早く起きるのは苦手だったりもするルフィは根性でソファーから起きた。
時計に目を向けると午前8時。サンジがそろそろ起きても申し分ない時間。正直、寝過ぎた。
多少焦りながら、そーっとサンジを見に行くと、まだ眠っている。
身支度を整えて、とりあえず洗い終わっている洗濯物をカゴに入れて、ベランダに持って行く。
昨日の、というか居候させてもらっているお礼に何かしたかった。
今日は快晴で、風もそよそよと吹いている。これなら問題なく乾くだろう。
二人分の洗濯物はそこまでないので、すぐに干し終えた。
「わっ!?」
振り返るとサンジがいつの間にか背後にいて、かなり驚いてしまう。
「はは、おはよう」
「お、おはよう…もう、ビックリさせんなよ〜」
「いやいや、そんなことまでしてもらって嬉しいなァと思ったんだよ」
ルフィの持っている洗濯カゴを指差して、サンジは嬉しそうに笑っていた。
なんだか、照れてしまう。照れ隠しに、必要以上に怒ったような態度でベランダから部屋に戻る。
窓は網戸にしておく、換気に丁度いいし、風が心地良い。
「背後に立つ理由にはならないって!」
「悪かったって。朝食はおれが作ってやるよ」
「えっ?」
「それもしてくれる予定だったのか?」
意外そうな表情にルフィは再び気恥ずかしくなった。
「うん。いろいろとお世話になってるから」
「気にしなくていいのに。おれ、料理は作るの好きだからさ。でも、お前の作る料理も食ってみたいから今度作ってくれよ」
「…じゃあ、今日の晩ご飯作る」
今度、だなんて曖昧な表現ではいけない。サンジと一緒にいられる時間はそれほど残されていない。
自分の料理を食べてみたいと言ってくれているなら、食べて欲しい。
めちゃくちゃ上手というわけではないけれど。一生懸命に作るつもりだ。
「じゃあ、材料買いに行かないとな。楽しみにしてる」
「うん!」
頭を撫でられて、ルフィは嬉しそうに笑った。
(やっぱり、サンジが好きだなァ。絶対に、守りたい)
好きな人が自分の誕生日に永遠にいなくなってしまうなんて、そんなのは悲しすぎる。
叶わないはずの願いが、叶うかもしれない。いや、絶対に叶えるのだけど。
ここまで強く思った願い事はないような気がする。
サンジのためというよりは、完全に自分のためだ。
サンジのいない世界を生きることを怖れた、一般人には過ぎた願い。
それでも、偶然だが叶うことになった。まだ、叶えている途中だから油断はできないけれど。
自分は強運だと思う。普通では叶うことのない願いのはずなのだから。
洗濯カゴを置きに行ったあと、朝食の準備をしているサンジの後姿を見て、ふとサンジの願い事が気になった。
「サンジって、叶えたい願い事ある?」
「…願い事? 唐突だな。どうしたんだ急に」
「え!? あ〜、七夕…近いから…」
別に近くもなんともない。事実、二ヶ月先だから気が早いにもほどがある。
呆れつつもサンジは応えた。
「近くはないだろ…短冊に書く願い事って話か?」
「うんうん」
「この歳でそんな話をされるとは思わなかった…願い事ねェ…」
意外と真剣に考え出したサンジのますます願い事が気になってしまう。
自分に出来ることなら叶えてあげたい。エースが自分の願いを叶えてくれたように。
いつの間にか、じっと見つめられていてルフィは目を瞬かせる。
「な、なに?」
「…いや、願い事ってひとつ?」
「サンジは欲張りだなァ。う〜ん、短冊に何枚も書くのって叶わない気がしないか?」
「それもそうだな。たったひとつか」
「なんかある?」
「ある。でも、言わないぜ? 願い事は言うと叶わないっていうだろ?」
そういえば、そんな話を聞いたことがある。
由来まで知らないし、真実のほどはわからない。でも、それを言われると聞きにくい。
少し考えていると、サンジが何気なく訊いてきた。
「お前はないのか? 叶えたい願い事」
そう問われたときにノドがひりつくような思いがした。
あるに決まっている。
サンジと、もっと一緒にいたい。
でも、どうしても叶えたい願い事は『サンジが生きていること』だ。
それが叶えたい願い事の圧倒的な一位だ。順位の覆ることのない絶対的な願いだ。
「どうした?」
「っ…あるよ! あはは、言っちゃうと叶わないんだろ? だから、おれも内緒」
なんて便利な言い伝えだ。これで願い事を黙っていることに何の問題もない。
ルフィは不自然にならないように笑って、調理の手を止めてこちらを見ているサンジを見つめた。
「…お互い叶うといいな」
「うん」
「こんな話題も出たことだし、七夕に短冊へ実際書くか。おれの願い事、見るなよ」
「あはは」
無理に笑うことしかできなかった。返事はできない。だって、七夕の頃には一緒にいないから。
七夕どころか明日にはもう、そこまで考えて思考を凍結させた。
調理を再開したサンジは気がついていないだろうけど、悲しい顔をしている場合ではない。
思い出は楽しい方がいい。それなら、考えてはいけないことだ。
なかなか、自分には難しいことだけど笑っていたい。
自分が笑えば、サンジも笑ってくれる。自分が悲しい顔すれば、サンジは心配してしまう。
心配している顔よりも、多くの笑顔を憶えていたい。
「ほら、できたぞ」
「やった! お腹ぺこぺこだ!」
大好きな人の作った美味しそうな朝食。
温かい日差しと開けたままの窓から吹き込む柔らかな風。
どこまでも優しく温かな二人だけの空間。
この感覚は、きっと忘れない。
「あはは、ゆっくり味わって食えよ」
こういう笑顔を憶えていたい。きっと、恋なんてそういうものだ。
***
ルフィの作った夕食をサンジは残さず食べてくれた。
少々、失敗してしまったのだが、文句も言わず美味しいと言ってくれた。
それが本当に嬉しくて、申し訳なく思う。もっと、上手く作ってあげたかった。
それでも、サンジの嬉しそうな表情を見ると合格点だろう。
後片付けが終わった頃、玄関のインターフォンがなった。
サンジは首を傾げて、携帯を手に取る。
画面を見てから少しの操作、メールでも見ているのだろう。
申し訳なさそうな顔でサンジはルフィを見た。
「悪い、ルフィ。来客だ」
「え? おれ、どうしたらいい?」
「気兼ねするような相手じゃないから、そこにいろ。お前なら仲良くなれるって」
そんなことを急に言われても困る。でも、今さらどこかへ出かけるのも躊躇われた。
ここは腹をくくって、仲良くなってやろうと思う。サンジの交友関係に混ざりたい、今だけでも。
玄関の鍵を開けに行ったサンジの後ろ姿を見つめながら、落ち着かない気持ちのままリビングで待つ。
「どうしたんです?」
いつもより丁寧なサンジの言葉遣いに少し驚いて、次に聞こえてきた声音にもっと驚いた。
「旅行するかもって言ってたのに車があるんだもの。防音完備のマンションに住んでるのってサンジ君くらいだから。彼女とも別れたし、飲み会でもしようかと…あら?」
まさか、女の人だったとは思わなかった。
彼女ではないはずだけれど、可愛い容姿の女性に動揺してしまう。
ズカズカとリビングまで入って来た女性はルフィの姿を見て、目を丸くしている。
「は、はじめまして! 居候させてもらってるルフィです」
「か、可愛い生き物がいる…初めまして、私はナミよ。ちょっとサンジ君、どういうこと?」
ぺこりとお辞儀をしたルフィを見て、ナミは可愛さのあまりに震えた。そして、サンジに詰め寄る。
「詳しくは言えないですけど、家庭の事情と偶然で……一昨日の晩から一緒に住んでるんです」
「そうだったの〜よろしくね、ルフィ。敬語じゃなくていいからね。あ〜っと、私達は腐れ縁なのよ」
にっこりと笑うナミを見て、ルフィも笑った。
内心はサンジとどういう関係かものすごく気になっている。
「腐れ縁?」
「ええ、別に好ましくない関係ってわけじゃないんだけど。小中高、大学が一緒なのよ。別に進路を合わせたわけじゃないんだけどね。クラスも同じことが多いから自然と仲良くなったってわけよ」
「そうだったんだ〜」
それはとても羨ましい。言わないけど、心の中で猛烈に思った。
小学生の頃からサンジを知っているだなんて、ルフィには自慢にしか聞こえない。
笑顔のナミを見て、ルフィは違和感に気づいた。
「ん? 手ぶらなのに飲み会?」
「ああ、荷物持ちはもう一人の腐れ縁がしてるのよ」
ナミのセリフと同時に玄関がバタンと乱暴に開く。そして、律儀に鍵を閉める音がした。
「少しは持てよ!! 女だからって甘えすぎだぞ!!」
「これがゾロよ。凶悪犯みたいな顔してるけど、意外と優しいトコあるのよ。押しに弱かったりね。ヘタレだと私は思うんだけど結構女にモテるのよ。どこがいいのかしらね?」
「いきなり蔑むな! って、誰だ?」
「わ、初めまして。ルフィです。サンジに居候させてもらってます」
再びぺこりと頭を下げると、ゾロは固まり、ギギギと擬音が出そうな動きでサンジを見た。
「こ、これは犯罪だろ。お前、幼児趣味だったのかよ」
「なんでやねん! ルフィは高校生だぞ! しかも、別に手を出したわけじゃねェよ、まだ。藻のくせに変な勘繰りすんな!」
ゾロはサンジにド突かれて、高校生なのかと呟いている。
「まだって…出す気満々じゃない。サンジ君、趣味変えたの? でも、今まで選んできた人物の中で性別のことを織り交ぜても最高得点あげたいわ。なんというか動き? いや、雰囲気がツボだわ…なんか、好き。まだ手を出してないなら…私が…」
「ナミさん、落ち着いて!!」
内容はわからないが、仲の良さそうな三人のやり取りに自然と笑う。
嫉妬しないこともあるのか。というか、面白い三人組だ。
絶対に気が合うと直感でわかった。
飲み会にはジュースで参加した。
酔っ払って記憶がなくなるなんて、もったいなくてできない。
なんだか、とても楽しかった。
三人は腐れ縁の関係だと言っていたけど本当は仲が良いのだと思う。
そして、疎外感なく違和感なくルフィを三人の中に入れてくれた。
昔から友達だったみたいな感覚にテンションも上がる。
「二人とも酒が強いんだな〜」
「まァな」
「すごい! おれの家は家系的に弱いんだ〜すぐ顔が赤くなるんだよ」
ルフィに褒められてゾロは顔を赤くしていた。
「おい、お前…」
「違う違う!!」
「全力の否定が逆に怪しいんだよ…」
サンジに凄まれてゾロは慌てて何かを否定している。
ナミはその様子をケラケラと笑って見ていた。
「んん?」
「ゾロとサンジ君って性格は全然違うのに好きなタイプは意外と被るのよね〜。ゾロ、今回は応援してあげたら? いいコじゃないの。たぶん、サンジ君にはこれ以上の上玉は一生、現れないわよ。世間一般は簡単に認めないだろうから私達くらいは生暖かく見守らないとね」
「……そのつもりだ」
「頼むぜ、本気で」
苦虫を噛み潰したような表情でゾロはナミの言葉に頷く。
「三人の会話は意味わかんねェな」
「かっわいいな〜。鈍いのね〜」
「どこが? ホントによくわかんない。でも、面白いな!」
ちびちびとオレンジジュースを飲みながら、ふと時計を見て驚く。結構、時間が経っていた。
そろそろエースに会いに行かなくてはいけない。
騒いでいるナミとゾロに聞こえないように、ルフィはサンジにこっそりと話しかけた。
「おれ、散歩してくる」
「ホントに日課なんだな。気をつけて行って来いよ?」
「うん! おれのことは気にせずに飲んでてよ」
上着を掴み、出掛けようとして忘れ物を思い出し、キッチンへ向かう。
目的の物をポケットに突っ込み、ルフィは三人の飲み会を邪魔しないようにコッソリと出掛けた。
***
公園に行くと昨日と同じように、ベンチへエースが座っていた。
「具体的な時間がわかったぞ」
「えっ?」
ルフィがエースの横に座ると、前置きもなしに話し始める。
「サンジを明日の午後10時まで確実に自宅の部屋へ居させれば、死の運命は覆される」
「明日の、午後10時」
多少、戸惑った。しかし、はっきりと時間がわかると身の引き締まる思いだ。
「名残惜しいかもしれないが、時間移動して戻るのは早い方がいい。できれば、午後10時になったら、この公園まで出てきて欲しい」
「わかった」
自分の中で予定していた時間よりも2時間も早い。
それでも、サンジが助かるまでの道のりが少しだけ短くなったのだ。
悲しいけれど、悪い話じゃない。
元の時間軸に戻ること、忘れられてしまうこと。
寂しいけれど、わかっていたことだ。
「…いいのか?」
「そのためにエースにワガママ言って、時間を越えて来たんだろ? いいに決まってるよ」
魂を受け渡すエースに心配されて、ルフィは笑ってしまった。
この男は憎めない。ずっと一緒にいても構わない、そう思えるくらいにいつの間にか心を許していた。
「そうか」
「なァ、ここで出会った人のことも憶えていられるのか?」
「ああ、お前の記憶は触らない。戻った時間の出来事もすべて憶えたままだ」
「そっか。ありがとな、エース」
「…何が?」
何にお礼を言われたかわからなかった様子でエースはルフィを見てきた。
「それって違反だろ?」
「っ…まァな。でも、いいんだ。おれがそうしたいから」
「本当におれの周りにいる奴は優しくて困るなァ」
泣きそうになったので無理して笑った。
ルフィの予想通り、記憶を改ざんしないことは違反だった。
それでも、エースの気遣いでルフィの記憶は守られる。
存在しなかった日々の記憶。
エースが記憶を改ざんするとしても、ルフィに責められることはないのに。
だって、記憶を改ざんすれば、そのことさえも忘れてしまうのだから。
でも、エースはそんなことしないだろう。
言の葉に嘘は感じられない。ただ、ルフィのために行動してくれている。
「エースはずっと一人で魂を集めてるのか?」
「ああ、それが使命だからな」
「つらくなかった?」
エースのことが気になった。
人間ではないけれど、彼の行動はとても優しい。
出会った当初に感じた人間ではない感覚を今はあまり感じない。
彼もつらいと思うことがあるのか気になった。
「さァ、人間とは違うからな。お前は呼吸をするときつらいと感じるか? それと同じだ。一人で魂を集めるのがおれには当たり前だ」
「つらいときもあるよ」
「えっ?」
ルフィの言葉にエースは驚く。
「例えば、風邪を引いたときとか。鼻が詰まって息苦しいなァってなったり、ノドが腫れて呼吸するのも一苦労とかさ」
「それは…」
「うん、特殊な状況下じゃないと気づかないことだけどさ。それでも、生きていくのに呼吸は止められない。それと同じかなって思う」
「ん?」
どういう風に言えばいいかわからない。上手い言葉が出てこない。
こればかりはエースに感じ取ってもらうしかない。ルフィにだって明確な感情を持って話しているわけではないのだから。
「エースもそれと同じで、いつもは平気だけど…やめるわけにはいかないけど…たまに、つらくなっちゃうのかなって。だから、おれの魂が欲しいのかなァって思ったんだよ」
「………お前は危険だな」
「はい?」
予想外のセリフにルフィは首を傾げた。
「すごく、危険だ。ないはずの心を刺激してくる。おれに『感情』を与えたいのか? 理解よりも先に心が動くなんて……今まで、ありえなかったのに。あの時も、そうだった……お前は危険だ」
「……難しいこと言うな」
「難しくないだろ」
「仮にも兄ちゃんなんだから、わかりやすく言えよ」
「めちゃくちゃわかりやすいだろ。さすが兄ちゃん! すごい! カッコイイ! って言いなさい」
何だか意味のわからない口喧嘩のようになってきて、ルフィは内心で面白いと感じてしまった。
「全然わかんないって! 実際、理解できてもそんな褒めないから! っていうか、あの時っていつ?」
「……元の時間軸に戻ったら教えてやる」
「絶対だぞ? あ〜、あんまり遅くなったらサンジが心配するかな」
「ん、そうだな。あと一日だ。陰ながら応援してるからな」
「うん、大丈夫。油断しないから。じゃあ、また明日。あ、エースこれ」
先程、上着に突っ込んで来た物を思い出して、ルフィはそれをエースに差し出す。
少し大きめのおにぎりが二つ、ラップに包まれていた。
夕食を作るときにサンジに内緒でエースのために作ったものだ。
「なんだ? おにぎり?」
「こっそり作ったんだ。エースには要らないのかもしれないけど、いつか何か作ってやりたかったからさ」
「はは、手料理がおにぎりかよ」
「む、文句あんのか?」
「ない、カケラもない。ありがとう」
「? そんなお礼を言われるほどのものじゃないと思うけどな」
見たこともないくらい優しい笑顔に混乱してしまった。やはり、エースの考えは読めない。
「そんじゃあな! 残すなよ〜」
「ああ、本当にありがとう。ちゃんと食べるよ」
おにぎり二つで、あそこまで感激するとは変な男だ。
エースに手を振り歩き出す、マンションの階段を上り、合鍵で家に入る。
ナミとゾロの靴はなくなっていた。すれ違わなかったから公園とは逆の方向に帰ったのかもしれない。
部屋に入ると酒のニオイがした。
「ただいま〜…まだ飲んでるのか?」
「お帰り。さすがにもう飲んでないって。二人とももう帰ったぞ。風呂、入って来いよ」
「うん」
部屋の中に転がるビール缶を片付けているサンジはもう風呂に入ったようだ。
思ったよりもエースと話し込んでいたのだろう。
ルフィは着替えを持って、風呂場に向かった。
身体を洗い、湯船に浸かる。
疲れも取れるようで、安堵のため息を吐いた。
(明日は自分の着てきた服を着た方がいいかな)
確か、買った物もなかったことになるとエースが言っていた気がする。
時間を戻った瞬間に全裸になっては滑稽すぎて泣くに泣けない。
洗濯して乾いているだろう。パンツもあの日に履いてきたものをわざわざ用意した。
元の時間に帰る準備をしていると思うと、ひどく心が騒ぐ。
悲しむのは、まだ早い。喜ぶのも悲しむのも、全部終わってからだ。
何度も決意しているのに、何度だって揺らぐ。
情けないと思うけれど、当然だとも思う。
だって、サンジが好きなのだ。どうしても、助けたいくらいに。
助けられるなら、離れることも忘れられることも耐えられる。
耐えられるだけで、つらくないわけではない。
ルフィは悲しみを断ち切るように、湯船から立ち上がった。
***
「風呂出たよ〜」
「こっち来い」
「ん?」
ルフィは呼ばれるがまま、ベッドに仰向けに寝ているサンジへ近づく。
「ちょっと、手のひら見せてみろ」
「手のひら?」
手相でも見られるのかと疑問に思いつつ、ルフィはサンジに右手を見せた。
すると、サンジはその右腕を掴み、ルフィを引っ張ってきた。
突然のことで踏ん張りが利かず、ルフィはサンジの上に倒れてしまう。
「なっ!? ご、ごめん! じゃなくて、サンジがしたんだった!」
「今日はここで寝ろよ」
「はァ!? よ、酔ってんのか? いいから放せって!!」
動揺してしまっても仕方ない展開だ。平常心なんて吹っ飛ぶ。
好きな人に拘束するように抱きしめられて、眠れるわけがない。
「ワガママ言うな」
「どこがワガママだ! ちょ、ちょっと本当に…っ?」
お尻を触られている気がして、思わず黙る。
もしかして、元彼女と間違えているのだろうか。そう思うとすぐに心が凍った。
「どうした、ルフィ?」
「っ! …サンジ」
酔っ払っているのかもしれないが、元彼女と間違えているわけじゃない。
サンジは、はっきりと自分の名前を呼んだ。
それなら、一緒に眠るくらい構わない気がした。
自分と一緒に寝たいと思っているのなら、添い寝くらい。
「おれと寝るのが嫌なのか?」
多少、凄まれて動揺してしまう。なかなか怖い。でも、嫌ではないのでルフィは首を横に振った。
「嫌じゃないけど、このままじゃ寝られないって」
「それもそうか。ほら、これなら大丈夫だろ」
まるで抱き枕のように後ろから抱きしめられる。
自分の身体の下で潰れている右腕は痛くないのか。というか、どこが大丈夫なのかわからないような体勢だ。
「ね、眠れません」
ドキドキしすぎて、眠れない。
お腹の辺りを撫で回す左手が気になる。
「うるさい。寝ろ」
「うう…手を動かさないでくれよ〜くすぐったい」
「これ?」
「ひっ! ば、バカ!! 酔っ払いは大人しく寝ればいいんだよ!!」
衣服の中に入り、直接肌を撫で回されたルフィは慌ててサンジの手の甲を抓った。
すると大人しく服の中から退去してくれた。
「止まらなくなったら困るもんなァ」
「?」
「寝る寝る。おやすみ、ルフィ」
抱きしめるのを止めて、サンジは普通に眠る体勢に入る。
電気を枕元のリモコンで消して、こちらに背中を向けられた。
それを見て安心したような寂しいような不思議な感覚になる。
ルフィは自身の感情を持て余しながらもサンジに背中を向けた。
「おやすみ、サンジ」
男二人が寝ても、大丈夫なくらい広いベッド。
サンジの匂いがした。鼓動が少し、速まる。
このベッドで彼女とも一緒に寝たのだろうか。
ズキリと、胸が痛んだ。
当たり前のことを考えて傷つくなんて、恋は厄介だ。自身で制御できない。
彼女は何人もいただろう。このベッドで一緒に眠った女性もたくさんいたはずだ。
そう思うと、すぐにでもこの場から出て行きたくなった。
それでも、出て行かない。ただの意地だ。
ゆっくりと寝返りを打ち、サンジの背中を暗闇に慣れた目で見つめる。
規則正しく聞こえる呼吸音。もう、眠っただろうか。
そろそろとサンジの髪の毛に手を伸ばす。
一度、触れてみたかった。触れる直前で思い止まる。
起きた時の言い訳が思いつかない。
思い直して、サンジの服の裾を掴んだ。
とても安心する。しかも、これなら寝ぼけたと言い訳できる。
髪の毛を撫でて、寝ぼけたというのも平気かもしれないけど。
今は、サンジに彼女はいない。だから、自分のことを少しは考えて眠って欲しい。
思うだけなら、勝手だろう。
ドキドキするけど、安心する。不思議な感覚だ。
初恋の相手が男だなんて、実に奇妙な出来事だ。
自分もいつかは誰かと結婚して、子供が産まれて、そんな未来を漠然とだが考えていたのに。
でも、自分は男が好きというわけではなさそうだ。だって、今まで出会った男にこんな感情を抱いたことなどない。
相手が男だろうが女だろうが、こんなにドキドキするのはサンジだけだろう。
嬉しくて、しあわせで息苦しい。
恋は切ない、儘ならない。感情を乱されて、醜い自分と初めて対面したりもした。
それでも、恋をしてよかったと思う。
苦しくて切ないけど、それ以上の温かい何かが自分に芽生えた。
サンジに会わなかったら、サンジに恋をしなければ知らなかった感覚だ。
明日でサンジとの生活は終わってしまう。
夜が明けなければいいのに、と思ってしまった。
この願い事は叶わなくてもいい。叶えないで欲しい。
叶う願い事は、たったひとつで充分だ。
サンジの服を、ぎゅっと強く握りルフィは眠りについた。
*続く*