サンジは目を覚ますと、ソファーに寝ていた。
寝ぼけたかと思ったが、自身のベッドを見て、昨日の出来事を思い出す。
かなり異質な状況だと思った。
旅行に出るはずだったのに、気がつけば今に至る。
なぜルフィの滞在を許したのか、謎だ。だって、赤の他人なのに。
一度、寝ているルフィを確認しに行く。
すやすやと寝ている姿はまだ当分起きそうもなかった。
なんとなく、頭を撫でる。
身じろぐ事もなく、眠り続けていた。余程、疲れているのかもしれない。
起こすのもはばかられ、とりあえず着替えてから、洗濯でもするかとサンジは立ち上がった。
***
「ん……」
雑事も終わり、のんびりしているとルフィが小さく呻いた。
壁掛け時計に目を向けると、昼前。
そろそろ起こさないとさすがに、やばいかと寝返りを打つルフィに声を掛ける。
「起きたか?」
予想を超える俊敏さで、ルフィは跳ね起きた。驚かすつもりはなかったが、寝起きは無防備なものだ。聞き覚えのない声に驚いたのかもしれない。
「サンジ!」
「お、おお? おはようって、もう昼だけどな」
やけに勢いのいいルフィに驚きながらもサンジは笑って挨拶した。
どうやら状況は理解しているらしい。
あわあわと慌ててルフィはサンジを見てから、しょんぼりとした。
「おはよう! 買い物…ごめん、寝すぎた」
どうやら、寝過ごしたことを申し訳なく思っているらしい。気にすることないのに。
「いや、疲れてたみたいだからな。休日だし、のんびり寝ればいいんじゃないか? まだ寝るか?」
「ううん、大丈夫。起きる!」
身体が痛むのかルフィは多少、ぎこちなくベッドから下りた。そして、きょとんと首を傾げた。
「ん? おれ、ベッドで寝てたっけ…あれ?」
「あ〜、テーブルを枕に爆睡してたから、ベッドに運んだ」
「えっ…ご、ごめん。おれはソファーでよかったんだけど」
再び申し訳なさそうにしているルフィの右頬を軽く抓る。
気にしているのは目に見えているので、気を遣う関係は止めようという意味を込めて抓った。
「別にソファーで寝るくらいどうってことないっつーの。気を遣いすぎると疲れるぞ?」
「は、はーい」
抓られた頬を擦りつつ、ルフィは嬉しそうに笑う。
安心した。ルフィに気を遣われると何だかむず痒かった。ワガママを言って、甘えてくれた方がいい。理由まではわからないけど。
「着替え、どうする? 一応乾燥機にかけてるけど、まだお前の服は乾いてないんだよな。おれの服でもいいか?」
洗濯はしたが乾燥させるのを忘れていたので、まだ乾いていない。
すぐに出かけるのなら、自分の服を貸した方がいいだろう。
「うん! ありがたいです」
ルフィは笑って、礼を言って来た。
申し訳なさそうにされるより、この方がいいなと思いつつサンジはタンスへと向かった。
***
サンジの服はサイズ的に少し大きかったようだが、それほど違和感はない。
ぎゅるるる
ものすごい腹の音が聞こえた。
恥ずかしそうにしているルフィを見て、サンジは笑う。
「ははは、スゲー音だな」
「うう、お腹すいた」
制御できない腹に手を当てて、ルフィは元気をなくした。
その様子が面白くて、サンジは笑いながら上着を羽織る。
「はいはい、まずは昼メシにしようか」
「賛成!! 早く早く!」
引っ張るように玄関に連れて行かれ、少し呆れたが、こういう関係は心地いいと思った。弟がいたらこんな感じだろうか。
そこまで広くない玄関なので、ルフィが靴を履くのを待つ。靴ヒモがほどけていたのか結び直していた。するとルフィが何かを見つけたように動きを止める。
「女ものの靴だ」
「えっ? あ〜、処分し忘れだな」
立ったままでは見えない場所に元彼女の靴を見つけたようだ。
サンジは今の今まで忘れていた靴を見て、次のゴミの日を考える。
「……彼女、住んでるの?」
どこか強張った声に首を傾げた。もしかしたら、彼女が住んでいると思ったのかもしれない。再び気を遣わせるのも嫌で本当のことを答える。
「いや、彼女が住んでたら、さすがに宿泊許可しないって。ここに住んでた元彼女の。出て行くときに持って帰るの忘れたんだろ。処分していいって言ってたし、あとで片付けるかな」
「へ〜」
靴ヒモを結び終わり、納得したのかルフィは立ち上がった。すると、自分の頬を抓っている。
何をしているのか理解できず、思ったまま訊ねていた。
「何してんの?」
「べっつに〜。彼女がいて羨ましかっただけ」
「なに? 彼女、欲しいの?」
年頃の男のコらしい発言の可愛らしさにニヤついてしまう。
そのニヤつきに少しイラだったのか、ルフィは顔をしかめた。
「……おれは恋人いたことないから、彼女が欲しいとかそういうのわかんない」
「えっ? お前って何歳?」
別段モテなさそうには見えない。ただ、子どもっぽい雰囲気があるので年齢確認しておこう。
「17歳、じゃなくて…16歳。高校2年生」
なぜか年齢を間違えていたが、そういうこともあるだろうと気にも留めなかった。
それよりも高校2年生というのに少し驚いた。中学3年生くらいに見えないこともないのだ。
さすがに直球で言うのは、はばかられる。サンジは動揺を押し隠し、話を続けた。
「高2か〜好きな奴とかいるの?」
「いるよ」
サンジに背を向けてドアから外へ出つつ、それでもハッキリとルフィは自分に想い人がいることを告げた。
なぜか、その言葉は胸にこびりついたように離れない。好きな人が、いる。
そんなに驚く話しでもないのに。サンジは玄関を出ながら、不思議な感覚に内心で戸惑った。
それでも、内心の戸惑いは少しも表に出さない。自分だって何に驚いているのかわからないのに、そのことを訊かれたら困るから。
平静を保ちつつ、玄関の鍵を閉めた。
「ふ〜ん。付き合いたいのか?」
「う、うん……できれば、だけど。でも、ダメだからなァ」
やけに諦めたような声音に胸が騒ぐ。一体どんな相手に恋をしているのだろう。
叶わぬ恋なんて似合わない。ルフィは誰よりも幸福が似合う人物だと勝手に思ったのに。
「なんだよ、相手に恋人でもいるのか?」
「うーん…内緒」
困ったように笑われて、サンジはどうにかアドバイスしてやりたくなった。
「好きなら奪っちゃえば?」
「えっ?」
ルフィは突然の言葉に驚いたようだ。
「おれは、好きな奴に彼氏いても気にしないからな」
「うへ〜、それは恋愛上級者向けだよ」
「あはは、なんだそりゃ」
歩き出したサンジに続きつつ、ルフィは渋い顔で首を横に振った。誰かから奪うなんて、考えもしなかったようだ。
「おれは恋愛感情で誰かを好きになったのは、初めてだからさ。偶然出会って、偶然好きになったんだ」
「偶然?」
「うん、近所の神社のそばで偶然会った。あっ、近所って実家の方な。今は想うだけで充分だよ」
「甘酸っぱい恋愛観だな。羨ましい限りだ」
「おれはその人のこと大好きだからさ。おれのこと気がつかなくても、幸せになって欲しいんだァ」
気がつかなくても、ということは相手はルフィの存在を知らないのかもしれない。でも、出会ったと言っていたから面識はあるはずだ。
神社の近くで出会った好みの女のコとか、そういう人物だろうか。
実際は見かけただけで、一目惚れをしたのかもしれない。
嬉しそうに笑っているルフィのことが不思議だった。
相手に気がつかれなくても、好きならそれでいいのだろうか。随分と消極的な考えだ。
会えるなら会って、話せるなら話しをして、触れ合えるなら触れ合いたい。
人間の欲にはキリがないから、もしかしたら最近好きになったのかもしれない。
少しでも接触があれば、恋愛に対して欲張るようになるだろうか。
困ったときは相談でもしてくれれば、何か手伝ってやれる気はしたが、なぜか積極的に手伝う気にならなかった。
「どんな相手を初恋で好きになったんだか。まァ、陰ながら応援しててやるよ」
「えへへ、ありがと。サンジはさ、好きな人いないの?」
適当な応援にも満面の笑みを向けられ、良心が痛んだ。それでも、手伝う気はない。
恐ろしいほど頑なな心にサンジは苦笑しつつ、ルフィの問いに答えた。
「おれ? 今はいないけど。おれの恋愛観は歪んでるからな」
「歪んでる?」
ものすごく不思議そうに首を傾げられる。いきなり、そんなことを言われたなら当然か。
「恋人がいる女のコに惹かれるんだよ」
そういうと、ルフィは困ったような表情で何か考えているようだった。少し泣きそうに見える。
返答に困るような言葉だったと反省しつつ、しゃべらないルフィを不思議に思った。
「どうした?」
「えっ!? 難解だと思っただけ」
ルフィは笑って応える。
「難解か〜。そうかもな。付き合えても、すぐにフラれるし」
「そうなの? なんでだろ?」
「さァ? 自分では大切にしてるつもりなんだけどな〜おねだりも全部聞いてたし。だけど、急に別れたいって言われる」
サンジ自身、原因がよくわからない。いくら興味が薄れるとはいえ、好きな相手だ。
尽くしているつもりなのに、急に別れを切り出される。
改めて考え込んでしまう。やはり、自分が悪いのだろうか。
少しの沈黙のあと、ルフィが言葉を紡いだ。
「サンジは『別れたい』って言われて、すぐに別れるのか?」
「ああ、そうだな。別れたいって、言われたのに付き合い続けるのも嫌だしな」
本音を告げると、一瞬、鋭い目をしたかと思うとルフィは真摯な目でサンジを見てきた。
「別れたくないって言って欲しかったんじゃないか?」
「えっ?」
思いもよらぬ発言にサンジは目を丸くしてしまう。
「執着して欲しかったんじゃないの? きっとサンジを試したんだよ」
そういえば、別れを切り出して了承したあと、彼女達は必ず落胆し、泣いていた。
自分から別れを切り出して泣く理由がわからなかった。泣きたいのはこっちだと、いつも思いながら慰めていた。お前ならいい男が見つかると、見当違いもいいところの慰めだったようだ。
『別れたい』は『愛してる』という意味だったのか。難解な問題だ。
なかなか鋭いことを言われて、納得してしまった。
「………そう、かもな」
「サンジのこと好きだから『別れよう』って言ったんだな」
「複雑だな。というか、お前にそんなこと言われると思わなかった」
「エースが…兄ちゃんがそんなこと言ってたんだよ」
少しだけ視線を逸らしてから、ルフィは笑う。
恋愛初心者の指摘にしては的確すぎると思っていたが、兄の言葉だったらしい。
確かにエースはモテそうな雰囲気をしていた。
「あ〜、お前の兄貴はモテそうだもんなァ」
「……そんなことはないんじゃないかな」
なぜか、否定の言葉。
「そこそこ、だよ。そこそこ」
そして、思い直して面倒そうな訂正をされた。
自分の兄がモテるというのは恥ずかしいのかもしれない。
もしかしたら、本当にそこそこの可能性もある。でも、見た雰囲気ではモテるとサンジは思ったのでルフィが照れたのだと深く追求するのを避けた。
「そうなの?」
「わかった。じゃなくて、そうなの」
「? へェ、とりあえず勉強になった」
変な返答に首を傾げていると、ルフィが明るい顔で笑いかけてくる。
「そっか〜。次に彼女が出来た時の参考になったな」
「というか、別れたくない女だったら別れたくないって言ってるだろうし、おれにとってはその程度だったってことかな」
「……う〜ん、そういうものなのか」
ルフィ自身はよくわかっていないようで、何やら悩み始めてしまった。
何だかサンジも悩んでしまう。
自分は本当に心動かされる恋愛はしたことがない気がする。
ルフィのような感情で誰かに恋焦がれたことはあっただろうか。わからない。
終わった恋はどれもそれなりに楽しかった。でも、別れを告げられた時、続けたいと切に願う相手はいなかったということだ。
愕然としてしまう。
自身の恋も儘ならないのに、ルフィの応援をしている場合ではない。
ちらりとルフィを見た。まだ、何か考え込んでいる。
こういう話をすると恋がしたくなってきた。ルフィの好きな人のことを話す嬉しそうな顔を思い出す。
できるなら、ルフィにそう想われる相手になりたい。
そこまで考えて、脳内をリセットした。
(今、何を…考えた、おれ)
ひどく、動揺した。脳内リセット失敗だ。
いきなり冒険しすぎな相手だろう。
男だとか、そんなことではなく、会って間もないではないか。
恋愛なんて予定調和でするものではないけど、さすがに躊躇う相手だ。
気持ちにセーブをかけた方が身のためだ。
そう、思うのに。
今までの自分の行動と照らし合わせると、やけに馴染む。
恋人ではないが、好きな相手がいるから気になったのだろうか。
そんなわけがない。
好きな奴がいる人物なら誰でも好きになるほど無節操ではないし、自分が好きになるのは女性だけだった。
もしかして、あの公園で会ったときに一目惚れというヤツをしてしまったのだろうか。それでも一目惚れではない気がした。気になったのは確かだけど。
そうだとしたら、一緒にいるうちに好きになっていたのだろうか。同情心ではないのか。
自分に問い掛けるが、答えは思い浮かばない。
戸惑う、悩む、困惑する。でも、イヤではない。
そう、想った。
一旦、感情を打ち消そう。
家族のことで悩んでいるルフィの負担になるのはよくない。しかも、好きな人がいるのだ。あんな笑顔で話すくらい好きな人が。
溢れ出そうな感情に蓋をして、サンジは昼食を摂る予定の店の前で立ち止まった。
「ここで食うか」
「う、うん!」
「何焦ってんだよ。なんか考えてたのか?」
「な、なんでもないよ〜」
やけに焦ったように返事したルフィも感情の淵に沈んでいたのだろう。
何を考えていたのかはわからないが、好きな奴のことではなければいいのにと溢れ出た感情の残骸が囁いた。
***
料理を大量に注文したあとにトイレに行って来ると、ルフィは席を立った。
それを横目に見つつ、サンジはため息を吐く。
(認めるには時間かかりそうだな)
仮に、ルフィを好きだとしよう。
どうやって口説けばいいのだろう。女性とはわけが違う。
恋愛したことないと言ったルフィに、どう伝えたら伝わるのだ。
サンジ自身気がついていないが、そこまで考えているなんてルフィを好きだと認めているようなものだった。
しばらく、考えていると両頬の少し赤くなったルフィが戻ってきた。
「あ? どうしたんだ?」
「ん?」
「これ、赤くなってる」
自分の頬を指差し、怪訝な顔をしてしまう。
「あ〜、自分で抓っただけ」
「自分で?」
「…ちょっと眠気覚ましに」
それにしては強めに抓りすぎではないだろうか。
困ったように頭を掻いているルフィに、これ以上詮索する気もないが少し痛そうだ。
「痛むか?」
「うえっ!? そ、そんなには…えっと、大丈夫」
向かいの席に座ったルフィの頬をそっと触れる。
動揺したように、ルフィは軽く身を引いた。ひどく焦っている。当たり前か。
それでも、もう少し触れていたいと思ったことに、サンジは苦笑する。
「それなら、いいんだよ」
「う、うん。心配してくれて、ありがとな」
頼んだ料理を店員が持って来たので、その話はそこで終了した。
あとは他愛無い会話をしつつ、食事を楽しんだ。
***
「ただいま〜」
「はは、お帰り」
まるで我が家のような態度にサンジは笑って、出迎えの言葉を言う。
ルフィはキッチンに向かい、食器を洗う準備をしていた。
買ったのは食器に衣類。多少の雑貨。
出費を抑えるためにも、貸せるものは自分の物を貸すことにしたから荷物はそこまでない。
コップを洗うルフィに近づくと、危なげなく洗っていた。不器用そうに見えたので意外だ。
「なんか手馴れてるな。食器洗うの」
「えっ? ああ〜それは」
多少の間があった。訊いてはいけない質問だったろうか。
でも、ここで引き下がるのは逆に気を遣わせるだろうと、サンジは言葉を促した。
「それは?」
「…自分のことは自分ですることが多かったから。おれの親、共働きなんだ」
嘘を言っている様子はない。家族関係で嫌なことでも思い出したのかもしれない。
「ああ、それでか。まァ、役に立つからいいんじゃないか」
「うん!」
「よしよし、そんじゃあ、メシの準備でもするかな」
嬉しそうなルフィの頭をさりげなく撫でてから、サンジは夕食の準備を始めた。
「あ、おれも手伝うよ」
「ん、そうか。じゃあ、野菜を洗ってくれ」
「了解!」
嬉しい提案にサンジは微笑む。
一緒に晩ご飯を作って、一緒に食べる。かなり、幸せだと思った。
彼女といて、ここまで安らいだ気持ちになったことあったっけ。
比べるものではないけど、とにかく居心地がよかった。
片付けだけは、一人ですると張り切るルフィに任せてソファーで休む。
ふと旅行計画を思い出し、サンジはルフィも一緒に行けばいいのではないかと思った。
「明日、どっか行くか?」
「えっ!?」
予想外のセリフだったのか、ひどく驚かれる。すべての食器を洗い終わり、ルフィは振り返った。
真剣な表情に内心戸惑いつつ、言葉を続ける。
「おれ、旅行するつもりだったんだよ。だから、お前も一緒にどこか行くかと思って」
「行かない!!」
「えっ?」
ルフィに睨まれてしまった。そんなに嫌な提案だっただろうか。
不自然なほどに強い否定の言葉に二の句が継げない。
「旅行はしない!! 絶対に、行かない!!」
「る、ルフィ?」
何も言えないまま、再び強く否定された。
何がここまでルフィの感情を揺さぶるのだろう。
必死で、泣きそうで、頼りない。
旅行、だろうか。それがルフィを不安定にさせたのだろうか。
「っ…………ここに、いて…ください」
哀願する視線に、心が二つの感情で乱される。
ひとつは、心配で。もうひとつは、場違いな感情だ。
あんな顔をさせてみたい、ベッドの上で。あまりに場違いな感情をなんとか押し殺す。
俯いているルフィに気がつかれるわけにはいかないだろう。
こんなときに欲情されても、軽蔑されるに決まっていた。
しばらく黙っていたルフィは笑おうとして失敗したような顔でサンジを見た。
「ご、ごめん! 冗談…でも、しばらくはここに…いたい、かな」
「お前っ…」
サンジは慌てて、ソファーから立ち上がり、ルフィの元へ向かう。
不器用に言葉を紡ぐ、その唇から赤い雫が垂れていた。
自分では気がついていないのだろう。驚き、俯いてしまった。
目の前に到着したとき、少し強引にルフィの顔を上げる。
「っ!?」
「口、切れてる」
唇を親指でなぞると、ルフィは目を瞬かせた。
「え…?」
「ほら、な?」
なぞった指を見せると、ルフィは驚いてから舌で傷口を舐める。
ぞくりとしてしまった。場違いな欲が押し隠せない。
「ホントだ…ちょっと痛い」
「大丈夫か? 変なこと言って悪かったな」
「あ、違う! おれが悪いんだ…って、わあああ! やめて!」
サンジは親指についたルフィの血を舐めると必死に止めてきた。
「なんで? これはおれが原因だろ?」
「え、ええ? っ!?」
真っ赤になって、動揺しているルフィの下唇を舐める。
無意識的な確信犯だ。心配しているように見せかけて、我ながら卑怯だ。
後退り、シンク台に追い詰められているルフィを見ると、暴走してしまいそうだ。
「ホントに、ごめん」
謝るサンジに、ルフィは慌てて首を横に何度も振った。
「まだ、痛む?」
「い、痛くない!」
不穏な空気を感じたのか、大丈夫だと言う様にルフィは笑った
「そっか、よかった」
これ以上は、得策じゃない。
警戒されては意味がないのだから。
心底、心配していたように微笑んで、サンジは気持ちを切り替えた。
「おれの方こそ、ごめんな? サンジと旅行したくないわけじゃなくて…えっと……」
「じゃあ、いつかは一緒に行ってくれるのか?」
一緒に旅行するのがイヤだったわけではないようだ。
その言葉に安心する自分がいた。サンジは口籠もるルフィに願望を言ってみる。
「うん! もちろん!!」
「よし、それならおれの誘いを断ったのを許してやろう」
「ありがとう、サンジ」
冗談っぽく言って、笑った。
このことを気にしすぎるのはよくない。ルフィに欲を感じたのも事実だが、心配なのも事実だ。
ルフィも分かっているのか、安心したように笑った。そして、時計に目を向ける。
「あっ、そろそろ行っておかないと」
「ん?」
何のことかわからずに、疑問の視線を向けた。
「おれ、夜の散歩が日課なんだ。ちょっと出掛けてくるな」
ルフィは上着を持って、玄関に急いでいる。
そんな日課があったとは、知らなかった。
「一人で大丈夫か?」
「うん! いつものことだから」
「そうなのか。ま、気をつけて来いよ? 鍵……これ持って行け」
サンジはスペアーキーを差し出す。
前の彼女が勝手に作り、別れたときに置いて行ったものだ。
どうしても、ルフィに持っていて欲しかった。
少し戸惑った様子でルフィはサンジを見る。
「えっ? いいの?」
「やるよ。鍵、閉められないだろ」
「そっか! じゃあ借りていくな」
笑顔で受け取り、ポケットにしまった。
鍵を閉めたいだけなら、自分がいつも使っているものを渡している。
鈍いので、そこら辺の駆け引きはわからないだろう。
玄関を出るルフィに声をかける。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます!!」
笑顔で振り返り、ルフィは走って行った。
物騒な世の中なので、鍵を閉める。
本当はついて行ってやりたかったが、そこまですると色々抑えが効かなくなりそうだった。
そして、一人で考えたいこともあった。
「さっきの、何だったんだ?」
わざと声に出し、思考に入る。
もちろん、自分が少し暴走した話ではない。ルフィの態度だ。
旅行がイヤだったわけじゃないと言っていた。サンジが感じた限りでは、その言葉は嘘ではないと思う。
では、なんであれほど否定したんだろうか。こちらが驚くくらいに必死だった。そして、哀願された。
今、旅行するのがイヤだということだろうか。
もしかしたら、両親やエースに許可を取らなければいけないのだろうか。
それにしては、態度がおかしい。
欲情せずに真面目に聞いてやればよかった。
後悔しても遅い。あの表情はよくない。よく止まったものだと、自分に感心してしまうくらいに嗜虐心を煽る表情だった。無理矢理にでも、そう思わせる顔だった。
(あ〜、もう反省しろよな)
欲望丸出しな自分に呆れる。欲求不満だっただろうか。
というか、いつの間にかルフィを好きだと自覚し、認めている自分に驚く。
前までの抵抗は何だったんだ。
それでも怖がらせたくはないから、感情に蓋をしつつ近づこう。
結局、ルフィがあれほど必死になった明確な理由はわからなかった。
このことは触れられたくないだろうことが簡単に予想できるので、迷宮入りだ。
とりあえず、風呂に入って心を落ち着けよう。
ルフィが帰って来たら、どう接しようか。
悩むけれど、早く帰って来て欲しいと思うサンジだった。
*続く*