サンジは夕焼けの中、適当に買い物を済ませて自宅に向かっていた。
24時間スーパーに立ち寄ると公園の中を通るのが近道だ。
のんびりと帰りながら、公園にある時計に目を向ける。
時刻は午後4時56分。
せっかくのゴールデンウィークだし、少し遠くへ旅行にでも行こうかと思っているサンジは何時に出掛けようか悩んでいた。
(あ〜、変な時間に出ると道が混んでるだろうなァ。いっそのこと明け方に出かけるか)
割りと突発的な感情で旅行しようと思っただけに、泊まる場所も決めていない。
誰か友人を誘おうかとも思ったが、一人旅も悪くないかと思い直した。
(泊まる場所っつっても、今のタイミングで空いてねェかな)
どこも混んでいそうな気がしたが、電話で訊いてみるくらいは別にいいだろう。
公園を抜け、マンションの階段を上り、三階にある自宅へ向かう。
鍵を開け、扉を開く。人の気配はない。
一人暮らしなので、気を遣う相手もいない。
一緒に住んでいた彼女も最近、別れてしまった。
多少の寂しさもあるが、自由な今がものすごく楽だ。束縛のキツイ女だったからかもしれないが。
人のモノほど良く見えるというのは本当かもしれない。少なくとも自分はそうだ。
誰かの彼女を好きになることが多い。そして、自分の元に来ると興味が極端に薄れてしまう。
手に入れるまでの過程を楽しんでいると思われても仕方ない気もした。
我ながら嫌な性格だと思いつつ、サンジは夕食を作り始めた。
***
旅行に行くための雑事を済ませていると時刻は午後10時30分を回っていた。
食事のあと、うたた寝をしていたのも原因の一つだろう。
「ここにするか」
インターネットで検索したホテルの中でも24時間電話予約をしているホテルを発見した。
携帯で電話しようとして固まる。
「あれェ……」
画面は真っ暗だった。充電が切れたのだろう。
充電すれば問題ないのだが、充電器に水を零してしまい、昨晩に壊したのだ。
そして、友達に電話し、今日の夕方に充電器を貰う約束を取りつけた。
余っている充電器を友達にもらって、どうしたっけ。
「………」
スーパーが怪しい。友達に会ったあとに寄ったのはスーパーだけだ。
しかも、友人はその24時間スーパーのレジ袋に充電器を入れていた。
買い物した品を袋に入れているときに、置いてきた気がする。
サンジは自分のマヌケさにため息を吐きつつ、上着と財布を掴んで家を出た。
***
スーパーの店員に訊ねると、あっさりと見つかった。
盗まれることなく見つかるのだから平和なもんだと思いつつ、店員に礼を言う。
可愛いらしい店員から何も買わないのも申し訳なく感じたのでミネラルウォーターを買った。
少し雑談してから、スーパーを出ると午後11時になったところだった。
(のんびりしすぎたかな〜。果たして、これから電話して明日の朝に予約が取れるもんなのかねェ)
とりあえず、ダメ元で電話してみようと歩き始める。
いつもの通り、外灯の照らす公園を通っているとベンチに俯いている人物がいた。
(こんな遅くに怪しいな…不審者か?)
俯いているので年齢までは予測できないが、若そうに見える。
数人の高校生が夜中に騒いで、補導ということは何度かあったが、一人でいるということに違和感があった。
気のせいかもしれないが、疲弊しきっているように見える。
このまま倒れでもしたら事件になりそうだ。
いつもなら絶対に素通りするであろう展開だが、今回はなぜか放っておけなかった。
絶望感さえ漂わせている少年に、サンジは静かに声を掛ける。
「おい、大丈夫か?」
「っ!!?」
サンジの声に驚いたのか黒髪の少年は勢いよく、顔を上げた。
確かに、こんな夜中に声を掛けてくるなんて怪しすぎる。こっちの方が不審者に見られたかもしれない。しかも、思ったよりも顔に疲労の色が濃い。
なるべく怖がらせないようにサンジはできるだけ優しく話しかけた。
「具合、悪いのか?」
「あ……おれ…」
泣きそうに顔を歪めた少年に内心で焦る。少年はかなり動揺しているようだ。
今にも泣きそうで、でも必死に泣くのを耐えている。
それに気づき、サンジは自然と心配していた。
「どうした? 水、飲むか?」
さっき買った水をあげようかと、レジ袋を差し出そうとすると後ろに気配を感じた。
突如現れたように感じたのは、思ったより少年に気を向けていたせいかもしれない。
振り返ると黒髪スーツ姿の青年がいた。仕事帰りだろうか。
「ルフィ! おい、おれの弟に何か用か?」
「エー、ス?」
弟に声を掛ける不審者に見えたのか、エースと呼ばれた青年は鋭い眼光でサンジを見てきた。
サンジは苦笑して、エースに話かける。
「弟? あんた、こいつの兄貴か。それなら平気か」
家族が現れたなら安心かと立ち去ろうとすると、少年に上着の袖を掴まれた。
意味がわからずに、サンジは少年を見る。
頼りない表情にどうしたのか訊こうとすると、エースが先に声を出した。
「……あんた、ちょっと」
「ん?」
呼ばれたのなら行くしかないだろう。今さら無視するのも変だ。
サンジは不安そうな少年から心苦しくも一旦離れ、エースの元へ行った。
「弟の…ルフィの面倒を少しの間、見てくれないか? 一人暮らしだろ?」
「はァ? 確かに一人暮らしだけど、おれは弟君の友達じゃないぜ?」
「知ってる。無理を言ってんのは重々承知だ」
ルフィと呼ばれた少年には聞こえないように注意しつつ、二人は話す。
突拍子のない話にサンジは軽く混乱していた。
「いやいや、ついさっき出会った他人に弟任せるなんて変だろ。あんたの家に連れて帰れよ」
「おれは明日の早朝から出張でしばらく帰れない」
「家に置いておくのに何か不都合でもあんの?」
普通に留守を頼めばいいのではないかと思う。
何か複雑な理由でもあるのだろうか。いや、あるからこんな公園で一人俯いていたんじゃないだろうか。
そう、思うとわけを訊く気になった。
「おれ達の両親は仲が悪い。離婚間近といっても過言ない。ルフィは仲悪い両親を見たくなくて、ときどきおれの家へ避難する」
エースの家ということは、ルフィはいがみ合う両親の元に一人いるということだ。
頼りになる兄は仕事の関係上、実家から通えないということだろう。
「両親はルフィにべったりだからな…おれが連れて出て行こうとすると猛反対された」
「そう、なのか」
「今日も実家から逃げて来た。でも、おれが出掛けている間に両親が現れた。父も母も別々にルフィを迎えに来たんだが鉢合わせちまって。まァ展開はある程度予想できるよな? 聞きたくない口喧嘩にルフィはおれの家を飛び出したんだよ。それで今まで捜してたんだ」
ちらりとルフィを見ると不安そうに、こちらを見ていた。
良心がズキリと痛んだ。
「おれの家は両親にバレてるから、置いては行けない。これ以上、ルフィを両親の身勝手で傷つけたくないんだ」
「……」
「親族は他にいないし、傍にいてやりたいけど……おれといると両親を思い出すだろ? ルフィには家族から離れて、自由に羽伸ばせる時間が必要なんだ。疲れきってる」
確かに先程見つけたときの絶望感は酷かった。
現に放っておけなくて、声を掛けたのだから。
「おれのことを全面的に信頼していいのか? 大事な弟なんじゃないの?」
「大事に決まってるだろ。だから、頼んでるんだ。ルフィのこと放っておけなくて声掛けたんじゃねェのか?」
「……そう、だけど」
「もちろん、何かしたら許さないけどな」
頼んでいるのに、どこか嫌そうなエースを不思議に思いつつ、サンジはため息を吐いた。
「わかったよ。しばらくの間だけだぞ?」
「……助かった。ルフィに説明するから少し待っててくれ」
エースに今度はルフィが少し離れた場所に連れて行かれた。
ルフィは驚愕の表情でサンジを見て、慌てて顔を逸らしている。
(その驚きは間違いじゃないぜ……常人の考えの斜め上を行く兄貴を持ったことを後悔するんだな)
大事な家族を見知らぬ男に任せる。自分なら絶対に思いつかない発想だ。
そういえば、ルフィは兄を頼って来たのに自分の家にしばらく泊まるなど了承するだろうか。
家庭の事情は本当に気の毒に思うが、安請け合いし過ぎたかもしれない。
大体、どういう状況だ。
お互いのこと知らないのに、変ではないか。
何で会って5分ほどしか経っていない赤の他人といきなり一緒に住むんだ。
自身も無用心ではないか。
早速、後悔し始めたが今さら後には引けない。
そもそも、ルフィが嫌がりエース宅に留守番していると言われても納得しない気がした。
単純に心配で、泣きそうな顔が頭から離れない。
気晴らしついでに、自分の家に来ればいい。赤の他人にここまで思わせるくらい、あのときのルフィは頼りない顔でサンジを見た。
きっと、ルフィに声を掛けた時点でこうなることは決まっていたのだ。
(嫌がるなら、おれからも説得してやろうかな…エースとかいう男ほどじゃないけど、心配だ)
ルフィは何度か頷いていた。何を言われているのだろう。
そして、何か渡されていた。財布だろうか。
少しして、目を擦っている。泣いてしまったのかもしれない。エースにわけのわからない提案をされて、心細くなったのかも。
そして、エースに頭を撫でられ、今まで見たこともないくらい嬉しそうな顔で笑った。
(……あんな顔で笑えるんじゃねェか)
ルフィ達の両親の身勝手さに苛立つ。
別れるのは勝手だが、愛する息子にあんな顔をさせるのが許せない。
温かい家庭に育った自分にはわからない苦労だが、幸福な家庭だったからこそ家族の大切さは身に沁みてわかっている。
面倒事に巻き込まれたと思っていたのに、いつの間にかルフィに負担のないように過ごさせてやろうと考えていた。
サンジは自身の感情に少し戸惑う。自分はこんなにお人好しだっただろうか。
そんなことを考えていると話が終わったのか、エースに背中を押されてルフィがこっちにやって来た。
その面持ちは緊張しているように見える。当たり前か。
「それじゃあ、弟をよろしく」
「ああ、わかったよ。ルフィだっけ? しばらくの間、よろしくな」
「は、はい…よろしくお願いします…」
頭を下げてから、ルフィはエースを見る。
「じゃあ、エース…出張、頑張って」
「ああ、またな」
頭を多少乱暴に撫でて、エースは一瞬心配そうな顔でルフィを見た。そして、何事もなかったように笑った。
心配しているのを気取られないようにしているのかもしれない。
ルフィに手を振り、エースはその場を後にした。
どこか不安そうに無言でエースを見送っているルフィをちらりと見る。
(ルフィの兄貴はおれがどこに住んでるのか確認しなくていいのか?)
呆れるほどに自分のことを信頼している二人に、サンジは苦笑した。
ここまで信頼されると逆に何もできないものだ。いや、何かをするつもりはないけれど。
(可愛い妹だったら、危なかったかもな)
そう思っているとルフィがこちらを見てきた。
「えっと…」
「ん? ああ、おれの名前はサンジな。別にあとで金を請求したりしないから安心して暮らせ」
「は、はい……サンジさん」
「はは、敬語じゃなくていいよ。むず痒いって」
「そ、そっか。うん、じゃあサンジって呼ぶ」
サンジは歩き出しながら、ルフィに話しかける。
「ん、そうしろ。おれの家はこっち。あ〜、妙な関係性だけど気にするなよ? 友達感覚で構わないから、その方がおれも気を遣わなくて助かる」
「うん、わかった。しばらく、よろしく!」
にこっと笑うルフィを見て、サンジはいきなりの他人との共同生活に対する不安が消え失せた。
***
「適当にくつろいでろ」
「うん」
サンジはソファーに座るルフィを横目に見ながら、携帯に充電器を差す。
ホテルに予約をする前でよかった。
このタイミングで電話して予約できたとは思えないが、ほぼ当日予約の当日キャンセルだとキャンセル料が発生してしまう可能性がある。
「サンジ」
「ん?」
着替えでも用意してやろうかと立ち上がると、ルフィから声が掛かった。
「もしかして、旅行…とか行くつもりだった?」
「え?」
何やら勘のいいルフィにサンジは少し驚く。
別に旅行の準備はまだしていないので、荷物で判断したとは言い難い。
「えっと、ゴールデンウィークだし…もしかして、どっか行くつもりだったのかなって」
「ああ〜、ガキが変なこと気にするなよ」
旅行に限らず、何か予定があったのではないかという心配なんだろうか。
なかなか気を遣ってくるルフィにサンジは内心で苦笑する。
「でも、ホテルの予約とかしてるんじゃないのか?」
「いや、それが丁度予約する前だった。別に絶対に旅行したかったわけじゃねェし、夏休みにでもまた行くからいいんだよ」
突然、家に転がり込んでしまったことを気にしているのだろう。しかし、旅行は本当に軽い気持ちで考えていたことなので行けなくなったからといって腹も立たない。
「それに今から予約するつもりだったからな。どうせ予約一杯だったろうから、気にすることねェよ」
「うん」
「はは、旅行に出かけるから、ここを出て行けなんて言わないから安心しな」
サンジは笑いながらジャージを引っ張り出し、ルフィに投げる。
慌てて受け取ると、ルフィは首を傾げた。
「悪いけど、風呂は入れてない。シャワーでよかったら浴びて来い」
「あ、ありがと。走り回って汗だくだったんだ! あっ…」
「ま、とにかく疲れを洗い流して来い。今着てる服は洗濯機に入れろ。ほら、換えの下着は新しいヤツだから」
気まずそうにこちらを見てきたルフィになるべく気がつかないようにして、サンジは換えのパンツを手渡す。
そして、ルフィが風呂に連れて行ってから、ソファーに座った。
(デリケートな話は気を遣うなァ…)
両親から逃げるために走り回った、という話はエースから聞いている。
できるだけ平常心でいたつもりだが、困ったような顔をしてしまったかもしれない。
そして、思ったより違和感なく生活できそうだった。
彼女と二人暮しをしていた名残かもしれないが、誰かが自分の家にいることに嫌悪はない。
素性も知らない男と暮らして違和感ないはずないので、たぶんルフィの雰囲気が警戒させないのだ。
明日は買い物に連れて行こう。
ずっと住むわけではないけど、生活必需品はそれなりに揃えておかないと。元彼女が置いていった物を使ってもらってもよかったが、邪魔なのでほとんど処分してしまっていたから。
***
ルフィが風呂から出てきたあと、サンジも適当にシャワーを浴びた。
髪の毛を拭きながら部屋に戻るとルフィは低めのテーブルにアゴを乗せて、うとうとしていた。
その様子に笑いつつ、サンジは二人分のミルクティーを用意する。
「何してんだ?」
「ふえ!?」
あまりの驚いた様子に笑いながらサンジはルフィの分をテーブルに置いた。
「ほら、これでも飲めよ」
「わ、ありがとう」
冷ましつつ、飲んでいるルフィにサンジはさっき思っていたことを話す。
「明日、買い物に行こうか」
「買い物?」
不思議そうにルフィはサンジを見てきた。
「お前の生活必需品くらい買おうぜ? 不便だろ」
「うん、買い物! 行きたい! 楽しみだ。あっ、お金は持ってるから」
「それはよかった。携帯は? 迷ったときに連絡しなきゃな」
「携帯……家に忘れてきた」
何か思うところがあるような声音に少し、軽率な発言だったかと反省する。でも、謝るのも変かと思った。
「そう、か」
結局、上手い言い回しも思いつかず、それだけしか言えなかった。
「あっ、サンジは誤解してるぞ!」
「ん?」
慌てたようにこちらを見てくるルフィをサンジは不思議そうに見る。
「た、確かにおれの両親は仲悪いけど…エースが出て行く前は本当に仲悪かったけど。今はエースが言ったほどじゃないから。気にしないでくれよ」
「エースが出て行ってから、少し改善したのか?」
「うん! 今回のケンカは久々で、しかもケンカの原因はおれで…少しつらくて逃げて来ちゃったんだけどな。両親には子離れが必要なんだろうな、きっと。だから、少しの間、離れて冷静になって欲しいんだ」
「なるほど。家族の話がタブーってわけでもないんだな」
「うん。携帯も単純に忘れただけだから」
ルフィの笑顔を見ると、その言葉は本当でもないが、嘘でもない気がした。
自分でもどっちなんだと思うような感覚だが、少なくともエースが言った内容よりはかなりマシなんだろう。
あまり酷い境遇にいなくて、安心した。
「それはよかった。まァ気の済むまで居ればいいから」
「ありがと…サンジ」
「いえいえ」
嬉しそうに笑うルフィを見てから、サンジは自分用に淹れたミルクティーを飲む。
少し冷めていたが、安心したからかいつもより美味しく感じた。
自分で思っていた以上にルフィのことを心配していたらしい。
そのことが少し気恥ずかしくもある。
無言だが、安らげる時間にサンジはルフィと気が合うのかもしれないと思った。
話しかけようかと思ったら、ルフィはテーブルに突っ伏して寝ていた。
何も言わず眠るなんて、余程疲れていたのだろう。
ソファーで寝させるつもりだったが、こんな姿を見せられるとそうはいかない。
サンジは起こさないように、ルフィを自分のベッドに運んだ。
全く起きない。本当に疲れているようだ。
あどけない寝顔に微笑む。見かけによらず苦労少年なルフィの頭を無意識に撫でる。そして、ピタリと固まった。
(な、何してんだ、おれ)
眠る彼女の頭を撫でたことがあっただろうか、答えは否だ。
動揺しつつ、そろそろとルフィから離れた。
マグカップをシンクに入れてから、ソファーに寝転がる。
自分の不可解な行動に、戸惑いながらサンジは無理矢理に眠った。
*続く*