「ルフィ、目を開けろ」
「うっ…ここは?」
ゆっくりと目を開ける。まだどこか浮遊感が抜けなかった。
路地裏だろうか、近くに大通りがあるのか人の気配はする。
「5月2日、午後2時41分56秒。サンジのいる町だ。残念だが、居場所までは特定できなかった…自力で探すしかない。おれは少し、別件があるからそばにいてやれない。空間移動した証拠を消してくる。一人で大丈夫か?」
「ん、大丈夫。エースに甘えるばっかりはよくないから、自分で捜す」
「わかった。できるだけ早く戻る」
そう言い残し、エースは消えた。
途端に心細くなる。叱咤するように自分の頬をバシバシと叩いた。
「しっかりしろ!」
気合いを入れて、ルフィは少ない情報を頼りに大通りに向かう。
サンジの通っている大学に行ってみよう。
ゴールデンウィーク中だが何かしら手掛かりはあるかもしれない。
時間は限られている。
失敗も許されない。
とにかく、サンジを見つけないことには引き止めることさえできない。
サンジと話した中にある情報を思い出しながら、ルフィは走り出した。
***
「はァ」
大学は開いていたが、サンジの学部までは知らなかったので進展はなかった。
大学内にはいない。そして、それ以上の情報がないなら次に向かわなければ。
落胆しつつ、町中をうろつく。
もしかしたら、どこかで出会えるかもしれない。
辺りを見渡す。
自分のいる場所もよくわからない。
こんなことで見つけられるんだろうか。
不安に、なる。
「………」
頭を横に振り、冷静さを取り戻した。
(不安になるにはまだ、早い)
街灯のそばにある時計は午後5時を回ったところだ。
もしかして、旅行の準備をしているだろうか。
買い物に出かけているかもしれない。
ルフィは近くのスーパーに入る。
可能性は低くても、ゼロじゃないなら調べなければ気がすまない。
***
人気のないところも含めて、町全体を探した。
でも、見つからない。
この町にはいないのだろうか。
午後8時。
走り回って、ずっと気を張っていてルフィは近くのベンチに腰を下ろした。
今すぐにでも、走って探しに行きたいけど気力と体力の限界だった。
偶然すれ違うこともない。どこにいるか見当もつかない。
目ぼしい場所はすべて探したつもりだ。でも、この町の全てを知っているわけじゃない。
初めて来た町はどこに何があるのかもわからない。
サンジがよく行く場所も知らない。
もっとサンジのこと、聞いておけばよかった。
知らない土地のことだからと、深く追求しなかったことを悔やむ。
ルフィはふらつきそうな身体を抱えて、立ち上がる。
「休憩、終了」
小さく声に出して、深呼吸した。
辺りは暗い。サンジも、もう家に帰っている頃だろう。
マンションを突き止めよう。
近くに公園があって、24時間スーパーがある、そんなマンションを探そう。
***
公園も見つけた、24時間スーパーも。でも、近くにマンションは多く存在した。
その中のどれかだとしても特定が難しい。
サンジの車を知っているけれど、駐車場は多くあった。
さすがにナンバーまで憶えていない。
ルフィは外灯の照らす公園のベンチに座り込む。足が震えて立っていられなかった。
走り回って上がってしまった息を整えながら公園の時計を見る。
時刻は午後11時を指していた。
疲れが一気に押し寄せる。
何時間、探しているんだろう。それでも見つからないなんて。
諦めない、絶対に諦めない。
サンジの車に轢かれてでも止めてやる。
そう、思うけど車を見つけないことには話しにならない。
俯き、暗い考えに呑み込まれる。
「おい、大丈夫か?」
「っ!!?」
聞き覚えのある声音。驚いて顔を上げた。
息が止まる。
スーパーの袋を持ったサンジが心配そうにこちらを窺っていた。
「具合、悪いのか?」
「あ……おれ…」
声が上手く出ない。あんなに探しても見つからなかったのに。
こんなに簡単に見つけられるなんて。
サンジが生きている。
その事実が言葉を詰まらせた。
何か言わなければいけないのに。
「どうした? 水、飲むか?」
優しい声。気遣わしげな視線。
涙が溢れそうになる。
やっぱり、サンジのことが好きだ。
この人を失いたくない。ただ、そう思うのに。
これからが大事なのに。会えた、それだけで思考がまとまらなくなる。
「ルフィ! おい、おれの弟に何か用か?」
「エー、ス?」
突然の登場に驚き、エースに目を向けた。
「弟? あんた、こいつの兄貴か。それなら平気か」
立ち去ろうとするサンジの袖を思わず掴む。
不思議そうな顔でサンジはルフィを見る。
「?」
「……あんた、ちょっと」
「ん?」
ルフィは呆然としたまま、袖を放した。
エースに呼ばれ、心配そうな視線をルフィに投げかけてからサンジはそちらに向かう。
何でエースがここにいるんだろう。
何でスーツを着ているんだろう。
そもそも、何でサンジにもエースの姿が見えているんだろう。
弟とはどういう意味なんだろうか。
二人のそばに行きたいのに疲れとサンジと出会えた安堵から立ち上がれない。
少しの間だが、二人は真剣に話しているようだった。
サンジが何度かルフィを見て来たが、どういうリアクションをすればいいかわからない。
エースの思惑はわからないけど、手伝ってくれると言っていた。
それに信頼している、心の底から。
「ルフィ、ちょっとこっちに来い」
エースに呼ばれて、ルフィは立ち上がる。
休んでいたからか、だいぶ楽に立ち上がることができた。
サンジから少し離れた場所でエースは小声で話す。
「ルフィは、しばらくサンジの家に住むことになったから」
「ええ!?」
突然の発言内容に思わず、ルフィはサンジを見た。サンジは苦笑しているようにも見える。
慌ててエースを見た。にやりと笑っていて唖然とする。
「嘘八百をかました。ものすごくお前に同情してるはずだ」
「む、無理を言ったんじゃないの? サンジはおれとここで初めて出会ったんだぞ? なのに、いきなり家に泊めてもらえるようになるなんて変だよ! 別にそんなに身近で見張ることないんじゃ…」
「だって、離れてるとルフィは絶対サンジを心配するだろ? 近くで見張ってた方がいい」
否定はできない。ふとしたきっかけで旅行に出かけてしまう危険性もある。
それを思うと安心して眠れない気がした。
ルフィは戸惑いながら、頷く。
「簡単に設定憶えておけ。おれとお前は兄弟で、離れて暮らしてる。両親は離婚寸前で、お前は両親がケンカする度におれのトコに来ていた」
「うん」
「おれは明日から出張で、しかも親がルフィを連れ戻しに来るかもしれないから自宅に置いておけない。だから、サンジが面倒見てくれってな。かなり無理矢理だが、たぶん大丈夫だろ」
「それ、エースが考えたの?」
自分では思いつかないような変なアイデアにルフィは感嘆した。
「ああ、時空移動の証拠隠滅しながら考えた」
「よく思いついたな…むしろ、エースって今サンジに見えてるんだな」
「見えるようにも出来るからな。ただの人間にしか見えないだろうな。とりあえず、明日の晩、日課の散歩に行くとか言って抜け出して来い。ここで経過報告と作戦会議しよう。さすがにサンジの家の中に姿を消して潜むのは、上の奴に見つかるリスクがあるからな」
『上の奴』というのが誰を指すのかはわからないが、きっとエースの上司だろう。
リスクを犯してまで、違反してまで、ルフィのために色々と手を尽くしてくれている。
「……エース」
「お互い頑張ろうな。あと、財布。サンジに金銭面まで面倒見させるのは気を遣うだろ?」
「うん」
手渡されたのはルフィの財布だ。上着のポケットにしまう。
頼りにしているが、ここまで力を貸してくれるとは思わなかった。
エースの優しさに涙が滲む。慌てて、目を擦った。
すると、エースが頭を撫でてくれた。
「まだこれからだろ? サンジを助けてやるんだろ? 泣いてちゃダメだ」
「…うん。ありがとう」
嬉しくて、温かくて。ルフィは笑っていた。
サンジの訃報を聞いてから初めてではないだろうか、こんなに自然に笑うのは。
本当に『兄』というものが自分にいたとしたら、エースみたいな兄がいいと思う。
自分の魂を欲する者なのに、打算なく助けてくれているように思うのは、甘いんだろうか。
それでも、エースがいてよかったと心から思った。
「あ〜、両親の不仲離婚寸前設定は変えてもいいからな」
「う、うん。あんまり心配させるのも心苦しいもんな」
「はは、ヘマしないようにな」
エースに背中を押されて、ルフィはサンジの前に連れて行かれる。
緊張してしまう。好きと自覚してから、すぐにサンジの家で暮らすのだ。
「それじゃあ、弟をよろしく」
「ああ、わかったよ。ルフィだっけ? しばらくの間、よろしくな」
「は、はい…よろしくお願いします…」
赤面した顔を隠すように思い切り頭を下げる。
名前を呼ばれ、笑顔でこちらを見てきたサンジに、頭がくらくらした。
何で敬語だ! と自分にツッコミたいが、胸がドキドキして思考が上手く回らない。
しっかりしなくてはいけないのに。
サンジの命が掛かってると思うと浮かれている気分が引いていく。
「じゃあ、エース…出張、頑張って」
「ああ、またな」
お前も頑張れというように、わしわしと頭を撫でられ勇気が湧いた。
エースは笑って手を振り、その場を後にした。
しばらく、無言で見送る。まさか途中で消えたりしないか不安だったのだ。
しかし、突如消えたりすることもなく、エースは見えなくなった。
安心してから、サンジに目を向けるとこちらを見ている。
「えっと…」
「ん? ああ、おれの名前はサンジな。別にあとで多額の金を請求したりしないから、安心して暮らせ」
「は、はい……サンジさん」
ものすごく迷ったが、敬語にしてみた。すると、サンジは面白そうに笑う。
「はは、敬語じゃなくていいよ。むず痒いって」
「そ、そっか。うん、じゃあサンジって呼ぶ」
ルフィは安心して笑った。これでボロが出る可能性が少し減った。
「ん、そうしろ。おれの家はこっち。あ〜、妙な関係性だけど気にするなよ? 友達感覚で構わないから、その方がおれも気を遣わなくて助かる」
「うん、わかった。しばらく、よろしく!」
初めて出会ったときと変わらないサンジにルフィは緊張することなく、笑いかけることができた。
***
三階の角部屋がサンジの家だった。
ルフィは興味深く家の中を見て、失礼かと思いキョロキョロするのを止める。
「適当にくつろいでろ」
「うん」
なぜかスーパーのレジ袋から充電器を取り出し、携帯の充電をしたサンジを見ながらルフィは訊いておきたいことを訊ねようと声を掛けた。
「サンジ」
「ん?」
サンジは立ち上がり、こちらを見てきた。
「もしかして、旅行…とか行くつもりだった?」
「え?」
驚いているサンジに失言だったかと内心、焦る。
ルフィは普段使わない頭をフル回転させ、無難なことを言った。
「えっと、ゴールデンウィークだし…もしかして、どっか行くつもりだったのかなって」
「ああ〜、ガキが変なこと気にするなよ」
「でも、ホテルの予約とかしてるんじゃないのか?」
もしかして、例のホテルに予約済みなのだろうかと、不安になる。
「いや、それが丁度予約する前だった。別に絶対に旅行したかったわけじゃねェし、夏休みにでもまた行くからいいんだよ」
心から安堵した。ホテルの予約をしていると、出掛けてしまうこともあっただろう。でも、まだ予約していない。それなら、サンジがここにいる可能性が高くなった。
「それに今から予約するつもりだったからな。どうせ予約一杯だったろうから、気にすることねェよ」
「うん」
「はは、旅行に出かけるから、ここを出て行けなんて言わないから安心しな」
安心しているとジャージを投げられる。
何なのだろうかと首を傾げると、サンジは少し申し訳なさそうに言った。
「悪いけど、風呂は入れてない。シャワーでよかったら浴びて来い」
「あ、ありがと。走り回って汗だくだったんだ! あっ…」
走り回っては言ってもいいんだっけ。
気まずそうにサンジを見ると、サンジも少し困った顔でルフィを見ていた。
「ま、とにかく疲れを洗い流して来い。今着てる服は洗濯機に入れろ。ほら、換えの下着は新しいヤツだから」
どう見ても気を遣っている。
新しいパンツを受け取りながら、顔が引き攣りそうになるのを耐えた。
(走り回ったってだけで、あんな困った顔するなんて…ホントにエースはなんて説明したんだろ。あとで訂正しとかなきゃ)
ルフィは風呂場へ案内され、シャワーの使い方も軽く説明される。
サンジが去ってから、服を脱ぐ。言われた通り洗濯機に入れさせてもらった。
できる家事はさせてもらおう。お世話になりっぱなしも、よくない。
少し熱めのシャワーを浴びながら、今後を考えた。
この場所に住めたことは大きな成果だろう。ほぼ、足止めできたと言ってもいい。
でも、5日までは油断禁物だ。
あと好きな人と一緒に住むというのは予想以上に楽しそうで、少し切なくなった。
それでも、5日までは笑っていたい。
そして、明日エースに訊きたいことがある。会ったら訊こうと思った。
***
サンジがシャワーを浴びに行っている間、ルフィは睡魔と格闘していた。
精神力、体力を限界まで酷使したせいか異常なほど眠い。
それでもサンジが風呂から出てくるまでは起きていようと、頬を抓った。
「何してんだ?」
「ふえ!?」
急に声を掛けられ、驚く。
あまりの睡魔にサンジが風呂を出たことにさえ、気がつかなかった。
空白の時間がある。気づかないうちに軽く睡魔に負けたのかもしれない。
「ほら、これでも飲めよ」
「ありがとう」
温かいミルクティーにホッとしつつ、睡魔が再来した。
「明日、買い物に行こうか」
「買い物?」
「お前の生活必需品くらい買おうぜ? 不便だろ」
「うん、買い物! 行きたい! 楽しみだ。あっ、お金は持ってる」
「それはよかった。携帯は? 迷ったときに連絡しなきゃな」
「携帯……家に忘れてきた」
エースに携帯は使えないと言われて、家に置いてきた。だって使えないのならあっても、無意味だ。
再びうとうとしつつ、応えた。
「そう、か」
「あっ、サンジは誤解してるぞ!」
少し渋い声音をしたサンジにルフィは慌てて、否定の意を込めて視線を向ける。
すると不思議そうにサンジが見てきた。
「ん?」
「た、確かにおれの両親は仲悪いけど…エースが出て行く前は本当に仲悪かったけど。今はエースが言ったほどじゃないから。気にしないでくれよ」
「エースが出て行ってから、少し改善したのか?」
「うん! 今回のケンカは久々で、しかもケンカの原因はおれで…少しつらくて逃げて来ちゃったんだけどな。両親には子離れが必要なんだろうな、きっと。だから、少しの間、離れて冷静になって欲しいんだ」
我ながら上手く言えたのではないだろうか。風呂場で考えた甲斐があるというものだ。
これで必要以上に心配されることもないだろう。
「なるほど。家族の話がタブーってわけでもないんだな」
「うん。携帯も単純に忘れただけだから」
ルフィの笑顔を見て、サンジもどこか安心したようだった。
「それはよかった。まァ気の済むまで居ればいいから」
「ありがと…サンジ」
「いえいえ」
余計な心配をさせるわけにはいかない。
サンジをきちんと守らなくては。
残りのミルクティーを飲み干して、ルフィはいろいろ考える。
順調すぎるくらいだ。しかも、サンジの傍は居心地がいい。
温かい空間だと思った。サンジの空気がそうさせるのかもしれないけど、初めて来た家なのに落ち着く。
でも、反対に少し緊張する感覚も存在した。
好きな相手と二人きりなんだから、この感情も当たり前なんだろうか。
恋愛初心者には、よくわからない。
疲労が溜まり過ぎていて、頭が上手く回らなくなってきた。
とにかく、また出会えてよかった。
サンジの旅行を阻止して、5月7日に戻れば契約しなければいけない。
自分は『人間』に生まれ変わることはもうないのだ。
犠牲精神なのだろうか。そんな感覚はない。ただ、あのときの自分にできる最善を尽くしただけ。
他人を助けることに確固たる理由が欲しいというなら、サンジが好きだからだ。
今ならはっきりと言える。自分はサンジに恋している、と。
そう、思いながらルフィはいつの間にか眠りについていた。
*続く*