すっかり暗くなった頃、公園に着くと昨日サンジが座っていたベンチにルフィが座っていた。
走って来たせいで息が整わない。
そんなサンジに気づいてルフィは目を丸くした。
「ど、どうしたんだ?」
「お前に……会いたくて」
「……たぶん、おれも」
それだけ言うとお互いに黙ってしまう。
何を言えばいいのだろう。何から確かめればいいのだろう。
「えーっと……座る?」
「あ、あァ」
妙に焦っている自分が滑稽でおかしかった。
「っ!」
サンジは腰を掛けると指先に痛みが走る。
ベンチのささくれ立った場所に触れてしまったらしい。
痛みを感じた指先を確かめると血が溢れてきた。
「どうした? っ!」
「いや、ちょっとベンチの端に触って……」
指先を食い入るように見つめるルフィにサンジは不思議そうな顔をする。
「どうかしたのか?」
サンジの声でルフィは我に返った。そして、慌てて立ち上がる。
「わ、悪い! また今度な!」
「は? ちょっと待てよ、帰さねェよ。まだ何も話してないだろ?」
走り出そうとしたルフィの腕を掴み、サンジは近くの木に押さえつけた。
こんな乱暴な真似はしたくないが逃げようとするのだから仕方ない。
どこか赤い顔でルフィは苦しそうに呼吸を繰り返した。
「サンジは退魔士なんだろ?」
「どうして、それを?」
「ウソップから聞いた。おれは混血なんだ。だから、放してくれ」
自分だけサンジの正体を知っているのはなんだか嫌で、退魔されることを覚悟してルフィは話す。
「嫌だ」
「頼むよ……最近、血を飲んでない。上手く自分を抑えられない」
甘い匂い。女性や子供の方が美味しいが、そんなことは今問題ではない。
頭がクラクラした。
意識しないようにサンジの指先から視線を逸らすが、いつまでも我慢はできない。
「飲めばいい」
「え?」
「ほら、欲しいんだろ?」
指を差し出され、ルフィは熱に浮かされたように流れる血を見つめる。
しかし、ルフィは慌てて首を横に振った。
「ダメ、だ。サンジからは貰えないよ……夜は吸血衝動が強くなるんだ。今なら耐えられるから…話は明日しよう」
「なんだ、てめェ…おれの血が飲めないってのか」
「そんな酔っ払いみたいなこと言ってないで放して」
無理に酒を進める上司のようなセリフも笑って受け流す余裕はなくなっていた。
冗談に付き合ってる暇はない。サンジに自分が人外だと見せつけるには心の準備が圧倒的に足りない。
それに退魔士は吸血鬼を嫌悪しているのではないだろうか。混血とはいえ半分は吸血鬼の血が流れている。
吸血鬼らしいところを見せて、サンジに嫌われたくない。
「……ふ〜ん」
不機嫌そうな声音が聞こえ思わず、目を合わせる。
サンジはルフィを押さえ込んだまま、器用に懐から銀のナイフを取り出した。
「サンジ?」
もしかして、退魔されてしまうのだろうか。
銀のナイフに恐怖心が湧いてくる。混血の自分も灰になるんだろうか。
サンジになら消されてもいいかもしれない。
自分の胸を貫くかと思ったナイフは、あろうことかサンジ自身の指を傷つけた。
「なにして!?」
ルフィは驚いて、ナイフを持つサンジの腕を掴む。
「痛いな…」
「あ、当たり前だろ! 自分を傷つけるなんて…何がしたいんだよ! 早く手当てしないと…」
「お前がしてくれ」
眩暈がして、サンジを睨みつけた。これは拷問なのか。
砂漠のど真ん中で水を差し出され、我慢しているのと同じだ。
サンジの考えがルフィにはわからない。
「別にお前が吸血鬼だろうが混血だろうが構わない。早く飲めよ。つらいんだろ?」
心配そうな眼差しに雷が落ちたような衝撃をルフィは受けた。
退魔士なのに何を言ってるんだとか、矛盾してないかとか言いたかったが押し黙る。
「………いただきます」
「どうぞ」
逡巡したあとルフィはおずおずとサンジの傷口に舌を這わせた。
その様子をサンジは、じっと見つめる。
紅潮した顔で無心に傷痕を舐めるルフィはどこか卑猥だった。
「エロい顔。変な気分になりそう」
「む? ……どういう意味だ」
「そのまんまの意味。もういいのか?」
「うん、ごちそうさま。えっと…美味しかったです。ありがと」
強い吸血衝動が消え、ルフィは安心して笑う。
「どういたしまして。美味かったなら、よかったな」
サンジは自分の傷痕を見る。しかし、初めから傷などなかったかのようにもう塞がっていた。
「へェ? 本当に手当てしてくれたんだな」
「そのぐらいの傷口なら塞げるよ。もしかして、吸血鬼が軽い傷口を塞げるの知らなかったのか?」
意外そうな言葉にルフィは首を傾げる。
「血を飲まれたのなんて初めてだしな〜知らなかった」
「唾液の中に細胞の促進効果があるんだって。だから小さい傷なら治せるよ」
「舐めときゃ治るを地で行ってるわけだな」
「あはは、そうだな。でも、純血の奴らは大量の血液を飲むために、逆に血が固まらないようにもできるんだって。どういう仕組みかはよくわかんないんだけどな」
ルフィには難しいことはわからないので困ったように話した。
「血液の凝固作用を妨げる成分が唾液の中にあるんじゃないか? でも、傷口を塞ぐ作用もあるのか……謎だな」
「あはは、ナゾだよな〜」
笑っているルフィを見て、サンジは疑問を口にする。
「吸血衝動ってのが強くなったら、お前どうしてんの?」
「誰かに貰うよ。おれは血が飲みたいって思う回数少ないんだ。決まった理解者もいないし。だから、ウソップとか、おれが混血だって知ってる奴に少し貰うんだ」
「理解者……おれがなってやろうか?」
「えっ?」
驚いてからルフィはサンジを見上げた。
「そりゃ、なってくれたら助かるし嬉しいけど……吸血鬼、嫌いじゃないの?」
「……嫌いなはずなんだがな」
サンジはなんとも言えない顔でルフィの頭を撫でる。
その瞬間、二人は顔を合わせた。
「なんか……懐かしい」
「やっぱり会ったことがあんのか」
「……わかんない」
どちらからともなく、二人は再びベンチに座り悩み始める。
「お前はずっとこの町に住んでんのか?」
「うん」
「混血ってことは親のどっちかが吸血鬼なんだよな」
「父親が吸血鬼で母親が人間だったよ」
「だった?」
過去形の言葉にサンジは疑問の視線を送った。
「母親が交通事故で亡くなって……父親は……あれ?」
父親はどうしたんだったっけ。
今まで疑問に思わなかった自分が不思議なほど、そのことを深く考えたことがなかった。
「母ちゃんの思い出があるこの町がツライから出て行った……?」
「なんだよ、はっきりしねェな」
「なんか、変だ……父ちゃん? なんだろ…なんか忘れてる」
悩み始めたルフィのヒントにならないかとサンジはいろいろ聞いてみることにした。
「一人で暮らしてんのか?」
「ううん、エースが……兄ちゃんがいる」
「エース…? 兄貴と二人暮らしなのか」
エースという名に何か閃くモノがあったが、すぐに消えてしまう。
もどかしいとはこのことだと思いながらサンジはルフィに質問をした。
「うん、そう…だけど」
気がついたらエースと二人で暮らしていた気がする。
母親が死んで、そこから急に二人暮らしになった。
なんだか、大事な記憶が抜けている気がした。
「兄貴とは歳が離れてんのか?」
「うん、エースは純血だからさ。父親が一緒なんだ。聞いたことないけど、もしかしたら、ものすごく年上かもしれないなァ。母親が死んだときと外見は同じだから」
今思えばルフィが物心ついた頃にはエースはもう成人した姿だった。
両親がいなくなってからはエースに育てられたようなものだ。
「ずけずけと聞いて悪いけど母親はいつ死んだんだ?」
「気にしなくていいよ。結構前だから……うーんと、十年くらい前かな。おれが五歳のとき」
「お前、今何歳?」
「十七歳。サンジは?」
「十九。お前が五歳のときってことは十二年前か…おれがこの町を引っ越した歳と同じだな」
「サンジもこの町にいたのか」
「ああ、七歳のとき大怪我してな。入院の関係でそのまま他県へ引っ越した……ん? なんで怪我したんだっけな」
奇妙な合致に二人は真相に近づいている気がした。
記憶が二人して曖昧なのも何か関係しているはずだ。
「ちょっと休憩するか」
「頭使いすぎて疲れた〜」
どこか張り詰めていた空気が和らぐ。
サンジが立ち上がり、ルフィもつられて立ち上がった。
「自販機あったよな。なんか飲むか」
「うん! ん?」
混血であるルフィにしか聞こえないような小さな物音。
息を詰めて、気配を探る。
近くの茂みが揺れて、ルフィはその場を飛び退いた。ルフィが立っていた場所の地面が抉れている。もしも、避けていなければ軽傷では済まないだろう。
「混血のクセに素早いな……あははっ! あははははは!」
「お前…」
ルフィは狂ったように笑う男の目を見つめる。正気にはとても見えなかった。
何度か公園で見かけた吸血鬼だ。自我が崩壊してしまったのだろう。
間に合わなかった。そう思うと苦しいが、ここで止めなければ人間の被害者が出る。
ルフィは決意を堅め、呼吸を落ち着けた。
おかしそうにケタケタと笑っていた吸血鬼は突然黙り、焦点の合わない目でルフィを見てきた。
「血ィくれよ…散々邪魔しやがって…人間なんてただのエサだろうが!」
「違う! そんな風に言うなよ!」
「うるさい! ははははははは! 混血なんて吐き気がするが最後の一滴まで飲み尽くしてやるよ!」
耳障りな笑い声に自然と顔が引きつる。しかし、標的を自分に絞ってくれたのは助かった。
サンジを逃がさなければと視線を送るが、さっきまでいた場所にいなかった。
驚いて辺りを見ようとすると、吸血鬼が攻撃を仕掛けてきた。
慌てて避けるが、爪でかなぐるように振り下ろされた手を避けきれない。
「あ〜!? 弁償しろよコノヤロー!」
鋭い爪はルフィの制服だけでなく、肌までも傷つけている。
ニヤついた顔で吸血鬼は自分の爪についたルフィの血を舐めた。
挑発的な態度にルフィは怒りを煽られる。しかし、ルフィが動こうとすると強い力で後ろに引っ張られ、その背に庇われた。
目を逸らしたのは一瞬。その間に吸血鬼は地面へ倒れていた。
「っ! サンジ?」
突然のことに驚いたが、吸血鬼の胸に深々とナイフが刺さっている。
混血であるルフィもサンジの気配を察知しきれなかった。
サンジは本当に優秀な退魔士なのだろう。油断していたとはいえ、純血の吸血鬼が手も足も出なったのだから。
「大丈夫だったか?」
「うん、こんな傷すぐ治るよ…でも、なんか……」
目の前で灰になる吸血鬼の姿を見て、ルフィの心の奥がざわついた。
「思い出したか?」
「エース?」
思わぬ登場人物にルフィとサンジは驚く。
全く気配を感じさせることなくエースは二人の近くに立っていた。
「サンジが退魔士になるなんて、因果なもんだな」
「なんで、おれのこと知ってんだ?」
エースとは初対面のはずだが妙に懐かしそうに見つめられ、サンジは困惑する。
「知ってるよ。ルフィと仲が良かったからな」
「……どういう意味だ?」
「エース?」
二人の困惑混じりに視線を受けて、エースは静かに問うた。
「思い出したいか? 嫌な記憶だぞ? 後悔するかもしれない」
エースは自分が二人に暗示を掛けたんだと言っているんだろう。どこか予想していた二人はそれほど驚かなかった。
「思い出したい」
真剣なエースの目を見つめて、ルフィは自分がどうしたいのかを話す。
「思い出さなくてもいいことなのかもしれない。けど、思い出せるなら…どんな過去でも思い出したい。きっと大切なことだから」
「サンジも同じ気持ちなのか?」
「あァ」
二人の真剣な目を見て、エースは苦笑した。
「仕方ないか…暗示も解け掛けてるみたいだしな。結構、強力な暗示なのに……それでも何か思い出すってことは思い出したいってことなんだろうな」
エースも決意を堅め、二人を見る。
「暗示を解くから。おれの目、見てな」
ルフィとサンジは緊張しながらも頷き、エースの目を見つめた。
徐々に赤く染まる目を見つめていると、記憶は失った過去へと遡り始める。
***
夕焼けに染まる道を必死で走る。
この時間ならまだサンジが公園にいるかもしれない。
「サンジ!」
「ルフィ」
ルフィを見つけてサンジは嬉しそうに笑った。しかし、ルフィの異変に気がつき表情を曇らせる。
「どうしたんだ?」
「母ちゃんが事故で死んじゃった……もう会えない。どうしようサンジ」
「っ! ……そんな……おばさんが?」
冗談にしては悪趣味すぎるが、そんなことを言っている雰囲気ではない。
優しいルフィの母親。何度か面識もあったサンジは衝撃で上手く言葉が紡げなかった。
ルフィは震えながらサンジにしがみつく。
「それに父ちゃんがおかしくなっちゃったんだ…怖いよ、怖い」
「ルフィ…大丈夫だから泣くなよ」
「怖い………っ!?」
泣いていたルフィが突然、振り返った。
サンジもつられて、ルフィから視線を上げる。そこにはいつの間にかルフィの父親が立っていた。
でも、いつもと様子が違う。優しい笑顔は消え、無表情だった。
「ルフィ、帰るぞ」
「い、やだ……いっ!」
「甘いな、お前の血は……あいつとソックリだ」
何が起きたのかサンジには理解できなかった。
ルフィの父親が嫌がるルフィを持ち上げ、その首に噛みついたのだ。
「ヤダぁ……うぅ」
怯えた声に急速に我に返ったサンジはルフィの父親を止めようと、恐怖心に竦む身体を無理矢理動かす。
「やめろよ! ルフィを放せ!」
「邪魔するな!」
手加減なく振り払われて、サンジは近くの木に頭から打ちつけられた。
胸が熱い、意識が朦朧とする。
歩み寄る存在に気がついていたがサンジは動くことができない。
「消えろ」
淡々とした言葉に戦慄した。ルフィの父親は壊れてしまったのだと、瞬時に理解する。
霞む視線に振り上げられた腕が見えた。
死ぬのか。
そう思った瞬間、誰かが目の前に現れた。
「サンジ!!」
「…ル、フィ?」
どさりと何かが倒れる音と濃厚な鉄のニオイ。
いつの間にかサンジの視界は真っ赤に染まっていた。
温かな水の感触が力の入らない手に振れ、サンジは絶望感に包まれる。
早く起きなければ。ルフィは自分を庇ったんだ。
そう思っても何もできず、意識は闇の中へと落ちていく。
「ルフィ!!」
「うっ……エース?」
耳慣れた兄の声に沈みかけた意識が再生した。痛む身体に息が乱れる。
サンジの様子を確かめたくて、視線を上げた。どうやら気を失っているようだ。
ちゃんと守れたとルフィが安心していると父親がゆっくりサンジに近づいてきた。
「消えろ……邪魔だ」
虚ろな声に背筋が冷える。もう狂ってしまったのだろうか。
常人なら命を落としているであろう出血量だが、混血であるルフィは平気だ。しかし、いくら混血といえ、これ以上サンジを庇えばルフィも命を失ってしまう。
それに以前に身体が上手く動かない。
痛みに歯を食いしばり、ふらつきながらもなんとか立ち上がった。
顔を上げ、父親を見る。ルフィはそのまま固まった。
目を逸らせない。何が起きているんだ。
「消えるのは、アンタだ」
不自然なほど静かな声。エースの右手が父親の胸を貫いていた。
そういえば、さっきエースの声を聞いた気がした。気のせいではなく、この場にいたのだ。
「エー、ス? なんで…?」
声が上手く出ない。
エースが腕を引き抜くと父親は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
少しずつ灰になっていく父親の姿に思わずしゃがみ込み、手を触れる。その手に父親も触れた。
優しい眼差しはもう正気を取り戻していた。
「ルフィを…頼、む」
「わかった。アンタは安心してあの女のトコへ行ってろ」
「そう、だな」
その言葉を最後に一気に灰になってしまう。
父親は最後に笑った気がした。でも、もうその場には何も残っていない。
「エース…父ちゃんが」
「……ルフィ」
父の手を握っていたはずの手のひらをルフィは開いてみる。風に舞い灰が飛ばされていった。
「あ……うぁあああああ!!」
「ルフィ!!」
「なん、で!? おれがいたから? サンジも…おれがここに来なければ…」
「違う。あの男が壊れたのはあいつの弱さだ。ルフィは悪くない」
取り乱すルフィを落ち着けるためにエースは極力、冷静な声音で話す。しかし、今のルフィに効果はない。
「でも、母ちゃんに似てるって…それが怖くて…サンジに会いたくて…おれが逃げなければ……う、あ」
エースを振り切り、倒れているサンジにルフィは近づく。
「ごめ、んなさい…ごめんなさい、ごめんなさい」
「安心しろ。サンジは生きてる……ルフィ?」
「ごめ…なさ……ごめんな…さい」
名前を呼びかけても、ルフィはサンジに謝り続けていた。深く祈りながら、何度も謝る姿は見ていてつらい。
ルフィの気が触れたかとエースは久々に焦りを感じていた。
突然の母の死と壊れた父。そして、幼馴染にケガをさせた罪悪感と優しい兄の手で消された父。
心の許容量をとっくに超えてしまっているのだろう。
「ルフィ、こっち見ろ……そうだ、いいコだ」
ルフィは虚ろな目でエースの目を見つめた。赤く染まるエースの目をじっと見つめる。
「父親はどこか旅に出た。そうだな、傷心の旅だ。もう戻って来ないがどこかで生きてる。お前に幼馴染はいない。サンジのことは忘れろ」
エースがゆっくりと目を閉じると、ルフィもつられるように目を閉じた。そして、そのまま眠ってしまう。
眠るルフィを抱きかかえ、エースはサンジを揺すった。
この出血を見てサンジはルフィが死んだと思っただろう。ルフィが混血だとは知らない。
それなら、この町から出て行ってもらおう。
サンジがいるとルフィの暗示が解けて、父親のことを思い出すかもしれない。それは避けなければ。
獣の爪にかなぐられたような痕をサンジの胸に見つけ、エースは舌打ちをする。
父が傷つけたのだろう。人間は脆くて面倒だ。辺りを見回し、見つけた公衆電話で救急車を呼ぶ。
仕方ない、サンジの家族と医者にも暗示を掛けよう。
そうすれば、この町から引き離すのも容易いはずだ。
「ルフィ…ごめんな。大事な父親を消して…」
何事もなかったようにスヤスヤと眠るルフィにエースの心へ安堵が広がる。
エースにとって父親など好きでも嫌いでもなかった。はっきり言って興味がなかった。
しばらく連絡も取っていなかったが久しぶりに会うと一緒に住もうと言われた。心底バカバカしいと思った。
しかし、人間の女に惚れて子供まで作ったというから少しだけ興味が湧いたのだ。
どんな女だろうかと思った。吸血鬼に惚れる悪趣味な女。でも、エースが強く惹かれたのはルフィだった。
無邪気に、エースの冷え切った心に入り込んで来た。
長い長い時間の中で初めて守りたいものができたのだ。
父親を消すことに躊躇いは少しもなかった。父親よりもルフィの方が大切だった、ただそれだけだ。ルフィを失うのはイヤだった。
救急車が来る前にサンジに暗示をしておかなければいけない。
エースはもう一度サンジに近づき、肩を優しく揺する。
「……サンジ、お前もルフィを守りたかったんだろ?」
初めて目の当たりにした吸血鬼は怖ろしかったはずだ。それが知っている人物だったなら尚更に。
脆いくせに向かっていく。その根性には感嘆してしまう。それだけルフィが大切だったのだろう。
できればルフィの記憶を消さないでいてやりたいが無理な話だ。
サンジがいればこの悪夢を思い出して、ルフィの心が壊れてしまうのだから。
ルフィを守るためなら、どんなことでもしよう。
ゆっくりと目を開けるサンジをエースは赤い目で見つめた。
***
全てを思い出した。
知るはずのない、気を失っているときの記憶まで鮮明に思い出した。
記憶を取り戻す際にエースの感情まで心に流れ、二人は困惑した。
エースは何も言わずにルフィを見ている。そして、困ったように笑った。
「これから先はお前の好きにしたらいい。父親の仇と暮らしたくないなら、おれがあの家を出て行くから。おれのこと兄だなんて思わなくていいから」
「……エース」
ルフィはその発言に驚き、目を見張る。
まさか、怒ると思っているのだろうか。自分がエースを憎むと思っているのだろうか。
あんなに必死に自分を守ろうとしてくれたエースを憎むわけがない。
しかし、失っていた記憶を思い出したのは今さっきだ。
脳が悲鳴を上げている。心の慟哭が止まず、言葉が上手くまとまらない。
早く何か言わなければと思うのに、焦って何も出てこない。
その様子を勘違いしたのか諦めたような表情でエースは二人に背を向け歩き出した。
「……じゃあな」
「エース!!」
ルフィの声にエースは立ち止まる。
「晩ご飯、一緒に食べよ……家で作って待ってて、兄ちゃん」
ろくな言葉が出てこない。不器用でイヤになる。
自分の家はエースがいる家なんだと。出て行かないで欲しいと、憎んでなんかいないんだと伝わっただろうか。
エースは間違いなくルフィの兄なんだと伝わっただろうか。
きっと、エースならわかってくれるはずだ。
「ルフィ……わかった、任せとけ」
どこか泣きそうな顔で振り返り、エースは笑った。
「なんなら、サンジもメシ食いに来いよ」
「ああ、そうさせてもらう」
何事もなかったように話すサンジを見て、エースは頭を下げる。
「…悪かったな」
「いいよ、別に。それがルフィにとって最善だと思ったんだろ。それなら、文句ねェよ」
「そうか。退魔されるのかとも考えてたんだがな」
冗談っぽく話しているが本心だろう。そして、退魔されようと抵抗しないつもりだったのが伝わり、サンジは呆れたように笑った。
「あんたを退魔したらルフィに嫌われるからな」
「そう、か?」
不安そうにエースはルフィに視線を移す。
「そうだよ! だから、退魔されたらヤダからな!」
今までの苦悩が全て吹き飛ぶような、明るい笑顔でルフィはエースを見た。
「そっか……そうだよな。よし、サンジに退魔されそうになったら殺すつもりで応戦する」
「そ、それもヤダなァ。仲良くしてくれよ」
爽やかな笑顔で物騒なことを言うエースにルフィは頬が引きつる思いだ。それはサンジも同じなのかため息を吐いている。
「仲良くか〜考えとく。じゃあ、これから帰ってメシ作るから、あんまり遅くなるなよ」
「わかった〜」
晴れやかな笑顔を見ていると暗示の件はエースも随分、悩んでいたがわかった気がした。
立ち去るエースの後ろ姿を見送ってから、ルフィはサンジを見る。
「おれ達、幼馴染だったんだな」
「変な感じだよな」
懐かしい感覚、でも気恥ずかしくて二人は照れたように笑った。
「吸血鬼、退魔したからもう別の町に行っちゃうのか?」
「いや、しばらくこの町にいる」
「そっか! よかった」
嬉しそうに笑うルフィを見て、サンジもつられて笑う。
夢の正体がわかってサンジは感慨深い気分だった。
吸血鬼が嫌いなのも、この町にこだわっていたのも、公園が苦手だったのも昔の消された思い出の中に答えはあったのだ。
喪失感もルフィを思い出した今なら感じるはずがなかった。
「ちょっと、いいか?」
「うん?」
サンジはルフィの頬にそっと触れる。温かい感触に泣きたい気分になった。
「生きてたんだな」
「そっか、サンジはおれが死んじゃったと思ったんだよな。記憶は消されてたけど、心が憶えてたのかな。おれも、サンジが生きててくれて嬉しい」
「そうか」
嬉しそうに見上げてくるルフィに、抱きしめてしまえと心が騒ぐ。
幼馴染を想う以外の感情がある気がして、サンジは動揺する。
幼いながらもルフィを守りたいと思っていたっけ。ずっと一緒にいたいとも思っていたんだ。そういえば、エースに嫉妬したりしていたと余計なことまで思い出してしまう。
この想いは恋に似ている。もしかしたら、恋そのものかもしれない。
「そうだ! 今日はおれの家に泊まれよ」
「それって手を出していいってことか?」
「はい?」
「ああ、深い意味なんてないか。悪い悪い。ちょっと混乱してんだよ」
不思議想に見てくるルフィを見つめてから、サンジは思うままに行動してみた。
「わっ、サンジ?」
ぎゅっと抱きしめて、ルフィの体温を確かめる。
ひどく安堵する。男とか、そんなことどうでもいいな。
その考えに自分の性癖を疑いかけるが、ルフィ以外の男にそんな感情になるわけがなく逆に困ってしまう。
「どうすっかなァ」
「う〜、悩むのはおれを放してからにしてくれ」
思ったより強く抱きしめていたらしく、ルフィは苦しそうに抗議してきた。
「なァ」
「なに?」
サンジはルフィを放してから、両肩を掴んだ。ルフィはサンジの行動が理解できず、不思議そうに見つめた。
「おれ、お前のこと好きだ」
「え? ありがとうございます…?」
「違う違う。こういう、好きだ」
明らかに勘違いしているルフィの顎を掴み、サンジは軽く口づける。
ルフィはぽかんとしたあと、これでもかというくらい赤面した。
「な、なにして……い、今…なにを…」
「あれ? わからなかったか? じゃあ、もう一回…」
「す、ストーップ!!」
両手でサンジの口を押さえて、ルフィはあわあわと慌てる。
「なん、なんで? からかってんの? 急に…ほんと、どういう意味? 本気、なの?」
黙っているサンジに不安になり、ルフィはまだ赤い顔のまま睨んだ。
「なんか言えって」
「……口押さえられてたら話したくても話せねェって」
「そ、そっか」
しつこくも押さえていた両手のせいで話せなかったらしい。
無理矢理、引き剥がされた両手をそのまま掴まれ、ルフィは目に見えて動揺していた。
「本気だ。こんな冗談、男にして楽しいわけないだろ」
「おれ、男だよ? もしかして、女と勘違いしてんのか?」
「んなわけねェだろ!」
「だ、だよなァ」
ルフィは笑いながらも、掴まれた両手を自由にしようと必死だ。
そんなルフィの抵抗をものともせず、サンジはルフィを見つめた。
「ルフィ」
「は、はい」
「好きだ」
心臓がうるさい。サンジまで聞こえるんじゃないだろうか。それほど、鼓動が高鳴っていた。
ルフィはどうしていいかわからない、それでもサンジから目を離せない。
「好きだ」
声に出すほど、それは正しいと思えた。音にするほど想いの形がはっきりとしてくる。
なんだ、おれはルフィが好きだったのか。きっと記憶を失っている間もずっと。
あの頃は自分の想いが恋愛感情だとは気がついていなかった。でも、今ならわかる。
サンジは目を逸らすことなく、赤くなっているルフィを見つめた。
「だから、ルフィもおれを好きになれ」
「なんだ、それ」
じっと見つめられ、強引なことを言われルフィは笑ってしまう。
「さァ? 暗示かな」
「………ちょっと、掛かったかも」
思いもよらない言葉にサンジは驚いた。その表情にルフィは慌てて、言葉を付け足す。
「だって、イヤじゃないから…でも、好きかって聞かれると困る…すごく困る」
「おれのこと、好き?」
「こ、困るって言ってるだろ! ……サンジのこと好きだけど、サンジと同じ意味なのか自分でわかんない」
意地悪なサンジをルフィは真っ赤になって睨む。
「可愛い反応」
「……可愛くない」
「謙遜しなくてもいいのに。まァ、しばらくは幼馴染ってことで良しとするか。さて、晩ご飯でもごちそうになるかな〜」
拗ねているルフィを置いて、サンジは歩き出した。
さすがに鈍いルフィにとっては急展開すぎたかと、少し反省もしている。でも、はっきり言わないと絶対に伝わる相手ではない。だから、想いを告げたことに後悔はなかった。
「おれの家、わかるの?」
「思い出したからな。ほら、置いてくぞ〜?」
そういえば、お互いの家に行って遊んだりもしていたことを思い出し、ルフィは先を行くサンジを追いかけた。
ふと、サンジの手が目に入り、昔を思い出す。
(そういえば、手をつないで帰ってたよな〜)
懐かしい気持ちのままルフィはサンジの無防備な手を握った。
「っ! ………お前なァ」
「幼馴染じゃんか。久々に手、つないで帰ろ。ん?」
不自然に顔を背けるサンジが気になり、じっと横顔を見上げる。
「あれ? サンジ……」
「……なんだよ」
不機嫌そうに応えているが、その顔は少し赤かった。
「照れたのか?」
「悪いかよ」
言葉と共に強く手を握られる。
いきなり告白やらキスやらしてきた相手とは思えず、なんだかサンジが可愛く見えてルフィは笑ってしまった。
「あはは、別に〜悪くないよ」
「クソ、なんか悔しいな」
「ししし、悔しがられてもなァ…んっ」
突然、掠めるように唇を奪われルフィは顔が熱くなる。
「ふん、お前の方が真っ赤じゃねェか」
勝ち誇ったように言われルフィはサンジを睨んだ。
「なるよ、バカ! それに幼馴染はキスなんてしないだろ!」
「するよ、余裕でするね」
「し、しないよ……しない、よな?」
あまりに自信満々に告げられた言葉にルフィの方が間違っている気になる。
少し不安そうにサンジを見上げると、ニヤニヤ笑っていた。
「どうかな〜。もう一回してみるか?」
「しないったら! なんかもうグダグダだな…」
「そんなことないだろ〜。おっ? 確か、こっちの道って抜け道じゃなかったっけ?」
サンジの言葉に脱力していたルフィも顔を上げる。
「あ〜! そうそう、空き地を抜けると近いんだよな!」
「久々に通って帰るか」
「うん! なんか色々と思い出してきたな〜」
抜け道を歩きながらルフィはわくわくしてきた。
サンジに関係する記憶が失われていたので、この道が自分の家の近道だということもすっかり忘れていた。
鮮やかに蘇った二人で遊んだ場所。今すぐ遊びに行きたい気分に駆られる。
そんな考えがわかったのか、サンジは笑いながらルフィを見た。
「明日にでも思い出巡りするか?」
「あはは、賛成! 楽しそうだな〜秘密基地ってまだ残ってるかな。途中までしか作ってなかった気がする」
「なくなってたら、また作り直すってのもいいな」
一緒にいたはずの時間にできなかったことは、これから一緒にすればいい。
そんなことを考えていると突然、胸の奥がズキリと痛んだ。
記憶が戻ったことで、父親のことも深く思いだす。
楽しかった思い出なほど喪失は大きく辛い。
サンジがいるから笑っていられるが、一人になると泣いてしまうかもしれない。
でも、きっと乗り越えられる。優しい両親を忘れずにいよう。しあわせな記憶は温かい。
繋いだ手の温もりがルフィを優しく癒してくれた。
「どうした?」
「ううん! 明日どこ行くかメシ食いながら決めような!」
手の温もりだけで慰められたなんて恥ずかしくて言えず、ルフィは誤魔化すように笑う。
それに気づいているのかいないのかサンジはルフィの頭を撫でた。
「そうだな〜って、ホントにお前の家に泊まっていいのか?」
「うん、いっぱい話聞きたい」
昔の話はもちろん、退魔士になった経緯や、これからのことも。
いろいろ話したいし、いろいろ聞きたかった。
「おれもいろいろ聞きたいな。お前のことなら何でも」
「またそういう言い方……聞きたいのは幼馴染としてだよな?」
「さァ、どうだろうな」
サンジの意味ありげな視線にルフィは顔を逸らす。
意識しすぎな気もするがサンジの行動を思い返すと仕方ないことだろう。
ちらりと視線を戻すとサンジは何事か考えていた。
「ということは今日も明日もルフィと一緒にいられるのか」
「ん? そうだよ。どうかした?」
「いや、しあわせだなと思って」
サンジは本当にしあわせそうにルフィを見つめる。あまりにも優しい瞳に心臓がまたさわがしくなってきた。
何を言っていいかわからず、ルフィは恥ずかしそうに視線を彷徨わす。
「そ、そう? よかったな」
「まァな。ルフィ、離れてた時間以上に一緒にいような」
「………うん」
ルフィの返事にサンジはひどく嬉しそうに笑った。
その顔に胸が少し苦しくなる。温かいのに、少し切なくて。でも、離れたくない。
この名前のない想いの正体がサンジといれば、いつかわかるだろうか。
そう遠くない未来にわかる気がして、ルフィは心の想うままにサンジの手を強く握り返した。
*END*