慟哭した。
聞いている者の方が苦しくなるような悲しい泣き声でルフィは泣きながら家へと向かう。
いろいろな感情が巡る。心が壊れたみたいだ。
会いたかったと言われて泣き喚きそうになった。
あのとき、そんな自分に困惑したのだ。
「ルフィ!?」
「……エース」
霞む視界に兄の姿を見つけてルフィは抱きついた。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
優しく背中を撫ぜる手に心が落ち着いていく。
いつの間にか家の前まで帰ってきていたようだ。
「家に入ろう。な? 目を冷やさないと腫れるぞ」
「…うん」
***
「金髪の男?」
事の成り行きを話すとエースは驚いた表情をした後、考え込むように黙ってしまった。
「エース?」
気まずい沈黙にルフィはエースの名を呼ぶ。すると真剣な表情で見つめられた。
「ルフィ」
「な、なに?」
「その男にもう一度会いたいか?」
「会いたい」
自分の言葉にルフィは目を丸くする。
何も考えずに答えていた。それは本心ということだろう。
驚いたように見つめてくるエースにルフィは困ったように笑ってもう一度応えた。
「会いたい、と思う。きっと会いたかったんだと思う。上手く言えないけど、サンジに会えてすごく安心してる」
自分でも何を言っているんだろうと思うがエースは笑わずに頭を撫でてくれた。
「そうか…思う通りに行動してみろ。兄ちゃんはルフィの味方だからな。例え、お前がおれを嫌っても」
「うん? おれがエースを嫌いになるのか?」
どこか悲しそうに笑ってエースはルフィを見つめる。
「……可能性の話だ。どう思われようと、おれはルフィの味方で兄貴だから」
「よくわかんないけど、ありがと」
にっこりと笑ってルフィは立ち上がった。
「なんか疲れたから風呂入って寝るな」
「おう。風呂はもう入ってるから、ゆっくり浸かって来いよ」
「うん!」
部屋を出るルフィを見て、エースは複雑な表情を浮かべる。
「サンジの奴…戻ってきたのか」
エースの呟きはルフィに届かず、静寂に溶けていった。
***
教室に入るなり朝から机に突っ伏しているルフィを見つけ、ウソップは声を掛ける。
「ルフィ、昨日も見回りしてたのか?」
「お〜、してたよ」
眠そうな返事にウソップは少し声を潜めてルフィに尋ねた。
「大丈夫だったか? その〜金髪の男に会ったりしなかったか?」
「え? サンジのこと?」
「えっ? 知り合いだったのか?」
お互い驚いた表情をしたあと、ルフィは立ち上がる。
「うーん、違うと思うんだけどよくわかんねェんだ」
「そうなのか? とりあえず屋上行くか」
「おう」
予鈴が鳴っているがそれよりもお互い聞きたいことがあるので授業はサボることにした。
立入禁止の立て札を無視して二人は屋上へと続く扉を開ける。そして、手近なところへ腰掛けた。
「なんでサンジのこと気をつけなきゃいけないんだ?」
「あいつ、退魔士なんだよ」
「え!? そうだったの?」
ルフィの驚き方を見て、ウソップはため息を吐く。
「そうなんだよ。だから、心配してたんだよ。えーっと、お前は…半分だけでも…その〜」
言いにくそうにウソップは口篭った。
「おれは混血だからな〜。あはは、そんなに気にしなくていいのに。ウソップはいいヤツだな」
「気にする奴もいるからな。お前みたいに明るい混血はそうそういないんだよ」
ウソップは照れ隠しにルフィから視線を逸らした。
混血とは人間と吸血鬼の間に生まれた者を指し、その能力は様々だ。ほとんど人と変わらない者もいれば吸血鬼に近い者もいる。
ルフィの場合、身体能力の高さは吸血鬼譲りだが吸血衝動はほとんどないという稀な存在だった。
「生まれつき混血だから悩んでも仕方ないじゃんか〜悩んで変わるもんじゃないし、おれはおれだよ」
「それもそうだな。聞いたことねェけどサンジは吸血鬼に恨みがあるんだろうな。優秀な退魔士は大体、吸血鬼と因縁があるし」
「因縁?」
「家族を殺されたとか恋人を殺されたとかな」
個体差はあるが純血であればあるほど吸血衝動は強く抑えがたい。きっと被害者は自我を失った吸血鬼に喰われてしまったのだろう。
そう思うと悲しかった。吸血鬼は血を飲まなければ生きていけない。人間と同じように食事で栄養を補うことは出来るが、吸血しなければ自我が保てなくなるからだ。
一度、自我を失うと血液を飲んでも、元に戻る可能性は極めて低かった。だから、ルフィは目撃情報を元に吸血鬼を止めようと毎晩公園を見回りしているのだ。
だが、上手くいかない。三回とも話し掛けただけで逃げられてしまったのだから。
暗くなったルフィにウソップは慌てる。
「別にルフィが悪いわけじゃねェだろ! ヘコむなって!」
「それはそうなんだけどさ」
自分だって同じことをしてしまう可能性はある。半分は吸血鬼なんだから。そう思うと他人事とは思えなかった。
「人間の血じゃないとダメなのか?」
「うん、そうだな〜犬とか猫とかの血でも多少飢えは満たされるけど長くはもたない」
「吸血鬼同士は?」
「同族同士は…人が人を食べるようなものだからなァ。それに飢えは満たせないらしいよ」
「聞いたのか?」
「うん、おれも同じ質問をゾロにしたことがある」
ゾロとは地下レストランで働いている純血の吸血鬼だ。バーテンダーのようなことをしている。
「そういや、昨日行ってただろ?」
「え? ウソップも? 声掛けてくれればよかったのに」
偶然会ったときいつもなら一緒に夕食をしたりするので不思議に思いルフィは首を傾げた。
「退魔士を連れてんのに純血と混血の前には行きにくいっつーの」
「というか吸血鬼が働いてる店に退魔士を連れて来るなよ〜」
呆れ顔のウソップにルフィは不満そうに口を尖らせる。
「現場に近くて内緒話ができてメシが美味いのはあの店ぐらいだったんだよ」
「まァおれも公園の見回りするときはあそこでメシ食うからゾロもいるしな」
「聞いていいか?」
少し気まずそうにウソップはルフィを見た。その態度にルフィは首を傾げる。
「なに?」
「お前とゾロって…どういう関係?」
答えはわかっているが、気になって聞いてしまった。
「どういうって…友達だけど? 他になんかあんのか?」
「いや〜、お前がそういうなら友達なんだろうな〜。向こうは特別になりたいみたいだけど」
やはりルフィの方は恋愛対象として見ていなかったかとゾロに同情したくなってくる。
あれだけ純粋に懐かれると手を出しにくいだろう。
「特別? よくわかんない」
「いいよ。変なこと聞いたおれが悪かったよ」
「あ〜、おれはゾロの理解者だから特別といえば特別かもな」
理解者とは吸血衝動が強くなる前に定期的に血液を提供する存在だ。
吸血鬼の中には理解者のことを『エサ』と呼ぶ者もいるがルフィはそれが嫌で堪らない。
お互いに理解し合えば共存できるはずなのに。理解し合えないはずはない。その証拠に混血という存在の自分がいるのだから。
両親は愛し合っていた。だから、自分の存在を恥じることはしたくない。
「確か、兄貴の理解者でもあるんだよな?」
兄といっても半分だけの血の繋がりだ。父親が同じで、エースは吸血鬼同士の間に生まれた純血の吸血鬼だった。
混血は吸血鬼の中では忌み嫌われるがエースはそれでもルフィを本当に大切にしてくれる。小さいときから頼れる兄だった。
「うん、たまにな。血が手に入らなかったときだけ、おれの血を飲んでる。エースも血筋がいい純血だから暗示もできるんだ」
「えーっと、どうにかして少しだけ血を貰うんだっけ」
純血と暮らしているだけにルフィは吸血鬼の生態に詳しい。ウソップも情報屋として助かっている。ルフィのおかげで吸血鬼への印象が変わったといっても過言ではなかった。
もちろん、黙っていて欲しいとルフィが言えば、どんな大金を積まれても誰にも話すつもりはない。
「目をじーっと見て、相手が魅入られたら暗示を掛けるんだって〜後々騒がれたら面倒だから記憶操作をして何事もなかったようにするらしいよ」
「吸血鬼全員がそうしてくれたら退魔士もいらないのにな」
「そうだよな〜でも、難しいかな。吸血鬼全員が使えるわけじゃないし、記憶操作なんてホントに限られた吸血鬼しかできないみたいだから」
エースに聞いた話を思い出しながらルフィは話した。
「へェ、特殊能力ってのは全員が持ってるわけじゃねェんだな。お前には暗示って効くのか?」
「どうなんだろ〜されたこと……ない」
ふと、自分の言葉に違和を感じた。少し鼓動が速まる。
「ん?」
「赤い目……? 記憶、操作?」
呆けた様にルフィは呟いた。
「どうした? 赤い目?」
「なんでもない! 暗示を掛ける時、目が赤くなるんだってさ」
心配そうに見つめるウソップにルフィは思考を中断して、慌てて笑う。
「そりゃ一度見てみたいな」
「見たとしても魅入られてるだろうし、記憶消されるから憶えてないと思うぞ」
「なんかレアだな。ルフィはできないのか?」
情報屋の性なのか気になると、ついつい聞いてしまう。
自分の野次馬根性にウソップ自身も多少呆れたりもするが性分なので仕方ないだろう。
「やり方がよくわかんねェもん。できなくても困らないから別にいいの。そういや、ゾロも暗示できるからおれが理解者をする必要ない気がしてきたぞ」
「でも、人間の理解者って見つけるの大変なんだろ? 見つかるまではお前が理解者でいてやれよ」
確かに人間の中に理解者がいればいいのだが、そう簡単には見つからない。
混血の自分でいいのかとルフィも何度か聞いたことがあるが、ゾロは構わないらしい。
混血の血は美味しくない。しかし、どうやらルフィの血は美味しいらしい。
自分の血を飲んでも仕方ないのでよくわからないのだが、不味いよりはいいかと思っていた。
でも、やはり理解者は人間の方がいいとルフィは考えているのだ。
「それもそうだな。早く見つかればいいよな」
無邪気な笑顔にウソップは少し罪悪感を憶える。
下手な同情心は捨てた方がいいかもしれない。正直、ゾロに対するルフィの気持ちが恋愛感情に変わる気がしない。
「ゾロは純血の中でも血筋がいいから、陽の光も苦手なんだったっけ?」
「そうそう。だから、地下で働いてんだよ。まァ、陽に当たっても力が弱まるくらいで死んだりはしないってさ。最近は夜も働いてる奴が多いから活動しやすいみたいだよ」
「最近って……あいつ、何歳なんだかな」
「さァ? 数えるの止めたって言ってたからな〜でも、年寄りって言うと怒るぞ」
その時を思い出したのかルフィはおかしそうに笑った。
「おれが言うと本気で殴られそうだから言わねェよ。なんか、吸血鬼談義になってんな」
「そういえばそうだな〜」
「おれが話したかったのはサンジが凄腕の退魔士だってことだけだから。公園にはしばらく近づかない方がいいかもな」
「そっか。でも、たぶん行くと思う。確かめたいことがあるんだ」
「確かめたいこと?」
予想外の言葉にウソップは不思議そうにルフィを見る。
「うん…サンジのこと知りたいんだ」
「なんで?」
ルフィの真剣な瞳にウソップは茶化すのも忘れて首を傾げた。
「う〜ん…自分の気持ちが定まってないから説明が難しい」
「そうか。まァ無茶すんなよ」
「ありがとな。自分の中で整理ついたらまた話聞いてくれよ。えーっと…いろいろ聞いちゃったけどよかったのか?」
情報屋が退魔士のことをぺらぺら話していいはずはない。申し訳ない気持ちでルフィはウソップを見た。するとバシリと肩を叩かれる。
「何言ってんだよ。おれは情報屋としてじゃなく友達として話したんだからな。お前が気にすることじゃねェよ」
「ウソップ…ありがとな」
「どーいたしまして! なんか情報があったらコッソリ教えてくれてもいいからな」
冗談混じりの言葉にルフィも笑った。
今日も公園に行こう。きっとまた会える。会わなきゃいけない。
***
また、いつもの夢だ。でも、少し違う。今日は赤一面の世界じゃない。
……が死ん……どうしよ……ンジ……
途切れ途切れに聞こえる泣き声。
泣くなよ、そう言っても必死にしがみつき震える声で訴えかけてくる。
……さん……おかしく………怖い……
おれが守ってやるから。
そう伝えることはできたんだろうか。
それは守れない約束だ。それでも不安そうな姿を見ていられない。
スライドのように画面が次々に移り変わる。なんの映像が映ったか理解する間もなく、いつものように景色が赤一色に染まる。
一面の赤に横たわるのは一体誰なんだ。
背筋が冷えるような鮮やかな赤と緋色の景色。そして、赤い目。
この夢は赤ばかりだ。
***
「……」
いつもの夢を見ていた感覚はあるが、今日は飛び起きることなく静かに目が覚めた。
「赤か……」
今まで見ていた夢をイメージするなら赤だ。
今日、はっきりとわかった。
サンジは立ち上がり、時計を見る。五時を過ぎた頃。適当に着替えて、夕焼けに染まる部屋を急いで出た。
早く、公園に行こう。
ルフィに会いたかった。会えないなんて考えもしない。
この不思議な夢も気持ちも全てルフィが関係している。
きっと大丈夫。これは予感だが確信もあった。
とにかく、急がなければ。
逸る気持ちを抑えて、サンジは走り出した。
*後編へ続く*