携帯のアラームで目が覚める。午前6時。
何でこんな時間に目覚ましを? と疑問に思い、すぐに理由まで思い至った。
ベッドを下りる。
レポート手渡し主義の教授のせいで早く起きたのだった。
さっさと手渡して、家に戻ろう。
何故か寝不足だった。
今日の予定はわかっていたのに早く寝なかったことが悔やまれる。
(あ〜、何で早く寝なかったんだっけ)
特に理由もない。ただ、何となく眠れなかっただけだ。
寝起きはいい方なのに妙に気だるい。
サンジは伸びをして、出かける準備を始めた。
***
「あれ? ナミさん?」
「おはよう、サンジ君。眠そうね」
レポートを提出したあと、さっさと帰ろうとしていると大学の敷地内でナミを見かけた。
「眠いですよ」
「そうでしょうね〜。見た感じ眠そうだもの」
おかしそうに笑うナミにつられて、サンジも笑う。
「また飲み会しましょうね。ふふ、短い期間に二回もするつもりなかったんだけどね」
「はは、そうですね。ま、たまにはいいんじゃないですかね」
「そういえばサンジ君って旅行、何で行かなかったんだっけ?」
「そういう気分じゃなくなった…から?」
「聞かれても困るわよ。まァそんなもんよね。それじゃ、バイトあるからまた今度ね」
「はい、また」
ナミに手を振って、サンジは歩き出す。
そういえば旅行するつもりだった。でも、行かなかった。
だから、ナミやゾロと自宅で飲み会をしたのだ。
どうして行かなかったなんて、そういう気分じゃなくなったからだとしか思えない。
理由なんて他にはない。あるはずがない。
ぼんやりと考えながら歩いていると道行く通行人にぶつかってしまった。
「悪ィ! 大丈夫か? よそ見してた」
肩がぶつかっただけで、わざわざ立ち止まってまで謝罪するとは律儀な男だ。
サンジは感心しながらも、苦笑する。
「いや、平気だ。こっちもボーっとしてたからな」
「そうだったのか。なんかお前、顔色悪くないか?」
心配そうに覗き込んでくる男は相当、人が良いらしい。
肩がぶつかっただけで、ここまで心配されるとは思わなかった。
「あー、ただの寝不足だろうから気にするな。これから帰って寝直すし」
「そうか。まァ自宅に帰るまで倒れないように気をつけろよ」
「ああ、あんたも人にぶつからないように気をつけろよ」
アクビをかみ殺し、サンジはその場を立ち去る。
「…あいつ、きっと泣いてるぞ?」
「え?」
呟くような言葉にサンジは振り返った。しかし、男はもういなくなっていた。
人混みに紛れたのだろうか。
やけに心に残る言葉だ。
自分に言ったわけではないのだろうけど、男の言葉にまだ動揺している。
どうして動揺しているのか自分でもわからなかった。
異常なほどの不安に駆られる。
どうにかしないと。
何を?
傍に居てやらないと。
誰の?
よくわからない疑問が心を追い詰める。
きっと、寝不足のせいだ。
早く帰って寝よう。
***
自宅に帰り、一眠りした。
夕方頃に目を覚ましても、あの男の言葉が不思議と心に張り付いていた。
何だか落ち着かなくて、散歩でもするかと自宅を出る。
別段、何も変わらない日々のはずなのに、どこかモヤモヤとした。
突発的にとはいえ、計画していた旅行できなかったからだろうか。
それでも、旅行しなかったのは自分の意思だ。
行けなかったことを後悔するなんて、お門違いもいいところだろう。
ぶらぶらと近場を散歩していると、心が落ち着いてきた。
(やっぱり気のせいか)
あの男の言葉が気になること自体がおかしな話だったのだ。
急に晴れやかと言っていいほど、心が楽になる。
自宅付近の公園に差し掛かったとき、心が軋んだ。
何のことか全くわからない。
足早に公園を抜ける。何を不安に思っているのだろうか。
わけのわからない感覚に苛立ちすら感じた。
ベンチに目を向けると、見覚えのある男がこちらを見ていた。
「あっ」
「よう」
それは今朝、肩をぶつけた男だった。
サンジを見て、神妙な顔をしている。
「正直、おれもどうしていいかわからない」
「は?」
「きっと、おれにはどうすることもできない。このままだと壊れるかもしれない。お前も、あいつも」
なんだかよくわからない、結構怖いことを言っているが耳を傾けずにはいられなかった。
この男はとても大切なことを言っている。
それだけは、わかったから。
「でも、お前にヒントはこれ以上渡せない」
「何が?」
「思い出すのは、無理だ。だって、そうだろ? なかったんだから」
息が詰まる。何を言っているんだ、この男は。
「それを思い出すのは、心を壊れる可能性もある。お前の精神も無事じゃないかもしれない。そんなこと、あいつは望まない。だから、忘れてろよ。大人しく忘れたらいい」
「……」
「どうしようもないことは世の中、たくさんある。これはその一つだよ。壊れたくはないだろ? あいつが壊れないように、あいつの傍にはおれが居るから心配ない」
「っ!」
その言葉に、自分でも驚くほどに苛立った。
「全部、忘れてろよ? 本来、思い出せるはずないんだ。あってはいけないことだ。だから、ここであったことも忘れろ。その方がいい」
そういう目には迷いがあった。きっと、この男自身は気づいていない。
迷いだらけだ。どうしていいかわかっていない。最善を探して、迷っている。
この男の出した結論に同意してはいけない。そんな気にさせられた。
「あんたは、それでいいのか?」
「…おれは……魂が欲しかった」
「?」
「それだけだったんだけどなァ」
困ったように諦めたように、でもどこか嬉しそうに男は笑った。
「…じゃあな」
サンジが何かを言う前に男は忽然と消える。
気づいたら夜だった。
無人の公園、しかもベンチの前に突っ立って何をしているんだか。
妙に頭が痛い。本当に何をしているのか、よくわからなかった。
早く帰って晩ご飯にしよう。そういえば、朝から何も食べていないのだ。
この不安も、時が経てば自然と忘れていくだろう。
*続く*