「ん……」
いつもの布団と材質が違う、匂いも。
ここは、どこだろう。
ルフィは夢現の中で、寝返りを打った。
「起きたか?」
聞き覚えのある優しい声に、大切なことを瞬時に思い出し、跳ね起きる。
周りはもうすでに明るくなっていた。時計を見ると、昼前。
「サンジ!」
「お、おお? おはようって、もう昼だけどな」
ルフィの勢いに驚きながらサンジは笑って挨拶してきた。
着替え終わっていて、すぐにでも出掛けられそうだ。
「おはよう。買い物…ごめん、寝すぎた」
「いや、疲れてたみたいだからな。休日だし、のんびり寝ればいいんじゃないか? まだ寝るか?」
「ううん、大丈夫。起きる!」
せっかくサンジと一緒に居られるのだから、寝ているの勿体ない。
ルフィは節々が痛む身体に気合いを入れて、ベッドから下りた。
「ん? おれ、ベッドで寝てたっけ…あれ?」
「あ〜、テーブルを枕に爆睡してたから、ベッドに運んだ」
「えっ…ご、ごめん。おれはソファーでよかったんだけど」
寝床が変わったくらいで寝付けないほどデリケートではない。むしろ、フローリングの上でも眠れる。
サンジの寝床を占拠してしまったことに罪悪感が膨れ上がった。
申し訳なさそうにしていると、右の頬を軽く抓られた。
「別にソファーで寝るくらいどうってことないっつーの。気を遣いすぎると疲れるぞ?」
「は、はーい」
「着替え、どうする? 一応乾燥機にかけてるけど、まだお前の服は乾いてないんだよな。おれの服でもいいか?」
「うん! ありがたいです」
朝からサンジは自分の服を洗濯してくれたのだろう。
何から何まで世話になっている気がする。
恩を少しでも返せるように、明日は早起きしようと心に誓った。
***
サンジの服はルフィには少し大きく、だぼっとしているがそういう着こなしにも見えるので大丈夫だろう。
ぎゅるるる
ものすごく腹の虫が鳴いた。
恥ずかしいが仕方ない。よく考えたら昨日はほとんど何も口にしていなかった。
お腹がものすごく減っている。
「ははは、スゲー音だな」
「うう、お腹すいた」
「はいはい、まずは昼メシにしようか」
「賛成!! 早く早く!」
引っ張るようにサンジを連れて玄関に向かった。
サンジも呆れてはいるがイヤではなさそうだ。
靴を履こうとすると靴ヒモがほどけていた。座って靴ヒモを結び直す。
ふと視線を横へとずらした時に余計なものが目についてしまった。
「女ものの靴だ」
「えっ? あ〜、処分し忘れだな」
「……彼女、住んでるの?」
ズキズキと痛む胸にルフィは仏頂面になる。しかし、サンジには見えていないので問題ないだろう。
「いや、彼女が住んでたら、さすがに宿泊許可しないって。ここに住んでた元彼女の。出て行くときに持って帰るの忘れたんだろ。処分していいって言ってたし、あとで片付けるかな」
「へ〜」
そういうのが精一杯だった。
彼女がいて、別れたのは知っていたが、まさか一緒に住んでいたとは思わなかった。
これが嫉妬というものか。厄介な感情に自分の頬を抓った。
「何してんの?」
「べっつに〜。彼女がいて羨ましかっただけ」
「なに? 彼女、欲しいの?」
ニヤニヤ笑われて、ルフィは顔をしかめる。
「……おれは恋人いたことないから、彼女が欲しいとかそういうのわかんない」
「えっ? お前って何歳?」
「17歳、じゃなくて…16歳。高校2年生」
どちらの時間軸の年齢を言えばいいのか僅かながら混乱した。
サンジはそれほど気にした様子もなく、話を続ける。
「高2か〜好きな奴とかいるの?」
「いるよ」
玄関を出ながら、はっきりと告げた。やけに実感の籠もった言葉だ。
自分の心に波打つように響いた、サンジが好きなのだと。
さすがに、あなたが好きです、なんて言えないけど。
「ふ〜ん。付き合いたいのか?」
ルフィのあとに続き出てきたサンジは特に気にした様子もなく、玄関の鍵を閉めながら尋ねてきた。
「う、うん……できれば、だけど。でも、ダメだからなァ」
「なんだよ、相手に恋人でもいるのか?」
「うーん…内緒」
ボロが出そうなので、あまりこのことは言わない方がいいかもしれない。
「好きなら奪っちゃえば?」
「えっ?」
歩き出して、サンジはルフィを見た。
好きな人に恋人がいると勘違いしたのか、見当違いなアドバイスをされる。
「おれは、好きな奴に彼氏いても気にしないからな」
「うへ〜、それは恋愛上級者向けだよ」
「あはは、なんだそりゃ」
「おれは恋愛感情で誰かを好きになったのは、初めてだからさ。偶然出会って、偶然好きになったんだ」
「偶然?」
「うん、近所の神社のそばで偶然会った。あっ、近所って実家の方な。今は想うだけで充分だよ」
「甘酸っぱい恋愛観だな。羨ましい限りだ」
好きな本人相手に何を言っているんだか。我ながら滑稽だ。
そう思うけど、好きな人のことを話すのは心がホカホカして自然と笑顔になる。
「どんな相手を初恋で好きになったんだか。まァ、陰ながら応援しててやるよ」
「えへへ、ありがと。サンジはさ、好きな人いないの?」
「おれ? 今はいないけど。おれの恋愛観は歪んでるからな」
「歪んでる?」
「恋人がいる女のコに惹かれるんだよ」
誰とも付き合ったことのない自分はサンジの好みと掛け離れていてヘコむ。
恋人になれるなんて思ってはいないけれど、少しくらい好みに近づきたい。でも、性別からしてアウトだったりもする。
「どうした?」
「えっ!? 難解だと思っただけ」
露骨にしょんぼりしていたようで、不思議そうな顔をされてしまった。
ルフィは笑って誤魔化す。
「難解か〜。そうかもな。付き合えても、すぐにフラれるし」
「そうなの? なんでだろ?」
「さァ? 自分では大切にしてるつもりなんだけどな〜おねだりも全部聞いてたし。だけど、急に別れたいって言われる」
「……っ!?」
言葉を紡ごうとして、絶句した。
エースがいる、サンジの向こう側に。
サンジがこちらを見ていなくて、本当によかった。
全く気にしていないということは見えていないのだろう。
そもそも、飛んでいる。以前の忠告を実行しているのかも。
何しに来たんだと訊きたいけど、サンジが気づいていないなら、リアクションは取れない。
「そりゃ女の方がサンジに執着してるって。優しくされすぎて不安なんだろ。執着して欲しくて言ってんだよ。お前と別れたくないって言って欲しいってこと」
普通に会話に入らないで欲しい。でも、エースのセリフを聞いて、そういうものなのかと疑問に思う。
恋愛初心者のルフィに女心など、わかるわけがなかった。
「サンジは『別れたい』って言われてすぐに別れるのか?」
「ああ、そうだな。別れたいって、言われたのに付き合い続けるのも嫌だしな」
「…コイツ、女のこと大切じゃなかったんじゃないかァ?」
あまりの物言いにルフィは思わずエースを睨む。
黙ったのを確認してからサンジに目を向けた。
「別れたくないって言って欲しかったんじゃないか?」
「えっ?」
とりあえず、エースの言葉を伝えてみる。
悩んでいるのなら、手助けしたい。このアドバイスは今後のサンジ恋愛に活かせるかもしれないのだ。
「執着して欲しかったんじゃないの? きっとサンジを試したんだよ」
「………そう、かもな」
思い当たる節があるのかサンジはルフィの言葉に納得しているようだった。
「サンジのこと好きだから『別れよう』って言ったんだな」
「複雑だな。というか、お前にそんなこと言われると思わなかった」
「エースが…兄ちゃんがそんなこと言ってたんだよ」
にこにこ笑っているエースを横目に見て、ルフィは笑う。
「あ〜、お前の兄貴はモテそうだもんなァ」
「……そんなことはないんじゃないかな」
「失礼な奴だな! それなりにモテるっての!」
エースに抗議され、ルフィは仕方なく訂正する。
「そこそこ、だよ。そこそこ」
「そうなの?」
「なーんか、悪意のある言い方だなァ。というか、メシ食う前にちょっと席外して来いよ? 軽く話がある」
「わかった。じゃなくて、そうなの」
「? へェ、とりあえず勉強になった」
仏頂面でそれだけ言い残しエースは消えた。神出鬼没な男だ。
平静を取り戻して、ルフィはサンジに笑いかけた。
「そっか〜。次に彼女が出来た時の参考になったな」
「というか、別れたくない女だったら別れたくないって言ってるだろうし、おれにとってはその程度だったってことかな」
「……う〜ん、そういうものなのか」
本当に恋愛事はわからない。十人十色だろうし、正解なんてない気もする。
5分毎に連絡し合う関係も、年に一度だけ会う関係もお互いが付き合っているというのなら恋人として成立する。
恋人同士がそれでいいなら、第三者が何を言っても無意味だ。
自分ならどうだろうか。
そう思い、ちらりとサンジを窺った。
(おれは、傍にいたいタイプかなァ…一緒にいて、楽しいのがいい)
その時々の状況によっても変わりそうだけど、離れたくないと思う。叶わない願いだけれど。
自分の抱く感情は友達と似ている感覚だけど、友達ではイヤだと心が叫ぶ。
友達だって特別な関係だと思う。大切で掛け替えのない。でも、『友達』は大勢いる。
『恋人』という、たった一人になりたいのだろう。
それなら、心に従うまでだ。想いを告げたりはしない。でも、自分にまで嘘を吐くことはない。
サンジを好き。なかなか、ワガママな感情だ。しかも相手の行動に、自分の想いに振り回される。でも、イヤではないのだから不思議だ。
「ここで食うか」
「う、うん!」
「何焦ってんだよ。なんか考えてたのか?」
「な、なんでもないよ」
サンジのことを、ただそれだけを。
そんなことは言えないので、首を横に振り、何でもなかったフリをした。
***
料理を適当に注文したあと、トイレのある場所へと移動する。
「エース? いるのか?」
「いますよ〜」
どう、呼べばいいのかよくわからずに、誰もいない男子トイレで小声で話し掛けてみた。
半信半疑だったが、エースは当たり前のように現れる。
「いるのかよ」
「人払いもしてるから、普通に話していいぞ?」
「人払い?」
「ここら辺に来ると何となく男子トイレに行きたくない、そんな気分になるわけだよ」
「……ああ、そう」
原理が全くわからない。理解を放棄したルフィは洗面台にもたれ掛かり、エースに話を促すように視線を送った。
「これから買い物か?」
「うん、おれの生活必需品を買いに行くんだ」
顔が緩んでしまう。だって、デートみたいだ。
サンジはそんなこと全く考えていないだろうけど、一人こっそりデートだと思うくらいは許して欲しい。
「そっか。上手くいってるみたいだな」
「うん、今のところは大丈夫」
旅行したいという素振りは見えない。このまま、何もなければいいと思った。
「今日、お前が買った品物は、5月6日には消えるから気にせず買えよ?」
「ああ、そっか。うん」
存在がなかったことになるのだから、都合のいい様に出来ているんだろう。
ルフィの記憶がなくなっても品物だけ残っていたとしたら、それはサンジの大きな疑問になってしまう。
そのことを伝えたくて、エースは現れたのかもしれない。
楽しさの裏に儚さがあり、脳内が痺れてしまった。
その様子に、エースはルフィの頭を優しく撫でる。
「あんまり、席を外すのも変だな。サンジと一緒にいるときには、もう姿を現さないから。また、夜に公園で」
「エース! ああ、もういないか」
まだ訊きたいことがあったのに、仕方ないので夜に会ったときに訊こう。
エースは優しい。例え、それが自分の魂のためでも。
今だって、サンジといるときだって、ルフィを心配して現れたのだろう。
ルフィは深呼吸をして、悲しみに飲み込まれないように気合いを入れた。
一人じゃない、エースがついているなら絶対に、やり遂げられる。
ここまでしてもらって、失敗なんて、サンジを失うなんてしたくない。
(笑って、お別れが言えるくらい強くなりたいな)
目の前が滲んで見えて、両頬を抓った。
泣かない、全部終わるまでは。5月5日が終わるまで、自分は油断しない。
悲しさも切なさも押し殺して、笑うんだ。
一緒にいたい、忘れないで欲しい。
そう願うワガママな心に苦笑して、ルフィはトイレから出た。
サンジの元に戻ると、少し驚いた顔をされる。
「あ? どうしたんだ?」
「ん?」
何のことかわからずに、ルフィは首を傾げた。
「これ、赤くなってる」
サンジは自分の頬を指差し、怪訝な顔でルフィを見る。
さっき、強く抓ったから赤くなっているのかもしれない。
「あ〜、自分で抓っただけ」
「自分で?」
「…ちょっと眠気覚ましに」
不思議そうに見ているサンジに適当な言い訳が思いつかず、困って頭を掻いた。
納得したのか深い追求をされないことに安堵して、ルフィはサンジの向かいの席に腰を下ろす。
「痛むか?」
「うえっ!? そ、そんなには…えっと、大丈夫」
席に座った途端に頬を触られ、心臓が飛び出しそうなくらい驚いた。
急に触れられるだなんて、驚きのあまりに少し身を引く。
突然の接触に、赤面した。でも、きっと抓ったせいで頬は赤くなっているので気がつかれないだろう。
ルフィのリアクションが大きかったのかサンジは苦笑していた。
きっと心配して触れただけなのに、自分の平常心のなさに少し落ち込む。
「それなら、いいんだよ」
「う、うん。心配してくれて、ありがとな」
優しいサンジに申し訳なくて、嬉しくて、ルフィはお礼を言った。その後、すぐに頼んだ料理を店員が持って来たので、その話はそこで終了した。
あとは他愛無い会話をしつつ、食事を楽しんだ。
***
「ただいま〜」
「はは、お帰り」
まるで我が家のように帰ってきた。サンジは笑って、出迎えの言葉を言う。
昨日から暮らしているだけなのに、夕日に染まるこの部屋はひどく落ち着く空間だ。
サンジが暮らしているという生活感が溢れているからかもしれない。
買った荷物をとりあえず、キッチンに置く。
食器類は洗ったほうがいいかと、割れないように包んでいた新聞紙を外し、シンクに入れた。
食器に衣類。多少の雑貨。
サンジの物を貸してくれると言っていたので、そこまで大荷物にはならなかった。
コップを洗っていると、サンジが手元を覗き込んでくる。
「なんか手馴れてるな。食器洗うの」
「えっ? ああ〜それは」
一人暮らしに近い生活をしているから、と言おうとして止まった。
仲の悪い両親と暮らしている設定だった。どう言おうか。
「それは?」
「…自分のことは自分ですることが多かったから。おれの親、共働きなんだ」
共働きは嘘ではない。真実を織り交ぜつつ話せば墓穴を掘ることも少なそうだ。
「ああ、それでか。まァ、役に立つからいいんじゃないか」
「うん!」
「よしよし、そんじゃあ、メシの準備でもするかな」
頭を撫でられてルフィは嬉しくて笑った。そして、サンジは夕食用にと買った材料を買い物袋から出す。
「あ、おれも手伝うよ」
「ん、そうか。じゃあ、野菜を洗ってくれ」
「了解!」
なんて、楽しい空間だろう。
一緒に晩ご飯を作って、一緒に食べる。幸せだと思った。
片付けだけは、一人でさせてもらう。
ソファーでのんびりしているサンジが話しかけてきた。
「明日、どっか行くか?」
「えっ!?」
突然の言葉に、動揺する。皿を割るところだった。
最後の皿を食器乾燥機にいれて、サンジを振り返る。
「おれ、旅行するつもりだったんだよ。だから、お前も一緒にどこか行くかと思って」
「行かない!!」
「えっ?」
睨むようにサンジを見てしまった。
強い、否定の言葉に驚いたのかサンジは茫然としている。
自分が失言したことに気がついたが、止まらない。
「旅行はしない!! 絶対に、行かない!!」
「る、ルフィ?」
「っ…………ここに、いて…ください」
なんとか激情を抑え、哀願する。
サンジにしてみれば、わけが分からないに決まっていた。
旅行に誘っただけだ。しかも、一緒に行こうといってくれたのに。
落ち着くために、俯く。
一緒に旅行すると、自分も交通事故に遭うのだろうか。
それだったら、一緒になら、別に構わないんじゃないだろうか。
暗い感情が心を占める。
だって、一緒なら忘れられることもない。楽しく旅行して、たくさんの思い出ができる。
そして、お互いを知ったまま、お互いが消える。
それがひどく甘美なことに思えた。
ルフィはぎゅっと目を瞑り、唇を強く噛んだ。
(違う! サンジと心中したいわけじゃない! 生きていて欲しいんだろ!! バカか、おれは……)
バカな考えに、弱い自分に、涙が溢れそうになった。
泣くものか、笑え。
「ご、ごめん! 冗談…でも、しばらくはここに…いたい、かな」
顔を上げて、サンジを見た。
へたくそな笑顔だと、我ながら思う。構うもんか、これも笑顔の一種だ。
「お前っ…」
サンジが慌てて、ソファーから立ち上がり、こちらへ向かってきた。
涙は流していないはずだ。心臓が跳ねる。
失敗してしまっただろうか。
自分の感情を制御し切れなかったことが悔やまれる。
(憶えていて欲しいなんて、生きていて欲しいに比べたら…くそ、おれって弱いなァ)
怖い。何を言われるんだろうか。
俯いていると、顔を上げさせられた。
「っ!?」
「口、切れてる」
唇を親指でなぞられると、ぴりぴりと痛んだ。
「え…?」
「ほら、な?」
なぞった指を見せられると、そこには血がついていた。
ぴりぴりする部分を舌で舐めると、鉄の味がする。
全然気がつかなかった。先程、強く噛みすぎたようだ。
「ホントだ…ちょっと痛い」
「大丈夫か? 変なこと言って悪かったな」
「あ、違う! おれが悪いんだ…って、わあああ! やめて!」
サンジは親指についたルフィの血を舐めていた。
「なんで? これはおれが原因だろ?」
「え、ええ? っ!?」
ぺろり、と下唇を舐められる。血はもう止まっているはずなのに。
あまりの恥ずかしさに後退りするが、すぐ後ろはシンク台があり、もう下がれなかった。
ホテルで一緒にケーキを食べた時に状況が似ている気がした。では、冗談だろう。
そう思うのに、心臓が高鳴った。
「ホントに、ごめん」
謝るサンジに、ルフィは慌てて首を横に何度も振る。だって、悪かったのは自分だ。
あんなに簡単に心を乱して、旅行の話はもっと上手くかわせたはずなのだから。
「まだ、痛む?」
「い、痛くない!」
また舐められては心臓がもたない。ルフィは平気さをアピールした。
実際に恥ずかしさが勝り、痛みなど感じてない。元々、それほど深い傷ではなかったのだろう。
「そっか、よかった」
「おれの方こそ、ごめんな? サンジと旅行したくないわけじゃなくて…えっと……」
「じゃあ、いつかは一緒に行ってくれるのか?」
上手い言葉が出て来ずに、詰まっているとサンジが助け舟を出してくれた。
「うん! もちろん!!」
「よし、それならおれの誘いを断ったのを許してやろう」
「ありがとう、サンジ」
冗談っぽく言って、ルフィが気にしないようにしてくれている。どこまでも優しい男だ。
元彼女は試すためとはいえ、よく別れたいなんて言えたものだと、ルフィは思った。
別れように対する肯定の言葉が怖くて、自分は試すことさえ出来ないだろう。
彼女たちは強く、そして愚かだ。でも、そうしなければ不安になったのだろう。
心が痛んだ。それでも、別れてくれていてよかった。彼女が今もいたら、ここにはいない。
忘れられる思い出だとしても、サンジと一緒にいられる。
何気なく、時計に目を向けると結構遅い時間になっていた。
「あっ、そろそろ行っておかないと」
「ん?」
「おれ、夜の散歩が日課なんだ。ちょっと出掛けてくるな」
ルフィは上着を持って、急いで玄関に向かう。
エースとの作戦会議を忘れるところだった。
「一人で大丈夫か?」
「うん! いつものことだから」
「そうなのか。ま、気をつけて来いよ? 鍵……これ持って行け」
どう見てもスペアーキーだ。
悪用するつもりはないけれど、無用心なサンジに少し戸惑う。
「えっ? いいの?」
「やるよ。鍵、閉められないだろ」
「そっか! じゃあ借りていくな」
時間も時間だから、慌てて受け取った。
そして、急いで靴を履き、玄関を出る。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます!!」
後ろから掛かって来た声に笑顔で返し、ルフィは公園へと走った。
***
「エース! ごめん、待ったか?」
「ん〜? 別にいいぜ? おれ達とお前達は時間の感覚が違うから、待った気がしない」
「そっか、よかったァ」
ルフィはホッとして、エースの座っているベンチの横に座り込んだ。
「でも、人間時間的には遅かったな。何かあったのか?」
心配そうな眼差しにルフィは苦笑する。
「サンジが旅行しないかって訊いてきて…ちょっと取り乱したくらいかな」
「……そう、か。大丈夫か?」
「うん、平気。何とかなったから」
「よく頑張った」
褒められて、ルフィは安堵した。自分は正しかったと確信する。
自分の中に、あんなに暗い感情が潜んでいたことに少しだけ恐怖したことを思い出した。
心中なんて、似合わないに決まってる。
「あ、エース」
「なんだ?」
「サンジはおれのこと、忘れちゃうのはわかったけど……おれは? おれもサンジのこと忘れちゃうのか?」
前から訊きたかったことだ。ルフィにとってはとても大切なこと。
サンジがルフィと出会っていないことになる、ということは逆もまた然り。
ルフィもサンジと出会わなかったことになるのだろうか。
忘れてしまえば心は楽かもしれない。
でも、できることなら、忘れたくない。
つらくても思い出だけでも欲しい。欲張りだろうか。
「…憶えていられる。だから、安心しろ」
「よかった…それなら、大丈夫だよ。おれは最後まで、笑っていられる」
何も言わず、頭を撫でられた。
優しく大きな手は不安を吸収していくようだ。
「あと、2日か」
「うん」
長いような、短いような。
不安も多い、先程のようにサンジが突発的にどこかに行きたくなる可能性もあるのだから。
「困ったことがあれば頼れよ? なんたって、おれはお前の兄貴なんだから」
「えへへ、期待してるよ、兄ちゃん」
顔を見合わせて、お互い笑い合う。
秘密の共有者で、魂を狙う者と狙われる者で、人間と人間でない者同士だ。
なんだか、不思議な関係だ。
本当の兄のように慕っている節もあるし、友達のようでもある。
でも、エースがいてよかった。心強い。
少し雑談してから、エースは立ち上がった。ルフィもそれに続く。
「最終日のことは、明日話そう」
「わかった。それじゃあ、おれは戻るよ」
「ああ、きつくなったら言えよ? 泣き言募集中だ」
「あはは、うん」
「お前なら、できるさ」
どこまでも優しい瞳を見返して、ルフィは強く頷いた。そして、決意も新たにサンジも元へ向かう。
やり遂げてから、エースに散々泣き言を言ってやろう。
そう思うと、ルフィは自然と笑えた。
*続く*